3章5話 迷い道
はっと、アルトは突然覚醒した。
アルトは陸橋から落ちたことを瞬時に思い出す。だがここは病院、ではない。ベッドによこたわっているわけではない。きちんと足で地面を踏みしめて立っている。そして自分に痛む傷がない。
アルトはざっと自分の体を触れて、けががないことをきちんと確認した。
アルトはそれを確認してから初めて周りを見渡す。
そこは奇妙な場所だった。まるで夢の中にいるかのようだ。
緩やかにカーブする太い道の途中にアルトは立っていた。
道の両側には建物がひしめきある。それでだけ聞くとごく普通のクラウドナインの道にも感じる。
だが、その建物群はおよそ法則性というものを欠いていた。赤い屋根の上に近代的なビルの窓ガラスがのぞき。パン屋と書かれた看板の店らしきものの入り口が地面から離れた上のほうに生えていたり。
そのような異様な建物群にはこちらにせり出してくるような圧迫感がある。
アルトは自分が夢を見ているのかとも思う。映画とかでよく見る方法でアルトは夢の中にいるのかどうかを確認する。腕をつねってみる。やはり痛みがある。
そしてその場所は夢の中にしても奇天烈だった。
アルトは周囲を見渡す。アルトが立っているのは、奇妙に入り組んだ建物群の間にある太い道の中心だ。アルト一人ではない。周りには人がいる。
老若男女あまり法則性のない人たちが立っている。そしてその誰もがうつろな焦点の合わない目で虚空を見つめている。自分たちから動き出す様子もない。まるで人形で埋め尽くされた道の中心にいるような不気味さを感じてアルトは不安になる。
「あのー。すみません。ここはどこかわかりますか?」
たぶん意味がないだろうな、とは思いつつアルトはすぐ隣に立つ男性に声をかける。
だが男性はそれを認識さえしていない様子だった。
「おーい?もしもし?」
アルトは人の肩をたたいたり大声で話しかける。だが反応はない。ただその人物が人形ではないことも分かった。息はしている。さすがに心臓が動いているかまでは確かめなかったが。
アルトは何人かに声をかけてからあきらめた。
アルトは最後の望み。リンクを立ち上げた。そして地図を開く。リンクがデータスフィアにつながっていることにアルトは安堵する。
しかしその安堵は完膚なきまでに打ち砕かれた。
地図のアプリにびっしりと、自分もいる地点を示すピンが写っている。
控えめに言ってもホラー映画の中に出てきそうな心をざわつかせる地図だ。
アルトはそこで急に怖くなってきた。
自分はもう、もとの正常な場所へ帰れないのではないか。
だがアルトは勇気がある。すぐに頭から考えを振り払い。できることを考え出す。
アルトは確かにシオンと一緒に陸橋から落ちた。ということはシオンも、どこか近くにいるかもしれない。
アルトはとりあえず、道を歩いてみることにした。
案外簡単に外へ通じているかもしれない。一縷の望みとともに道を歩く。道は緩やかにカーブしていて。それがアルトには不安だった。
もしかするとこの道はどこにもつながっていないのではないか。そんな不安だ。
そしてその予測は的中した。
歩いても歩いても道は終わらない。建物がぐちゃぐちゃしすぎて目印となるものがなく、アルトには元の場所かどうかわからないが、それでもなんとなく、この道が円形をしているのだろうとは予測がついた。つまり外へつながっていないのだ。
歩いていくと、その太い閉じた道に、意識のない人が密集して立っている。
人が多すぎる。だから、かりにシオンがその中にいても、彼をその中から見つけるのは至難の業だろうとアルトは思った。
アルトはそれを確認したうえで立ち止まる。何かできることはないか、考える。一つ、ばかげているかもしれないが、有効な手段がある。別に誰も気にしないだろう、この奇妙な道では。
アルトは大きく息を吸い込む。そして、力いっぱい声の限りに叫んだ。
「シオンさん!!いるなら答えてください!俺です、アルトです!」
アルトは若干恥ずかしいとは思いつつ、そんな考えをかなぐり捨てる。なりふりかまっていられる状況ではない。
アルトはその後耳を澄ます。
だがシオンからの返答はない。
シオンがいないことはアルトをさらに不安にさせた。もしかしたら、彼だけ陸橋から落ちて大けがしているのかもしれない。アルトの最後の記憶ではシオンが自分を助けようとしていた。
そんな予想もできた。もとはといえば自分が身を乗り出していたから、落ちてしまったのだ。
暗い予想をしていると、後ろから声がかけられた。
「君は正気なんだな。そういうやつは久しぶりだ」
アルトは反射的に後ずさる。
目の前にいたのはいかにも怪しそうな風貌の人物だった。
唇の上にちょび髭をはやしている。まだそこまで年には見えないが、白髪を染めるつもりがないのだろうもうすでに灰色になっている。古の魔法使いの着ていそうなローブのようなコートは古着のように見える。
おそらく周りの目を気にしないから奇抜な格好をしているのではなく。自分でわざと怪しそうな人物を演じているように見える。
「よかった。話せる人がいた」
そんな怪しい人物であっても、アルトが心から安堵のため息をつく。それぐらいほかに話せる人がいないのにはかなり精神的にまいっていた。
「俺の名はティークだ」
ティークがまず名乗り出る。
「俺はアルトと言います。話しが通じる人がいてよかった!」
「ここに来るものは意思を表示しないのが普通だ。君は誰かの迷いに巻き込まれたんだな」
ティークがアルトには理解できないことに納得してうなずく。
「ここは一体なんなんですか?」
アルトが聞く。どこなのか、ではなく、なんなのか。
「ここはどこでもあり、どこでもない場所なんだ」
「それ、全然説明になっていませんよね?」
アルトがじとっというと、その見るからに怪しそうな人物は手を差し出す。
「ほい」
「?なんですか?」
アルトはティークの手に何かあるのか、まじまじと見る。
「違―う違う。情報料だ。何かとの交換で情報を渡そう」
「この状況でお金を取るんですか?割と鬼畜ですね」
「当たり前だ。なんのための俺がこーんな変な場所にい続けていると思う」
「…なんでですか?」
アルトがなんだか面倒くさくなって聞く。でも話が聞ける人間はこの人くらいしかいない。なので仕方なく付き合う。
「この、迷い道、には心が迷子になったやつらが連れてこられる。そしてこの道は時空が狂っている。つまりは古今東西の人間が集まるのだ。それはつまり!昔の人が迷い込めば、俺の時代では立派な骨董品が手に入る可能性がある!古物商として夢のような場所なのだ!」
「そうやってどうすればいいかわからない人相手に情報料を取り立てているんですね…。それに情報と交換とか言っておきながら、結局この場所のこと説明していますけど」
アルトがあきれる。まったく自分勝手だなと思う。
「こりゃ失敗。だが、坊主はこの迷い道で探している人がいるんだろう?誰かの迷いに巻き込まれたんだからな。俺は寛大だ。坊主の年齢では大したものは持っていないだろう。だあら現金で手を打とう」
ティークがさも妙案のように言う。
「別にいいですけど…子供だから有り金すべて出せ、とか言うのもやっぱりかなりひどいと思いますよ」
アルトは仕方なく、財布を探し出し、札束を何枚か渡す。
「おおー。これは!」
ティークが札束を手にしてまじまじと観察してのち、大げさに手で額を打つ。
「今度はなんですか…」
アルトはもう面倒くさくなってきた。いちいちリアクションの大きい人である。
「こりゃ俺の来た時空では使えない。君はずっと未来から来たようだ。ということは古い道具も持っていないな。仕方ない」
ティークがため息とともに現金を返す。
「それは、俺にはどうしようもないですよ」
アルトが落胆する。ここで情報を得られないのは非常に困る。
「仕方ない。特別サービスだ。情報をただでやろう。俺も意地悪したいわけではないからな。探し人を見つけたいなら、リンクで電話をかけるといい」
ティークはさっきまでこだわっていたお金と骨董品のことをあっさりあきらめてアルトに教えてくれた。
「えっ。そんなに簡単な答え、なんですか?確かに地図がうまく使えなかったから通話は怖くて試していないけど」
「道の外と連絡を取るには一つしか方法はないが、同じ迷い道にいる人間にならリンクの通話も届く」
ティークが保証する。なんだか考えたらすぐに分かりそうな情報だ。
「それって割と普通の方法だな。そんなのでお金を取られるところだったのか」
アルトは言われたとおりにリンクでシオンに通話をする。
すると、かすかにだが、音楽が聞こえてくる。
アルトでも知っている、戦争に使われた勇ましい戦歌。勇気がある、といわれるアルトに合わせてつけた着信音だろう。
「あっ。これは間違いなくシオンさんですね…」
アルトはシオンだと分かって安心したが、そういう選曲をされてなんだか気恥ずかしいような複雑な気持ちだ。
「坊主が探している相手は人によって違う曲を律儀に設定する、まめな人なんだな。確かにぼうずは見知らぬ場所で俺にあったにしては肝が据わっている」
アルトと少し話しただけのティークがうんうんとうなずく。アルトは初対面の人にまでそういわれて微妙な気持ちになった。
「ちょっと行ってきます!」
アルトは音のほうへ、人をぬって駆け出す。
そして、音をたどればシオンが見つかった。シオンにはあの落下からの傷は見当たらない。アルトは深く安堵する。
「シオンさん!」
だがシオンは虚空を見つめていて。アルトの声にも反応しない。
アルトはどうすればいいか困った。正直あのティークは怪しい。だが頼れるものは彼ぐらいだ。
アルトはシオンの手を引いてティークを探す。ティークはアルトが戻ってくることは承知していたのだろう、同じ場所で待っていた。
「シオンさん。見つかったんですけど。どうすればこの道から出られますか?」
「ここから出るのは簡単だ。この円形の閉じた道の外への扉を開ければいい」
ティークは今度は代金を請求してこない。アルトから手に入るものがないと踏んだのだろう。
「よかった」
「ただし、シオンとやらはこのままでは出れない」
ほっとしたアルトにティークが言い放つ。
「えっ、なんでですか?」
「迷い道からでるためには自らの意志と手で外への扉を開けなくてはならないからだ」
「つまり、シオンさんを正気に戻す必要があるんですね。そもそもどうすれば正気に返るんですか?」
「簡単さ、迷いを解けばいい。この道は人生の迷い道に入った者が来る場所。迷いがなくなれば正気に戻る。ただし、何を迷っているのかを知っている必要がある」
「なら、簡単ですね。シオンさんが迷っているのは、フレイさんのことでしょう。シオンさん!フレイさんにはあなたが必要だと思います!」
アルトの言葉。それが頭に沈み込んでいくように、シオンの、死んだようにうつろだった目に光が戻る。
「シオンさん!よかった!もとに戻った」
アルトが歓声をあげて。
「アルト?ここは一体どこだ?」
シオンが状況を飲み込めずに聞く。
「ここはですね…」
アルトが自分が知った情報をシオンに伝える。
「ここにいる人たちをもとの場所に返したい。可能ならできれば道そのものを消したい」
シオンが言いだしたことは実にお人よしの彼らしかった。
「そうだな…俺も長い間この道にいたが。そろそろ潮時、なのかもしれなんな」
ティークは意外にも言う。
「えっ、あんなにこの道がどんなに素晴らしいか語っていたのに。反対しないんですね」
「そうだな、ここの所、魔物が発生しているんだ。魔物は人の念に影響されて生まれることがある。この道の迷子たちのどこへも行けない思念が生み出したんだろう。迷子たちもどんどん増えていって、今や道を埋め尽くすようなこの数だからな」
そういうティークはおそらくかなり以前からこの道にいたのだろう。
「それはもしかして、黒い炎のようなさまよえる魔物ですか?」
ティークの言葉にシオンが反応する。ウィル・オ・ウィスプとの関連がすぐに思い浮かぶ。
「そうだ。だからそろそろ何とかしないといけないのかもしれないな。とは思っていたところだ」
「それよりもこんなに多くの人がいなくなって、問題にならないのも不思議だ」
シオンがあたりを埋め尽くすうつろな人を見わたす。
「いずれ彼らは元居た時空に帰れる。ここは時間の流れから切り離された場所らしい。だから外に戻るとき戻りたい居場所に戻るんだ。ついでにここにいた時の記憶もなくなる」
「じゃあ、この道を消すのに協力してくれるんですね」
アルトが安心する。ティークが反対したり敵対したらどうしようかと思っていたのだ。味方は多いほうがいい。
「いーやいや、そんな面倒なことはごめんだ。別に邪魔はしないだけで、手伝うつもりは毛頭ないからな」
ティークがからから笑って言う。アルトはそうだったこういう人だったと、思い知る。
「せめて、外との連絡の方法を教えてもらえないだろうか?」
シオンが頼み込む。
「それなら、別に構わない。ついでにこの道にいるもう一人の正気な奴に会いにいくといい。あいつが外との連絡手段を持っている」
「もう一人こんな変な道にとどまり続けている人がいるんですか?」
アルトはそこに驚く。そして警戒する。このティークと同じような人だったらどうしよう。こんな変な道に進んで残るのだ、相当変人には違いない。
「そうなんだが、俺は苦手だ。すごくまじめで堅苦しいやつでな。前にこの道を消そうと躍起になっていた。あいつならあんたたちにも協力してくれるだろう」
この不真面目なティークと、まじめな人は気が合わないだろうとアルトとシオンは納得する。
「でも、どこに行けばいいんですか?」
アルトが当然の疑問を口にする。
「あー。奴はこの道の内側のほうの建物群の中にいる」
「外側に扉を開くと、外に出れるんでしたよね。内側はどうなっているんですか?」
「比喩でもなんでもなく、現代的な建物がつながる迷宮みたいになっている。それも迷い道に人が現れるたびに、形を変える。俺は迷うのが怖くてそちらには住めない。だからこの道で生活している」
「じゃあその人の場所もわからないのでは?その人自身も迷宮で迷子になっている可能性が高くないですか?というより俺たちにその人の場所が分かるんですか?」
「あいつのいる場所、そこには、目立つ目印がある。そしてそいつは迷宮でも迷うことがない。あいつはいい地図を持っているからな。魔具なんだが実に便利なんだ。俺も欲しかったんだが、却下された。以来冷たい目で見られる」
「この迷い道の地図があるんですか?」
そりゃそんな貴重なものを取ろうとしたら冷たい目で見られるだろうとアルトは思いつつも質問する。
「自動マッピングする地図なんだ。そいつの職業は、郵便局員だからな」
そしてシオンとアルトはティークに言われた通り、円形に閉じた道を歩いて赤いポストの出ている建物を見つける。
ごちゃごちゃした建物群の中でも赤いポストは非常に目立ついい目印だった。
そして一階には郵便のマークの付いた建物がある。
アルトとシオンはその扉を開いた。
中に人がいて、シオンとアルトはほっとする。とりあえずはあのうさん臭いティークはうそを言っていなかったようだ。
そしてアルトたちを認めて椅子から立ち上がった男性は確かにティークの言う通りの人物だと分かる。
なぜなら、人がめったに来ないはずの場所で。制服を一部の乱れなく着ているからだ。そうとう真面目そうな人物であり。郵便局員であることに誇りを持っているように見えた。
「いらっしゃい。ここに来たということは彼、と会ったんですね。でも正気に戻られたのに、外に戻らないのですか?」
郵便局員が微笑む。
「そうです。あのティークと会ってあなたのことを聞きました。実は外と連絡を取りたくて。ここにその手段があると伺いました」
「外に出る、のではなく外に郵便を届けたいのですか?」
シオンが言った言葉に郵便局員は首をかしげる。
「そうです。外にいる俺の相棒と連絡を取りたくて。この迷い道を消したいんです」
「俺もだいぶん長いことここにいます。できることはしたつもりです。それでもこの迷い道は消せなかったんです」
「俺の相棒と連絡をとれば、何か情報をつかんでくるかもしれない。あいつならきっと何か見つけてくる」
「シオンさんとフレイさんが協力するならきっとなんとかなります」
郵便局員はそれが可能なのか、疑問に思っているようなのでアルトが保証する。
「そうですか。確かに俺は外と連携はしなかった。連絡しても、この道について信じてくれるかどうかもわからなくて」
「きっとフレイなら信じてくれる。アルトを先に帰そうと思う。それが何よりの証拠になるはずだ。それにこの件はウィル・オ・ウィスプとつながっている。あいつは利益を生むなら解決に力を貸してくれるはずだ」
シオンが相棒への信頼を見せる。
「そうですか。では手紙を書いてください。この郵便局から、外へ郵便物を届けられます。俺も道を消すためならなんでも力をお貸します。俺の名はヴァウ」
「ヴァウさん。俺はシオンだ。助力感謝します」
そして、シオンはフレイに手紙を書いて送った。
郵便局には小さなもの限定の転移魔方陣がある。それで郵便局同士で郵便物を送ったりする一般的な魔具だ。迷い道にあるそれは、この道の中で唯一外とつながっているのだ。
そのシオンが書いた手紙がフレイに届く。迷い道を消したいと。そんな状況でお人よしを発動させているシオンにフレイが心配を通り越して脱力したのだった。
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