第12話 ティア・サントメール

 アベルとフィオは、闘技場付近にある酒場に来ていた。


「私が合言葉を言いますので、アベルさんは何も言わずにいてください。カクテルが出てくるので、それを飲み切ってから、飲みきれなくてもいいのですが、飲み切ってから、トイレのある店の奥の方へ行くと、別室に案内されます」


「分かりました。せっかくなので飲み切ってから行きましょう」


 酒場は地下に入り口があるタイプのもので、中には二十人ほど座れそうなほどのスペースがあった。まだ夕方ということもあり、席の占有率はまばらだ。


 フィオはカウンター席に座り、マスターに話しかける。


「マスター、今日も繁盛していますね」


「ええ、ありがとう」


「先ほどマジックフロッグの照り焼きを食べてきたので、それに合うものを。アルコールは弱めでお願いします」


「畏まりました。柑橘系とベリー系がございますが、どちらにいたしますか?」


「柑橘系で。彼にも、同じものを」


「畏まりました」


 マスターがキッチン傍のカゴに置いてあった柑橘類をつかみ、切り始める。


「これで大丈夫です。折角なので当たり障りのない世間話をしましょう」


 アベルは笑った。


「……そうですね。フィオさんはお酒が好きですか?」


「それなりに。アベルさんは?」


「それなりに」


「あら、気が合いますね。では、また後日も飲みましょう。今夜はゆっくりできなさそうですし。それとも他の女性とのデートでお忙しいですか?」


「あいにく、そういう予定はなくてですね。是非、また飲みましょう」


「アベルさんは女性皆さんにそのようなことを言ってらっしゃるのですね」


 フィオはいたずらっぽく笑った。


「え、いや」


「ふふ。今誰が思い浮かびましたか?」


 薄暗い店のせいもあるのだろうか。やたらとフィオが色っぽく見えた。普段アベルの周りにいるのは10代の小娘ばかりということもあり、20代中盤に見えるフィオの蓄えてきた知識や所作が、洗練されて映っているのかもしれない。


「フィオさんだけですね」


「本当ですか? 嘘でも嬉しいです」


「嘘じゃないですよ。貴方以上にこの場所が似合う人なんて、俺の数少ない交友関係では思いつきません」


 酒も入れていないのに、口が勝手に回った。アベルは視線をカクテルを作るマスターの方へ逸らした。


「そういうこと言ってると、勘違い、しちゃいますよ?」


 フィオの顔が近づいていた。アベルはどきどきしていた。


「す、すみません。そういうつもりでは」


「アベル様って、いつも思考を端端に巡らせていますけど、女性を相手にするととてもシンプルになるんですね」


「そういうのには、疎くて……」


 そんな会話をしていると、ロンググラスに入った水色の液体をマスターから渡される。


「アイススライムでございます」


 アベルとフィオはアイススライムというカクテルで乾杯した。


「美味しいですね」


「初めて飲みましたか?」


「一度、故郷の村で。でも、村で飲んだ時のよりも、美味しいかもしれないですね。さっぱりしてます」


「アベルさんの故郷って確か、ストファー村でしたよね」


「ええ」


「残してきた彼女とかいらっしゃるんですか?」


「いませんよ」


「では……想いを伝えそびれた人は?」


 アベルの一瞬の思考の揺れを、フィオは見逃さなかった。


「いらっしゃるんですね」


「え、ええ」


「素敵ですね」


「ええと、フィオさんにそういう相手はいらっしゃるんですか?」


 恥ずかしくなったので話題を変える。


「全く。これだけ男性とお話するのなんて、久しぶりです」


「他の使用人と話したりは?」


「使用人同士の恋愛は基本的にご法度なんですよ。ご存知なかったですか?」


「そうなんですね。無知でした。でもフィオさんなら……」


 アベルはそこまで言って口をつぐんだ。また、いらぬことを言おうとしていた気がする。


「私、なら?」


 また顔を近づけられて、赤面する。


「そ、そういえば。グロスマン地区にもロイヤルゴーストが出店されるそうですね」


 アベルは話題を逸らした。艶やかであるものから、乾燥したものに。フィオはその変化を受け入れてくれた。


 やがてグラスは空になり、店の奥へ行く。フィオは、トイレ傍の扉を開ける。どうやらそれは、通常なら関係者専用口となるものらしい。扉の先はさらに地下へと続く階段となっていて、一階分降りたところにまたある扉を開けると、狭い個室が出迎えた。手前と奥を机で区切られ、奥には猫背の男がいた。


 顔は30代ほどに見えるが、額の生え際が心許ない。


「フィオか。何の用だ?」


「アディパティ商会について知りたいんです」


「そちらの兄さんか?」


「はい」


「そんな肩肘はらんでいいさ。俺みたいなのは存在してるようでしてないようなもんだ」


「……じゃあ。俺はアベル・フェルマー。お前が、情報屋のノードか?」


「ああ。そいじゃあ早速値段だが」


 ノードが手書きの伝票を差し出す。


「……高いな」


 キャッシュでギリギリ払える量。アベルはブレイブ紙幣を財布から取り出した。


「毎度。まあ、それなりに買う価値があるものってことだ。兄さん、お目が高いね。アディパティ商会な。詳しいご回答はまた来週ってところでいいかい」


「分かった。来週、同じぐらいの時間に来るよ」


「私もご同行いたしますか?」


「是非、お願いします。都合がつかなければ一人でも行きますが」


「しかし、兄さん、卒業する気あんの? ブレイブ大のトレーニングメニュー、休日もフル活用しないと9月中に終わらないぜ?」


 アベルがブレイブ大の学生であることは、制服を見て明らかだった。しかしその講義内容まで把握しているというのは、アベルの想像を超えていた。


「それなら、今日終わらせた」


「おっ?」


 ノードは爬虫類のような目をぎょろっとさせて、芝居がかった動きで顎に手をあてる。


「ほうほうほう、兄さん、そういうことは情報屋の前であんまし言うもんじゃないぜ? 当然、顧客の秘密は守るけどな」


「何かまずかったか?」


「俺の知ってる限りな、ほぼ最速に近いわ。兄さん、憲兵騎士科だろ。それの軍事教練の初期基礎体力向上訓練過程は、普通10月に終わるもの、早くて9月中にやっとってとこだ。それをこの時期に突破するっていうのは、Aクラス、その中でも特別優秀ってことだ。そういう人間の情報ってのは求められるし、高くつく。これは常識だから、タダで教えてやったぜ」


「ああ、ありがとう。そうか……でも知れて良かった。これでまだ早く終わらせた奴がいたと思うと、さすがに落ち込む」


「……若さってやつかね。自分の実力に気付いていないってのは」


「そうなんですよ」


 何故か、フィオが同調してくる。


「アベル様は自己評価が普通ですけれど、アベル様にとっての普通は一般的に見たら高すぎるんです」


「心地良いこと言ってくれますね。それはそうと、アディパティ商会について今分かる範囲で聞いても?」


「っと悪い、話が逸れたな。ま、最近勢力を伸ばしてる新興系の商会だな。設立は2年前、創業者かつ代表はウォルンタス・モストグレイティストという男だ。構成員は30人程度で、創業当時は傭兵業、現在はそれに加えて金貸しと不動産業もやってるみたいだな。構成員の素性に謎が多い。今のところ言えるのはそのぐらいだな」


 


 


 


 酒場を出た後、フィオの勧めで普通に酒を飲むこととした。中央街メインストリート沿いの、それなりに活気のあるダイニングバーだ。


「アベル様。僅かながらですけど、人生の先輩として言っておきますね」


 4杯目のワインに唇をつけて、いつもよりややとろけた口調で言った。メイド服でほろ酔いという違和感がなんとも可笑しい。


「身を固めるか、全員と平等に接するか。どちらか決めた方が良いですよ」


「は、はあ」


 それが女性関係だということは聞かずにも分かった。


「アベル様は、故郷の女性と本気なんですか?」


「そうですね……ただ俺の、一方的なものかもしれません。向こうは俺のことを好いてくれては見えますけれど、交際や結婚を求めてくることはないので」


「そういうものは、男性からいくものなのですよ」


「……そうですよね」


 アベルは自分が情けないことを自覚していた。


「……アベル様だと、そんなところもお可愛いんですけれどね。ねえ、またアヴェリアちゃんになりませんか? 私、アヴェリアちゃんとも飲みたいです」


「フィオさんも俺がアヴェリアになった後寝込んでいたの見たでしょう……。酒と合わせたらどうなるか分かりませんよ」


「え〜? なおみたいです〜」


 これはまずい。アベルがそろそろ切り上げようとすると、フィオは5杯目をすかさず頼んだ。


「はあ……。俺も赤ワインお願いします」


 


 


 


 フィオはかなり酔っ払ってているように見えたが、道からはみ出さず歩いていた。本人曰く、限界の半分にも満たない、とのことだった。


 アベルもスレイアの待つアパートへ、徒歩で帰ることとした。住宅街に入り、魔法灯の明かりもまばらになる。それでも月の光に頼り切っていた故郷に比べれば明るい。酒もあってか、揚々とした心地だった。


(身を固めるか、平等に接するか、か)


 フィオの言葉を思い出しながら歩く。


 橋に差し掛かる。川は舗装され、住宅街を貫いている。階段で下に行けるようになっており、川沿いを歩けるようになっている。アベルはその階段を降りていた。橋の下に人影が見える。魔法灯によって微かに照らされた姿は、橋の下には相応しくないほどのドレスを着飾った美少女だった。


「あ、アベル・フェルマー?」


「ティア?」


 突然の邂逅に、互いに何を言えば良いかわからず、暗闇でただ見つめ合う。


「何してんだ、こんなところで」


「そちらこそ、何をしているんですか?」


「俺はさっきまで飲んでて、友達の家に泊まるところだよ。友達は先に帰ったが」


「余裕ですね」


 そう言って、三角座りの膝に顔をうずめる。いつものカチューシャはリボンがついた豪華なものになっており、化粧もいつもと違う。


「……まず、なんだよその格好は……」


「貴方には関係ありませんので」


「そうですか……よく分からんが、ラシェル様には内緒にしとけばいいか?」


「当然です」


「あー、その、気をつけて帰れよ? その格好で夜道は危ないと思うが。いや、お前なら大丈夫だろうけど」


「何故です」


「いや、綺麗すぎる格好だから。でも、お前より強い男なんてそうそういないから」


 「その格好で夜道は危ない」と「お前なら大丈夫」。そのどちらに対しての「何故です」か分からなかったので、さしあたり両方答えておいた。


「私だって、好きでこのような服装をしているわけではありません。仕事のようなものです」


「そ、そうなのか」


 どうにもティアの喋り方はつっぱねる感じでいて、内容はアベルを引き止めていた。やれやれと、隣に座る。


「で、その仕事は無事に終わったのか?」


「……いえ」


「従者としてはいかれてるぐらいに真剣なくせに、今日は随分と情けない面してるな。そんなに面倒なのか?」


「そうですね。面倒です」


「すっぽかしてきたのか」


「……」


 アベルは空を見上げたが、ほとんど橋しか見えなかった。


「色々と大変みたいだな、お前も」


「貴方は本当はどうして中央街に? 遊びに来たわけではないでしょう」


「……仕事、と言うのかな。やるべきことがあって、そのために繋がることを全部やってる感じだ」


「私もです。やるべきことはやってきました。けれど、そのために自分の心を犠牲にすることが……急に怖くなりました」


「ああ……」


 アベルはおおよそ、ティアの抱えている悩みが分かった。


「似たような経験は少しぐらいあるが……ああいう類は、どうも答えが出なくて参るな」


「……そう言う時、貴方はどうしますか」


「なにかしら検討つけてやるしかないな……あとは成り行きに身を任せるだけだ。他に良い方法があるなら、俺が聞きたい」


「そう……ですよね。何かしらの……」


 その時、上の道から男の声がした。


「おーい、ティアー!」


「こっちにもいないか?」


 どうやら二人いるらしい。アベルは顔を硬らせているティアを見て、状況を察する。


「さっそく、成り行きに身を任せてみるってのはどうだ?」


 アベルは手を差し出した。


「……何のつもりですか?」


「俺と逃げてみようぜ。二人で逃げたら、何か変わるだろ。ほら」


 アベルは強引にティアの手を取り、走り出した。ちょうど男二人が、階段を降り始めたところだった。アベルはティアの手を引いたまま階段を駆け上がり、住宅街を走る。


「遅いな、訓練の時の走りはどうした?」


「ヒールなんですよ!」


 右に左に、路地を二人で駆ける。しばらく駆けて、河川敷な小さな公園のベンチで休憩することとした。木々が多く、見晴らしが良い。


「どういうつもりですか、こんなことして」


 やや息を荒くしながら、それでも表情を変えずにティアが言う。


「なんかお前って放っとけないんだよ」


「なんですか、それ」


「ぱっと見何でも卒なくこなしてますって面しときながら、いっつも肩肘はって、疲れて、思い悩んでる感じがする」


「……貴方はいつも迷いのない眼をしていますね」


「そう見えるか?」


「はい」


「……そうかな。お前の眼も……」


 アベルはじっとティアの瞳を覗き込んだ。ティアは思わず目を逸らした。


「事情、話してみろよ」


「……ラシェル様には」


「だから言わねーって、誰にも」


「私の家は訳あって、お金が必要なんです。ラシェル様の従者としての収入だけでは足りないほどに。だから最も効率的な手段というのが……貴族と結婚し、私自身も貴族になること。ラシェル様のはからいで、社交界に入ることが許されました。そこでなんとか貴族と取り入ることが出来れば、と参加したはいいのですが……いざ男性を目の前にすると、色々と考えてしまって。今後の人生を共にする相手を、こんなところで決めてしまっていいものかと」


「なあ、もしかして今追ってきてた男たちって貴族じゃないよな?」


「貴族じゃなかったら何ですか」


「いや……お前……凄いな」


 アベルは酒が抜け始めたせいもあってか、見慣れたクラスメートに対し若干緊張し始めていた。


「分かっているはずなんです。私のやるべきことは貴族と結婚することにあると。でも、怖い。我がままな自分がそれを拒んでしまう……」


「それって悪いことなのか?」


「悪いでしょう。だって、私が結婚しなければ、良くない状況が続くだけですから」


「お前が嫌ならしなくていいだろ。言っとくがな、貴族によっては汚物みたいな体臭させて、女の子を檻に閉じ込めまくって、初対面でもセックスしようとするような奴もいるぞ。そんな奴とずっと一緒って、いくら目的のためと言えど耐えられるか?」


「うっ……それは極論です。結局、誰かしらを選ばなくては……」


「そもそも、金のために貴族と結婚って言うが、商人とかだって良い。金稼ぎの手段だって、結婚以外にも色々ある。固執する必要はないと思うが」


「……確かに、そうですね。でも、私は愚直だから、これしか思いつかないのです」


「……とにかく、今日のところは失礼をしたんだから謝って保留にしとけ。そこからまた考えろ。で、考える時、俺の案も候補に入れておいてくれ」


「何ですか?」


「俺の従者になれ。ユースティティア家より弾むぜ、給料」


「……あはははっ! それだけはないです! 絶対に。何言っちゃってるんですかって感じです」


「おい、ひどくねーか」


「あははは……ふふ、ごめんなさい、あはは」


 よほど可笑しかったのか、ティアは目元を拭った。


「笑いすぎだろ……」


 アベルは石ころを蹴り始めた。


「貴方って面白い方ですね、アベル」


「そりゃどーも」


「ラシェル様が気に掛ける意味、分かった気がします」


「今まで分かってなかったのかよ、従者の癖に」


「実力は分かっているつもりでした。けれど、ラシェル様のはそれ以上の内面に踏み込んだもので、それが私にはあまり分からなかった。でも、今、分かったんです。貴方は……優しいんです。とても、とても。実力主義のブレイブ大学には似つかわしくないぐらい。なのに強い。それを両立させている人なんて、ラシェル様のお父様ぐらいしか、私は知りませんから」


「俺ごときに天下のロラン・ユースティティア様の影が見えたか。褒めすぎだろ」


「あはははっ。そういう所も、好きですよ。ラシェル様がどう感じてるかは分かりませんが」


「自己評価が低いところか」


「あっ。自覚あるんですね」


「つい今日、仕事仲間に指摘された。でもそれはお前にも言えるということを断言しておく」


「そ、そうですか?」


「俺とお前、意外と似てるところがあるのかもな」


「そ、そうなんですかね……」


 ティアは髪をかき上げた。


「……私、戻りますね。あの方々にも謝罪します。結婚は……保留ですが。また色々考えてみようと思います。ありがとうございます、アベル」


「ああ、エレーナを運んでくれたお礼とでもとらえといてくれ。じゃ、また大学で」


「はい」


 


 帰り道。


(俺は、誰と話していたんだろうな)


 アベルは思う。


 だが彼女は確かに、ラシェル・ユースティティアの従者、ティア・サントメールだった。寡黙で、真面目で、努力家で。誰とも交わろうとせずに、刃を研ぎ続ける存在。


「あんな風に喋れるんだな」


 あながち、従者にしたいという言葉も、嘘でなかったりする。

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