第3話 エリック・デ・ロイヤルバーグ

 ハイワイバーンの火球を、スレイアは横に飛んで躱していた。


 壁は焼け焦げ、もう少し軌道が上であれば観客は焼死していてもおかしくはなかった。


 スレイアは掌をワイバーンにかざした。魔法陣が空中に展開され、尖った氷の塊が、凄まじい勢いで放たれる。


(魔具なしの魔法! やはり魔族の血か!)


 ワイバーンはそれを翼に受けながらもなおスレイアに突っ込む。スレイアはまた躱すも、風圧でごろごろと転がさられる。


(ハイワイバーンなのにワイバーンと紹介されていたのは、泥で汚れていて色の変化が分かりづらかったからだろうな。ハイワイバーンはワイバーンと違って尾に毒がある。スレイアがそれを知っていると良いんだが)


 スレイアという少女は善戦していた。攻撃を避けながらも、機動力の要である翼に的確に、氷魔法を当てている。


(だがあのままじゃジリ貧……魔法だけでなく剣での一撃がなければ……)


 その時、ワイバーンは客席に突進した。鉄格子で阻まれていたが、その鉄格子を噛み付け続ける。悲鳴と狂騒。客の何人かは逃げ出して、何人かはより近くで見ようと立ち上がる。


 魔族と人間のハーフは、その隙を見逃さなかった。


 腰の剣を遂に抜き、振り上げる。すると剣の周りに、冷気が発生する。


(氷の属性剣! あれなら……!)


 そしてワイバーンに突っ込もうとしたところで、その尾に弾き飛ばされた。


「がはっ!」


 予期せぬ攻撃に吹き飛ぶスレイア。その腹部からは出血していた。だが、さほど深くはない。


 スレイアは震える手で傷口を抑える。すると緑色の光が発生して、傷口を塞いでいく。


「神経毒がある! 止血してから抗毒素魔法も使え!」


 アベルはつい叫んでいた。


 その声が届いたのか、スレイアはスカートをちぎり、腹に強く巻きつけた。


 ワイバーンが思い出したようにスレイアの方を向き直る。そして、飛びかかる。


「くっ……」


 すんでのところで躱すスレイア。そして膝をつく。震える手で患部を抑え、また光を発生させる。次は、赤色の光。


 ワイバーンが口を開く。熱気が帯びだすが、火球は来ない。


「外部展開されている! 今すぐ氷の塊を口の中に突っ込め!」


 スレイアはやや躊躇いつつも、先ほど撃ち出した氷の塊を、再度ワイバーンの口に撃ち出した。


 ガラスのようなものが割れる音。ワイバーンが口に展開させた魔法陣を破壊した。怯むワイバーン。スレイアは再び冷気を纏った剣を構え、ワイバーンの心臓に突き刺した。


 突き刺した所から、ワイバーンの身体が徐々に凍っていく。逃れようと暴れるが、スレイアはしがみつく。そうしてしはらくしたのち、ワイバーンは動きを止めた。


 スレイアはワイバーンの首を切断した。


「なんということだァ! あの超凶暴なワイバーンでさえもッ! 彼女にかかればトカゲ同然! 傷こそ負ってしまったものの見たところかすり傷の様子! 強いっ強すぎるぞスレイアァァ!」


 歓声にのまれながら、スレイアは入ってきた扉へ戻って行った。途中アベルを一瞥したが、すぐに向き直った。


「アベル?」


 ジャニーヌに話しかけられ、はっとする。観客が指示を送るなどという異質な行為。彼女はどう捉えたのだろうか。


「お詳しいんですね! 狩人としての心得もありまして?」


「あ、まあ、少しだけ」


 ホッとする。そもそも他の観客たちも、指示に近いような野次を好き勝手喚いていた。アベルの指示もそのうちの一つと思われたのだろう。


 だがアベルは、魔術師たちの視線に気がついていた。


「……ありがとうございますジャニーヌ、もう満足したので帰りたいと思います」


「あら、そうですか? でも今日のメインは終わりましたし、頃合いはもしれませんね。アベル、お茶でもいかがですか?」


「ありがたくご一緒させて頂きます」


 ジャニーヌと並んで特等席エリアを出ようとした時、貴族の一人に声をかけられた。


「面白いね、君」


 高貴な青年だった。アベルは軽く会釈だけして、その場を去った。


 


 


 


 


「さっきのスレイアという娘は、最近闘技場に連れてこられて来たんですか?」


 アベルはそう言ってから口に紅茶を含ませ、もごもごした。


 闘技場の裏手にあるカフェテリアは、路地の奥にひっそりと佇んでいた。中にいるのは貴族だけで、豪華絢爛な装飾が椅子やカップに施されている。値段表などもなかった。


「ええ、一月ほど前にね。魔族と人間のハーフだなんで、異常ですわよね。それにしても、残念でした」


「というと?」


「私はあの女がワイバーンにズタズタに引き裂かれるのを見たかったのですが……どうも上手くいきませんわね」


「じゃあ、俺が指示して手助けしたのはあまり気分良くなかったですね」


「いえ、そんなこと。なす術なく、徹底してやられるのが見所ですので。助言があって対処できる程度の暴虐では足りません。もっともっと、どうしようもない、圧倒的な……と、すみません。少々熱くなってしまいましたわ」


 恥ずかしげに口元を押さえるジャニーヌ。


「それにどのみち、近いうちに死にますからね、あの娘は。闘技場に連れて来られた魔族は、おそかれ早かれ戦いに敗れ死にます。数度勝ったとしても、死期がほんの少しだけ遠くなるにすぎません」


「過酷ですね」


「魔族ですからね」


「そう言えば、スレイアはニコラウスファミリーの所有物といった扱いなんですかね」


「そうなりますわね」


「ああいう魔族の取引っていうのはどこで行われているんですか?」


「一般の奴隷市で取引されておりますわよ。そこの道をずっと行って、右手に曲がった先にございます。このあと少し見ていかれますか?」


「そうですね」


「ただスレイアほどの珍しいものとなると……闇奴隷市場でしかできませんわね」


「闇奴隷市場、ですか」


「ふふ、あまりご縁がないところですわよね」


「そうですね……やはり俺のような一般人では」


「紹介がなければ立ち入ることができませんからね。でも、アベルなら紹介しても構いませんわ」


「よろしいのですか?」


「ええ……アベルならね。でもご案内する代わりに……一つ条件があります」


「というと?」


「ジョレス家の使用人として働いていただきたいのです」


 貴族の目だった。欲しい物は絶対に手に入れる。手に入って然るべきであるという確固たる思考が見て取れた。


「給料は弾みますわ。アベルでしたら、大多数の兵士や官僚よりも高給になり得ます。ブレイブ大学も辞める必要はございません。契約使用人として雇用し、卒業をしてから正使用人として登用いたします。学内寮からジョレス家宿舎に移り住んでもらうことにはなりますが」


 アベルは考えた。いったん保留して、別の方法を探す。あるいは、いったん承諾しておいて、どこかのタイミングで使用人を辞める。合理的思考が回転した末に、こう答える。


「いえ、遠慮いたします」


「特別待遇ですよ。在学中は仕事をほとんどしなくても問題ありませんし……」


「ジャニーヌ。俺は学校を除いては、もう少し自由でいたいのです」


「……そう、ですか」


 ジャニーヌの顔色に影が落ちる。


「残念です。あまり手荒な手段はとりたくなかったのですけれど。マーク、ファブリス」


 紅茶を飲んでいた客が二人、アベルの両側に立つ。腰から剣を抜き、アベルの首に突きつける。どちらも細身で背が高く、精悍な男だった。


「ジャニーヌ、これはどういうことですか?」


「アベル、私は貴方が欲しいのです。今すぐに、絶対に。もう一度お聞きしますわ。アベル、ジョレス家に……」


 ジャニーヌが言い終わる前に、アベルは椅子ごと後ろにひっくり返っていた。突然のことに、マークとファブリスと呼ばれた使用人たちの剣先が泳ぐ。アベルは後転して、走り出す。出口にもまた使用人らしき男が二人立ちはだかっていた。


 アベルは跳び、腰のロングソードを抜いた。一閃。高速の斬撃を受け、使用人二人は大きく後退する。その隙にドアを開けて、外へ逃げ出す。


「待て!」


 使用人たちが全力で追いかけてくる。アベルは壁を蹴り上がり、屋根に乗った。そのまま高さが近い屋根の上を跳んでいき、適当なところで地上に落ちた。


「はあっはあっ、あの女、やっぱりとんでもねーな……」


 息を荒げながら、壁際に座り込む。


「やあ、さっきの」


 すると、声をかけられた。先ほど、闘技場でもアベルに声をかけた貴族らしき青年だった。男性にしては少し長めの金髪で、アベルと同じぐらいの背丈がある。


「ああ、どうも。試合観戦はもう良いんですか?」


「あんな悪趣味なもの長々と見ていられないよ。君と同じさ」


 アベルは立ち上がった。


「俺はアベル・フェルマーと言います。良ければ、お名前を」


「僕はエリック・デ・ロイヤルバーグ。驚いたな……まさか君がね」


「ロイヤルバーグ……ディミトリ・デ・ロイヤルバーグ公爵のご長男ですね?」


「ああ。けれど、エレーナ・デ・ロイヤルバーグの兄と言った方が君にとっては馴染みがあるんじゃないかい?」


「……伺っていたんですね」


 エリックはからからと笑った。


「いやあ、君は実に面白い。良ければディナーでも御馳走させて欲しい。もちろん、大衆向けのところで、ね」


「ええ、ぜひ」


 今日は本当によくモテる。アベルは疲れた顔で誘いに乗った。


 日は既に傾き始めていた。





 エリックが誘ったのは、メインストリート沿いのチェーンレストラン「ロイヤルゴースト」だった。大衆向けと言えど値段設定は高めで、一般市民は給料日に家族で来るといったイメージが強い。


「まさかオーナー直々に招待して頂けるだなんて思ってもいませんでしたよ」


「と言っても、ただのチェーンだけどね。普通の貴族だったらもっと格式高いところを案内するんだろうけど」


 ウェイトレスはエリックを見るなり、最も奥にある四人がけ席に案内した。


 そこでエリックは適当なコースを二人分頼んだ。


「アベル、ワインは好きかい」


「はい」


「それじゃあモンスターを」


(え!?)


「畏まりました」


 ウェイトレスは厨房へ行った。


「良いのですか?」


 アベルは思わず苦笑いする。モンスターワインは、かなりの高級品だ。


「ん? ストファー村出身の君にこそ相応しいものだと思ったのだけどね」


 詳しい。エレーナからエリックに伝わったアベルの情報は、おそらく決闘の結果だけである。それにも関わらず彼はアベルの出身地を知り、さらにその出身地と同じ地方原産のワインを頼んできた。


「……エレーナは俺について何か言っていましたか?」


「あんなにムキになっている妹は久しぶりに見たな。週末の夜にやけに沈んだ様子で家に来たんだけどね。口を開けばアベル・フェルマーアベル・フェルマー。よっぽど君のことが気に入ったみたいだ。どうだい? ロイヤルバーグ家の使用人になって、毎日妹の剣術指導をしてもらうっていうのは」


「エリックさん……」


「ははは! 冗談冗談」


 学院で貴族と話すことは多いが、エリックのようなタイプは初めてであった。アベルの知る貴族のほとんどはプライドが高く、視野が狭い面が目立ったが、彼はそれらの逆をいっていた。かと言って、一般市民の感覚とも違う。話し方だけでなく歩き方や所作の一つ一つが、高貴なる居住まいという言葉では済まないほどに洗練されている。


「ジョレス家の使用人になれと迫られたんだろう?」


「はは、良くお分かりで……」


 その時、ウェイトレスがワインを運んできた。


 エリックはワイングラスを傾け、アベルも同じくワインを飲む。


「うん、美味しい。甘さの中にある激しさ……モンスター地方での苛烈な闘争が浮かんでくるよ」


「ええ、本当に美味しいです。初めて口にしましたが、こんなに美味しいワインは初めて飲みました」


「そう言ってもらえると嬉しい。しかし君はブレイブ大学の一年生だから、まだ18ぐらいか……となると申し訳ないことをしたね。これから何を飲んでも物足りなく感じてしまうかも」


「いえ、自分の力でこれを飲めるような人間になろうと奮い立てましたよ」


「素晴らしい心構えだ! さすが、うちの妹を泣くまで叩きのめすだけはある!」


「そこまでやってませんよ!?」


 ひとしきり二人でワインを楽しんだのち、エリックは前菜を食しつつ、先の話を再開した。


「ジャニーヌ嬢はイケメン大好きだからね。気に入ったのを見つけたら自分の所有する茶屋に誘い込んで、強引に使用人として働かせてるんだ。何回か国から注意されてるんだけどねえ。まあ、最終的に黙認されてしまうのは仕方ない程度の家柄さ。ジョレス家の男使用人たち……僕は勝手にイケメン軍団って呼んでるんだけど、官僚、ブレイブ学院生に元爵位持ちの没落貴族……はてはエルフや魔族も揃えてるんだとか」


「そう言えばあの闘技場……俺が見たときは魔族だけでしたが、人間や他種族も出るときがあるみたいですね」


「国の法律に対してグレーどころか完全にブラックな運営だからね。何しろ運営者のニコラウスファミリーは盗賊ギルドにも加入してるっていうもんだから。真っ当な商売をメインにやっているこちらとしては、複雑に思う心境はあるね」


「飲食にアパレルなんか、ですね」


「そうそう。まあこれも僕が始めたものだから、家の中でも賛否両論あるんだけれどね。何せ家がロドルフ教である上に、教会騎士としてなまじ名を馳せてしまったものだから」


「変化すれば、必ず抵抗する勢力は出てきますからね」


「……まるで見てきたかのような言い方だね?」


「いえ、歴史を勉強していて、そう思ったに過ぎません。それとギュスターヴの支配者論に関する著書でもそれを示す記述が見られたので」


「……欲しいなあ」


「え?」


「いや、何でも。あ、そうだ。次から街へ行くときは、妹を連れて行くと良いよ。またジャニーヌに見つかったら厄介だしね」


「さすがに、本人が来てくれないと思いますが……」


「そうかな? 普通に脈ありなんじゃないかと思ってるけどね。ああでも、闘技場デートは妹には刺激が強すぎるかもな」


「はは……俺にも十分、刺激が強過ぎましたよ。正直言って、気分が悪くなりました」


「たとえ戦わせるのが魔族だとしてもかい?」


「そうですね。まあ、感情論です」


「……そう言えば君が来ていたときは人間とのハーフが戦っていたね。信者の立場で言わせて貰えば、魔族の血が混じった時点でアウトなんだけど、僕個人の感情論で言うなら……反吐が出るね」


 アベルは思わず、眼球を動かして辺りを見渡した。


「心配することはない。僕とて弁えて喋っているさ」


 エリックはメインディッシュのステーキを切りながら、続ける。


「と言うか、これが一般的な感情であると思う。種族がどうであれ、苦しんでいる様を見て楽しむというのは趣味が悪い。支配と搾取でしか欲を満たすことができない、貧相な感性だ」


「そうですね。俺も、そう思います」


「……ではどうしてわざわざ闘技場に足を運んだんだい? それを分かっていながら」


「社会見学みたいなものです。世界がどうなっているのか知りたいという知的好奇心ですよ」


「……それだけではないよね?」


 アベルは迷った。エリックが自分にとって信頼に足る人物か、判断するには尚早と言えた。しかしその観点からの度合い以上に、彼自身が信頼に足る実力者であると感じていた。


「エリックさん。俺は……異常な考えをしていると思われるかもしれませんが……疑問に思っているんです。闘技場で起きている現状について、そしてそれを許す国の体制について」


「そういう目をしていると、闘技場で見て思ったよ。君だけが、あの空間の中で異質に見えた。多分僕もそうだ」


「エリックさん。一つ、お願いがあります」


「なんだい?」


「闇奴隷市場に、招待して頂けませんか」


「……理由は?」


「例の魔族と人間のハーフ……スレイアを購入したいんです」


「どうしてスレイアを?」


「先ほど俺が申し上げた、疑問の解決の解決の足掛かりになると思ったこと……というのが、重要な理由です」


「成る程。金銭的なもの、購入した後のことの諸々はさておき、招待することについてなら問題ない。ただし、交換条件だ。僕に協力して欲しい。無論、その紹介に見合う範囲でのみ、だ」


「分かりました。俺は何をすれば良いですか?」

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