第10話 救出

(まさか、外したか!? サンソン家ではなかった……)


 深い絶望がにじり寄ってくる。このままではいけない。アベルは頭を回転させた。


(もしかしたら怪我をして、治療を受けているかもしれない! 目指すは医務室。だが、その前に……)


 アベルは囚われている美女たちの中から、エルフの少女三人を見繕い、魔導書を片手に隷属首輪を外した。少女たちは呆気に取られていた。アベルは少女たちに、そのまま待機していてくれと伝えた。


 最後に、隷属首輪を外した少女の檻の鍵を、短剣で破壊して、アベルは牢獄を出た。牢獄に入ってからここまでかかった時間は、約1時間。


(睡眠薬の効果自体は約5時間持続するが、行為が長すぎると不審に思われれば確実に判明してしまう。できれば1時間、長くて2時間以内に済ませたい)


 アベルは1階へ戻り、廊下を早歩きした。偶然それらしき扉を見つけたので、押し入る。


「急病ですかな?」


 白衣の老人いた。ビンゴだった。いくつかベッドがあったが、そのうち一つで銀髪の少女が眠っていた。紛れもなく、スレイアだった。


「魔族ハーフの容体について、ジャン様からご質問がありましたので参りました」


「なんとか一命はとりとめました。回復魔法によって傷口もほとんど塞がっております。じきに目をさましますよ」


 老人は言った。


「そう、ですか」


 ベッドに眠る少女には角が生えていた。首には包帯が巻かれている。


「それにしても、大変でしたな。隷属魔法をつけようとした時、暴れて花瓶を割り、その破片で自らの首を切りつけるとは」


「ええ……そうですね。では、寝ているうちに、隷属首輪をつけに参ります。容体が良いようでしたら、眠っていても連れてくるよう仰せつかったので」


「なるほど、分かりました。担架は使いますか?」


「いえ、背負っていきます」


 アベルはスレイアを背負った。魔族と人間のハーフの少女は、すうすうと寝息を立てていた。首筋に温かい感触がした。


(よだれ垂らすほどぐっすり寝てら)


 アベルはスレイアを背負ったまま、地下に降りた。警備兵は誰もいなかった。アベルは一人牢獄に入り、先ほど首輪を外した少女の元へ向かった。三人とも牢屋に入ったままだった。


「今から脱出する。俺について来い」


 三人は牢屋を出て、アベルについてくる。全員がエルフ。それぞれクラリス、マノン、トエルと名乗った。アベルは一番背の高いマノンにスレイアを背負わせた。


「何か、正門以外に出口とかないか?」


「ここから先に裏口があります。案内しますね」


 トエルはここでの生活が長いらしく、構造を熟知していた。


 トエルはアベルと同じぐらいの年齢に見えるが、外見以上に強い意思が底にあるように、アベルには見えた。スレイアよりも白の強い銀髪を、肩甲骨のあたりまで伸ばしている。此処での生活の中で伸びた、という方が正しいのかもしれない。


 トエルの案内で、四人は裏口を目指す。時折警備兵とすれ違ったが、アベルが不意をついて眠らせた。


 そして裏口を出る。サンソン邸の庭が出迎える。


「裏門がありますが、警備兵が二人いると思います。庭にも数人が巡回してます。とてもこの人数で切り抜けるのは……」


 トエルが不安げに言う。


「心配するな、私がなんとかする」


「とは言うがアヴェリア、あんたさっきから顔が赤いし、少しふらついてるように見える。本当に大丈夫なのか?」


 マノンが心配する。


 彼女は二人と比べてやや年上のようで、楽観的な態度に見えてこう言った気遣いができるようだ。肩に届かない程度の橙髪を横に跳ねさせ、元気な印象がある。


「……問題、ない」


 そうは言うものの、アベルは地面に手をついている。


 性別転換魔法によりただでさえ体に負担がかかっているにもかかわらず、魔力を要する隷属首輪の破壊を4回も行っている。消耗はかなり激しかった。


「やっぱり脱出なんて無茶だったんだ……」


 クラリスが目を潤ませる。


 彼女は最年少のようで、弱気な発言が多い。色の強い金髪を両サイドでまとめており、性格相応に幼い雰囲気があった。


「よ、弱音を吐くな! せっかくアヴェリアさんがここまでやってくれたっていうのに……」


「そうですね。アヴェリアさんは気配の消し方も、隷属首輪の解除をあの短時間でこなす魔術力も、天才的です。アヴェリアさんを信じましょう」


「そうだ……アベル、いやアヴェリアは……天才だ……」


「え?」


 皆の視線が、マノンの背中にいる少女に移る。


「後は私に任せてくれ」


「スレイア……お前、いつから起きて……」


「貴女が医務室にくるときにはもう、意識があった。するとお前がいきなり私を担ぎ出した。私が眠っているフリをしているのにも気づかないとは、よっぽどその身体の負荷が大きいみたいだな?」


「解除するにもまた体力使うからな……」


「本当、ばかだな貴様は。ここからは私がなんとかする」


 スレイアはそう言って手を地面に向ける。石のタイルに魔法陣が刻まれたかと思うと、薄い霧がスレイアたちを包み込んだ。


「マジックミラージュ。周りから視認できなくさせる魔法だ。この中に入ったまま、ゆっくりと出口を目指す」


「魔道具もなしに、これだけの魔術を……」


 トエルが驚いていた。


 五人は霧に隠れながら、少しずつ歩みを進める。霧もまたスレイアたちの歩みに合わせて、じりじりと移動する。霧は時折、明らかに警備の視界に入っていたが、何の関心も示されなかった。


「門のところの警備はどうするつもりだ?」


「一部を催眠の霧に変換させて眠らせる」


 スレイアはまた地面に魔法陣を展開させる。すると霧の一部が淡く輝き、それは門の外にいる警備を包む。警備はずるずると崩れ落ち、座り込んでしまった。


 アベルは遠くなる意識の中で、どうしてこれほどの術者があっさりと誘拐されてしまったのだろうか、などと考えていた。


「さあ、出よう」


 庭にいる警備に気づかれぬよう、ゆっくりと、ほんの僅かだけ門を開けて、五人は外へ出た。


「こっちだ!」


 アベルが先頭を走る。異常がいつ判明されてもおかしくはなかった。


 坂道を降りた先の馬小屋に、馬が三匹控えていた。


「アヴェリアさん!」


 その傍にいたフィオが手を振る。


「でかした!」


 フィオの後ろにアベル、スレイアの後ろにマノン、トエルの後ろにクラリスを乗せて、馬は出発する。


 深夜の道を駆け続けた。星々は煌めき、彼女たちの脱走を祝福するかのようであった。


 


 


 


 


 アベルが目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。しかし、漂ってくる卵焼きの匂いには覚えがあった。


 体が怠い。そう言えば昨日は、性別を転換させて無茶な脱出劇をしていた。北部にある中高層住居専用エリアのマンションに来たところまでは覚えていた。


 胸を触る。慣れ親しんだ逞しい胸筋だった。


「もう起きたのか」


 スレイアの声。台所で、エプロンをつけて、料理しているところだった。


「あのフィオというメイドは有能だな。1日で新しく私たちの住居を見つけてくれた。家具付き雑貨付きの。しかもそれがサンソン家にバレないように、アヴェリア名義で部屋をとったらしい。そして……一番有能なのは貴様だ。アヴェリアとかいう女で侵入したものだから、少なくとも侵入犯がアベルだとバレることはない。そして助けたのは全員エルフ。希少性が高いから、いくらサンソン家と言えど取り返すのにかかる金額は膨大すぎる。私よりも高価というところがポイントだな。仮に私が誘拐されるとしても、エルフより後になる。また、貴様はあのエルフたちは無関係だから、侵入犯の正体や意図を見抜くことも難しくさせる。しかも貴様はエルフの仲間につてがあるときた。あの三人と……それともう一人助けていたな。彼女たちは皆、オーギュストとソレーユに面倒を見てもらえたようだ。凄いな、貴様は」


「いや、結局最後はお前に助けられた。ありがとな」


「うるさい、黙れ!」


「ええっ!?」


 まさか怒られるとは思っていなかった。


「ありがとうは……こちらのセリフだ、ばか……」


「お、おう……すまん。っと悪いスレイア、俺今日学校ある!」


 アベルは起き上がり、着替え出した。


「め、目の前で着替えるな、ばか! 馬車の出発時刻は8時! 今はまだ6時半だ! ブレイブ大学まで40分で、講義は9時からだろう? それで十分間に合うはずだ。だから1時間半はゆっくりしておけ」


「まじ? そうするよ」


「まじだ。調べたからな」


「気が利くな! ありがとうな」


「だから、それは私が言うべきことだ!」


「す、すまん! てか何で怒るんだ!」


「うるさい、うるさい!」


 スレイアの様子がおかしい。いつもより口数が多くて、怒ることも多い。けれどその怒りは、親しみの持てる怒りで、アベルは自然と笑顔になっていた。


「ほら、食え。まだ体調が万全とは言えないんだ。よく噛んで食え」


 しかもいちいち気遣いを入れてくる。


「いただきまーす。スレイアの分は?」


「私はさっき食べたからいい」


「そっか。うん、美味い! やっぱ、スレイアの作るスクランブルエッグは最高だな!」


「ただ卵を焼いただけだ、そんなもの……」


 スレイアはそう言って、俯いてしまった。時折アベルの方を見上げ、目が合うと伏せてしまう。


「そう言えば、オーギュストたちはロイヤルバーグ家とどうなった?」


 アベルが聞く。


「それはまだ分からないな」


「さすがにロイヤルバーグ家が間接的にとは言えトエルたちを抱えるのはリスクが高すぎる。いっそ魔物狩猟団は独立させた方がいい。これまで築いた信頼もあるし、協力関係さえ結べていればエリックさんとしてもそこまでデメリットはないはず……なんにせよエリックさんには謝らないとな……」


「貴様はいつも色々なことを考えているな」


「……楽しいお食事時にする話じゃないな。悪いなスレイア!」


 スレイアはまた顔を伏せてしまった。


 馬車の時間が近づいてきたので、アベルは玄関へ出た。


「今日も筋力トレーニングか……しかも外泊届けなしの無断外泊。いい加減俺、退寮した方がいいかもな……」


「アベル」


「ん? どうした」


 スレイアが玄関口まで来ていた。いつもならアベルが出て行っても見向きもしないのだが。


 スレイアはぽつり、ぽつりと話し始めた。


「……医務室で眠っている時……本当に辛かった……。目が覚めたら、また隷属首輪をつけられる。そして……。本当に、本当に苦しかった。絶望した。死にたかった。けど私は、気付いたら心の中で助けを呼んでいた。助けなど、来るはずがないのにな。でも、そしたらお前が来たんだ。喋りかたと雰囲気ですぐに分かった。本当に、本当に……嬉しかった。夢を見ているのではないかとも思った。でも、夢じゃないんだよな。また、私を助けてくれたんだよな……。本当に……ありがとう。アベル」


 そう言って、スレイアは笑った。初めて見るスレイアの笑顔だった。アベルは彼女の美しさを思い知る。美術彫刻のような優れた造形が微笑みを作った時、その造形を超えて魂を直に揺さぶるような美しさが放たれた。


 おかげで、言葉が出てこなかった。


「……ほら、早く行け。遅刻するぞ」


「あ、ああ」


 スレイアに背中を押され、アベルは外へ出た。朝日が目に染みる。


「うっし……今日も、頑張るか」

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