3章6話 ロアと伝承

フレイは魔法の伝承を知る人物と会う約束をした。

そして夜遅く、黄昏時が始まったばかりの時間に病院にたどり着く。そしてひらりと飛行魔法で病院の屋上へ。

病院の屋上は昼間は患者に解放されている。魔法耐性が高すぎて病気の治療が難しい患者を受け入れている病院だ。老人ばかりを集めた養老院も併設している。

魔力が高すぎるものは魔法への反発が高い。だから治癒魔法が効きにくい。だからそんな患者を集める施設では気楽に病院の外に出られない患者もいる。

そういった患者のために屋上を開放している。フレイが会う約束をした人物もその一人だ。

だが夜はさすがに屋上は立ち入り禁止になっている。暗いだけの屋上に行こうと思う人も少ないからだ。

屋上への扉にはカギがかけられている。

それでもロアは病院の屋上で待っていた。

若い女性だ。

はるか昔、世界を旅したという踊り子のような華やかな衣装を着ている。

それはロアの中の世界を旅してみたいという願望を反映しているようだ。だが現実にはロアは旅するどころか病院から出ることも、自身の足で歩くことさえ難しい。

それでもロアはこの屋上にいる。

それはロアの固有魔法ゆえ。

ロアは病院の外に出たいと願った。だから体から魂だけ幽体離脱する魔法を手に入れた。

フレイのように飛行魔法を使っているわけではないのに、ロアは屋上の床からわずかに浮いていた。それは魂だけの彼女が重力に従う必要がないから。

フレイを見つけてロアは大きく手をふった。

口元にははかない笑顔。触れれば消えてしまいそうな危うさのある少女だ。

「フレイ!」

「ロア、また力を貸してほしいんだ」

フレイが屋上に降り立ちロアに言う。

「もちろん。今日くれた花もきれいだった、ありがとう」

「シオンがメッセージカードを置くだけでなく何か添えろと言いだしたからやっただけだ。いつも何も返せないのに、助けてくれてありがとう」

フレイが言う。ロアの体は目覚めることなくこの病院にあり続けている。

だからフレイがロアに何か返すことは不可能だ。ロアは動かないのでお金も使わない。必要ない。

それはロアにもわかっていた。それでもフレイが頼ってくれるのはロアにはうれしかった。

ロアの本体の病室に花と、メッセージの書かれた紙を添えておく。それがロアに会うときの合図だった。

ロアが幽体離脱できるのは、黄昏時の間だけ。

魔物は体を持たない精神生命体。へスぺリデスのシールドベルがその出現を抑えている。幽体離脱する魂だけの存在であるロアも、同じように効果を受ける。だから黄昏時にしか体の外に出られない。

「フレイは私の友人だからね。喜んで手伝うよ」

ロアが嬉しそうに笑う。こうして会いに来てくれるだけで十分うれしかった。普段は話す相手さえいないのだから。

魂だけの存在であるロアは魔物に見つかれば食われる可能性がある。魔物は共食いすることがある。魔物は魔物を食らうとさらに強くなる。魂だけの存在であるロアも、魔物にとってはごちそうに見えるらしい。

だから魔物跋扈する黄昏時にしか出かけられないロアは病院の屋上までしか出ない。

そうしないと魔物に襲われたとき、体に逃げ込むことができないからだ。

「それで、ウィル・オ・ウィスプの件だ。シオンによると迷い道というものがかかわっているらしい。何かわかることはあるか?」

フレイは大体の事情をメッセージカードにまとめて書いておいた。幽体離脱したロアが読むことができるように。彼女は物理的なものに触れることができない。

「うん。それに該当する伝承はある。でも最初に聞いたときに気が付かなかったのは悔しいな」

ロアが悔しがる。ロアは語り部の老婆から、伝承を学んだことがある。多くの伝承を暗記しているロアは魔法について詳しいと言える。過去の伝承や都市伝説は魔法のカギであることが多いのだ。

だからフレイは時々こうして助力を乞う。

「仕方がない。魔物が出現して消える、としか情報がなかったからな。それでどんな伝承なんだ?シオンはそれを消す方法まで知りたいとか書いてきた」

「迷い道の伝承。はたぶん神隠しの伝承と一致する。迷い道と呼ばれてはいないけれど」

「人が消えて現れる伝承だから、神隠し、ということか」

「そう、伝承によると、このクラウドナインでは神隠しに会う人が時にいる。彼らを呼び戻したいなら、真名を書いた手紙を郵便局に送ればいい。そうすると神隠しにあった人が返ってくることがある」

「それらしいな。何か迷い道を消す方法はないのか?」

「神隠しは、ある人物が起源の魔法であると伝えられる。こんな詩が伝えられている。

ハイドアンドシーク(かくれんぼ)、ハイドアンドシーク(かくれんぼ)

隠れた秘密は石のした。夜の墓場で眠っている

星を探してさまようならば

君を導くその人を

探し当てるには真の名を

忘れることのなきように」

「意味の通じない歌のように聞こえる。ただの子供の遊び詩みたいだな」

「つまりそれはヒントなんじゃないかと思うの。ハイドアンドシーク。つまりかくれんぼ。それで神隠しに影響を与えている人物はシーク・アスターなのではないか、と私は思う。シーク・ア・スター(星を探し求める者)という名前にちなんだ詩なのではないかと思うの。フレイも彼の名は一度は聞いたことがあるでしょう?」

「それは、歴史上で有名な人物ではあるが。つまり、彼と迷い道が何か関係があるということか」

「そうだと思う。私にわかるのはそれぐらい。ごめんね全然役に立てなくて」

ロアはあまりフレイの力になれなかったと肩を落とす。

「いや、それで十分だ。助かる」

フレイは首を振る。ロアは十分にヒントをくれた。後は自分の足で動き情報を手に入れ頭で考えるべきだ。

「迷い道は、迷っている人が行きつくところ。つまりシオンは何かに迷っていた、ということ?」

ロアが去ろうとするフレイの背に問いかける。

「別に、ただ単に俺と相棒でい続けるかどうかを迷っていたんだろう」

フレイが言った言葉にロアは驚き、ふわりと宙を移動して去ろうとするフレイの行く手を遮る。

フレイの目の前にロアの心配そうな目があった。

「なんだ?」

「なんだ?じゃないでしょう!なんでそんな大ごとを、大したことないみたいに言うの?」

「別に、俺と相棒であるのもやめるのもあいつの自由だ」

フレイが当然のように言う。

「そんなにあっさりとあきらめちゃだめだよ。フレイ」

ロアが真剣なまなざしでフレイを見る。いつもあまり自分の意見を言うほうではないロアにしては珍しい。

「だが、それはシオンのことだ。俺が口出しすることじゃない」

「それでも、相棒でいてほしいなら、そういわなくちゃ。後で後悔することになる」

ロアがやはり真剣な顔で言う。フレイ本人より、シオンが去るのを引き留めたいようだ。そしてフレイが頑として聞き入れないという顔になったのでロアは迷ったような顔になり。

それから話し出す。

それは自分の中の傷のようなものだったが、フレイのためにいうことにした。

「私もね。後悔したことがある。ずっと昔のことだけど、今でもずっと覚えている。それぐらい大きな後悔だった」

「シオン以外でも相棒はつとまる。それにあいつとは性格が合わない」

「意地になっちゃだめ。シオンはフレイと反対の性格で。だからこそ、一番よくあっていると思う」

ロアが断言する。

「別に、ロアはそこまでシオンのことを知っているわけではない、だろう?」

「シオンが言ったからフレイは病室に花を飾ってくれるようになったもの。いい影響だと思うよ」

ロアが笑う。フレイはむっとした顔になるが、自分ではそんなことをしようとは思いつかなかったので黙る。

「これは私の経験からのアドバイス。私にも、友人ができた可能性があったのに、私はそれをふいにしてしまった。意地を張って自分で手を伸ばさなかったから。それをずっと後悔している」

ロアが自分のことを話すのは珍しかった。いつも伝承について語るか、フレイの話す外の世界について聞き役に徹するのに。自分の話なんてつまらない。何もないのだから、と寂しく笑う彼女が。

「別に、俺は意地になっているわけではない」

フレイが言葉に反して意地を張って言う。

「じゃあ聞いて?私の昔話。フレイがシオンに相棒でいてほしい、と言ってほしいから」

ロアが語り出す。


私はずっと子供のころから病院にいた。

両親は魔法の研究者で。裕福だったのかもしれない。

だから私は病院で個室を与えられていた。病院からでることができなくて。

自分が世界から隔離されている気がして。本当は自分で遠ざけていた。

ずっと病室に引きこもって過ごしていた。

別に病院内ならいくらでも歩けたのに、それもしなかった。

ただベッドでぼんやりと過ごしていた。

一人でも気にならなかった。孤独には慣れているつもりでいた。

ある日、病室のドアがわずかに開いているのに気が付いた。同時に隙間からこっそりこちらを見ている目があるのに気が付いた。

看護師さんたちではない。目の位置が低すぎる。だから自分と同じ子供なのだろうと分かった。

彼女は私がぼんやりと目を向けたのを見て、なんの遠慮もなくがらりと大きな音を立てて病室のドアを開いたの。

私と外を隔てる扉を簡単に開けてしまった。

そして境界線をまたいで、まっすぐに私のところまで歩いてきた。

「あなたが、開かずの病室の主?」

彼女は思った通りまだ子供だった。ちょうど私と同い年くらいなんじゃないかと思った。

今まで同世代の友人も知り合いもいなかったから、私は驚いて固まってしまった。

「違うみたいね。残念だな」

彼女は私をじろじろ観察した末に言う。

「開かずの病室の主ってなに?」

私が聞いた。突然現れて失礼な子だなと思った。

「知らないの?この病院に入院しているのに?」

彼女は心底不思議そうに私を見返す。私のほうこそ彼女が何を言っているのか不思議だった。

「知っていないと変、なこと?」

「もちろんよ、だってこの病院の七不思議よ」

「七不思議?」

「暇だから病院を探検しがてら、七不思議が本当にあるか知りたいと思ったの」

自分と比べて、実に行動力のある子だった。力と行動力に満ち溢れている。

「ちなみに、開かずの病室の主ってどんな伝承なの?」

「この病院には常に扉が閉まっている病室がある。そこにはなんと!異界に人を引きずり込む幽霊がいる。そうよ」

「なんか本当だったら怖いから、私なら調べたりしないな」

「だって、ひまなんだもの。私、魔法へのレジストが強すぎて傷がなかなか治らないの」

彼女が言って、包帯でぐるぐる巻きにされてギブスのついた手を見せる。

「私も、魔法へのレジストが強いから、なかなか病院から出られない」

「どれぐらいこの病院にいるの?」

「もう三年くらいかな」

「それは気の毒だね」

「あなたは学校に行っているの?」

「もちろん。今は休んでいるけどね。あそこも面倒は多いけど、楽しいこともあるの。まさか早く学校に行きたいと思う日が来るとはね」

「学校の話。聞かせてくれない?」

私は思い切って彼女に聞く。

彼女は目を丸くして。おそらく自分にとっては当たり前のことだからだろうけど。それから笑顔でうなずいた。

「もちろん。いいよ!」

そして私に学校のことやいろいろな外のことを話してくれた。

彼女は時々私の病室に来て、一緒に話したりゲームしたりした。

でも彼女は病気がすぐに治った。私にとってはすぐ。私は治らないのが当たり前だったから。

楽しい日々はすぐに過ぎて。

彼女が退院する日が来た。

私は彼女を病院の入り口まで送った。

彼女と友人でいたかった。連絡を交換したかった。

でも外へ飛び立つ彼女に、自分とのつながりは必要ないと思った。

病院の入り口の先には彼女のクラスメイトたちが待っていた。あんなに大勢の子たちが彼女の退院を祝って集まっていた。

いつも明るい彼女だから。友人が多いだろうとは思っていた。でも実際には想像より多いくらいだ。あんなに友人がいるなら彼女に自分はいらないな、となんとなく思った。

私はぼんやりと彼女たちが太陽の元でうれしそうに笑いあうのを、ただ見ていた。

病院の入り口のひさしの陰に隠れるように立つ自分と。太陽の下で笑いあう彼らとの間には濃い影と光の境界線があった。

私はすぐに病室に帰ろうと思った。

でもその時彼女はこちらに向かって歩いてきた。

「じゃあね。ロア。元気でね」

と私の手を取って、その手から小さなメモ用紙を渡してきた。

「私の連絡先。連絡待ってる。またね」

「うん。また、ね」

私は嬉しくて心臓が跳ねて、それぐらいしか言えなかった。

さよなら、ではなく、またね。

それはとてもうれしい言葉だったのだ。

彼女は私に手を振って去っていった。


そのあと私はすぐにリンクで彼女に魔法メッセージを送った。

だが、喜びはすぐに打ち砕かれた。

メッセージが受け取られないのだ。

彼女が自分に嘘の連絡先を送ったのだ。と私は思った。

だから、悔しくて、悲しくて。メモをちぎってゴミ箱に捨てた。

そのあとはいつものように病室に引きこもり。誰とも話さなかった。

もう、誰とも知り合いたくなかった。そのうち忘れられ、裏切られることになるくらいなら。初めから一人でいたほうが楽だったから。

私はそのあとすぐに別の病院に移った。

そしていつものように病院を転々として。一年後にまた同じ病院に戻った。

その時、看護師さんの一人が私に声をかけた。顔なじみになっていた人だ。

その人が言った。

「あなたを訪ねて女の子が一人病院に来たの。でも守秘義務があるから、あなたの連絡先は言えなかった。肩を落として帰っていったけれど、あなたのお友達かな?」

私は何も言えなかった。

すぐに思い至ったから。彼女は、明るくて行動力があって。でもおっちょこちょいで。よくミスをしていた。

だからきっと彼女は連絡先を書き間違えたのだ。

自分が彼女を信じていれば。自分から連絡先を渡していれば。

今もまだ彼女と友人でいられたかもしれない。


ロアは話を締めくくった。

「だから、フレイとシオンに相棒でいてほしいなら。ちゃんと自分から手を伸ばすべき、だと私は思う。これが私の経験則」

「だが、それはシオンの自由で」

「シオンはシオンのしたいようにする。ここで聞いているのはフレイが、どうしたいか」

ロアが聞く。いつもはあまりフレイの個人的なことには踏み込まないロアが。

「シオンが相棒でい続けてくれたほうが、いい、けどな」

やっとフレイの口から本音が出た。

「そうでしょう?それをちゃんと伝えなきゃ。シオンはそれを聞いたうえで自分の自由に決められるよ」

「そう、なのかもしれないな」

フレイがやっというのを聞いて。ロアは満足したようにうなずく。

「フレイがやっと認めた。素直じゃないんだから」

「なんか、似たようなことをアーヴィングにも言われた気がするな」

フレイはシオンから手紙を受け取った後アーヴィングに笑われたのを思い出す。

「フレイは意外と自分のことをよくわかっていないよね」

ロアがほっとした顔で言う。そこには緊張感の残りがあった。フレイは人の心の機微には疎い。それでもロアのその表情を見てその心情が理解できた。

ロアとフレイはよく似ているところがある。二人とも学校に通わなかった。だから友人と呼べるものが少ない。ほとんどいないくらいだ。

ロアは外とつながるフレイを大切に扱う。こうしてただで伝承を教えてくれる。

こうしてフレイの個人的なことに口を出すのはロアには勇気が必要だったはずだ。フレイだってあの口うるさくておせっかいなシオン以外とはあまり踏み込んだ話はしない。どうしても超えられない線がある気がするのだ。

「ロア。アドバイスをありがとう」

フレイがロアに言う。ロアはふいをつかれて驚いた顔をしたあと。にこりと笑う。寂しげでないその笑顔は理解してくれたことを喜んだ顔。

「じゃあ俺はもう帰る。シオンに伝承を伝える必要がある」

フレイが言い、ロアはその背を見送った。


フレイはシオンの影響を受けている。それはいい傾向だとロアは思う。

今日、彼女にお礼を言ってくれたのもその影響もあると思った。フレイは根が優しい。病院から離れられないロアに時々意味もなく会いに来てくれることもある。でもそれを表現するのが下手だとロアは思う。

フレイにシオンがいてくれてよかった。ロアは自分には相棒と呼べるような人もいないのでシオンを相棒に持つことのできたフレイに嫉妬さえ感じる。それと同時にシオンのような人がフレイのそばにいてくれることをうれしくも思う。自分はフレイに会いに行くことさえできないのだから。

フレイのそばにいて、彼を理解してくれる人がいてくれてよかったと思う。

あの気の合わないようで合っている彼らが離れることにならないといい。ロアはフレイの去る姿を見ながら思った。

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