2章11話 恋人

シオンはインターフォンを押した。

付属のカメラで、来訪者の確認をしたのだろう。しばらくの間が空く。

その後扉の向こうから、足音が聞こえて。鍵の回る音。扉が開いてアイビーが顔を出す。

「いらっしゃい。フレイ、シオン」

アイビーが挨拶する。

ここはイウトピアのアイビーの住居。

アイビーとアッシュレイは話合い。アイビーがイウトピアに住むことになった。

シオンとフレイはかぶっていた野球帽を脱いで家に入る。これは防犯カメラに映らないようにの措置だ。フレイとシオンはウェルズを一度怒らせている。そのイウトピアの管理人に見つからないようにしたつもりだ。

「兄さんまできたのね。別に大丈夫だって言ったのに」

アイビーがシオンたちの背後に立っているアッシュレイを見つけてあきれたように言う。

シオンとフレイを家にあげるのを心配してついてきたのである。

「シオンとフレイは悪いやつじゃない。だがアイビーは一人暮らしなのだから、少しは警戒したほうがいい」

アッシュレイの言い分ももっともではある。

「イウトピアの住み心地はどうだ?」

アッシュレイが心配して聞く。

「前に住んでいたところよりずっと広いから、ちょっと落ち着かない」

「狭いほうが落ち着くのか。貧乏性だな」

「それと兄さん。私、いい仕事を見つけたの。だから家賃の心配はいらない。自分で稼げそう」

アイビーが嬉しそうに笑う。

なんだとろうか、前に会った時より余裕と幸せそうなオーラが漂ってきている。

「アイビー、何か変わったか?そんなにいい職場なのか?」

「確かに割のいい仕事だけどね。それだけじゃないの」

なー!部屋からケット・シーが出てくる。太っちょな猫だ。

じゃれるように、アイビーの足元をくるくる回る。

「ごめんねチャビー。ご飯の時間だよね。よしよし」

アイビーが猫の頭をなでる。ケット・シーはもう一声鳴いて、奥へ入っていく。

その後を追ってアイビーも奥へ向かう。だからアッシュレイはアイビーの変化についてそれ以上追求しなかった。

「円筒形の建物に一つずつ部屋が配置されている。だから、室内は扇形になってる。玄関から一番近いところがトイレ、次が浴室、その次が寝室で。次がダイニングとそれにつながった台所」

アイビーが順番に扉を開けて中を見せていく。

「どうだ?何か魔力の探知はできるか?」

フレイがシオンに聞く。自分はカベをチェックしている。

「壁には何もないですよ」

アイビーがフレイの行動に困惑する。

「魔法の言葉、ルーンは崩して、装飾品のように見せかけた魔法陣を作ることもあるんだ」

アッシュレイが説明する。

「たぶん、何にもないとは思うけれど。全員にコーヒーでもいれるね」

アイビーが言い。台所に引っ込む。

「魔力の大きな流れは地下にあると探知できる。地下には何かないか?コーヒーを淹れるのを手伝うよ」

シオンがアイビーの向かった台所についていく。

「大丈夫よ。シオンさんとフレイさんはお仕事でしょう?それにお客様だから手伝わなくてもいいわ。地下、ね。地下は駐車場になっている。そんな怪しい魔法陣をわざわざ見えるところに置いたりはしない気もするけれど」

アイビーが答える。手伝いを断られたシオンはついでに台所を見渡す。特に変わった魔力の気配はない。冷蔵の魔具やほかの魔具の気配は感じるが問題はなさそうだ。

アイビーがお盆にマグカップを並べる。シオンは見るともなしにそれを見て、台所を出る。

「それ以外に何かないのか?」

フレイは自分のやっていた壁を調べるのを諦めたようだ。シオンに聞く。

「魔力探知には何もひっかからない。逆にそれがひっかかるというか。なんというか」

シオンがよくわからないことを言う。

今もコンロの火の魔具以外には魔法の気配はない。アイビーがケトルで湯を沸かしているからだ。コーヒーのためだろう。

「なにもないのが引っかかる?意味が分からない」

「俺にも分からない。こう、変な違和感があるんだよな」

シオンが考えようとする。

そして、洗面所を見ていたシオンが凍り付く。

「フレイ?ちょっとこっちに来てくれるか?」

シオンは慌てぬよう一呼吸してから、フレイを呼ぶ。

フレイが怪訝そうな顔で洗面所に顔を出す。

「何か、分かったのか」

「一つ分かったことがある」

シオンが真剣そのものの顔だ。

「なんだ?」

「それよりアッシュレイはこっちに来ていないか?」

シオンが小声でフレイに聞く。

「アイビーとコーヒーを用意しているな」

フレイが困惑しつつも洗面所から顔を出して、台所にいるアッシュレイを確認する。

「よかった。フレイ、これを見てくれ」

シオンは洗面所の姿見の鏡を開ける。後ろは戸棚になっている。

「便利な鏡だな。それがどうしたんだ?魔法がかかっているのか?」

フレイが棚を見て何もわからずに聞く。棚は普通に洗面道具が並べられている。

「これを見てくれ。歯ブラシが二つあるだろう?つまりは…」

「つまり?」

「たぶんアイビーには交際している人がいる」

「それに何か意味が?」

フレイは早くも馬鹿らしいという顔になる。

「アッシュレイはたぶん、知らない」

「アッシュレイが時々来るのかもしれないだろう?アッシュレイの歯ブラシなのでは?」

フレイが仕方なくつきあう。

「アッシュレイは、アイビーが越してきて初めてこの住居に行くといっていた」

「…それだけでは確定ではないだろう」

「いや、台所でも、ペアのカップの片方を見たんだ。あの猫のマグカップだ。あれはしっぽが取っ手になっているだろう?あれは二つそろえて並べるとしっぽがハート型になるんだ。べたなおそろいにするアイテム。そんなことをするのは恋人ぐらいだ。それに食器も二つずつそろえてあった」

「お前のその観察眼はたまに無駄に役に立つな」

フレイが頭痛を抑えるように眉根に指を添える。

「それに、前に会ったときより、こう、自信がついたような、印象を受けた」

シオンが締めくくる。フレイも別にシオンの推測が間違っているとは思わない。フレイとシオンの付き合いは長い。フレイは経験上シオンの観察力は高いと知っている。

「アッシュレイには言うなよ。絶対に面倒くさいからな」

「それもそうだな」

フレイが言い、シオンも神妙に同意する。

「シオン?フレイ?何か分かったのか?」

洗面所の扉のすぐ前からアッシュレイが声をかける。

シオンとフレイは背筋を正し、聞かれていなかったか、緊張する。

「なんでもない、ただの気のせいみたいだ」

シオンが落ち着きを取り戻しドアの外に言う。

「そうか、コーヒーができたぞ」

アッシュレイのいつも通りの声。洗面所の扉を閉めておいてよかった、とシオンは心の底から思う。

その時、玄関の鍵が開く音がする。

だが住人であるアイビーは台所にいるのが見える。

シオンとフレイが警戒する。まさか、管理人に見つかったのか?部屋の合いかぎを持っている可能性があるのは、それぐらいだ。

だがフレイもシオンも念のために野球帽をかぶってきたのだ。防犯カメラの画像だけでシオンとフレイを特定できない、はず。

「アイビー。やはり心配だから見に来たぞ」

玄関を通って、窓からの光に照らし出されて現れたのは、大柄な男性だった。

がっちりとした体つき。一目で戦闘職の人間だとわかる。鋭い眼光に、余裕のある所作。自分に自信のある人が浮かべがちな大きな笑み。だがアッシュレイたちが一番に認識したのはそれだけではない。

「アイビー、誰だ。こいつは?」

アッシュレイが剣呑な声で聴く。知らない男性が合いかぎを使ってアイビーの部屋に入ってきたのだ。驚くのも無理はない。

「ガレリス!兄さんが来ているから、今日は来なくても大丈夫だって言ったじゃない!」

アイビーが男性に近寄り、怒ったように腰に手をあてて、にらむ。

「いいじゃないか。お兄さんが来ているなら、挨拶するべきだと思ったんだ。交際してから一度も彼に会わせてくれないから。それとも、俺を恋人として紹介したくないのか?」

「そんなことはない、けど。ただ兄さんに知らせるのは、ちゃんと手順を踏まないと面倒くさいことになりそうだから…」

アイビーが言い。シオンとフレイは、アイビーとその男性の関係を理解する。

アッシュレイもそうだったようだ。

「アイビー?そいつは、アイビーの恋人なのか?俺は一度も聞いたことがないぞ」

「こうなるから、言わなかったの」

アイビーがため息をつく。

ガレリスの頭の側頭部からは角が見えている。つまり魔人だとアッシュレイの眼にも明らかだ。そしてアッシュレイは魔人に拒否反応を示す傾向がある。

「とりあえず、座ってみたら?」

アイビーがアッシュレイたちに椅子を勧める。

「俺たちはもう帰る。調査は終わったからな」

フレイがずんずん外に行こうとするのをアイビーが引き留める。

「いいから、コーヒーだけでも飲んでいって?ね?」

今度ウマイの肉の割引しますから。アイビーは小声で伝える。

フレイは頭の中で利益と損益を計算したのだろう。複雑な顔で席に着く。そうなるとシオンとしてはフレイをおいて行くわけにはいかない。フレイがどんな発言をするのか分かったものではない。

アッシュレイとガレリスは向かい合って座る。まるで対決するかのような緊張感が漂う。

アイビーが四辺のうち二人の間に一人で座る。その向かいにはフレイとシオンがそろって座っている。

シオンとフレイは、どうして、こうなった。と心の中で思った。

フレイは、これはウマイの肉では足りないほどの面倒ごとだと悟った。

アッシュレイの顔は能面を通り越して、虚無である。自分の嫌いな魔人が彼の妹の恋人なのだ。その心中は複雑なはずである。

「兄さん、彼は私の恋人、ガレリス・フィルバード」

「アイビーは両親を亡くしていると聞きました。だからアッシュレイさんに、あいさつしたかったんです」

ガレリスが言う。硬直するアッシュレイ。思考が停止してしまっているらしい。

「ガレリス、さんとアイビーはどういうなれそめで?」

シオンが仕方なく代わりに口を開く。

「俺もイウトピアに住んでいまして。アイビーとは隣人同士。自然と知り合うようになったんです」

「アイビーは、ガレリスが好きなんだな?」

シオンが聞く。

「自信に満ち溢れているところがいいの。俺様なところが素敵で」

のろけをくらってしまったシオンであった。アイビーの好みらしい。

「アイビーは魔力なしだ」

アッシュレイがついに口を開く。

「知っています」

「知っていて、アイビーと交際しているのか?アイビーのことは遊びで、飽きたら捨てるつもりなんじゃないのか?」

「兄さん!いくらなんでも失礼よ!」

アイビーが口をはさむ。

「俺は本気です。アイビーのことを守りたい。今日はその印を持ってきました」

ガレリスは、ポケットから箱を取り出す。

まさか、婚約指輪か!?とシオンが身構える。そんな場面にはあまり居合わせたくない。とくに隣でアッシュレイが冷気を噴き出しそうなしかめつらをしているときに。

「これを、アイビーに。婚約の証として」

ガレリスが取り出したのはネックレスだった。

大ぶりのガラスの破片のようなものが入っている。

アッシュレイとフレイにはそのものが何か、すぐに分かった。

「タリズマン、か?」

フレイが息をのむ。

あまりに精巧なタリズマンだった。緻密な魔法陣が宝石のような魔力クリスタルに刻まれている。刻まれた魔方陣に流れる水のようにゆらぐ光の筋が輝いている。

タリズマンは、魔具が台頭してくるまでに主流だった魔具の前身ともいえるものだ。

ただし、無属性の魔力を使ってでなく、人の魔力を使い、魔力クリスタルを染める。そのうえで細かな魔法陣を狂いなく刻み、さらに魔法金属アルカナをその刻み目に流し込む。

その後、魔力クリスタルの表面に凹凸がなく魔法陣が均一にならされるように研磨する。

時間と労力と魔力が必要な、とても高価なものだ。

今では伝統工芸品として指定されている。作れる職人もわずかだ。

「これは、とても緻密な魔方陣だ」

アッシュレイが息をのむ。ルーンの呪文構築を知っているから、魔方陣が読み取れるのだろう。

「込められた魔法は、半球形のシールド。それに恐怖をトリガーとした自動起動。おまけに周囲の人間に害をなさない感知機能付きだと。さすがは魔法に秀でた貴族系とうのものが作るだけのことはある」

フレイが読み解いて言う。魔方陣を作るものにとってタリズマンはあこがれの対象なのだろう。

「絶対守護のタリズマンだ。俺からアイビーに送りたい」

ガレリスが、タリズマンをアイビーに渡す。

空を映す澄んだ湖面の様な色の美しいタリズマンを受け取り、アイビーも息をのむ。

「ガレリス、こんな高価なものはもらえない」

魔具についてよく知らないアイビーにもこれが高価なものだとわかる。魔術的な価値だけでなく、装飾品としても美しい。

「俺の、お前を守りたい気持ちだと思ってくれ」

ガレリスが言い、アイビーとガレリスは二人きりの世界に入ってしまう。

「絶対守護のタリズマン、の効能は、持ち主が攻撃を受ければ全方向に球形に自動展開する、シールド魔法のタリズマンだ。持っていて悪いことはない」

ガレリスが言い添えると、アイビーは観念してように箱を受け取る。

それは、アッシュレイには一生かかっても買えないものだ。

だから、いけすかない魔人だったが、アッシュレイはその気持ちに嘘はないと判断した。

「ガレリス」

アッシュレイがあらたまった声で言う。

「アイビーを頼む」

「必ず、守ってみせます」

ガレリスが自信があるように笑う。


「まさか、アイビーの恋人があらわれるとはな」

イウトピアからの帰り道にシオンが言う。

「おかげで面倒だった」

「フレイはウマイの肉につられていただろ。ていうか、ウマイってなんだ?」

「高級肉だ。あれはそう簡単に食べれるものではないからな。アイビーが務めているレストランチェーン店のグループに高級ステーキ屋があるんだ。アイビーは関連企業に勤めているから割引が効くらしい」

「突然な食いしん坊キャラか!お前案外食い意地はっているよな…」

シオンが脱力する。

「シオン、フレイ、俺から依頼がある」

アッシュレイが言いだす。

「なんだ?報酬にもよる」

「ガレリスのことを調べてくれないか?」

アッシュレイが真剣に言った言葉にフレイたちは少し笑ってしまう。

「少し、妹に対して過保護すぎるんじゃないか?」

フレイが言う。

「それは、そうなの、かもしれないが。どうしてもガレリスがアイビーを好きになる理由がわからない」

「アイビーは魅力的な女性だぞ」

シオンが非難めいた口調で言ってしまう。

「それはわかっている。ただ、魔人だぞ?魔力がそこまで高いものが魔力なしを相手するとは思えないんだ」

「魔力なしからは魔力が低いものが生まれる可能性が高いから、か。だがそれだけで人を見るわけではないだろう?」

シオンが言う。それは身分の差の恋はありうると信じるロマンチストなシオンらしい。

「もちろんガレリスの気持ちを否定するつもりはない。誠実そうな印象をうけた。だが心配なんだ。アイビーはその、男を選ぶ目が若干怪しい」

アッシュレイが慎重に言う。シオンとフレイもそれはフードコートで聞いていた。

「いくら出せるかによるな」

「10万リピアでどうだ?」

「いいだろう。ガレリスはハンターのようだったからな、その筋で情報を集めてみよう」

シオンが依頼を受ける。

「じゃあ、俺は帰る方向が違うから。依頼を受けてくれて感謝する」

アッシュレイがフレイたちとは違う道へ向かう。

シオンは沈んでいく夕陽を見上げる。イウトピアからシオンたちの事務所まではかなりの距離がある。

「そうだ、シオン、これをお前に渡し忘れていた」

フレイがコートの異空間ポケットから魔具を取り出す。

シオンはそれを受け取り、眺める。シオンにはルーンの呪文はわからない。

だがフレイが渡すのなら自分に関係のあるものだろうとは思い。そして思い至る。

「もしかすると、気配阻害の魔具、か?」

「俺が作ったものだ。よく考えればお前にも、それは必要だったな」

フレイがそっぽを向く。

「俺も、既製品は持っているけど、こっちのほうが軽くて小さいな。ありがとう、フレイ」

シオンがお礼を言う。そして、ひらめく。

「違和感の正体がわかった」

シオンが思いつく。ずっと気になって考えていたのだ。

「どういう違和感だ?」

「あの部屋は、魔力なしに貸し与えられているのに、気配阻害の魔法がかかっていなかったんだ。あの魔法は、魔物から魔力の気配探知を阻害するもの。だから部屋にその魔法がかかっていたら、俺には地下の魔法の流れは探知できないはずなんだ。俺も、魔力を探知するときは、そのつど気配阻害の魔具を切っている」

シオンが言う。

「それだけ、魔物が来ないビルだと自信があるんじゃないのか?」

フレイが指摘する。

「そう、かもしれないけどな。でも万全をきすなら気配阻害の魔法は必要だと思う。よほど魔物を引き寄せない魔法を使っているのか?ますます、イウトピアの魔法が知りたいな。それがあれば魔力なしは安全に暮らすのが楽になるはずだ」

シオンが楽観的に言う。

「謎が深まるばかりだったな」

フレイも同意した。

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