2章13話 恩返し
イウトピアの屋上にフィンたちは降り立った。
明るい街灯に照らされた道路が遠くに見える。
「魔物の、気配がするか?」
フレイがシオンに聞く。
「いや、何も感じない」
シオンが首を振る。
「予想としては、おそらく、異空間に魔物を閉じ込めて倒しているのだと思う。異空間にいる魔物は探知できないはずだ」
フレイが言い。
「それが本当なら、証拠を見つけるのが難しいな」
シオンが嘆息する。
「おそらくアイビーは何か知っている。だから明日になってアイビーに連絡がついたら、問い詰めればいい。アッシュレイがいると効果的だろうな」
それまでアイビーが無事、ならば。とフレイは言外に言う。シオンはリンクを起動する。
寒空を飛んだせいで指先がかじかんでいる。
アイビーとアッシュレイに連絡を取る。
魔法通話はできない。番号を知らないからだ。だがメッセージを送ることはできる。
「アイビーにメッセージが届かない」
シオンが最悪の予感が当たったことを知る。
「このクラウドナインで受信範囲外にいるとは考えにくい。つまり異空間にいることはほとんど確実だな」
フレイが事実を告げる。
「それがわかっているなら、なぜアイビーがイウトピアに住む時点で言わなかったんだ?」
シオンの言葉にとげが混じる。
「可能性としては低いと思っていたんだ。魔物を人知れず捕まえるために魔力なしの気配をおとりにしている、そのうえ魔力観測所に気が付かれないように、周りに被害が出ないようにするには、おそらく異空間魔法が使われているんだろうと思った。封印魔法だと魔物が強くなれば封印を破る可能性が高い。だから異空間に閉じ込めて中で魔物と戦っているのだろうと推測した。だからデータベースで異空間魔法の固有魔法の使い手を探した。だが見つからなかった」
「異空間魔法で魔物を閉じ込めて戦闘ができるくらいなら、強力な固有魔法のはず。データベースに登録されているはず、だからか」
「だが現在クラウドナインにそんな魔法の使い手はいなかった。ただ一つ怪しいやつがいるとすると、フェイ・シーだ」
「おや、私の話ですか?」
シオンとフレイは驚いて振り返る。
二人の背後に、フェイ・シーが立っていた。
「フェイ・シー!?」
シオンが腰のホルスターに収めている銃を取り出しそうになる手を止める。
フェイは神出鬼没だ。できれば敵に回したくない。敵に回せばいつ寝首をかかれてもおかしくない。それがフェイ・シー族の異空間の魔法だとわかる。
「そんなに驚かれると、面白いですね」
フェイ・シーが二人の警戒した敵意もどこ吹く風。のんきに言う。その足元では一匹の猫がナー!と鳴いている。
「俺はロア、俺の協力者にお前のことを聞いた。ロアによると、フェイ・シーとはシー族の妖精という意味だと聞いた。個人の名ではなく、種族名だと。そしてロアはこうも言った。シー族は空間魔法の使い手だ、と。つまりお前が今回の事件にかかわっているのではないか?」
フレイが言い放つ。フレイたちからしてみればフェイは怪しい。特にこのタイミングで彼らの前に姿を現すのは。
「でも間違いではない、嘘ではないですよね?私は、フェイ・シーに違いないですから。ただ名前を教えなかっただけにすぎないですよ?」
フェイがまぜっかえす。
「へりくつだな。それに俺のもう一つの問いに答えていない」
フレイが切り捨てる。
フェイ・シーの足元で猫がいっそう強く鳴く。
「ああ、そうでしたね。この子のことをあなた方はご存じですね?」
フェイ・シーが足元で必死に鳴いている猫を示す。
「ケット・シーなんてクラウドナインにどれだけいると思っているんだ」
「この子、もしかして、アイビーの猫じゃないか?たしか、チャビーっていう名前だ」
シオンが思い出す。
そのケット・シーは猫としてはかなり太っちょなほうだった。ここまで肥満の猫はそうそういない。
「そうです。この子が飼い主が危機にさらされているので助けたい、そうです」
フェイ・シーが言う。
「何をたくらんでいる?ロアはこうも言っていた。妖精族は人と似た姿かたちをしていても、人ではないものだ、と。人の価値観では図ることができない存在であると」
フレイが疑り深く言う。何か罠にはめようとしているのではないか。そんな懸念が顔に出ている。
「そうですね。我々と違い、人間は実に不実だ」
「どっちがだ。お前を信じきれない。それにお前は都市を見守るもの。人間のやりかたには干渉しないんじゃないのか?」
フレイがなおも疑り深く聞く。
「人間に干渉するのは禁じられています。ただ、我々の眷族が助けを求めているなら、問題ありません。それは私たちの問題でもありますから」
「へりくつだな」
フレイが再び言う。
「我々も、いろいろなしがらみに縛られているんですよ。お察しください」
フェイ・シーがまるで困っていない顔で言う。
「だが、異空間魔法の使い手はお前以外に考えられない。強力な魔法を持つものは魔法院に登録される。ほかの地からの来訪者でも、きちんとデータベースにあげられるはずだ」
「人の世ではそうなのでしょう。確かに我々しかそんなことができる者はいないのかもしれない。しかし、もし魔法を増強させる指輪、があったとしたら?」
フェイ・シーが猫のように目を細める。
「…呪いと祝福の、指輪か!」
シオンが思い至る。ここにきてアルトの依頼が記憶によみがえる。
そしてシェンの神の信徒のあかしだとして、ウェルズが身に着けていた指輪を。あれが、ウェルズの魔法を強力にしていたなら?
ナー!ケット・シーがせかすように大声で一声あげる。
「急いだほうがいいですよ?この猫の飼い主は、命の危機にさらされています」
フェイ・シーが言う。足元の猫をなだめるようにその頭をなでる。自分としては人間がどうなろうとかまわないのだろう。彼自身はまるで困った様子も焦る様子もない。
「フェイ・シーはアイビーが心配なわけではないかもしれない。人間なんてどうとも思っていないのかも。ただ、その眷族への優しさは、その言葉を信じていいじゃないか」
シオンはフェイが、なだめるように必死で鳴くチャビーをなでるのをみていう。その眷属への思いやりは嘘ではない、とシオンは思った。
「たしかに、そうですね。この子はアイビーと言う飼い主に、恩があるそうですよ。私が信じられないならこの子を信じてあげてください」
フェイ・シーが言い添える。その心配は必死に泣き続ける彼の眷属のためのもの。
「分かった、どこに行けばいいんだ?」
「このケット・シーの飼い主は、異空間にいます。この子が案内します。ついて行ってあげてください」
「異空間に入るすべはあるのか?」
「もちろん、空間魔法は我々と眷族の得意の魔法ですから」
フェイ・シーが薄れていく。その場にケット・シー、チャビーが残される。
チャビーは空間魔法を発動する。空中に姿見の鏡の様な大きさの異空間への入り口が現れる。
チャビーはその中に飛び込む。
シオンとフレイは躊躇したが、すぐに後からついてくる。
白い空間が続く異空間。これは、場所から場所への移動を短くするものだ。白い回廊をケットシーがはしり、フレイとシオンが後に続く。
ケット・シーは走り出す。彼女の飼い主の元へ。彼女の受けた恩を返すために。
走りながら、ケット・シーは彼女の飼い主のことを思い出す。彼女を失いたくない。きっと助けてみせる。
ケット・シーはアイビーの働くレストランで飼われていた。
ケット・シーはレベルの低い魔物を食べる。だからクラウドナインでは飼うことが推奨されている。レストランなどの食品を扱う店でもそれは例外ではない。
だがケット・シー、チャビーは運動神経が壊滅的だった。
魔物を捕まえられたことは一度もない。
でもレストランで飼われているから、食事だけは不自由しなかった。だから太るぐらいにご飯を食べて、のんきにすごしていた。
ある時魔物がビルで発生してしまった。運動不足で、魔物をとるのが不得意なチャビーが魔物をつかまえられなかったから。
それで、今のケット・シーを捨てて新しいものを買おうとオーナーが話しているのをチャビーは聞いた。
ケット・シーの野良猫はクラウドナインにはたくさんいる。積極的に保護されているので、野良猫に食事を与える人も多い。
だがチャビーは魔物を狩るのがへただ。大概の野良猫はもらえるご飯と合わせて魔物を狩って腹を満たす。チャビーにはそれができない。このレストランから捨てられたら、生きていくのは難しいはずだ。
そんなチャビーをアイビーが引き受けた。
「君も私と同じ。できないことが多いだけ」
アイビーは言い。役立たずの自分を受け入れてくれた。
だから、今度は自分が助ける。
チャビーは異空間を走り抜けた。
やがて、白い果てのない空間でチャビーがとまる。
何もない空間にその手をあげて、触れる。そこに今度は黒い楕円形が浮かび上がる。
ケット・シーはその中に飛び込む。
今度はシオンとフレイ、フィンも躊躇せずに後に続く。
たどり着いたのは再び白い空間。
だが今回の空間にははっきりとした境界線がある。
まるで白い正方形の箱の中に閉じ込められたかのようだ。
「アイビー!?」
シオンが中心で倒れるアイビーを見つけて思わず声をあげる。チャビーがアイビーを助けるために自分たちを呼んだのだとは理解していた。だが事実目にすると衝撃を受ける。
アイビーはぐったりとガレリスの腕に抱かれていた。アイビーの周囲には彼女を取り囲むほどの血だまりができている。白い空間に鮮やかな鮮血がまがまがしいほどに赤く。それはアイビーの命が危険にさらされていることを如実に示している。
ガレリスが手から光を放っている。なじみ深い、魔法の発動光。
金色に輝くそれは、治癒の光。
だがアイビーは目を開けることない。
「アイビーは、無事なのか?」
シオンがガレリスに駆け寄って聞く。すでに死んでいるものには治癒魔法は効かないのだ。
「どうやって、この空間に?」
ガレリスが希望にすがるようにシオンたちを見る。
「説明はあとだ」
「アイビーはかろうじて、生きては、いる。ずっと治癒魔法をかけ続けている」
ガレリスに近づいてみると彼がひたいに滝のように汗を浮かべているのが分かる。
おそらく魔力切れが近いのだろう。魔人が魔力の底をつくほどに魔法を使ったのだ。
「どうして、治らないんだ?」
シオンは状況を聞くよりまずアイビーを助けることを優先する。本当はこんなことになる事態を引き起こしたガレリスを糾弾したい気持ちもあった。だがそれをこらえる。
「俺の治癒魔法は、専門分野じゃない。使える治癒魔法のレベルもそこまでではないんだ。誰か治癒魔法に特化した人間でないと治せないほどの傷だ。だから治癒魔法をかけるだけかけている」
ガレリスがもう限界に近付いている。
魔力とは魂の力。それを使い果たせば、起こるのは魂の消滅だ。
「大きな血管がやられているのかもしれない。俺が止血する」
シオンが銃を取り出す。
「どうやってだ?」
「俺の銃は静止魔法弾を使うものだ。傷口に当てれば一時的に出血を止められるはずだ」
「体内の血まで止めてしまうのではないか?」
ガレリスが今にも倒れそうになりながらもアイビーの身を案じる。
今の状況は分からない。だが少なくともガレリスがアイビーを助けたい気持ちなのは痛いほど分かった。
「静止魔法弾は、体の奥までは効きにくいんだ。人や生き物の体はそれ自体魔法へのレジストがある。だから表面の傷口の血だけを止められる、はず」
シオンが銃弾を撃ち込む。
アイビーの腹部の血が一時的にとまる。
「アイビーを、頼む。俺はここに置いていっていい」
ガレリスが言い、その場に倒れこむ。
「馬鹿をいうな、見捨てられるわけがない」
シオンが言い。
「俺には、助かる資格が、ない」
ガレリスは自らを恥じるように言い。ぐったりと動かない。
「フィン、百パーセント拡大だ。二人を背に乗せろ」
シオンが命じて、羽付きトカゲのフィンが大きくなる。
フレイとシオン二人かかりで、ガレリスたちをフィンの背に乗せる。
ナー!
チャビーが叫び、その前に再び異空間からの出口ができる。チャビーはひょいっと飛び上がり、フィンの背に自分で乗る。
「できれば、病院へ、異空間をつなげられるか?」
シオンがチャビーに聞く。
ナー!ケット・シーが了承するように鳴いた。
異空間を再び通りシオンたちが出たところは病院だった。それまでは白い空間を飛び続けた。直接はつなげなくとも異空間をつなげれば多少の時間の短縮になるようだ。
シオンたちが、ハンターに対応する病院の入り口に入る。ハンターは夜に活動する戦闘職だ。彼らに対応するために病院側でも夜に開いているものが多い。
血だらけのアイビーとガレリスを見て、病院のスタッフはすぐに対応する。
ハンターにとってけがは日常茶飯事だ。病院側も、治癒の魔法使いを常駐させている。
すぐに病院の奥へアイビーとガレリスが連れていかれた。
「お二人は、こちらでお待ちください。誰か彼らの親族と連絡をとっていただけると幸いです」
病院の看護師が伝える。それはつまり、アイビーとガレリスが死ぬ可能性がある、ということだ。
シオンはアッシュレイと連絡をとった。ガレリスの親族には連絡ができない。単純に知らないからだ。
そしてシオンとフレイはアイビーとガレリスの治療が終わるのを待つことになった。
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