第11話 ノヴァ・シンギュラリティ
「……1000!」
アベルはスクワット回数を叫んだ。
「あう、ううう……も、もう歩けないですわ……」
よろよろとエレーナが地に手をつく。
「おつかれさん」
ようやく、アベルとエレーナの、ペアでの筋力トレーニングメニューが終了した。講義時間はまだ残っていたが、メニューを終わらせたら帰って良いと教官から言われていたので、アベルは迷わず帰宅しようとした。
「ほら、背負ってやるよ」
しかし、目の前で動けなくなっているクラスメイトを放置したままとはいかない。
「ふ、不要ですわ。貴方の助けなんて……」
アベルは嫌がるエレーナを無理やり担いだ。
「ちょっと!」
「これは嫌がらせだ。日頃の俺に対する失礼な発言に対するな」
「良い性格をしていますわね……」
エレーナはそれだけ言って、アベルの肩の上で大人しくなった。
そして、やがて女子寮にたどりつく。
「さすがにここまでで結構ですわ。一応、お礼は言っておきます。ありがとうございました」
「嫌がらせだから、気にするな」
アベルがエレーナを降ろすと、エレーナはふらついた。
「ほんとに平気か」
「くっ、わたくしが、こんな」
その時、アベルの視界に、頼れそうな人物が目に入った。
「おーい、ティアかラシェル。ちょっとこいつ中まで運んでくれよ!」
「ら、ラシェル様!?」
予想外の人物の登場に、エレーナが慌てる。
「ラシェル様、ここは私が」
ティアが前に出る。
「ああ、任せた。……アベル、随分とエレーナと仲が良いんだな」
「よ、良くありませんよ!? ラシェル様は誤解をしてらっしゃいます!」
「……ふん。まあ、どちらでもいいがな」
ラシェルはぷいと目を背け、女子寮に入って行った。
「あ、あ、アベル・フェルマー!! 貴方と話していたせいでラシェル様に嫌われてしまったじゃないですか!! どうしてくださるんですの!?」
「知らんがな」
アベルの腕の中でじたばたともがくエレーナは、ティアに預けられた。
「じゃ、後は頼んだぞ、ティア」
「はい……」
エレーナは大人しくティアに担がれて女子寮に入って行った。
「さて……」
アベルは寮のシャワーで汗を流し、運動服から制服に着替え、馬車の発着場まで行った。
(出発まであと15分……ま、本でも読みながらのんびり待つか)
待合所で、サラに勧められた商売の本を読む。今日は休日であった。ブレイブ王立大学一年生はトレーニングメニューが終わるまで次の訓練をさせてもらえない。そのためほぼ全員が主体的に休日訓練に出ていた。アベルもそのうちの一人であり、ラシェル、ティアに続きなんとか終わらせることができた。
「アベル……?」
待合所には、ティアがいた。いつもの白い制服ではなく、私服だった。ベージュのワンピースに、帽子を被っている。
「ティアも中央街に?」
「……はい」
そう言って、アベルの座っている対角線上の席に座る。アベルは本を閉じ、ティアの隣に座った。
「そういや、休日は従者業もおやすみなんだもんな」
「……あまり、話しかけないで頂けますか」
「すまん。どうしてだ?」
ティアはアベルの顔を一瞥し、また背けた。
「なんなんだよ」
「貴方と話していたらラシェル様に嫌われてしまうので」
「はぐらかすなよ……」
塩対応に寂しさもありつつ、アベルは可笑しく思った。ティアの冗談が聞けるとは思っていなかったからだ。
「ま、そういうことなら仕方ないな」
アベルは立ち上がり、もといた席に腰掛け、読みかけの本を開いた。そして馬車が来る。馬車には三十人ほど乗れるが、乗っているのはアベルとティアの二人だけだった。
(この時期はみんなトレーニングで外出どころじゃないんだろうな……)
馬車は街へと進んで行く。到着するまで、互いに無言のままであった。
「じゃ、また大学でな」
「ええ、また」
ティアと分かれ、アベルはロイヤルガード邸とは別にある、オーギュストとソレーユの基地を目指した。それはビルの一室にあったが、それなりの部屋数を取ってあるようだった。
「あ、ええと……もしかして、アベル様、ですか?」
出迎えたのは、先日サンソン邸から成り行きで救出した、トエルというエルフであった。
「こんにちは、トエル。そう、アヴェリア改めアベル・フェルマーだ。よろしく」
「は、はいっよろしくお願いします! ええと、オーギュストさんもソレーユさんもいらっしゃいます、こちらへ」
トエルに案内され、客間へ入る。待っていると、クラリスが紅茶を出してくれた。
「ど、どうぞ。アベル様」
「ああ、ありがとう」
アベルが紅茶のカップに手を伸ばすと近くにあったクラリスの手に当たりそうになる。
「っ」
クラリスは高速で手を引っ込め、アベルと距離を置いた。
アベルは寂しい気持ちになりつつ、カップを持ち上げた。トエルの人格が成熟した振る舞いをしているだけで、本来ならば彼女のように、男にトラウマを抱いて当然のところだ。
「アヴェリア〜!」
「うわっと」
いきなり後ろから抱きつかれたので、紅茶をこぼしかける。
「危ないだろ、マノン」
「あはは〜ゴメンゴメン! いや〜、アヴェリアが来てくれたのが嬉しくってさ〜!」
「俺はアベル・フェルマーだってソレーユさんたちから聞いてなかったか?」
「聞いてたよ〜。でもそっくりすぎて! 魔術使わなくても十分いけたんじゃない?」
「はあ……?」
困惑するアベルの横に、また別のエルフが近づいて来た。
「アベル様……あの……」
「リリィも無事にたどり着けたんだな。良かった」
「せ、先日は本当にありがとうございましたっ!! 貴方のお陰で、私、本当に……」
「俺の目的のために振り回しただけだ。感謝されるようなものじゃない」
「……素敵です」
リリィはそう言って目を潤ませた。真正面からの称賛に、さすがに恥ずかしくなる。
「……あの、ところで、またあのお姿になられたりする予定は?」
「アヴェリアのことか? あれは魔力消費が激しいし、成っている間の魔術使用も限られるしで、積極的に使う術ではないな」
「そう、ですか。そうですよね」
リリィの声色に沈みを感じた。
彼女もまた、奥底に男性に対しての苦手意識を抱えているのだろうと、アベルは背にマノンの柔らかさを感じつつ、納得した。
ちょうどその時、ソレーユとオーギュストが入室してきた。
「おっと、ひょっとして、お邪魔だったかい?」
「……」
オーギュストは苦笑し、ソレーユは微笑みを浮かべていた。しかし彼女の目は笑っていなかった。
アベルはマノンの拘束を振り解いた。
「三人で話したいから、少し出て行ってくれ」
「はいはーい! あ、アベル! 今日時間ある?」
「多分ない」
「え〜……」
「また時間作ってやるから」
「わーい! アベル大好き!」
明るいマノンを見て、彼女を助けて正解だった、と思った。助ける相手に優先順位はつけるべきじゃない。それでもやはり、明日に向かって希望を持ち、笑顔でいられる人が良い。
それはそうと、ソレーユの殺意がやや高まったきらいがあるのは良くない。マノンが抱きついてきたことにおそらく因果性が見える。リリィもどことなく憂いた目をしているのが気にかかった。
「それで……ロイヤルバーグ家とは」
気にしていても仕方がない。アベルは早めに本題へ入った。
「昨日を持って独立させてもらいました。今日から私たちは、ロイヤルバーグ魔物狩猟団あらため、エルフ魔物狩猟団「アヴェリア」です」
オーギュストが答えた。
「俺の偽名を勝手に使わんでください……」
「ははは、冗談ですよ。名前はこれから適当に決めようかと」
「すみません、俺が無理やり頼み込んでしまったせいで」
「いや、それがかなり助かりましたよ。王都にいるエルフは特に貴重ですからね。マノンとトエルは戦闘の心得もあるし、狩猟団としても協力してくれます。何より……トエルですが、彼女は私たちとは別のエルフ集落の幹部だったようで。彼女のつてを当たれば、その集落全体と協力もできそうな算段です。エリックさんも、協力関係をとってくれています。エルフにとっては、大きな進歩です」
「でしたら、良かった」
「少ないですがお礼をアベルさんの口座に振り込んでおきました」
ソレーユが明細表を渡してくれる。
「十分ですよ。元々、そのつもりでやったわけではないですから。貰えるだけ有難いです」
「そう言って頂けると有難い。それでですね……アベルさんとは、魔物の討伐で協力関係が終了という契約でしたが……今後とも是非関係を続けていきたい、というのが私たちの総意です」
オーギュストの言葉は、真剣だった。
「以前もお話しましたが……俺の目的は、魔族の地位の向上にあります。その目的に、協力して頂けるのでしたら……俺に出来ることは何でもしますよ」
「無論、承知の上です。と言うよりも……魔族と協力せざるを得ない状況にありますね。アベルさん、今日の新聞はご覧になりましたか?」
「……教会騎士団が新たに教会を設立した、という箇所ですか」
「さすがですね。あの教会を設立した場所……エルフの集落である可能性があります」
「そうですね」
今の時勢において、新たに教会設立をすることは、教会騎士が魔族の集落や村を滅ぼし、支配した時に流されるニュースだ。それはいつも「魔族撃退」等の文面が載っているところ、今回は載っておらず、場所も地方を示すに留まっている。
「どうして人間はエルフまで襲撃するのでしょうか……」
ソレーユが沈痛な面持ちで言った。
「エルフも、魔族も、人間も関係ないですよ。邪魔な存在、利用できる存在があればそれらしい理由をつけて攻撃します。それが人間というものだと思います」
「なんて、ひどい……」
「……オーギュストさん、ソレーユさん。俺は最近考えていたんですが……教会の支配はブレイブ王国全体に及び、今や他国まで出ようとしている。おそらく、それが原因で戦争が起こります」
「……やはり、か」
「だから、身の振り方を考えなくてはならない」
「……アベルくんの意見を、聞かせて頂けますか?」
「魔族と、エルフと、ドワーフの間に協力関係を結ばせます。そして教会と貴族の一部をこちらに取り込み……天界を落とします」
オーギュストとソレーユは言葉を失っていた。アベルが言ったことの意味。それはこの世界において、誰も考えついたことのないような。一度考えたとしても、夢想だとしてすぐに捨て去るような。荒唐無稽と言っても仕方ないほどのことであった。
そしてこの時アベル自身は気付いていなかったが、その眼光が、今まで周りの人々に見せたことのないような冷たさを持っていた。
「……ははは! 滅茶苦茶言ってますよね、俺」
アベルは立ち上がった。
「また色々考えてみますね」
アベルの話はそこで終わり、後は狩猟団の名前を「エルフズ」に決定させ、アベルはエルフズ基地を後にした。目指すはロイヤルバーグ邸。
門番に案内状を見せてしばらくすると、フィオが出てきた。
「お待たせしました。それでは、参りましょうか」
「お願いします」
アベルは、闇証券取引所に案内してもらう手筈となっていた。エリックは相変わらず多忙であり、顔を合わせる時間がなかった。
「もう何を買うかはお決めになっているんですか」
「いえそれがまったく。今日は入場券を手に入れることと、様子見が目的なので」
闇証券取引所の場所は、グロスマン地区の、ニコラウス闘技場の近くにあった。大きい建物であり、何が入っているのか疑問であったが、ここに来てそれが何か判明した。
「こちらです」
入り口ホールに向かい入れられる。
受付に行き、フィオは紹介状を渡す。アベルは個人情報等を記入して、準備を終わらせた。
奥のゲートを開いた。そして見えたのは、さらに大きなホールだった。複数の卓が並べられ、職員もまた複数待機している。客は商人、貴族、一般人のようだ。
「入ってすぐは株のブースですが、奥は為替、その奥は債権の売り買いがなされています。当然、どれも公に取引されていないものばかりです。本来の証券取引所であれば、掲示板の値段が書かれていますが」
「なるほどな……」
「ふふ、それにしても不思議ですね。初めて来る証券取引所が、闇の方だなんて」
「はは……」
本当は普通の取引所に先に来たかったのだが、平日はどうしても時間がとれなかった。どのみち両方に行くことになるのだから、どちらから行っても変わらないと言うことで今日、この状況に到る。
しかし結果として、ここは先に来るべきところではなかったのかもしれない、とアベルは思うこととなる。
いや、順番など関係なく、運命は、避けようがなかったのかもしれない。
「アベル!」
声をかけられた方を振り向く。
「さ、サラ!?」
予想外な人物との遭遇に、アベルは珍しく、心の底から驚きの声を上げた。
「何してるの? 取引所デート?」
「そんなことするほど女の扱い下手じゃない。ただの社会見学ってところだ。お前こそどうしたんだ」
「私もデートだったり?」
サラの後ろには、鎧を纏った男がいた。一言で言うなら、異質な男だった。
まず、鎧が特徴的だ。布部分には赤、白、黄が使われている。兜は狗型で、顔は一切分からない。兜の後頭部からは赤い羽が伸びている。
さらに異質なのは、彼の右腕と左脚だった。どちらも失われており、腕の不存在はマントで隠されている。そして脚は作りもののようだった。関節部分の動きが本物よりも限定的なのか、歩きがどことなく不格好だ。
「なんてね。アディパティ商会としての仕事よ。アベル、ここで私に会ったことは秘密よ?」
後ろの男は一切気にかける存在ではないとでも言いたげなほど滑らかに、サラは言った。
「……そりゃ、お互い様だな」
「君が、アベル、フェルマーかい?」
鎧の男が声を発した。
「はい。貴方は?」
「ノヴァ・シンギュラリティ。サラの上司だ。君のことはサラから聞いているよ」
左手で握手を求められたため、返す。
「アベルはどうしてここへ?」
「金と権力とか、そう言う類です」
「なるほど、ね」
その会話を聞いていたフィオの身体が震えた。彼女は一流のメイドとして多少の荒事にも関わることもあった。しかしその経験をもってしても、今のアベルとノヴァの間に発生した空気の負荷に気圧されていた。
「また会おう」
ノヴァはそれだけ言って、踵を返した。
「またね、アベル!」
サラがウインクして、その後を続く。
「……アベルさん」
「フィオさん、あの男をご存知ですか」
「いえ……アディパティ商会が近年勢力を伸ばしているという噂は耳にしたことがありますが」
「そう、ですか」
実際の取引は、大ホールから別室に移動して行われる。表の取引所では公開して行われるとのことだ。受付時にこの取引所で起きたことの口外無用の誓約をしてこそいるものの、機密保持には力が入れられている。
「フィオ、アディパティ商会について調べることに協力して頂けませんか」
「はい。情報屋の伝手があるので、そちらに参りましょうか」
「案内頼みます」
その後、いくつかの卓を見学し、何も買わずにアベルは闇証券取引所を出た。アベルは日の光を浴びた瞬間、膝をつく。
「アベルさん?」
「……すみません。自分自身で驚いています。少し……いやかなり、ビビっているようです」
じっと手を見る。ノヴァという男と握手した感覚が蘇る。
「……ノヴァ・シンギュラリティ……」
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