第2話 奴隷スレイア
ブレイブ王立大学から中央街までは、馬車で三十分ほどの距離である。街へ出たい学生の需要を押さえているのか、その本数は多めだ。
アベルはぎゅうぎゅうの学生集団に追い詰められながらも、そんな働き者の馬車に揺られていた。徐々に生徒が降りて行って、目的地到着間近にして、ようやく席につくことができた。
「すげえなあ〜」
窓から見える景色は、どれも彼にとって目新しい者だった。
「あれがグレイティスト・ロドルフ大聖堂か〜」
石造りの建物が密集している中にある、一際大きな建築物。植物、魔物等がモチーフとなった装飾が施されており、まさに巨大な美術品と言えるであろうそれは、ロドルフ教会の総本山である。教会の中で最高権威であることはもちろん、抱える兵力は世界一とも言われている。
「アベルくん、中央街に行くのは初めてなの?」
隣に座って来た、青制服の女生徒がそう話しかけてくる。
「入学試験の時に通ったぐらいだな。確か、同じクラスのコレット・シャイニングか」
「うれしー、覚えてくれてたんだね! あ、コレットでいいからね」
まだ授業は本格的に始まっていないが、一度だけクラスで顔合わせがあった。アベルはその全員の名前と顔を暗記していた。
コレット・シャイニング。桃色の髪を後ろで二つ結びにして、襟足ごと垂れ下げている。明るく誰とでも親しげに話すため、始まって間もないクラスの中心的立場の一人にいるようだった。
「俺のこともアベルでいい。そっちこそ覚えててくれたんだな」
「そりゃーもう! なんて言ったってあのエレーナちゃんに勝っちゃったんだから! 憲兵騎士科Aクラスでは、いや全校で知らない人はもういないんじゃないかな!?」
「それは言い過ぎじゃないか?」
「へへへへー、ご謙遜なさるなー。特に女子たちの間ではもっぱら噂されてますぜ」
「どういう噂だ?」
「そりゃ、恋の噂だよー!」
「なんで?」
「なんでって……わざといってるのー? アベルの住んでた田舎のジョーク?」
「ジョークじゃないが……。恋の噂ってことは、俺が誰かに好意を持たれてるってことか、俺が誰かに好意を抱いてるということだよな。後者は誰にも言ってないからコレットが知る由もない。となると、学内で誰か俺に想いを寄せる女がいるってことか!?」
「アベルってばか?」
「!?」
アベルは冷や汗をかいた。彼は特別、自身の頭脳に自信がある方ではなかったが、会ってからものの数秒で頭の悪さを指摘されるという事実を軽々と容認できるほどないわけではなかった。
「な、なんでだ」
「いや、話の流れで分かるでしょー。女子たちみーんな、アベルのことを気にしてるってこと! 好意かはまだ分かんないよ」
「そ、そりゃそうだよな。やべっ恥ずかしー、都会来て浮ついてたかな、俺」
「なーんかズレてるなー……。アベル、ひょっとして彼女できたことない?」
「なっ!?」
トカイノオンナコワイ。突然の心理攻撃でアベルが怯え縮んでいると、馬車が目的地であるメインストリートで停車した。
「……コレットはこれからどうするんだ」
「とりあえずご飯かなっ。お腹空いたし! アベルも一緒にどお?」
「無論ご一緒させていただく。不本意な指摘をされっぱなしで解散、というわけにはいかんぞ」
「あはははー、それじゃあご飯の場所も私が決めてあげるね?」
「やめろ!! 人のことをデート経験ない奴扱いするのは!!」
「誰もそんなこと言ってないよー?」
馬車の代金を支払い、けらけらと笑うコレットを引っ張って、メインストリート沿いにあるダイニングカフェに入る。
「あ、ここ知ってる! パンケーキが美味しいところなんだよね〜。行ってみたかったんだ! アベルやっぱり彼女いるねこれは!」
「……やれやれ」
そんなやり取りを経た末に、二人はテラスに上がり、テーブルを挟み座る。テラスには観葉植物がいくつか飾られており、街の通りが見下ろせる。
「中央街にほとんど来たことないのに、こんなとこよく知ってたねー」
「入るのは初めてだけどな。街歩いてて、良さそうだと思ったところはチェックしてるんだ」
「ほほほお、へーほふほっほのひぇっくははんへんなんはね。さっすが、できる男はちがうねぇ〜!」
コレットはパンケーキを頬張りながら、聞き取りにくいブレイブ語を喋る。
「食うか喋るかどっちかにしたらどうだ?」
「あ、えへへ、ごめんごめん。なんか、アベルの前だとこの感じでいいかなってなっちゃうんだ」
「そりゃ、俺は貴族でも何でもない一般人だから気にすることはないかもしれんが。その様子じゃあ、お前も俺に近い生まれってとこか?」
「お父さんは官僚なんだけどねー」
「……ならその無作法は容認されるものではないと思うんだが」
「容認されないねー。いつもいつもマナーだの品格だの、やんなっちゃうよ。ブレイブ王立大学は軍事教育メインだから、ちょっとはラフでいいはなほほほっはんはへほはー。ま、わらひは貴族ではないはら? まだまひなんはへほへー」
(何事にも例外はあるってことか……)
アベルはてっきり、自分と同じ一般人枠か、商人の娘だと思っていた。こんな役人の娘もいる。それが知れただけでも、彼女と食事に行った価値はあった。
「で、話を戻すが……俺に彼女ができたことがない、というのは俺のどういう面を見てその結論に至った?」
「にぶちんすぎ」
「……そうか?」
アベルは人の心の機微に、比較的敏感な方だと自負していた。
「そんだけイケメンで、エレーナちゃんを倒して、ラシェルちゃんにライバル宣言されるほど強かったら、女の子は大抵意識するものなの!」
「なんで? 話したこともないのに」
「……あ〜……」
コレットは抜けた声を出して、そっかそっか、と何かに頷いた。
「なんだよ、その反応は。まあ確かに、メスは強いオスに惹きつけられるよな。ブレイオンっていう魔物は一番強いオスのみが一夫多妻を形成して子孫を残し、他のオスは殺されるか、群れから弾かれるんだ」
「いや、魔物とかじゃなくてさ……うん。もういいや。私、けっこーアベルのこと好きかも」
「え、今の反応で!? 本当にそう思ってるか!?」
今やにこにこ笑っているコレット。しかしアベルの中では、先ほど微かに見せた、諦めでもしたかのような彼女の表情が引っかかり続けた。
「ところで、アベルはここへ何しにきたの?」
「ぶらぶらしようかと。コレットは?」
「私も同じ感じー。ずっと学校敷地内にいても退屈だしねー。本当は友達と行くつもりだったんだけど風邪引いちゃってて。他に誘っても勉強だの特訓だので断られちゃうし。だからアベルが見つかって嬉しかったよー」
「みんなそんな感じか。さすがはAクラスってとこか」
同じブレイブ大学一年生と言えど、その中でも序列はある。いくつかあるコースの中で、軍事教練を中心とされる憲兵騎士科と教会騎士科が上に一つ出ていて、その中でもAからEクラスまである。すなわちアベルやバサス、コレットたちが所属する憲兵騎士科一年Aクラスは、教会騎士科Aクラスと並んで、一年生トップと言える。
「そーそー! 私別に、そこまでハイレベルな人間じゃないってのにさー。お父さんが官僚って言ったって、特別役職ついてるわけでもなし。ふつーの女の子なんだよー」
「でも、入学成績が高かったからAクラスに入れたわけだろ?」
ブレイブ王立大学入学の合否の大部分は家柄によって左右される。しかしクラス分けの段階では実力の方を重視される、というのがアベルの見立てだった。それでも憲兵騎士科Aクラスのほとんどが貴族だったが、国の上流を誇る者としての教育、環境、意識を考えると当然と言える。
「ぐーぜんだよー……。エレーナちゃんにもアベルにも勝てる気しないし」
「お前が今後どうしたいか分からんからなんとも言えんが……収まるところに収まるんじゃないか」
「収まるところねえ〜……ちなみにアベルはどうしてこの大学に入ったの?」
「そりゃ、夢は将軍だろ。男らしくな。給与と地位は上を目指してなんぼよ」
「うわ〜、普通。でも私も同じ感じだからなんとも言えないや。お父さんの後を継いで官僚にでもなれたらなーって感じ」
「そういう奴が大多数だよな」
アベルはそう言って、フォークとナイフを置いた。
「かもね〜。……あ、それでさ、良かったら一緒に街を回らない?」
「悪い、一人で回りたいんだ」
「……さてはいかがわしいお店に行こうとしているな?」
「コレット、俺もお前と話せて嬉しかったよ。可愛いし、気さくで話しやすいし、な。また大学で食事でもしよう」
「話逸らした!! ってかお金払え!」
「これが俺の出身地、ストファー村流ジョークだ」
「アベルが村の恥か、村が恥か、だね!!」
賑やかな同級生と分かれ、アベルが来ていたのは風俗店等が立ち並ぶいかがわしい通りだった。この近辺はグロスマン地区と呼ばれ、治安が悪いことで有名であった。念のためコレットが追いかけてきていないか注意を払いつつ、奥へと足を進めていく。コレットに金はちゃんと払った。
「すみません、ニコラウス闘技場ってどちらですか?」
怪しげな魔法薬を売っている露天商に道を尋ねたりしながら、目的地を目指す。
「ここか」
受付に入場料を払い、一日券をもらう。階段を降りていくと、地下に広がる闘技場が目に入る。対戦はもう始まっていた。
魔族の男と、ブレイオンが対峙している。ブレイオンが突進する。男は魔術によるバリアで一度はそれを防いだが、ブレイオンが回り込み、鉄製の刃であるたてがみを伸ばすと、男の腕から血飛沫が上がった。
それを見て歓声をあげる観客たち。アベルは自由席の一つに腰かけ、対戦を観察する。
(……あれじゃ駄目だ。魔族の方、栄養が足りてない。あれじゃ満足に魔術が仕えない。装備も相応しくない。剣なんて、刃こぼれがここから見ても分かるほどだ。勝たせる気がない)
ブレイオンが飛びかかった。魔族は必死に抵抗するが、覆いかぶさられる。そこから先は、戦いと言うよりも、たんなる捕食行動と呼ぶ方が適切であった。ブレイオンの顔に血がかかるたびに、会場はより熱狂を増させる。
「魔族のジル、跡形もなくなってしまったァ! 魔獣ブレイオン、なんて強さだっっ!!」
さらに実況付きだ。
(ここは少し五月蝿すぎるな)
アベルは廊下に出た。石製なのと地下のため、やや冷えている。壁越しに会場の声。中ではもう、次の試合が始まったようだ。
試合と呼べるのかは、分からないが。
(気分が悪い……)
アベルはその後、もう二試合見て、また廊下に出た。
二試合目は魔族同士の戦い。三試合目は魔物同士。魔物はともかく、魔族の戦いは特にアベルの気分を害した。しかし、最後まで見届けた。
「お気分がすぐれないのですか?」
後ろから話しかけられる。艶のある女性の声だった。学院に来てからモテる一方だな、とアベルは思った。
「俺には少し刺激が強すぎたみたいです」
「ふふ、確かに初めてだと引いてしまうかもしれませんね。でも、慣れるといろんな見所に気づいて面白いんですのよ」
彼女の纏うワンピースは一見簡素に見えるが、材質が他の市民とは異なるように見えた。ほのかに香ってくる香水も、闘技場の血生臭いそれとは似つかわしくない。
「例えば魔族同士の戦いになるとですね。お互い初めは遠慮してるんです。でも片方の一撃が入った瞬間、戦意が爆発するんです。その、なん申し上げたら良いのでしょうか。悪魔としての本性を現す瞬間とでも言うのでしょうか。あれは、筆舌しがたい悦楽なんですのよ」
「そうなんですね」
彼女は間違いなく、貴族であった。
観戦をしている時、アベルのいた一般観客席とは別に、戦いを近く見られる場所にある、色の違う特別席を確認した。そこにいた観客は、見るからに品位も財力も逸出していた。
「少し御休憩したら、ご一緒いたしませんか? 特等席にご案内しますわ」
「良いのですか? そのようなご高配」
「構いませんことよ。私の家は、こちらの運営者さんとはご懇意にさせて頂いておりますので」
「……気分も少し良くなりました。俺はブレイブ王立大学のアベル・フェルマーと申します。ご一緒させて頂いてもよろしいですか?」
「お召しになっているのは憲兵騎士科の制服ですものね。学校の名に違わず、品位あるお顔つきしていらっしゃいます。私は、ジャニーヌ・ジョレスと申します」
ジャニーヌは微笑んだ。優雅な微笑みであった。
廊下に鉄製の扉と、その前に鎧を着た警備兵がいる。ジャニーヌが小さく手を上げると、警備兵は扉の錠を開けた。
「こちらへ」
「はい」
その先の廊下は雰囲気が違った。照明器具にガラスが使われるようになり、絵画や壺がところどころに置かれている。庶民ならば通常入り得ないゾーン。また鉄製の扉を開けて闘技場に入ると、特等席のエリア。特等席は一般席とは壁で仕切られており、今アベルが通った道以外に出入りするルートはないようだった。特別席には既に、貴族と思しき数人が腰かけていた。
「ジャニーヌ、そちらは」
そのうちの一人の男が言った。
「こちらは、ブレイブ王立大学のアベル・フェルマーです。観戦に興味がおありでしたようなので、連れて参ったのです」
「ジャニーヌ、庶民を引っ張り回すのもほどほどにな。いくらここがニコラウス家の管理下だとしても、庶民が突然何をしてくるか分かったものではない」
「もう、アベルに失礼ですわ」
「いえ、問題ありませんよ。ありがとうございます」
やはりジャニーヌ以外では相手にはされないようだ、とアベルは思った。
「アベル、ちょうど良いタイミングで来たようですわね。次は今一番人気の魔族ですわ」
闘技場に入ってきたのは、女性だった。しかし、純粋な魔族とは違う。肌の色が人間のそれだ。やや白すぎる気もするが。決定的な魔族の特徴である角が二本、頭部から生えている。今まで戦っていた魔族同様、首には隷属の首輪がはめられている。
「ハーフですか。人間との」
アベルがそう言った直後、実況者の声が響く。
「右コーナーはこのニコラウス闘技場の新星! 人間の血が混じった魔族の少女、スレイア! この美貌は観賞用だけではない! 魔族特有の魔術と人間の知能により今までも凶暴な魔物を屠ってまいりました!」
盛り上がりがすごい。
「よく分かりましたね!」
ジャニーヌの声もよく聞こえない。
「そんな人気・実力共に最強の彼女が相手するには、並の魔物では相応しくない……そこで今回相手するのはこちらの魔物だっ!」
スレイアの出てきた扉の反対側にある鉄格子が上がる。
蜥蜴の頭にコウモリの羽。光沢のある茶色の鱗に覆われた生物。
「ワイバーンだァッ! あまりにも危なすぎる凶暴モンスター! 皆さま本日来ていただけたのは幸運です! この魔物は捕獲が難しく、滅多にお目にかかれません! そしてご注意ください! あまりに危なすぎて、安全は保証できませんッ!!」
アベルは目が離せなかった。そのワイバーンがただのワイバーンではなく、より上位個体のハイワイバーンであることや、特等席には貴族たちを守るべく魔術師が三人も待機しており、魔法陣を展開済みであることなどはどうでもよかった。
それよりも、スレイアという少女から目が離せなかった。
橙色の瞳。
銀色の髪。
赤みを帯びた黒い角。
「スレイア……」
幼き日の記憶が呼び起こされる。
アベルは今日と同じように、馬車に乗っていた。
初秋の風。森の大気が窓から入り込む。そこから身を乗り出すようにして、眼下に広がる森を見ていた。半分だけ顔を覗かせる太陽が、雲を丁寧に彩色している。
「すっごいな〜」
「こんなのも見たことないの?」
隣の少女はそう言ってけらけらと笑い、牙を覗かせる。椅子の上で膝立ちになって外を見ながら、けれど少年ほどは身を乗り出さずに、森を見ている。
「あるよ。でも、なんか初めて見た時と同じ気持ちがしたんだ」
「へえ? ……実は私もなんだ。どうしてだろうね?」
そこからだろうか。目に映るのは夕暮れの森なのに、心にはずっと少女の瞳が映っていたのは。
「ワイバーンの火球がさぁくぅれぇつぅうぅっ!!」
実況の声。不快な喧騒。
アベルは記憶の底から浮上する。
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