3章13話 たったそれだけのこと

ブン!

耳障りな羽音が鳴り響く。ビルに反響するように、全方位から聞こえるようにも思える音。それが、魔物と相対する者たちの意識をかき乱す。

「歌が、届かない」

リリックが歯噛みする。

リリックはまた歌う。いつもなら戦闘に響く戦歌が、今日は届けたい人たちに届かない。

リリックの唯一無二の武器である歌。魔歌。

ルーンでつむぐその歌には、精神に作用する魔法がある。

精神魔法。クラウドナインとその所属する国である、アルカディアでは禁術とされる。だがリリックはその魔法の実験的な運用目的で使うことを許されている。リリックとしてはそういう試験運用だの、お偉いさんかたの政治には興味がない。

リリックはただ、この歌が美しい、と思う。

だから人に聞かせたい。歌を使いたい。そのために戦いに身を投じるほどに。

ルーンでつづられるその歌は、リリックの家系に代々伝わるもの。その歴史は長く、リリックの祖先は、エルフの一族なのだ、と聞いたことはある。

それにもリリックはあまり興味がないが。

「ダメっ。私の歌は今日は使えない!」

リリックが歌うのをあきらめる。唇をかみしめて、悔しい、と思う。自分がクランの戦闘で役立つにはこの歌が不可欠だ。

歌を封じられてはリリックにできることはほとんどない。彼女自身は魔力は並で。使える魔法も簡単なものばかり。

「気にするな、リック。そういうこともある」

リリックとともに立つルーがリリックに言う。

「そもそも、精神魔法は禁術だからな。ほかのハンターの情報に、精神魔法の効果が効かないとかいう情報は手に入らないから」

ルーとリリックを守るアルビスがのんきに言う。

「でも、あんなに素早い魔物、私の歌が効かなければ相手ができないでしょ」

リリックが恨めしい目で、上空を飛行する魔物を見据える。

それは蜂のような魔物だった。

ブンという不快な音はその羽から出ている。蜂のようなシルエット。しかしそれにそぐわぬことに一番上の前足が、鋭い鎌になっている。

つまりはカマキリと蜂を掛け合わせたような容貌。

「今度は、俺が試す!遠距離魔法を放つ。アルビス、アガット、守りを頼んだ」

ルーが長い呪文を唱え始める。

ルーの頭の上の猫のような耳が、意識の集中と合わせて、後ろに倒れる。

獣人族でありながら、強力な魔法が使えるルーはそれだけなら、優秀すぎるほど。だが、代わりに身体強化魔法が使えない一族の異端児だ。

「問題ない」「任せろ!」

答えるのはアルビスと、ルーの姉のアガット。

二人とも近距離戦闘のエキスパートだ。

蜂はまだ上空にいる。

だがアガットとアルビスは油断せずに、互いに背を向けあい。間にリリックとルーを置いて守りの姿勢をとる。

遠くにいるはずの魔物に対するにはやや厳重すぎる守りの固めかた。それには十分な理由がある。

遠くに見える魔物が、次の瞬間、アルビスの目の前にいた。

「うおっ。話には聞いていたが、速すぎる!」

アルビスはそれでものんきにいいながら、振り下ろされた鎌を手に持つ大剣で防ぐ。

だがこれは好機でもある。

飛行していれば魔物に手が出せない。地上でなら、可能性がある。

アルビスは鎌を大剣ではじく。

巨大な剣を持っているとは思えない気楽な動作。

だがアルビスは強化スーツを着ていない。さらには生まれつき身体強化が使える獣人でもない。そして、アルビスの魔力量では自前の身体強化もできないし、魔法院で魔法を習ったわけでもない。

ただアルビスの瞳はひどく赤く輝いている。

「行くぞ、エクス!」

アルビスは言い。

「早くしないと、融合が解けるから今がチャンスだよ」

何と、大剣が答えを返す。口もないのにどうやって話しているのか。それはアルビスにとっても謎である。そもそもアルビスはあまりことを深く考えない。

ただアルビスはこの大剣のおかげで身体能力を底上げできる。アルビスにとっては最高の相棒だ。

ただし、対価として血を少しずつ失う。ゆえにあまり長期戦には向いていない。

アルビスは、閉じた魔物の前足の鎌をくぐり、しゃがみこむ。そして大剣を下から上へ、振り上げる。

動作としては、上から下におろすより、もちろん下から上にあげるほうが、筋力もいるし、その分時間がかかる。

蜂の魔物はその間に、瞬間移動とも見まがうスピードで上空に戻っている。

アルビスは、がっかりした。それが隙になる。

魔物はすぐにまた、ルーの背後に移動した。

後ろを守っていたのは、アガット。

アガットは急な攻撃にも、あらかじめ用意していた光の剣で対応する。

それはルーンの文様がうかぶ光る線を束ねたような不思議な刃をしている。アガットのもつ身の丈より長い棒状の魔具を光の刃が包んでいる。

アルビスの大剣と同じほどの大きさのその剣で、魔物の鎌を横からたたき切ろうとする。

魔物は不利と判断してのか、再び上空へ。

アガットは追撃に移る。

アガットが剣の刀身に手を触れると、輝く光の刃が解けるように流れるように形を崩す。

大剣の形から、長く細い線に。鞭のようにしなるそれを、アガットは上空の魔物へたたきつける。

緻密な魔法の操作が可能とする刃の変化。

アガットも、獣人の一族に生まれ、しかし身体強化魔法が使えなかった。

だが彼女には人としては限界を超えるほどの魔力の緻密な操作を得意とする。戦闘をしながら、刃を変化させる。その技術力は驚嘆に値する。

だが魔物はそれを簡単によけて、再びアガットの前へ。

アガットはそれを受けるために、鞭のように長い刃を再び大剣の形にしようとする。

いつもなら慣れ切った動作。

だが蜂の魔物を目の前にして。その羽の音も、直接アガットに響く。

「アガット!蜂の羽音はたぶん、精神を侵食する魔法だと思う!」

リリックが同じ精神魔法の使い手として警告する。

事実いつもはスムーズな刃の変化の速度が遅い。長いむちの形になった刃を戻すのにかかる時間。致命的な隙。

そこに飛び込んだのが、ラレース。

先住民の浅黒い肌の上に、光の獣をまとっている。

クラン随一の俊足は伊達ではない。

ラレースはいつでも戦況を観察し、冷静な判断を下す。頼れるリーダーであり、何かあったときはすぐにサポートに入る、機動力の持ち主だ。

ラレースは光のかぎづめをまとった手で、蜂の魔物の両方の鎌を受け止める。

だがスピードが速くとも、重さが足りない。

それでもそのラレースが稼いだ時間で、アガットが刃を大剣の形に戻す。鎌をつかまれている魔物に切りつけようとする。

すると次の瞬間には魔物はすでに上空にいる。

空振りしたアガットはいまいましそうに魔物をにらむ。

「呪文が完成した!行くぞ!」

ルーが言う。ルーは危険がすぐそこにあっても、仲間を信じ、魔法を練っていた。長い時間がかかるぶん、強力な魔法。強力な攻撃魔法の光の束をルーが放つ。

だがやはり魔物が速すぎる。

目に見えぬ速さで、別の場所にいる。その羽音がその健在を証明する。

「だめだ。あの魔物は速すぎる」

ルーがため息をつく。クランの全力を出してもこれである。

上空でフレイが魔物に近づこうとしている。

手に出現する透明な刃。フレイは魔力で作るその刃をもって魔物を断ち切ろうとする。

だがすぐに逃げられる。

フレイは厄介な相手だ、と理解する。

魔物はフレイがその竜の宝珠を使うのに、制限時間があるのを見越しているようにさえ見える。

竜の宝珠は竜の規格で作られている。だから起動できるのはフレイの莫大な魔力をもってしても、たったの二分ほど。

そして飛行しながら、魔物に近づく必要がある。つまり魔力を極限まで竜の宝珠で使えば、飛行魔法を維持する魔力がなくなる可能性がある。つまり墜落してしまうのだ。

そのうえ魔物は素早い動きで逃げるため、せっかく作った刃も無駄に魔力を消費して終わる。

「いったん話す時間がほしい」

そう言ったラレースに視線が集中する。

「つまりはあきらめて撤退するか決めるんだな?」

アルビスが言う。

「何か策があるものもいるやもしれん」

「分かった。とりあえず、魔物が来ないようにシールドをはる」

ルーが呪文を唱えはじめる。

「フレイ!全員!集合だ!」

フレイがその声に地上に降り立つ。ちょうどシールドが完成する。シールドと言っても一時しのぎだ。特に半球形のシールドは魔力の消費が激しく。おまけに中から魔法は使えない。

「あれは、おそらく瞬間移動の魔法だ」

ラレースが断言する。

「早すぎるのでなく、移動魔法か、それはありうるな。だが移動範囲は案外狭いかもしれないな。上空に移動するにもいつも同じくらいの距離にいる」

ルーが観察したことを新しい情報と結びつける。

「あの羽音を何とかしてくれれば、私の魔歌が効くんだけど。羽音のせいで支援の戦歌も、敵の動きを遅くする魔歌も、どちらも通用しない」

「というより。魔物が上空にいると、手も足も出ないよな」

アルビスが、緊張感のかけた声で言う。

「強力な遠距離魔法は、ために時間がかかる。そのうえ発射の瞬間を読むのも簡単だ。アガットのむちの刃による拘束がないと、俺の魔法はたぶんあの魔物に通用しない」

ルーが姉のアガットのほうを見る。

「私も、刃の制御にいつもより時間がかかる。おそらくあの羽音は聞いたものの精神を弱める働きがある。魔法の制御が難しくなる。そのうえあの移動魔法だ。むちでとらえる隙が無い」

いつも弟のルーの前で格好つけたがるアガットが言うのだ、そうとう難しいのだろう。

「いつもアガットがそれを軽々とこなしているほうがすごいのだから、仕方ないさ」

ルーがアガットに言う。

「俺も、飛行して、魔物に近づきたいが、すぐに逃げられる。あの魔物は魔力の探知もしていると思う。俺が竜の宝珠を起動させようとすると逃げられる」

フレイも付け加える。

「俺に、案がある」

そういって挙手したのは、シオンだった。

シオンはずっと後方支援のルーとリリックとともにいて、戦闘を見ていた。

「あの魔物は相当なレベルだ。お前の静止魔法弾で止められるのは、体の一部だけだろう?」

フレイが聞く。

「そうだな。強い魔物ほど、静止魔法弾の効き目は弱くなる」

シオンがうなずく。

「じゃあ、どうするの?」

リリックが聞く。

「あの羽を止める。それだけでいいと俺は思う」

シオンが言い、それはもっともなことだったので、全員がうなずく。

「確かにあの羽の音の精神攻撃も、移動魔法も、あの魔物は羽を使っているとは推測できる」

ラレースが言う。

シオンが、提案した言葉に、全員が本当にうまくいくのか、半信半疑になる。

「シオンなら、可能だろう」

相棒のフレイの言葉に。

「別にうまくいかなかったら、その時はその時だろう?試してみる価値はある」

アルビスが大雑把に援護して。

シオンの提案を実践してみることになった。

「そうか。なら試してみよう」

リーダーたるラレースが決断し、メンバーはうなずく。


ルーが呪文を読み上げる。

長い強力な遠距離魔法。ルーの周囲に魔力が立ち上がる。

ルーは獣人だ。だがその魔力量は目を見張るものがある。

そしてルーの遠距離魔法に魔物は反応する。強力な魔法は、そのぶん呪文が長く、高速で移動するこの魔物に当てることはできない。

だが今回は魔物をひきつけるための、おとりの攻撃だ。

魔物は脅威を感じた相手に攻撃する習性がある。

蜂の魔物は思った通り、何発も針を飛ばす。それをアガットと、アルビスが二人、ルーを挟んで前方後方にわかれて攻撃をはじく。

蜂の魔物の連続射出は十発。そのすべてを二人ではじき切る。ルーの呪文は止まらない。彼は彼を守るクランを信じている。

蜂の、魔物は、攻撃がはじかれると、今度は彼らの目の前に出現する。

アガット、とアルビスはともにその刃を防ぐ。ぎりぎりの攻防。

「いまだ!シオン!」

上空のシオンへ、アルビスが叫ぶ。

シオンはルーのちょうど真上にいた。正確には羽根つきトカゲのフィンのシールドの上にいた。すでに銃は構えている。狙いさえつければいつでも銃弾を放てる。

フィンはシオンが足場にしているシールドをわずかに移動させる。シオンが蜂の魔物の背後をとれるように。そしてシールドを一か所に固定する。

シオンはわずかな時間で、狙いを定め。発砲。

たったの二弾。

だが正確無比に、魔物の羽の付け根に当てて見せる。

精神魔法と移動魔法を使う羽。それを羽ばたかせているのは、根元の筋肉だ。

シオンが羽の付け根を攻撃したことで、あの神経を逆なでするような音が止まる。

リリックの歌が響く。

魔物を弱体化させる精神魔法の歌。

シオンの銃弾では、魔物の羽を止められる時間はわずかだ。静止魔法弾は魔物の強さに応じで威力が下がる。

それでも十分な隙になる。

速さ自慢の足を持つラレースが背後に回り込み、おぼろげな光のかぎづめで羽を根元から切断する。

これで魔物は空を飛ぶことができない。精神攻撃もできなくなる。

魔物はそれでも大きな鎌を振り回して戦うが動きは遅い。リリックの歌の魔法が効いている。

ルーの長文の呪文が完成する。

それを見越して、アガットとアルビスが左右に飛んでよける。

ルーの放つ閃光が魔物を貫いた。

一撃で魔物を屠る強力な魔法。

「シオンはすごいな!」

自分が放った魔法をよそに、ルーはすぐにシオンに駆け寄り彼を賞賛する。

「案外高くて怖かった。フレイ、後ろにいてくれてありがとうな。少しは安心できた」

シオンはゆっくりと降ろされたシールドの上から地面に降りたところだった。隣には落ちた時にすぐに助けられるようフレイが立っている。シオンはフィンとフレイを信頼はしていたが、かなりの上空に立っていたのが急に怖くなったらしい。集中しているときはそうでもなかったのだが。

「俺は全然すごくない。ルーの呪文が魔物を倒したんだ」

「でも、それを可能にしたのが、静止魔法弾。たったそれだけのことなんだ。そのほうがずっとすごい!それにシールドを足場にするなんて、俺には思いつかなかった」

ルーが興奮したように言う。

羽ばたくフィンの背に乗っていてはさしものシオンでも銃弾を正確に当てることはできない。だから地面と水平に張られたシールドを足場にしたのだ。

そしてフィンは自分から一定の距離まではシールドを自在に動かせる。シオンの乗っているシールドを動かして魔物の背後を取らせたのだ。

フレイはクランに受け入れられているシオンを見て。複雑な気持ちになる。

クランの役に立った、シオン。役に立たないフレイとは違う。

たった二発の銃弾。それだけで戦況を覆して見せる。

シオンの魔法はフレイが思っていたより、ずっと応用の効く存在なのかもしれない。そんなシオンがフレイの相棒である必要性は必ずしもないのだ、とも思った。

あのシールドの上に乗って、安定した足場から、銃弾を放つ。そんなシールドを応用した作戦だってそうだ。フレイには思いつかない。

飛行しているフレイに抱えられていても、揺れ動くフィンの背に乗っていても。銃弾を正確に撃つのに、安定感がない。だからシールド魔法を足場にした。

フィンはシールドの位置を動かすことも、固定化することもできる。それを応用した作戦。

フレイはよく、頭が固いと言われる。フレイが爆発魔法の種類を調べようとしたのも、ホウリィから、その可能性を示唆してもらえたから。それに打ち込み努力するストイックさが、フレイにはあるのも事実ではあるが。

クランのメンバーに囲まれて笑うシオンを少し離れたところから見るフレイ。

シオンはフレイにはないものを持っている。シオンのようになりたい、とは思わないがフレイはシオンのことが少しうらやましい気がした。

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