3章8話 郵便屋の理由
ヴァウが取り出した手紙。シオンは渡されたのを開封して読む。
「フレイが報酬を手に入れる方法を見つけたらしいな」
シオンがヴァウに手紙を渡す。ヴァウはためらいつつも読んで、やはり一ページ目から怒りを感じながらすべて読む。一ページ目が文句、二ページ目に要点がまとめられていた。
「シークが残した要の魔方陣、ですか。もし円の中心にいるのがシークなら。彼が正気をとりもどせば何か聞けるかもしれませんね」
「よし、俺たちは俺たちにできることをしよう」
「そうですね。ではこちらから行きましょう」
そういってヴァウがカウンターのほうへシオンを手招きする。
シオンはそれに従いカウンターの先へ足を踏み入れる。
ヴァウが職員以外立ち入り禁止と書かれたドアを開けた。
「確かにもうすでに無秩序な建物だな」
シオンは入った部屋の中を見渡してコメントする。
「そうですね。しかもだんだん動き回って変わっていくんです。これがなければ俺も迷子になるでしょう」
ヴァウは古びた地図を広げる。
そこにはすでに周囲の地図が表示されている。
「今は真名は特に魔法に使われないただの風習だが、それでもこんなに簡単に近くにいる人の真名が分かるっていうのは、怖い気もするな」
「そうですね。郵便局の配達員のまとめ役に手渡されてきた地図です。これは実は竜の宝珠なんです。でも郵便局ではそのことは知られていなかった。ただの珍しい魔具とだけ考えられていた。だから管理も割合とずさんだったんです」
「竜の宝珠?郵便局がそれを知らなかったならヴァウさんはなぜそれを知ったんですか?」
「いろいろあったんです。それを説明するなら、俺のことを話す必要がある。信じてもらえるか、分からないような話だけれど」
「もし、よければ聞いてもいいですか?」
「そうですね。中心に行きつくまでには時間があります。手短にお話しましょう」
ヴァウは地図を見ながら、話し始める。
地図を見るのを片手間に、話すこともできるのは、ヴァウの配達歴の長さがうかがえる。
「俺には生き別れの妹がいるんです」
俺の両親は離婚した。母が妹を父が俺を引き取って。
母と父の中はかなり険悪で。
おそらく二度と復縁はしないだろうし、それ以上に会うことさえないかもしれない。それぐらいの、逆戻り不可能な関係なのはまだ小学生だった俺にもわかった。
二つ下の妹にもなんとなくそれは分かっていたのだろう。
家から去るとき玄関の前で彼女は号泣していた。いつも泣き虫の妹だ。この先彼女が泣くことがあっても、自分にはどうすることもできないのだな、と俺は思った。
そう考えると、ぐっと涙があふれそうになる。
でも精一杯兄の顔をして、妹に優しく接する。自分にできるのはそれぐらいだった。
まだ子供の俺に、どうこうできることではなかった。親が離婚すると決めたら、もう会わないと決めたら。自分にはどうしようもなくて。そんな無力感を感じた。
「お兄ちゃん。私たちもう、会えないの?」
泣きはらした顔で妹が聞いた。
俺は、その時決めた。親が何と言おうと、いつか必ず妹と会ってみせる。
だから子供ながらに覚悟を決めていう。
「そんなことはない。俺がいつか会いに行く。約束だ」
「絶対に?」
「約束する」
今思えばなんと浅はかだったんだろう。それは守れない約束だと心のどこかで分かっていたのに。
妹の涙を止めたくて、そう約束してしまった。
妹はやっと泣き止んで、母はそんな彼女にほっとして、そのまま妹の手を引いて去っていった。
俺はいくら離婚しても、両親の間に何らかの通信手段があるものだと思っていた。
だが父も母もお互いにうんざりしていたようで。その縁の切り方はとても徹底していた。
妹との約束は俺のなかでずっとしこりのように残っていた。
だから、郵便局員になった。
クラウドナインの各地に手紙を届ける仕事。
そんな仕事をしていれば、もしかしたら、妹の名の手紙や荷物を運ぶことになるかもしれない。はかない希望だが、何もせずにいるより心が安らいだ。
自分は約束を果たそうとしている。そんな気がしたから。
けれど、クラウドナインは広い。当然そんな簡単に幸運は訪れない。
俺は配達員を束ねる仕事に就くことになった。それでこの地図の魔具を受け継いだ。
俺はそれをただのマッピングの魔具だと思っていた。
ある日、夢の中に、自分の知らない少女が現れるまでは。
妹と別れた時の夢。俺はよくそのことを夢に見た。深い後悔があるから、記憶が鮮明なのかもしれない。
いつもの夢だ。と俺はすぐに分かった。
だがそこにいるはずのない少女が玄関に。妹の隣に立っていた。
腰まで届く黒い髪。深い飲み込まれそうな黒い瞳。
漆黒、というより、そこに光が届かないかのような、宇宙の深淵のような髪と瞳の色だった。
だから、そんな少女は知らないと断言できた。もしあったことがあるなら、たとえすれ違っただけだとしても忘れることはないだろう。
そんな強い印象の少女だった。
「あなたは、妹に会いたい?」
少女が問うのと同時に、夢の景色が薄れてぼやけて、ピンボケした写真の背景みたいに遠ざかった。
ただ彼女と自分だけが確かな存在としているようだ。
「会いたい」
俺は考える前に答えていた。
少女なら、その願いをかなえられるのではないか。そんな強い希望を抱かせる力が少女にはあった。
「なら、助けてあげる。その代わり、あなたも私に協力してほしい」
「俺にできる範囲のことなら」
「なら、あなたが保管している地図を持ち出して?」
「マッピングの魔具を?だがあれは郵便局のものだ。俺のものではない。たとえ妹の場所を知る対価だとしても。渡すことはできない」
「あなたはまじめ、ね。今でもこんな夢を見るくらいだから、まじめ、を通り越して責任感が強いのね。大丈夫。地図は貸してくれるだけでいい。私たちの用が済んだら。そのあと必ず返すと約束するよ」
「それは、本当なのか?」
「約束する。唯一なる神の名にかけて。その巫女たる私はその名にかけたことについて、決して嘘をつかない」
唯一なる神、という存在はあまりなじみないし、ピンとこなかった。それでも少女の言葉にはたしかな重みがあった。その神は少女にとって重要な存在なのだ。嘘ではないのだろうと俺は思う。
「だが地図をどこにもっていけばいいんだ?」
「地図を家に持って帰るだけでいい。明日の夜にディバインがあなたを連れに行く。だから夜中になるまで起きていて」
「分かった」
俺が了承するのと同時に、あたりがさらにぼやけていって、俺は目を覚ました。
夢の中での約束は覚えていたが、それがただの夢でないと断言はできなかった。
誰も信じないだろうし、誰にも相談することもできなかった。だが俺は約束を守って、その日地図を持ち帰った。
俺は夜中、一人待った。何を待っているのかさえ分からない。
暗闇の中、妹との約束を思い出す。
こんな大人になってまでそんな子供の約束を守ろうとするなんて。まじめを通り越して粘着質なのかもしれない。そんなことは分かっていた。
ただ、あの日不用意にした約束と、泣き止んだ彼女。それを思い出すと後悔で胸が苦しくなる。
今もどこかであの子が泣いているなら。自分はそのそばに行きたかった。
その涙を止めたかった。
だが、自分は郵便局員だ。その自分が自分に託された地図を、借りるだけとはいえ持ち出すのもよくないと分かっていた。だからこれは自分勝手な行動だ。
まじめで責任感があると俺はよく言われるが、ただ単にわがままなだけにすぎないのだろうと思う。世界は決して簡単にできていない。自分のした約束が守り切れるなんていうことも必ずできるとは限らない。
世界は時に理不尽で。だがそれでも俺は自分の約束を守りたい。これはそういうわがままなのだ。
そしてもんもんと悩んでいるうちに、時が来た。
インターフォンが鳴る音。
俺は少し驚いた。夢に出てくるような少女に会って。その使者が普通にインターフォンを鳴らすことに。
だから俺はその時少し安心してしまった。
現実の、夢でない存在なら。自分と同じ人間なのだろうと。
扉を開いて、その考えの甘さを思い知った。
扉の前にいるのは、ごく普通の中年の男性だ。
だが引きずり込むような暗闇の瞳。黒い髪。少女のそれと同じ、黒い色が。神秘ではなく、世界を呪うような暗さで異様な印象を与えた。
「地図は?」
男が聞く。少女に聞いた名を思い出す。聖者(ディバイン)。このような男があがめる神は何かの邪神のたぐいに違いない。そう感じるが、後に引けない。
「ここに、ある」
俺が古びた紙を握りしめる。それを奪われるまいと反射的に。
「よいだろう。では、私の手をとるがいい」
ディバインは、その手を差し伸べる。その手をとれば、後戻りはできない。だがもうすでに手遅れなのだろう。俺はそう思い、その手を取った。
ディバインの影が、ふくらみ、俺たちを覆いつくす。
俺は驚いて手を放しそうになる。
だが、ディバインは思わぬ握力の強さで俺を離さない。黒い闇が俺たちを包んで、再び花がほどけるように解ける。
俺は思わずあたりを見渡した。
高い天井の広い部屋だった。
部屋、だと思ったが、こんな建物は、クラウドナインに存在しない、と俺は思った。
天井は闇に飲まれるほどに高く。窓もない。非現実的な場所。
その部屋に集まるたくさんの人。
それをわずかに照らすろうそくのようなちらちらとした不安定な灯り。
俺がいるのはどうやら部屋の中心で。その目の前に銀色の円環が浮かぶ祭壇のような場所だ。それを囲むように人がひしめきあっている。
正確には祭壇を囲むように、人が手をとりあっている。ちょうど円を作っている。その次の列はさらに大きな円を、その次も、その先も。その果ては見えなかったが。おそらくその祭壇を囲んで人が手を取り合い、幾重もの円を作っているのだろうと想像はついた。
俺とディバインが着くと、彼らは大きくどよめく。
「地図が来た」「竜の宝珠が」
彼らはささやきあう。一つ一つは小さな声だが、これだけ大勢の人がささやけば大きなどよめきに聞こえる。
「時は来た!今宵われらの、世界の命運を握るものの有無を知るときが来た!」
ディバインが大きくよくとおる声で言う。
俺は、一瞬自分のことを言われたのかと、恐怖したが。集まった人々は俺には目もくれない。
もちろん俺は世界の命運など握っていない。俺は少しほっとした。
「地図を、祭壇へ!」
祭壇の前に、あの時の夢に出てきた少女がいた。
彼女が俺に命ずる。
「本当に、地図を返してくれるのか?」
俺は言われるがまま、地図を祭壇に置いた。後悔していた。このように大勢の人を相手に、地図を守り切れる自信がなかった。
だから、妹の場所が分からないとしても、せめて地図だけは持ち帰れるか、聞いたのだ。
少女は柔和な笑みで答える。
「私は、神の名に誓いました。その誓いは破られません。あなたの妹さんも、見つけて差し上げます」
俺はほっとする。この祭壇の前にいる少女は。間違いなくこの集団の上位に位置するものだ。その彼女がそう約束するのだ。
「では、チャントを始める!」
少女が歌う。ルーンの歌を。
それに唱和するように、人々が歌いだす。
一部の狂いもない、完璧な音の重なり。
俺は別に魔法を正式に学んだわけではない。だが話に聞いたことだけならある。
大勢で魔法を発動させるとき、ルーンで歌うことがある。歌のように抑揚をつけることで、大勢で一つの呪文を唱和することを可能とする。
だがその場合、一つの同じ魔力を使う必要がある。
だから歌い手はみな、無属性の魔力クリスタルを手に持ち、その魔力を全員で練るのだと。
だがこの人々は、クリスタルを持っている様子はない。
だが彼らの魔力は宙を漂い、少女を中心として、黒い魔力の塊として視認できるほどの大きさに膨れ上がる。
建物の内部に魔法灯でなく、ろうそくの灯りである理由が分かった。雰囲気を演出するため、ではない。魔法の灯りを使わないことでチャントの魔法を阻害しない、干渉しないようにしているのだ。
共鳴し反響する歌声。大気を震わせるほどの魔力が少女の頭上に集まる。
そして歌が終わる。
その最後を少女だけが歌う。
俺にはルーンの言葉は分からない。だから彼女が何を願ったのか分からなかった。
だが、彼女が歌い終えるのと同時に、彼女の頭上の黒い魔力の塊がほどけて、地図に流れ込む。地図から、黒いクラウドナインの緻密な立体図が立ち上がる。
そして、巨大な黒い円が、その周りを巡る。まるでクラウドナインを取り囲むとぐろのような不吉な姿。
「真名が知れない。ゆえに特定はできない。だがクラウドナイン・ハンターズは、すでに存在している!」
ディバインがよく通る声で言い。
不吉な地図の下。周囲の人々からは喜びの声。
ささやきあうのをやめて、大きな声で。まるで応援していたスポーツのチームが勝ったときのような爆発的な歓声。
俺にはその喜びの意味が分からなかった。だからこそ得体が知れず恐ろしい気さえした。
「まだ、魔力が残っている。彼の妹を探してもいい?」
少女がディバインに聞く。
「このようなものに、信者の魔力を使うのはもったいない」
ディバインが言い。だが少女は引き下がらない。
「私は、神の名のもとに彼と約束したのです」
「それなら、仕方なかろう」
ディバインが重々しくうなずいた。それが一番大切なことであるかのように。
「あなたの、妹さんの真名は?」
少女が俺に聞く。
「アメリだ」
俺が答える。
少女は再びルーンを短く唱える。
頭上にそびえていた不吉な円に囲まれたクラウドナインが消え。
地図の上に小さなクラウドナインが出現する。
それは、ゆっくりと、拡大していく。そしてある一点で止まり、小さな黒い円がそこに出現する。
そこは、南区のやや中心によった建物の三階だ。
俺は配達員として、クラウドナインの各地をまわった。だからこそ、その場所がどのへんなのかが感覚で分かる。
「ここに、妹さんがいるよ」
少女がにこやかに言う。彼女はディバインが彼の望みをかなえることを渋ると知っていたのだろう。それでわざわざ神の名を使ってまで約束してくれた。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。私たちの知りたいことが分かった」
俺にはその知りたいことがなんなのか、を聞く勇気もなかった。正直なるべくなら知りたくないとさえ思った。
少女は約束通り俺に地図を渡して返した。
「では、約束通り、お前を返そう」
ディバインが再び手を差しだし、俺はその手を取った。再び視界を覆う暗闇。そして、俺は自分の住むマンションのそばに立っていた。
隣にディバインの姿もなく。
まるですべてがただの夢の出来事のよう。それが真実起きたことなのかどうか。俺も半信半疑だった。
俺はそれから、家に帰ろうした。だが心の中で迷いが生じていた。
妹のいるであろう場所は分かった。
だが何年も離れていた妹と、今更どう会うのか。
彼女はすでにすべて忘れていて。俺と会いたいなんて思っていないかもしれない。妹はあの時まだ俺より幼かった。俺のことなんて覚えていない可能性もある。覚えていたとしてもかえって迷惑かもしれない。
得体の知れない男が急に兄だと言って現れても困るのが普通だろう。
俺は、妹と会うかどうかで迷っていて。この道にたどり着いたんだ。
「それは確かに迷うと思う」
シオンはヴァウの話を聞き終わって正直に言った。
「そうですね。自分でも不気味だろうなとは思います」
「でも、迷いが解けている。だからどうするか、決めたんですね」
シオンが言う。
「人の手紙を配るのが配達員の仕事です。だから、ここにとどまって手紙を届けていた。この道に迷い込んだ人たちへ、思いを伝えたかったから。それをするうちに決めました。俺は戻ったら、妹に手紙を書こうと思う。手紙なら、読んだ後どうするか妹が決められる。会いたいなら返事をくれるだろうし。俺のことを伝えることができる。そうしようと思ったんだ」
「それはいいアイデアですね」
「考える時間だけは十分にありましたから」
話している間も、手元の地図を見ながらヴァウはどんどん道を進んでいた。
「これが、最後の扉です」
ヴァウが扉を開ける。
建物に囲まれたそれは、小さな広場のようだ。
白い石畳が敷き詰められている。土魔法で作られた古い道にありがちな色だ。
その中心に人が立っていた。
シーク・アスターで間違いない。
「彼が迷いの中心で間違いない」
シオンはシーク・アスターと、その周りに渦巻く魔力を探知して言う。
シオンとヴァウは歩いて彼の前で止まる。
「シオンさん。地図が変化しています」
ヴァウがシオンに言い。シオンも地図を見る。
それは明らかにこの場所の地図ではなかった。
立体のクラウドナインの地図。上へのびるビル群と下へ伸びる坑道が同時に映し出されていて。その一点が赤く輝いている。
「これは、地図のモノリスの下だな。フレイが手紙で言っていた、地下の要の位置かもしれない」
「こことつながる場所なのは間違いないですね」
「できればフレイにそのことを手紙で伝えてくれないか?俺はシークの迷いを読み解けるかやってみる」
「分かりました。フレイさんに手紙を出します」
「その前に、この眼鏡の魔具を使うにはどうすればいいんだ?」
シオンがそっとティークから受け取った魔具を取り出す。大事な預かりものだ。壊してしまったらまずい。
「ただ、それをつけて、その人を見る。キーとなるルーンは、イフタフ」
シオンは、眼鏡をかけて、シークを見た。そしてルーンを唱える。
「イフタフ!」
同時にシオンの頭の中で声が響く。
『竜の宝珠発動。使用条件の一致。確認。魔眼の保持者。これより深層心理解析。対象者の思念の読み取り。追体験可能範囲算出。意識の同期を行います』
ルーンの言葉で言われるそれの意味が、なぜかシオンにもわかった。それは言葉でなく思念で伝えられたように感じる。
シオンが眼鏡を取り外す間もなく、シオンの視界が黒く染められる。
そしてシオンはどこまでも続く闇に落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます