第8話 サラ・シャロン
大講義室。アベルの隣にはエレーナが座っていた。もう数分で、政治学の講義が始まる。
どうしてこいつ俺の隣に来てんだろう、とアベルが思っていると、エレーナが口を開いた。
「アベル・フェルマー。休日は随分お楽しみだったみたいですわね」
「え?」
「お兄様と……不潔な店を回っていたのでしょう。最低ですわ」
「え?」
魔物を買ったなどとエレーナに伝えるわけにもいかないから、エリックが適当な言い訳を用意したのだろう。しかし、それにしてもエレーナにとっては刺激が強すぎるのではないだろうか。アベルはエリックを少し恨んだ。
「……もう二度と行かねえよ」
「アベル、そんなところ行ってたのかよ! おいおいおい、俺も誘えよ〜〜」
後ろの席に座っていたダロが割り込んでくる。
「不潔ですわ!! 近寄らないでくださいます!?」
「てめーが席動けよ」
「もうすぐ講義が始まってしまうではないですか!」
ダロとエレーナはぎゃーぎゃーと騒いでいたが、教授が入って来るなり、瞬時に黙った。
「やっぱサラちゃんだよな〜」
講義終わり、エレーナたち女子が不潔と言い捨て去っていった後、ダロが唐突に言った。
「何の話だ?」
アベルが聞く。
「Aクラスで一番可愛い娘! 憲兵教会問わずな。アベルは誰なんだ?」
「ティア」
「おお! 渋いとこつくなァ! 分かるなぁ。ああいうクール系の娘がデレたことを想像すると……」
「いいよな」
「バサスはどうなんだよ?」
「ええっ!? う、うーん……僕もサラかなあ。ヴァレンタインはどう?」
「僕か!? サラ嬢もティア嬢も魅力的だが……コレット嬢も素敵だと思うぞ。明るく、社交的だし」
「あいつが?」
ダロが指差す方向は教卓。コレットが教授に説教されていた。世の中には三種類の人間がいる。騒いでいても教授が入室してきた瞬間に静かになれる人間と、なれない人間と、そもそも騒がない人間。コレットはその2番目であった。
「そ、そういうお茶目な面も……しかし確かに、ナンバーワンをあえて決めるのであれば、サラ嬢が妥当な線かもしれないな」
「サラは人気だね」
「そりゃあ顔もスタイルも女神級……しかも性格が良い! Aクラスともなると、どこかイカれてないと入れない領域だ! 普通な感じってだけで相対的に高評価がすごい! ラシェルは近寄りがたい。ティアもラシェル以外と会話しようとしない。コレットはあの調子で、エレーナも主張が強すぎる。あー、サラちゃん良いなあ。仲良くしてえなあ」
ダロの熱弁を聞いて、言われてみれば確かにそうかもしれない。と、アベルは思った。
地獄のランニング訓練が終わって以来、その先頭集団だった者たちの間で奇妙な仲間意識が生まれ、共に行動することが多くなっていた。特にアベル、バサス、ダロ、ヴァレンタインの四人は男同士ということもあり、包み隠さない話をすることが多くなっていた。
(もう少し仲良くしたい、か)
他三人と分かれ、アベルはいつものように大学図書館に来ていた。
「やっ」
いつもの席につき、本を読んでいると、後ろから肩を軽く叩かれた。
「サラか」
「一息入れない?」
一般的な気さくな態度も、彼女が行えば途端にその意味が変わる。彼女が言葉を発するだけで、周囲の人間は爽やかな風を浴びた心地になる。
「そうだな……じゃあカフェに行くか」
「うん」
アベルは立ち上がり、サラと並んで図書館を出る。
サラは憲兵騎士科Aクラスの生徒で、女子の中では最も背が高い。黒くウェーブのかかった長い髪に、鼻が高く大人びた顔つき。人間と言うよりは、エルフに近い風貌である。
「今日は経済の本を読んでたのね」
歩きながら、サラが言った。
「ああ、金を稼ぎたくてな」
「魔物討伐じゃだめなんだ?」
「魔物討伐は時間的にも労力的にも金銭的にも、コストがかかり過ぎる。学生やりながら続けられるものじゃないよ。それよりも、自動的に儲けられる仕組みを作る方が効率的なんだが。……そういえば、サラの家は商会だったな。よかったら、色々教えてくれないか」
「ええ、いいわよ。カフェについたら、落ち着いて話しましょ?」
「助かる」
アベルとサラは、大学敷地内を歩いているだけで否応なく視線を集めた。サラはAクラス男子に限らず多くの男子に憧憬されており、また本人こそ気付いていないが、アベルもまた女子からの注目を日増しに高めていた。
「それにしてもサラの歩き方は綺麗だな」
「貴族集まるブレイブ大学だもの。周りと合わせて、恥ずかしくない立ち振る舞いをしなきゃね」
「それにしても特別綺麗だな。他の女子よりも、自信に満ちていて、かつ優雅というか……奥底にある強さ、みたいなのを感じるんだよな」
「あら? そんなにお金儲けについて私に聞きたいの?」
「そういう意図はない。純粋に思ったことを言っただけだ。不快に思ったなら謝る」
「ううん、ありがとね」
部室棟近くにあるカフェに入り、二人でそれぞれ紅茶を頼み、窓際の席で向かい合わせになる。サラは紅茶を飲む姿もさまになっていた。彼女の出自を知らない者が見たら、まず間違いなく貴族と思うであろう。
(たしかに……いいな。サラ・シャロン)
アベルは先週から、魔物狩猟団に魔物討伐について指南するために、魔物についての情報を図書館で集め、まとめ続けていた。そんな時、同じく図書館に入り浸っているサラに声をかけられ、以来息抜きに談笑やお茶をする間柄となっていた。今まではサラについて、同じクラスの勉強ができる女子という認識しかなかったが、今日のダロの話を聞いてから、今更になって緊張していた。
「それで、お金儲けの話だったよね。前にも言ったけど私の家は主に金融業をやってるから、お金についてはアベルの役立つ話ができると思うな」
「助かるぜ」
サラは経済の仕組みや、ブレイブ王国での実態を、自分の家の経験と絡めて事細かに説明してくれた。
「ありがとう。とても分かりやすかった」
「ふふ、でもあまり教えることはなかったかも。アベルもかなり勉強してるのね」
「そうだな……最近はどうしたら金が稼げるのかばかり考えているから……とりあえず、また色々調べてみてから、王立証券取引所で投資してみるよ。ただ、すぐにとはいけなさそうだけど」
株式投資。それが今のアベルにとって最も適した金稼ぎの方法というのが、サラの話を聞いた上で導き出した結論だった。それを行うために、王都にある最大の王立証券取引所にアベルは行くことを決意した。
もっとも平日しか開いていないため、講義の合間を潜り抜けて行く必要がある。
「闇証券取引所だったら、休日も開いてるけどね」
「闇証券取引所……やはりあるのか。ちなみにアディパティ商会は……」
アディパティ商会とは、サラの家族が所属する商会である。
「ふふ、秘密! もしそこで取引していることを公にしていたら、アベルを招待したいんだけれどね。公にできるなら裏とは言えないけれど!」
サラは楽しげに笑う。こういった、物事の両面を見た上で悠然とできる態度が、彼女の独自の高貴な雰囲気の由来の一つかもしれない、とアベルは思った。
ブレイブ王国王都はイーアリウス地方に存在するところ、そこから東に位置するモンスター地方との境目にあるアリスター山。その麓の渓谷で、狩りは繰り広げられていた。
ソレーユは魔術で巨大な氷の塊を創り出し、下に投下した。
「ゴギャアァァァッ!」
それはワイバーンの背中を貫いた。
「降りましょうオーギュストさん!」
「ああ!」
アベルとオーギュストは崖から飛び降りる。
それぞれの手に握られる剣から、冷気が発生する。
氷の魔法剣が、ワイバーンに止めを刺した。
「うまくいきましたね、ワイバーンの崖下への追い込み猟! これならエルフ族二人もいれば十分可能ですね」
ワイバーンの死体を前に、ソレーユが言った。オーギュストは、ワイバーンを運ぶための輸送隊を呼びに一時的に離れている。
「ええ。それにしても驚きました。エルフのゴーレム魔術……。噂には伺っていたが、とてつもない技術です」
今日の狩猟では、オーギュストとソレーユが共同で操っていたゴーレムの活躍が大きかった。土でできた3メートルほどあるゴーレムは、ワイバーンの攻撃によって今や粉々になっているが、このゴーレムが囮として崖下に呼び込んだことで、アベルたちは安全に討伐にかかることができた。
「俺もゴーレム魔術はできますが、これだけの大きさのものをあれだけ細かく、速く動かすのは無理です」
「外交が苦手な分、魔術は得意な種族なので」
「……それでも、二人だとな。あとでオーギュストさんとも話そうと思ってたんですが、この狩猟団、もっと人数を増やした方が良いかと思います」
ワイバーンの解体をしながら、アベルが言う。
「うっ……それを言われると痛いです。私たちはエルフなので、どうしても人間に狩人さんを一般募集するとなると軋轢が生まれそうで……」
「他の集落のエルフはどうなんですか?」
「エルフの性質的に、難しいですね。仮に集めたとしても、ロイヤルバーグ家が主となりますから」
エルフは人間以上に一枚岩ではない。いくつもの集落が世界に点在しているが、基本的にそれらの間で相互関係を結ばない。
「ロイヤルバーグ家からの独立については話してないんですか?」
「オーギュストが、そういう話をしているようですけれど……でも、難しいですね。独立するだけの実力も財力も、私たちにはないのが現状です……」
「なかなか、先行き不安ですね」
「うう、そうですね……」
そしてそれは、アベルも同じだった。魔物討伐は一つ一つの収入が大きい。しかし討伐の前後の準備や、肉体的な負担も考えると、継続的にこなしていくことが難しい。まさに自転車操業である。エルフの地位を高めると言う、言わば政治活動をするには心許ない。
「どうにかして稼ぎ続けられるシステムを作れたらいいんだが。エルフを利用できて、エルフにしかできない技術で……って、それで儲けた報酬を横取りしたらエルフに色々言われそうだなあ……」
「ふふ。アベルさんは本当に良い人ですね」
ソレーユが微笑む。
「いや、エルフを利用して自分が稼ぎたいだけです」
「そうかもしれませんね。でも、事実として私たちは助けられてますから!」
「……ソレーユ」
「はい?」
「話が急転してすみませんが、魔族について、どう思いますか」
「魔族、ですか? そうですね。ブレイブ王国だと忌避されるべき存在なんですよね。いえ、王国と言うよりも、ロドルフ教の、一部の考え方と言った方が正確ですか。それは私たちエルフとは無関係な思想なので、エルフにとって魔族の扱いは人間と変わりません。奴隷市場を展開したり侵略して来ない分、人間よりも良いかもしれませんね」
「……では、利害が一致すれば協力できそうですか?」
「そうですね……できると思います。けれど、難しいですね。事実、ヒューマンと交流しているエルフは私とオーギュストしか知りませんし。内向的なんですよ。エルフは」」
そんなことを話しているうちに、オーギュストが輸送隊を引き連れて戻って来た。
「ただいま。お、いい匂い」
「……」
アベルが夜遅く、スレイアのいるアパートに帰ってくると、エプロン姿のスレイアが台所に立っているところだった。スレイアは無言でエプロンを脱ごうとする。
「なんで脱ぐんだよ! そのまま作り続けてくれ!」
どうにかスレイアを説得し、料理の完成を待つ。今日のメニューはスープにパンを浸して食べるやつだった。アベルが味を褒めると、やはりスレイアは黙ってしまった。
「一週間ぶりだな。元気にしてたか?」
「……」
「さっきワイバーン倒して来たんだ。今日中に帰れないかもしれないと思ったが、間に合って良かった。おかげでスレイアの作る飯にありつける」
「泊まるのか?」
「ああ、だめか? 一応、外泊届けは出して来たんだ」
「……私に拒否権はもとよりないから」
「助かるぜ。戦い慣れた相手と言っても、やはり大型魔物の相手は骨が折れた」
アベルはパンを食べ終わると、ベッドに寝転がった。いつもスレイアが使っているため、彼女の匂いがした。
「ば、ばか!」
アベルの行動に羞恥心を煽られたスレイアが、焦った声を上げる。
「なんてな、冗談。毛布ないか」
「そこにあるが……」
「おう」
アベルは毛布を被り、床に寝転がった。
「いいのか、そこで」
「別にいいよ。ベッドはお前のものだしな」
スレイアは何も言わなかった。しばらく黙々と食事を続けて、思い出したかのように口を開く。
「貴様は、いつもあちこちを奔走しているな」
「ああ……あまり時間は残されていないからな……できることは全部、やっておきたいんだ……」
「……そうか」
スレイアは空になった皿を重ね出す。
「いい、寝ていろ。家事ぐらい全て私がやる」
アベルがベッドから起き上がろうとすると、そう言って止められた。
「ありがとよ」
アベルはまた横になって、寝息を立て出した。
スレイアは皿を抱え、台所に向かう。その前に、一瞬ベッドの方を見てから、呟いた。
「……寝顔はあの頃と変わらないな……」
アベルは卵の焼ける匂いで目が覚めた。エプロンをつけたスレイアが台所に立っているのが見える。
(すげー深く眠れたな……バサスの野郎、いびきがくそうるさいから……)
穏やかな朝だった。アベルがのんびりと過ごしていると、スレイアは何も言わずに、料理を持って居室に入ってきた。
「おお、うまそうだ」
二人で食事をとる。
「そういやスレイアは新聞とらないのか?」
「収入がお前の懐に限られている以上、必要最低限の金しか使えないだろう。いつ尽きるか分からんからな」
「もっと俺を信頼してくれよ……」
スレイアを働かせるには魔族とバレるリスクが大きい以上難しいため、アベルは毎月スレイアに生活費を送ると明言している。
「そういや本、届いたか?」
「ああ」
働けもしない、外出もむやみに出来ないであろうスレイアのためを想い、アベルは本をいくつかスレイアのアパートに郵送しておいた。
「大学敷地内で路上古本市が開催されててな。古いが、普遍性ある内容のものばかり送った。もしかして読んだことあったか?」
「魔術学の本は」
「さすが魔族だな。魔法器の有無以前に、魔術の造詣について人間より優れているだけはある」
「他の本は初見だったが」
「なんかの参考になったか?」
「……」
アベルは部屋の傍に並べられた古本のうち一冊を手に取る。
「あ、こんなのも読んでくれてるんだな」
最近流行りの、勇者の冒険譚。そこには栞が挟まれていた。見覚えがなかったため、スレイアが新たに挟んだものなのだろう。
「あまり小説を読むイメージがなかったから一冊しか送らなかったけど……もっと送った方がよいか?」
「……」
「また送るよ。冒険系が好きか? それとも女の子だから恋愛系とか?」
「何でも良い」
「じゃあ適当に俺の好きなやつとか送ろうかな」
「……」
「さてと。スレイア。まだトイレに行ってないなら行ってきてくれ」
「何故」
「今からその首輪破壊するわ」
スレイアは目を見開いた。
「…………何を、言っている?」
「スレイア。俺はお前と奴隷と主人の関係ではなく……対等な仲間関係でありたいんだ。だから壊す」
スレイアの首輪は、隷属首輪。主人にはある術式が教えられ、その術を行使すると首輪をつけた者は死ぬ。だから奴隷は、死を恐れて逆らうことができない。逆に言えば、首輪を破壊すればいくらでも反逆できるということであるのだが、奴隷自身が解除しようとしても死んでしまう術式がかかっている。
「お前程度に出来るのか」
「できる。やるのは初めてだけどな」
アベルは一冊の本を手に取った。スレイアに送ったものとはまた別だ。
「あの古本屋、魔導書も売っていてな。まさかあれだけ安価で術式が手に入るとは思わなかった。さ、椅子に座りな」
アベルはぱらぱらと魔導書をめくりながら言った。
「正気か」
「何度も言わせるなよ。集中するから、静かにしてろ」
「……」
スレイアはまた押し黙って、トイレへ行った。そして椅子に腰掛けた。
隷属首輪の解除には、高い魔術力が要求される。それほど複雑な術式がかけられているのだ。一般的には、プロの魔術師でも解除には数時間かかると言われている。
「本当は別の魔術師にやらせようとも思ったんだが、きっと俺はまたこの術を必要とすることになるだろうし、経験になると思ってな。さ、始めるぞ」
アベルは魔導書を開いたままテーブルに置き、スレイアの後ろの椅子に座り、首輪に触れた。指がなぞったところから、首輪に刻まれた魔法陣が淡く光る。
そして6時間後。
パキッという小気味の良い音と共に、首輪は真っ二つに割れた。
「ふう……終わりだ」
アベルはその首輪の残骸を机に置いて、魔導書を閉じた。よろよろと立ち上がり、水をガブ飲みする。
「腹減った……昼飯は外で食べようぜ」
その時、スレイアが何か言ったが、小さくて聞き取れなかった。
「うん? 今なんて……」
「これでいつでも貴様を殺せるわけだな」
その声は少し上ずっていた。
「殺すか?」
「まだやめておく。今貴様を殺したところで、私に行き場などない」
「そんなことはないが、しばらくは俺のところにいた方が良いだろう。てことで、改めてこれからよろしくな。俺の中では、特にお前への接し方を変えるつもりはないけど」
「後悔するなよ」
声の調子が少し取り戻されている。
「どうかな」
アベルは笑った。
この決断がどんな未来を生み出すのかが分からなくても。
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