第6話 貴族とエルフ
翌日の1限目も、軍事教練であった。
「昨日のランニングの合格者は、ラシェル、ヴァレンタイン、ダロ、エレーナ、バサス、アベル、サラ、ティアの8名だ。残りの32名は各自今からグラウンド千周だ!」
教官の言葉に、絶望を浮かべる32名。特に、後半まで善戦していた者たちの沈みようと言ったらなかった。
「おかしい……絶対おかしいよこんなの……!」
「コレット・シャイニング。今何か言ったか?」
「何も言っておりませんっ!」
「嘘をついたな! 罰として、全員さらにグラウンド百周追加! 貴様らもだ、合格者ども! 私語を慎まなければ、私の講義ではこうなることを覚えておくように!」
しぶしぶと走り出すAクラス生徒たち。コレットのように口には出さずとも、態度に不満さは滲み出ていた。どうして自分のようなエリートが、ただ走るだけと言うくだらないトレーニングに努めなければならないのか。そんな怒りが根本にあるにもかかわらず走る距離を増やされれば、当然そうなる。
「百周か……昨日の今日じゃきついが、数が見えてるだけなんとかなるな」
「そうだね」
アベルとバサスが並んで走っていると、スピードを落としてきたティアが隣に来た。
「ティア、ラシェルについていかなくていいのか」
「昨日はありがとうございます」
「いや、感謝されるようなことは」
「以上です。……それでは!」
ティアは速度を上げて、先頭のラシェルの元へ追いついた。
「私、ティアちゃんがラシェルちゃん以外の人と会話してるの初めて見た……! アベル、どんな魔術使ったの!?」
追いついてきたコレットが言った。
「使ってないが……しかもあれ、会話と言えるのか?」
「うーん、アベル・フェルマーおそるべし……ハーレム王の気質アリだね。やっぱりデートもう一回行ってあげてもいいよ?」
「行かねーよ。あと俺は愛する者が一人いりゃそれで十分なの」
「はーん! ちなみに今恋人か婚約者は?」
「いないが」
「じゃあ好きな人は?」
「それを答えるのはお前が千周してからだな」
「絶対いるやつじゃん! 誰!? 学内!? 故郷!? どんな人!? 馴れ初め!! はつたいけ……」
「さっさと千周してこい!」
「あうう……もーアベルばか! ばか!」
「ばかって言う方がばか」
百周を終えた者たちは、教官の元、ペアでの筋力トレーニングをさせられた。入学して数ヶ月は基礎トレーニングばかりが続く。
「どうしてわたくしが貴方となんかペアを……!」
アベルがエレーナの足を押さえ、エレーナは腹筋をする。
「完走した順だ、諦めろ」
「……アベル・フェルマー。お兄様に、会ったそうですわね」
腹筋しながら、エレーナが言った。
「ああ、聞いたか?」
「なんでも、お兄様の所有している魔物狩猟団の外部指導員として協力して欲しいとか……本当に貴方程度に務まるんですの?」
「俺程度に負けたのはなにーナ・ロイヤルバーグ様でしたっけ?」
「わたくしは……まだまだ未熟ですから」
「ははは。意外と謙虚なんだな」
「何を笑って……それより! 貴方魔物狩猟経験は!?」
アベルは自分が村で自警団として魔物と戦っていたことを話した。
「なるほど……それで? どうしてそんなことを受けたんですか? お金? 人脈?」
「まあ、そんなとこ。ロイヤルバーグ家ならいくら協力しても損しないさ」
「貴方も、結局そういう人なんですのね。ちょっとは見所あるかと……も思ってないですけど!!」
魔族を買いたい。ロドルフ教徒であるエレーナに言えるはずもなかった。本来ならエリックにも言ってはならないはずのものなのだが、彼は教会の勧める道とは異なる道を邁進することこそ人生の喜びと感じるタイプである、とアベルは認識していた。
「はあ……最悪ですわ。それで、兄に会うのは今週の土曜ですわよね」
「ああ。……まじで一緒に来てくれるのか?」
「不本意極まりないですけれどね。貴方には決闘を申し込んでおいて負けているわけですから」
「義理堅いな。無理することはないと思っていたが……助かるよ」
「ふんっ。情けないですわね。男のくせに、女に追いかけられてビクビクするだなんて」
「ビクビクしてねーし。お前だって男に追いかけられたらビクビクするだろーが」
「しませんし」
休日。ロイヤルバーグ家の専用場所に、アベルとエレーナは二人きりで向かい合わせに乗っていた。エレーナの従者は運転をしている。
「乗り心地が公共のや商人用の乗り合いなんかとは全然違うな! さすが貴族の馬車!」
「あまり騒がないでください。恥ずかしいお方ですね……」
「エレーナはさ。お兄さんと仲が良いのか?」
「さあ……他の家庭を知りませんが……悪くはないですわ」
「そりゃ、良いってことだ。大抵、お前ぐらいの年の兄妹ってのは喧嘩ばっかしてるもんだ」
「なーにを分かったような口を……貴方ご兄弟は?」
「一人っ子だ」
「どーりで自由奔放極まりないですわ」
「でも、お前も貴族にしては自由に見えるな」
「わたくしの家は、お姉さまが優秀ですから。親はわたくしのことなんて、交流のお飾りぐらいにしか見てませんわ」
「後を継ぐのはお姉さんってことか。お兄さんも好き勝手やってる感じだしな」
「ええ、本当に。上がそんなですからわたくし、何を目標とすればよいのか、あまり分からなくて。そんな時、ラシェル様のご活躍を拝見したのです。全国高等部の剣術大会……そこで優勝したラシェル様の実力、気高さときたら……!」
「それで教会騎士を本格的に目指し始めたってわけか」
「ですわ。……って、どうしてわたくしは貴方にこんなことを話さなければならないのかしら」
「いいじゃねーか……せっかくだから楽しもうぜ、空いてる時間はさ。俺はお前の話が聞けて楽しいよ」
「そうですか……それじゃあ、貴方のお話もして頂けるんですのね?」
「もちろん」
「つまらなかったら叩き下ろしますわ」
「ひどくねーか!?」
「ふふっ」
エレーナが笑う。いつも偉そうな態度で認め難いが、笑うと可愛いな、とアベルは思った。
「笑うとかわいいな」
「はっ!?」
「じゃあ俺も将来の話をしようかなあ」
顔を赤くし目を背けているエレーナの様子には気づかずに、アベルは馬車から見える景色を眺めていた。
「俺はさ……大切な人たちがいるんだ。けど、その人たちは、なんつーか……危うい状況にあってな」
「危うい状況?」
「簡単に言うと、自由を失って死ぬかもしれないってことなんだけど」
「そ、それは大変ですわね」
「それを助けたいんだ」
「……偉く漠然としたことを言いますわね」
「悪い、こうとしか言えない」
「別に、良いですわ。嘘は言ってないみたいですし。それに、尊く、素敵な目標だと思います」
「……そうかな」
「ですわ。人のために行動できる人間こそ、理想の人間。聖典にも書いてありますわ」
「人のためってほどじゃねーよ。俺は自分が助けたいから……俺の自分勝手でやってるんだ」
「ふふ、いいじゃありませんの、内心がどうであろうと。結果として貴方が助けたいと思った人が笑顔になっていたら」
「ん……そうだな。俺もそう思ってる」
「でも……それだけで、良いのですか?」
「え?」
「いや、それだけではないですわね。貴方はロイヤルバーグ家に入り込んで、金と地位を得ようとする俗物であることを忘れておりましたわ」
「おいおい。俺のこと見直してくれたと思ったのに」
「絶対に認めてあげませんわ! ラシェル様に勝てたら、また変わってくるかもしれませんけど」
「ははは……勝てるかなあ」
そんな会話をしているうちに、中央街に到着した。アベルと、エレーナと、エレーナの従者の三人は、ロイヤルバーグ邸へ向かった。メイド曰く、エリックは外出中で、もう1時間ほどもしたら帰ってくるとのことだった。
アベルは客間に案内され、軽めの食事を出してもらった。美味であったが、少量すぎてあまり食べた気がしなかった。
「どうです?」
「美味しゅうございます」
「ふふっ、分かってますわ。どうせ足りないってこと」
エレーナは山盛りのパンのカゴをテーブルに置いた。
「エレーナ……! 分かってるじゃねーか……!」
「貴方とバサスは食堂で味もないパンをよくもまああれだけ食べられるものですわね。女子一同、毎度ドン引きしてますのよ」
「え、まじか……」
「あら? 周りの評価も意外と気にされるのですね。さては、学内に意中の相手でも?」
「お前までコレットみたいなことを言い出すな……」
「あら、図星ですか?」
そう言って、エレーナは紅茶を出した。
「ん? この紅茶、お前が淹れたのか?」
「ええ。一人前の貴族はメイドやバトラー(執事)に任せずに自分でも淹れられるものですわ。それは聖職者としても同じです」
「うん……美味い。マジで美味い。先週も貴族御用達のところで飲んだが……それに引けを取らないぐらいに美味い」
「い、言いすぎですわ。素材が良いだけです」
「エレーナ、お前すごいな。ラシェルの陰に隠れてるけど……まじですごいよ。こんだけ美味い紅茶をいれられて、剣術も強い。精神性も謙虚で、優しくて、向上心があって……割と理想とされるべき人間なんじゃないか」
「な、な、なんですの!? いきなりそんな……! ば、ばか!」
エレーナは部屋を出て行ってしまった。
「ばか……か。たまーにそういう貴族らしくないところが出てくるのも良いよな、親しみがあって」
アベルはそう呟き、紅茶をまた一口飲んだ。
すると、入れ替わりでエリックが入ってきた。
「アベル。君は本格的にロイヤルバーグ家と繋がりを持つつもりかい?」
「はい?」
「なんてね。それじゃあお食事中が終わったら下へ来てくれ。狩猟団を呼んであるから、あとは彼らに任せてある。僕はまた出かけるから、ここでね」
「は、はい。お忙しいところ、ありがとうございます」
言われる通りに下へ行くと、ローブ姿の男性と女性の一人ずつが待っていた。
「こんにちは。君が、アベル・フェルマーくんですね。エリックからお聞きしてます」
「どうも。オーギュスト・モーセルさんですね」
オーギュストに握手を求められたので、返す。ローブで顔以外の体の特徴はほとんど分からないが、30代前半ほどに見える男性だ。
「私は、ソレーユ・ベルナディスです。よろしくお願いします」
ソレーユとも握手をする。彼女もローブで頭を覆っており、10代後半から20代前半ほどの女性であるということぐらいしか分からない。
「会議用の貸し部屋が別棟にあるので、まずはそちらに向かいましょう」
オーギュストが恭しく案内をする。
「はい。ところで、お二人はエルフですか?」
「!?」
二人の動きが制止する。
「いやあ……底知れない男だとエリックから聞いてはいましたが……」
二人は頭のローブを取り払った。長く尖った耳があらわになる。
「稀有の目で見られるから普段は隠しているのですが、アベルの前で隠す必要はもはや全くないですね。どうして分かったのですか?」
オーギュストはブラウンに近い金髪を短く切り揃えている。エルフは種として美形と言われるだけあって、非常に端正な顔つきであった。
「顔がエルフっぽいなあと。あと、魔力の感じですね」
一方ソレーユは、シルバーに近い長めの金髪を三つ編みでまとめ、サイドに垂らしている。どこかラシェルを連想させるような美麗な顔立ちでだったが、放つ雰囲気は対照的で、ソレーユはより温和な印象だった。
ロイヤルバーグ底敷地を出て、5分ほど歩いたところにあるビルの一室に、アベルたち三人は集まった。そこが彼らの基地であるようだ。
エルフの二人は、ブレイブ王国南端の森から来たと語った。教会による支配が進んでいることを危惧し、エルフの立場向上のために王都を目指すことにしたものの、その志を共にするエルフは少なかったらしい。たった二人で来た挙句行動するための場所も金もなかったため、偶然知り合ったエリックの元で働くことにした。
「今のロドルフ教の考えだと、エルフのような亜人も魔族と同列視されてもおかしくない……現実として、純粋なヒューマンと比べて軽視されがちですからね。なんとかしなくてはという思いがありました」
オーギュストはそう語る。
アベルはその話を聞いて、より奮起した。そして、用意していた資料を広げる。
二人はアベルの持ってきた地図やノートを食い入るように見つめていた。
「ワイバーン、ロックゴーレム、ジェルスライム……凄いな、これだけまとめたのか」
エリックに頼まれていたのは、岩山、洞窟に現れる魔物の討伐方法を教授することだった。
エルフは森に住む種族であるため、森の魔物討伐には慣れていても、上記場所に赴くことはまずない。そのため、ロイヤルバーグ魔物狩猟団は今までに欠陥を持たざるをえなかったのだ。
「出現情報、討伐方法でなく周辺環境の情報まで……情報源も信用できるものばかり。これを一週間で?」
「ええ。大学図書館の賜物ですね。とりあえず、概要だけ説明しますね」
そうしてアベルが解説している内に、日は暮れ始めていた。
「ありがとう、アベルくん。おかげで、新たな魔物を狩猟できそうです」
「こちらこそ、貴重なエルフ族の話がいくつか聞けましたし……」
アベルは背もたれに沈むように座り込んでいた。魔物討伐についてまとめるために毎日夜更かしをし、大学の講義は軍事教練による体力の浪費の連続。かなり、きていた。
「はい、アベルさん。お茶ですよ」
ソレーユが、嗅いだことのない香りのお茶を持ってきてくれた。
「ああ、ありがとうございます。……初めて飲む味だ。美味しいです」
「南の森でしかとれない茶葉を、エルフ独自の製法で淹れているんですよ。滋養強壮の効果があって、疲れている時は特に効きます」
「ああ、気付かれてましたか……俺もまだまだですね。本当だ、なんだか元気が出ましたよ。これは商売になるかもな……」
「ふふふ。エリックさんも同じことをおっしゃいましたよ」
「俺も彼も、お金のことばかり考えてますから……いや、彼の場合はお金、というよりも、自分の力による発展とか繁栄とか、そういう感じの方が近いかな……」
「アベルさんはお金目的でエリックさんに協力を?」
と、ソレーユ。
「100パーセントそういうわけでもないんですけれどね」
「他のパーセンテージの部分について、良ければお聞きしたいですね」
オーギュストが、向かいの席でエルフ茶を飲みながら尋ねた。
「そうですね……」
アベルが話し出そうとした時、扉がノックされた。
「エリック様から言伝をお預かりしました。アベル・フェルマー様に、ただちに門の前に来て頂くように、と」
ロイヤルバーグ家メイドの声だった。
「……今日はここまでみたいですね。それでは、また後日ゆっくりとお話ししましょう」
「ええ、今日はありがとうございます」
「ありがとうございました、アベルさん」
アベルが門の前に行くと、豪華な馬車と、エリックが待っていた。
「スレイアの競売が始まるという情報が入ってね」
エリックはそれだけ言って、馬車に飛び乗る。
「感謝します!」
アベルもそうする。馬車が走り出す。
「会議はどうだった?」
「満足して頂ける部分はあったかと思います。こういうことをするのは初めてだったので、粗もあったかと思いますが」
「さすがだね。メイドから途中経過を聞いたが、それなりに白熱していたようでね。一度口を挟もうとしたんだが、遠慮しておいたんだ。で、競売についてだが、サンソン家が動いた」
「かなりの名家ですね。スレイア購入の理由は?」
「公にこそなっていないが、サンソン家は女買いで有名だ。男買いのジョレス家と双璧……いや、それ以上だろうな」
「魔族相手にも、ですか」
「ははは、筋金入りだろう?」
「ある意味、貴族らしいですね」
「ロドルフ教系貴族でもないからね。いいかいアベル、僕ら貴族は、一部の教会系を除いて、お金と権力しか見えていない。そしてそういう人間が為政者と繋がりを持ち、さらに支配を強めていく。そうして強くなった家には、もはや一般的なイデオロギーは無意味だ。ついでに言うと、これは貴族以外のほぼ全ての団体に当てはまる」
「まるで自分もそうだというような言い方ですね?」
「嫌いになったかい?」
「いえ。お金と権力に支配されるのは、貴族だけではないと思いますから。それにエリックさんは、その一つ上の段階を見ている、と俺は勝手に思っています」
「そうなんだ、僕もなんだ。君の見ている世界は僕と近い。いや、さらに上かもしれない。だから引き込みたかった。魔物討伐の知識があったのはちょうどよかった」
穏やかな口調だった。エリックの言っていることは本音に聞こえた。しかし、より深く壮大な思想がその奥に渦巻いていることに、アベルは勘付いていた。うかつにしていると一瞬で呑み込まれる強大さが、エリックにはあった。
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