第13話 アベルとラシェル

 アベルがスレイアのアパートに到着したのは、日が回ろうとしている時であった。


 寝ているとも思ったが、魔族と人間のハーフの少女は、戸を叩くとすぐに出てきた。


「ただいま」


「……おかえり」


「悪い、遅くなった」


「……別に待っていないが」


「そりゃ、ちょうど良かった。色々と用事がたてこんじまってな……」


 アベルは服を脱いでシャツとパンツだけになり、スレイアのベッドに飛び込んだ。


「さーて、おやすみ」


「……寝るのか」


「ああ。スレイアはまだ眠くないか?」


「……アベルに任せる」


「じゃ、寝よう」


「……分かった」


 どうにもスレイアの様子がおかしい。口数が少ないのはいつものことだが、いつもならもっと好戦的なニュアンスが入るところ、今日はただ大人しいだけだ。


 スレイアが魔法灯を消し、部屋が真っ暗になる。


 そう言えば、ベッドから出ろと言われていない……などと思っていると、スレイアがベッドの上に乗り込み、アベルの上に跨ってきた。


「え?」


「こういうことは……あまり、分からない。が、出来ることは……する」


 そう言って、スレイアはおもむろに胸のバンドを外した。


「待て、待て! 寝るってのはそういうことじゃなくて、そのまま眠るって意味だ! ベッドに入ったのも冗談! いつも通り床で眠るから!」


「……そうなのか?」


「あ、ああ。それも付け直してくれ」


 しかしスレイアは言う通りにしなかった。


「……アベル。私は他に、払えるものがないんだ」


「この間のお礼をしたいって言ってるのか? そういうのじゃなくていいよ。お前には飯作ってもらってるし、話し相手になってもらってるし、仲間でいてくれるだけで十分助かってる」


「……そうか」


 スレイアは胸のバンドをつけ直した。


「だが、主人を床で寝かせるわけにはいかない。私が床で寝る」


「ここはお前の家なんだからいつも通り俺が床でいいって。奴隷契約だって首輪の破壊と共に破棄されたわけだし」


「……なら……」


 スレイアはアベルの隣で横になった。


「これなら、いいか?」


「あ、ああ。そうだな。次からは、こうするか」


 女性との同衾。アベルにとっては初めての経験だった。先ほどまでの睡魔はとうに消えていた。


「……もう少し、壁際に寄れないか?」


 と、スレイア。


「あ、ああ」


 アベルが壁際に寄ると、スレイアももぞもぞとアベルの方へ寄る。


(ち、近くないか?)


 スレイアはほとんどアベルに密着していた。ここまで寄らずとも、ベッドに空いている空間はある。


 枕はアベルだけが使っており、スレイアの頭はアベルの胸の高さにあり、少し体を丸めている。


(く、まずい。俺にはマリーズが。しかしこれは、うう)


 アベルは悶々としながら、いつもより時間をかけて眠りについた。


 


 


 


 ラシェルは墓標の前で、祈りを捧げていた。いつから閉じていたか分からない目を開けて、ゆっくりと立ち上がる。


「……悪いな、ティア。ついて来てもらって」


「ラシェル様の覚悟は、私の覚悟でもありますから」


 ティアは、ラシェルと同じくいつもの白制服を纏っている。


「覚悟……そう、覚悟なんだ。私は、あの怒りを、悲しみを、絶対に忘れてはならない」


 そう言って、制服の胸のあたりを、ぎゅっと握りつける。


「最近、それを忘れているのではないか……と少し不安に思っていたんだ」


 風が吹き抜ける。ラシェルたちのいる墓地は、街の喧騒とは無縁の、穏やかな丘陵にある。


「……確かに、ラシェル様は最近変わったようにお見受けします。けれど、それが悪いことではないかと」


「違うんだ、ティア。駄目なんだ、それでは。覚悟が薄れてしまうから。いざという時に立ち向かえなくなってしまうから」


 ラシェルは出口の方へ歩き出した。もう少しすると、教会での集会がある。


「そう言えば、昨日のパーティーはどうだった?」


「その……」


「顔を見れば分かる。あまり気にするな。来年から、在学中だが教会騎士団に入団できる。給与も上がるし、何より私が進言することが……」


「すみません、ラシェル様……けれど、それは違うのです。それは私自身の力で、なんとかしなくてはならないのです」


「……そうか」


 二人の間に沈黙が流れた後、ティアがおもむろに口を開いた。


「ラシェル様がアベルをライバルとする理由……実力以外にあるのではないですか?」


「え?」


「し、失礼致しました。何でもありません」


「ティア……最近、アベルと仲が良いらしいな」


「申し訳ありません、向こうが勝手に話しかけてくるもので……けして、仲良くするつもりなど」


「いや、いい」


 ラシェルは腰につけた剣の柄を、指先でなぞった。


「……奴と結婚してみたらどうだ? 金は私が何とかする。男としてだけ見れば、案外評判は悪くないみたいだぞ?」


「なっえっとそのっ!?」


「はは、冗談だ」


 ラシェルは続けて、鞘を指先で叩いた。ピアノの鍵盤を引くように。


「それはきっと…………」


 ラシェルは自分にだけで聞こえる声で言った。


「すみません、風で少々声が遠く……恐れ入りますが、もう一度言っていただけますか?」


「何でもない。さあ、教会へ戻ろう」


 ラシェルは足を速めた。


 


 


 


 ブレイブ大学入学試験の一次試験は、ペーパーテスト。ここで受験者の9割が落とされる。


 そして二次試験は、馬を使った騎馬戦だった。


 二チームに分けて行われるもので、使う武器こそ木剣であれ、規模も危険も大きい、最高学府かつ最高軍事学校に相応しい内容


 開始時は両チーム同じ場所に集められ、そこで自分の馬を貸し与えられる。


 ラシェルが練習で馬を乗り回していると、ふと、馬にまだ乗っていない受験者が目に留まった。


 むろん、いきなり馬に乗れ、などと言われ、すぐに乗れる者ばかりではない。苦戦して乗れない者も多くいたが、彼は違った。


「しかしですね。この馬は受験向けにプロの厩務員が調教したもので……」


「絶対、体調悪いですよ。人が苦手な性格だから、ストレスもかなり溜まってる。とにかく替えてください」


 聞こえてくる会話から、受験生が馬の体調不良のために交換してくれと要求、しかし職員が抵抗しているという図はすぐに分かった。


「始めにも説明した通り、この試験は全員が平等な条件で行われるとは限りません。悪い状況への対応力も評価対象なんですよ。だから馬を言い訳にせず、君も……」


「試験は関係ない。この体調で無理に走らせたら、さらに悪化してしまう」


「……分かりました。代わりを用意するので、そのままお待ちください。しかしアベル・フェルマー。貴方の今の行動も評価に加味されたことを、お忘れなく」


「ご無理を聞いて頂き、ありがとうございます」


 アベルという青年は丁寧にお辞儀して、職員が去って行った後、体調の悪いという馬を撫でた。


「良かったな。今日は走らなくていいってさ」


 馬は力なく鳴き、顔をアベルに寄せた。


「はは、いいって。お前を壊してまで受かりたくはないもんな。……お嬢さん、俺に何か?」


 ラシェルはそこで初めて、アベルを見過ぎていた自分に気付いた。


「……随分と己の意思を押し通したな。この状況で。落ちることが怖くないのか?」


「怖いし、落ちたくない」


 アベルはそう言って、皮肉っぽく笑った。


「なら、どうして……」


 試合開始時の待機地点へ移動せよという職員の指示で、ラシェルの声はかき消される。


「馬、まだかなあ」


「……貴様と戦えることを楽しみにしている」


「え? おう。俺も楽しみにしてるぜ!」


 その後、ラシェルをリーダーとするチームが優位に立ち、ヴァレンタインをリーダーとするアベルのチームは退却を余儀なくされた。


 


 そこでしんがりを務めるアベルと数回剣を交えた時、ラシェルは激しく驚いた。


 


 アベルと、その仲間数人が遠ざかっていく。もう時間は残されておらず、勝敗は明白。これ以上の深追いは無意味だった。


「……アベル・フェルマー」


 剣を持っていた方のグリーヴを握り締めたまま、ラシェルは呟いていた。


 その手の痺れはしばらく消えなかった。


 


 今でも思い出す。


 


 


 


 


 ブレイブ大学憲兵騎士科および教会騎士科1年生に送られる、基礎体力向上訓練は、いよいよ校外に飛び出して、野山まで出ていた。


「へっくしゅ! もー! ふつう、入学して一月と経たずにサバイバル訓練なんてさせるかなあ!?」


 焚き火の前で三角座りをして、コレットが叫んだ。その制服は後ろで紐で吊るされており、今の彼女は裸体の上にタオルをかぶっただけというファッションスタイルだ。はしゃいでいたら足を滑らせて川に落ちたらしい。


「まあまあ……僕らはトレーニングメニューが終わってるから、新しいことをさせてもらえた方が良いよ」


「他の奴らは憂鬱だろうが、たった二泊なんてキャンプと変わらねえよ。ってかお前ついさっきまでドチャクソにはしゃいでただろ」


 木を背にしながら本を読みつつ、アベルが言った。


「さっすが田舎育ち。余裕ですな……あ、そうだ! アベルの好きな人の話しよう!」


「唐突だな!」


「へえー、アベル、好きな人いたんだ」


 紅茶を片手に、バサスが言った。


「よーし! 恋バナしよう! 恋バナ恋バナ!」


「急に元気になったなおい……」


「ねーしようしようしよう! ラシェルも、ティアも! ほらっ!」


 コレットがテントに入り込む。サバイバル訓練は五人一組みで行われるが、チーム分けはアベル、バサス、コレット、ラシェル、ティアだった。


「興味がない」


 ラシェルは手元の活字に目を落としながら言った。


「でも聞き耳立ててなかった? ページ進んでないよ? ほんとは興味ありあり?」


「それは、読み返しているだけだ。これは軍事教書だ。物語のように順を折って読むものではなく……」


 コレットはラシェルとティアをテントから引っ張り出した。


「どうせ明日は大学に帰るだけなんだしさ! 二人もはっちゃけちゃおうぜい〜」


「ほんとテンション高いな」


「深夜だからねっ! 水で酔えるよ、今の私は!」


「そいつはコストパフォーマンスの良いことで」


 なんだかんだで五人が焚き火を囲むかたちとなる。


「じゃーティア、いこうか!」


「な、何故私?」


 話を振られると思っていたなかったのか、やや上擦った声でティアが答えた。


「クールビューティーな実力者。ラシェルの従者という情報しかない彼女が、奥底にはどんな淡い恋心をひめているのか……気にならない? 気になるよねぇっ!! アベルの好きな人は後で聞くよっ!」


「楽しそうだなコレット。でもそうだな、ちょっと気になるな」


 アベルはこのままティアに集中砲火し続ける流れを作ることで、乗り過ごそうと決めた。


「僕も気になる」


 バサスもそれに乗る。


「ラシェル様……」


 追い詰められ、すがるように主人を見つめるティア。


「……話してみたらどうだ?」


「ラシェル様!?」


 更なる予想外に遭い、ティアは日頃の態度からは別人のごとく狼狽した。


「やった! きたきた〜!」


 ティアは既に顔が赤くなっていた。夜の山中。虫の声と、風で葉がこすれあう音。焚き火が幻想的にゆらゆらと揺れる。いつも学校で顔を付き合わせるのとは違う。それは感情までも。この場にいる全員が、そうなっていた。


「わ、私はラシェル様に仕える身。ラシェル様以外の者のために動くなど、あり得ないことです」


「誤魔化した。でもティア、ふつうに男好きでしょ?」


「そう言う話はしてないだろ……」


「うるさい。この間、私たちが下ネタ話してた時も顔真っ赤にしてたもんね〜。可愛いよね〜ティアちゃんは〜」


 アベルの突っ込みを一蹴し、ティアをからかうコレット。


「う、うるさいですよ、コレット・シャイニング……!」


「じゃあさじゃあさ、Aクラス男子で誰が一番かっこいい? 好きとならずとも、かっこいい序列ぐらい決まるよね?」


「そ、そんなこと考えたこともありません」


「今考えて十分出せるでしょ! 尊敬できるでもいいよ! なんとなく良いってだけでも良い!」


 上手いな、とアベルは思った。既にティアは話し出す体制にある。コレットは初めは無茶な要求をし、段々と要求の難しさを下げた。結果として、ティアはそろそろ答えてもいいや、あるいは答えてあげないとなあ、という気分になっているはずだ。


(コレットの親は官僚……やはりそれなりの交渉力が求められるのだろう。それとも天性か?)


「アベル・フェルマー……」


 ティアがそう呟いた時だけ、不自然なほどに虫の音が止んだ。夜の静けさに、とある青年の名が熱を持って響く。


「え?」


「へ?」


「えっ」


「ん?」


「こ、これはちがっ。そもそも私の認識している男子生徒がこれとバサスぐらいだから、消去法で!」


「他の男は、眼中にないと……」


 と、コレット。


「あっ、ちがっ、な、なんでもありません。嘘、うそです。うそいいました。ね、寝ます!!」


 ティアは挙動不審になりながらテントに潜り込もとうする。その足を、ラシェルが強く掴んだ。


「ラシェル様!?」


「すまん。無意識に」


「ラシェルナイス! ティア……もう一度いってごらん?」


 コレットがねっとりと煽る。


「何も言ってません何も言ってません私は何も言ってません!!」


「否定すればするほどガチっぽくなっちゃうよ?」


「あ……く……ううう!」


 ティアがテントに引きこもってしまったため、恋バナ大会は強制的に終了となった。


「アベルさん、今のお気持ちを一言でどうぞ」


 と、コレット。


「最高の気分です」


「よかったですね〜〜」


 コレットが低い声で言った。


 


 


 


 バサスの夜番が終わった後、アベルとラシェルは横に並んで、焚き火に枝を入れていた。


「炎って、なんか良いよなあ」


 アベルの呑気な発言に、ラシェルは特に反応しない。


 しばらくして、まるでずっと前から言う準備をしていたかのように、ラシェルが重い口を開いた。


「……誰なんだ?」


「何が?」


「……コレットが言っていた、あれだ」


「もしかして、俺の好きな人が誰かって聞いてる?」


「ああ。……なんだ、その顔は」


「……あのラシェル・ユースティティアが今時の女子みたいなことを言い出すもんだから……」


「そんなに可笑しいか」


「おかしかないさ。ただ、イメージと違って驚いた。ちゃんとそういうのにも興味あったんだな」


「私はない」


「じゃあ、ティアか?」


 ラシェルは目を丸くしてアベルを見た。


「お前が自分以外でそういうのを気に掛けるとしたらティアぐらいしか思いつかない。次点で俺」


「……お前は……」


「俺の好きな人がティアかどうか聞きたいのか? ティアが好きな人がもし俺だとしたら、主人として聞かざるを得ないよな」


「……」


「そういう解釈で間違ってない、よな?」


「……」


「なんとか言ってくれよ……さてはお前、彼氏とかとは無縁だろ」


「うるさい」


「心配するな、俺もだ。天下のブレイブ大学生として、色恋にかまけてる暇はないもんな」


 アベルは木に背中を預け、夜天を見上げた。


「……俺、故郷に好きな人がいるんだ」


「……そうか」


 ラシェルはぱきりと枝を折った。それを投げるようにして、火に入れる。


「年始に帰省してプロポーズしようと思っている。まだ将来不確定だし、家柄も一般人だからすぐには結婚できないけど。意思だけは伝えてるつもりだ」


 ぱき、ぱき、と枝の折れる音。


「ラシェルはいないのか? 好きな人。おっと、答えないってのはナシだぜ。先に聞いてきたのはお前だからな」


「分かっている。だが残念だったな、生まれてこの方、男に恋焦がれたことはない」


「ほんとか? 小さい頃年上のにーちゃんに憧れたりとかそういうのすらないのか?」


「ない。強いて言うならば、父は尊敬しているがな」


「……そうか、お前の男の基準はあの人か……そんで自分自身もそれだけ強いってなったら、男なんてものはどいつも雑魚にしか見えんわな」


「ふふっ……そうだな」


「ラシェルはさ、どうしてそんなに頑張るんだ?」


「どういうことだ?」 


「優秀な教会騎士になりたいってのは分かるけど、それだけじゃないだろ? お父さんみたいな教会騎士団長に憧れた、みたいなのはないのか」


「何故、そんなことを聞く?」


「ラシェルのことをもっと知りたいと思ったから」


 ラシェルは入れようと置いておいた枝をひとまとめにして、眺める。そしてそれをばらばらにする。


「アベル……貴様はライバルとしては認める。だが、馴れ合うつもりはない」


 ラシェルは手を押さえながらそう言って、立ち上がった。


「あちらの方で見ている。少ししたら、交代だ。片方が火をくべて、もう片方が警備に集中する。それが効率的だ」


「そうだな」


 ラシェルは焚き火とは離れたところに行き、アベルから見えないところで腰を下ろした。


「……私とアベルはライバル。対立しなければ、意味がないんだ……」


 ぼそっと呟く。虫の音は止まない。

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