第6話 文具屋とヴァルハラ
喝上げ事件が一応の解決をした後、私は問いかけた。
「なぜあんな面倒な真似を?」
お前ならもっと簡単に解決できただろう、と。
「そっちのほうが面白そうだったから」
あっけらかんと答える修二に、また呆れた。
今日はなんだかずっと呆れかえっている気がする。いや、気じゃない。本当にずっと呆れかえっている。
正義を主張するのではなく、悪のふりをするほうが面白いことなのか。
修二の価値観は本当に独特だ。
「だがあんなやり方じゃ、あまり感謝されないだろう?」
「別に感謝されたくてやってるわけじゃない」
珍しく真面目な反応だな、などと考えていると、修二は自信満々にこう続けた。
「俺の夢のためだ」
私は驚いた。
「ゆ、夢?お前の夢ってまさか」
「警察官であります!」
修二は力強く宣言した。
…まずい。
不覚にも少しキュンとしてしまった。
男の子の夢が一貫して全然変わっていなかったこととか。
自信に満ちた表情で熱く夢を語ったこととか。
なんなんだ。
小娘か、私は。
顔が熱くなってきて、慌てて視線をそらした。
「…理由は?」
「実は親の仇が警視庁にいるんだ。まずは内部から攻略しないと」
「わかった。もういい、バカ修二」
険しい表情の修二に、私は優しく目を細めた。
今日はもう帰ろうということになった。私も無理に今日中に話をしなくてもいいか、という気になっていた。
正門を過ぎたところで、通りにある文具屋が目に入った。私はあることを思いだし、修二の腕をぐいと引っ張った。
「お金、少しくらい持ってるだろ?」
「な、なんですか純さん、あなたも喝上げですか?」
「違う!」
私は修二を文具屋に押し込んで、目当ての売り場を探した。
「ここか」
そこは筆入れ売り場だった。
「いいか修二」
「な、なんだよ」
私の諭すような態度に、修二は少し身構えた。
「高校生にもなって筆入れを持っていないだなんて、はっきり言ってあり得ない」
別にそんなことないだろ、と言いたげな顔は無視した。
「今日は筆入れを手に入れるまで、お前を帰さない」
「お前を帰さないってセリフ、なんかいやらしいよね」
「いいから早く選べ!」
私は激高した。
修二は面倒そうに色とりどりの売り場を一瞥し、早々に一つの筆入れを手にした。それは余分な装飾や模様などが一切ない、安価でシンプルな筆入れだった。
あ、と思った。私が使っている筆入れと同じだ。同じものをチョイスするなんて。ちょっと嬉しいような、恥ずかしいような。
店を出るまで修二はぶちぶちと文句を言っていた。
「こんなものなくても死にはしないのです」
「社会的に死にかけるんだ」
そして今度こそ帰ろう、ということになった。
なったのだが。
私は自分のアパートに向かっていた。だがなぜか修二がずっと私の前を歩いてるのだ。これでは私がやつの後をつけているようではないか。
私の進む方向を読み取っているんじゃないか。
「おい、エスパー男」
「どうした、ストーカー女」
「次に私をそう呼んだら、私の竹刀が火を噴き散らす」
「すごいな、どういう仕掛けなんだ」
彼は布袋に包んである私の竹刀をまじまじと見た。
「ふざけるな。なぜ私と同じ方向に帰っているんだ」
「いや、お前が俺について来てるんだろ。つきまとうな、帰れ」
「なっ、私はつきまとってなどいない。訂正しろ!」
ぎゃあぎゃあと言い争っていると、アパートの前まで着いてしまった。
「我がヴァルハラに御座います」
修二が言った。
「麗しいお嬢様、名残惜しいですがお別れの時がやって参りました」
キザったらしく恭しい挨拶を披露された。
「なぜ私のアパートを知っている」
軽く身構えた。
修二はぽかんとして言った。
「いやいや、お前の家はここじゃないだろ。その歳でボケたか、純よ」
突然のボケ呼ばわりに私はムッとして言い返した。
「事情があって今はこのアパートに住んでいる」
「…マジ?」
修二はひどく驚いているようだった。今日は一日驚かされっぱなしだったので、一泡吹かせてやったと心の中で勝ち誇った。
修二は少し言いづらそうにこう続けた。
「あー…実は俺も事情があってこのアパートに引っ越してきたんだよね」
「は?」
今度はまたしても私が驚かされる番だった。
「本当か?」
「嘘をついてどうなる」
このアパートは2階建てで、私の部屋は1階の奥から二番目、102号室だった。私たちはお互いじりじりと自分の部屋に向かった。
修二が階段へ向かわなかったので、彼の部屋も1階にあるようだった。一番手前の106号室を通り過ぎてもついてきた。105号室を通り過ぎてもついてきた。
なんだなんだ、この展開は。
思考が追いつかない。
こんなこと起こり得るのか。
結局、私は102号室のドアの前で立ち止まり、修二は101号室の前に立った。昨日引っ越し作業をしていた部屋だった。お互いに間抜けな表情で見つめ合っていたら、修二が先に口を開いた。
「Are you kidding me?」
「No, I'm not. I'm serious」
やたらネイティブめいた発音の問いかけ。思わず私も英語で返してしまった。
修二と同時に解錠した。嘘ではないことがわかると、私は諦めるように言葉を吐き出した。
「こんなことってあるんだな」
「天文学的確率かもしれんな」
私たちは苦笑していた。
修二はどこか納得した表情を浮かべてこう言った。
「なるほど。昨日ここに引っ越してきたんだが」
なんだろうか、嫌な予感がする。
「このアパートからお前のような匂いが強くしていから不思議に思っていたんだ」
まさか隣の部屋だったとはな、と一人で頷いていた。
だがその声は私の耳には届いていなかった。
匂い、という言葉を聞いて、唐突に思い出した。
修二に私の匂いを嗅がれていた過去。
あまりの羞恥で頭が爆ぜた。
まずい。
かなりまずい、これは。
やつを口止めしなければ。
すぐに行くから部屋にいろ、と一方的に告げて、私は自室に飛び込んだ。
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