第10話 涙と笑顔

 私は自分の座布団に正座し直した。なんとか平静を取り戻していた。

「失礼。取り乱した」

「面白かったから別にいい」


 修二は全然気にしてない風だった。

 私のほうはあんなに疲れたというのに。



「なぜ調理器具を持っていないんだ」

「いろいろ事情があって、時間とお金が足りなかったんだよ」

 意外とまともな返答に軽く驚いた。


 人の趣味に口を出すつもりはないが、と前置きして私は指摘した。

「お前の中ではあの喫茶コーナーは調理器具より優先順位が高いのか?」

「高い!」

「どのくらい?」

「富士、いや、エベレストくらい」

「相当だな、それは」

 やはり修二の価値観は独特だ。


「それに俺、料理とか一切できないし」

 こいつ、開き直ったな。

「真面目な話、何回もトライしたんだけど本当に駄目だった。センスとか環境のせいだな」


 私は携帯で時間を確認した。5時を少し回ったところだった。

 私は決心した。


 本日何度目かのちょっと待ってろを言い残し、私は自分の部屋に戻った。








 三度、私は荷物を持って修二の部屋に踏み込んだ。


 私は荷物を台所に広げていく。それに気付いた瞬間、目をカッと見開いて驚いた。

「じゅ、純、それ。ま、まさかこ、こ、米?」

「そうだが」


 なんだこいつは。

 米ごときで、と言うと米には悪いが、何をそんなに驚くことがある。

 私は専用のザルで米を研ぎ始めた。


「見ていていいか?」

「As you like」

 軽い意趣返しのつもりで言ってやったが、なんだかおかしくなった。コーヒー煎れの時と完全に立場が逆になっていた。

 思わず微笑んでしまった。


 持ち込んだ炊飯器に米と水を入れ、スイッチを入れる。修二はその様を食い入るように見つめていた。

 さて、次は。


「ちょっとこい」

「ゆっ、誘拐ですか。ウチ別に金持ちじゃないですよ」

「黙ってついてこい!」


 腕をグイと引っ張って、私の部屋の前まで来させた。私は10センチほどドアを開けて、思いついたように振り返って言った。

「中を見たらお前は死ぬ」

「どうやって死ぬ?」

「生きたまま鳥葬」

「絶対に見ません」


 そう言えばと、もう一つ意趣返ししてやった。

「食べられないものはあるか?」

「え?特にないけど」

「わかった」

 そんなちょっとしたやり取りも少し楽しかった。


 私は材料や器具、食器を適当に見繕い、玄関口で修二に手渡した。修二はとても驚いていた。私はそれらを台所に持って行くよう指示した。二回繰り返して準備が完了した。

 私は調理を開始した。


 ゴボウと人参を刻んで醤油、砂糖、酒、みりんで煮込んだ。変に調味料を入れすぎなければそこそこの味にはなる。きんぴらゴボウはこれでいい。

「豆腐、使うぞ」

 唯一部屋にあった食材について、一応軽く断っただしを溶かしてカットした豆腐とわかめを煮込んだ。味噌を加えて温めれば味噌汁の完成。あとは塩鮭を適当にグリルで焼いた。

 一つ一つの動作を修二から穴があくほど凝視されて、さすがに恥ずかしかった。そのうち米が炊けて夕食が完成した。







 先ほどから修二の様子がおかしかった。

 配膳ぐらい手伝えと思ったが、あまりにも呆然としているので、まあいいかと放っておいた。


 ところで私も自然な流れでここで食べることになった。まあ私は食事場所とかをあまり気にする方ではないので、なんとも思わなかった。卓袱台には二人分の夕食が並んだ。

 ご飯、お味噌汁、きんぴらゴボウ、塩鮭。質素だが菓子パン一個と比べたら断然ましだと思った。


 修二は相変わらずぼーっと立っていた。

「何をいつまでも突っ立ている。さっさと座って食べろ」

「い、いいんですか!?」

 なんかテンション高いな、本当どうしたんだ一体。おずおずと食卓の席に着いた。


「い、いただきます」

「いただきます」


 修二はキラキラと目を輝かせていた。どの皿から手をつけていいか迷っているようだった。

「…そんな大層なものじゃないから」

 私は照れてそう言った。


 修二は最初にお味噌汁のお椀に手をつけた。お椀を両手で持っている。

 子供か、お前は。

 と言うか箸を持っていない。変わった食べ方だ。修二はお椀に口をつけ、一口すすった。どんな反応が返ってくるか、私は少し緊張していた。


「うぐっ!」

 修二はお椀を卓袱台に置き、片手で口元を押さえた。なんだなんだ、一体どうした。変なものは入れていないはずだが、そんなに不味かったか。オロオロしつつ「お、おい」と声をかけた次の瞬間。


 修二の頬を涙が伝った。


 私はがーん、と衝撃を受けた。

 そりゃ全然豪華じゃないし。

 時間をかけたわけじゃないし。

 質素だけれども。

 そんなにひどいものじゃないと自負していたのに。

 口に合わなかったのか。


「…泣くほどまずかったか」

 すまなかったな、と私は自嘲気味に言いかけた。


「…違うのです。全くの逆なのです、純様」


 様付けで完全否定してきた。

 なんだ、今度は一体何が始まる。


「こんなにおいしく、まともなお味噌汁が久しぶりで、感動のあまり私は涙したのです」

 私はぽかんとしてしまった。


 唐突に6年前のことが思い出された。修二の引っ越しの日、思わず泣き出してしまった私。私が泣いているところを初めて見たと言った修二。

 そして今、私も修二が泣いているところを初めて見た、と気付いた。


「お前が泣いてるところを見るのは初めてだ」

 と、6年前のお返しをしてやった。そのことがなんだか面白く感じられて、私はふふふと笑った。声を上げて笑ったのなんて、一体いつぶりだろう。


 ひとしきり笑って私は言った。

「早く食え。冷めるぞ」






 修二は勢いよく、しかしぐっと噛み締めるように質素な料理をたいらげていった。特にご飯をおいしそうに食べていた。

「白米、甘~」

 ほう、白米を甘いとは、わかっているやつだ、と心中で偉そうに評した。

「弁当でも買えば、白米などいつでも食えるだろう」

「わかってない。炊きたてでないと」

 そして、6年ぶりの炊きたて…などと修二は感動していた。

「では牛丼屋などにでも行けばよかったのではないか」

 と指摘すると、そういう発想はなかったとあっさり返された。座りながらにすっ転びそうになった。


 今日一日で私の常識という概念はガタガタになっていた。






「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」


 私は食器を台所に運び、洗い物を始めた。洗い物を済ませて居間に戻ると、修二がわざわざ座布団の隣で平伏していた。


「純様、本日の数々の無礼をお許し下さい」

 また阿呆なことを言い出した。

「此度の非常に美味なる和食の振る舞い、心より感謝申し上げます」

 漢字たっぷりに喋るやつだなと思った。


 そんなに褒められるとなんだかむず痒くなってくるんだが。もういいからおもてを上げろ、とぶっきらぼうに言った。


「その敬語と様付けを止めろ。気色悪い」

 修二はガバッと顔を上げると、勢いよく喋り出した。

「どこで飲食店を経営している、教えろ」

「は?」

「通い詰めるから。ミシュラン三つ星なのか!?」

「い、いや」

「じゃあ宮内庁御用達か!?」

「お、落ち着け」


 そんなにうまかったかと照れたが、あれくらい普通だと教えてやった。

「まあ人にもよるが、ちょっと練習すれば誰だってできると思う」

「マジかよ、日本の高校生のレベルたけー…」


 修二は唖然としているようだった。

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