2章4話 師の教え
「時間だな。今日の訓練は、これで終わりだ」
アッシュレイが言い、学生たちが了解の返事をする。
「シオンには、サテライト・コーヒーでコーヒーを一杯おごる。それぐらいしかできなくて申し訳ない」
アッシュレイがシオンに申し訳なさそうに言う。
「いやいや。十分すぎる。サテライト・コーヒーの飲み物はどれも高価だからな。ここ一年ぐらい飲んでいない」
シオンが笑顔で言う。その言葉にアッシュレイが微妙そうな顔になる。
「シオンは、案外金欠なのか?」
ディルが、シオンにずばりと聞く。こういう鋭い質問は若いものの特権だな…と思いつつシオンは正直に答える。
「実はそうなんだ。もうかつかつで」
シオンが言い。学生たちが微妙な雰囲気で顔を見合わせる。
「シオンさん。あんなに銃うまいのにな」「現実はそんなもんか」「ハンターにもいろいろありますから!」「元気出してください!」
学生たちに気を使われるシオンであった。そこまで優しく応援されるとシオンもさすがに悲しくなる。
「なら、よかった。サテライト・コーヒーのどれでもおごりますから」
アッシュレイが明るく言い。
「アイビー。学生たちを送り届けてくれ」
と一緒に来ていた女性に言う。顔立ちがよく似ている。おそらく年齢的にきょうだいかもしれない。
学生たちとともに、上階行のエレベーターを待つ。
「今日は本当にありがとうございました」
アッシュレイが改めていう。
「いや。これも何かの縁だ。俺で良ければいつでも訓練に参加しよう」
シオンがアッシュレイをだますことに少し後ろめたく思いながらも申し出る。
今、このタイミングなら、おそらく違和感はないはずだ。
「そうだな…。だが互助組合にはハンターに依頼をするような資金はないんだ」
アッシュレイが言葉を濁す。歯切れの悪そうな言い方だ。
シオンは自分の第一印象はそんなに悪くないはずだと思っていた。だから何をアッシュレイが気にしているのかわからない。だが何かに迷っているのは感じ取れた。
だからそれ以上の深追いはしないことにする。ここで押しすぎてもおそらく不自然だろう。
「そうか。このモールは俺の住んでいる場所に近いんだ。だから、もしまた訓練場でばったりあうことになったら、少し参加するから声をかけてくれ」
シオンが一歩引いて言う。
エレベーターが到着し、学生たちとシオンとアッシュレイはそれに乗り込む。
「互助組合ではお金を払えない。ということは、コーヒーのおごりはアッシュレイからか?」
シオンが持ち前の勘の良さを発揮し、アッシュレイに聞く。
「そうだ。俺はそこそこ収入が多いほうだから、気を遣う必要はない」
アッシュレイがシオンが遠慮するのを察して先回りして言う。
「魔力なしにできる仕事は限られているだろう?なんの仕事をしているんだ?」
シオンが聞くのと同時に、エレベーターが目的の階にたどり着く。
流れ込む雑音。人の話し声、食器の鳴る音。混ざり合った食品のにおいが押し寄せる。学生たちはもう少し上の階に向かうらしい。シオンたちは彼らと別れてその階で降りる。
「これは秘密にしてほしいんだが」
アッシュレイがエレベーターから降りて待ち、他の客がフードコートに流れ込んだ後に小声で言う。
「俺はもぐりの魔具技師をしているんだ」
アッシュレイの言葉にシオンは驚く。そして、アッシュレイがアートボマーである可能性が高くなったことと、そう思っている自分に、少しいやな気持になる。
アートボマーは魔方陣で組んだ爆弾を作っているからだ。
魔方陣なら、魔力が低くても組める。それを証明するために、魔法爆弾を作っている。だから、この爆発魔法は、アートだ。それがアートボマーの理念だ。
もぐりの魔具技師なら、そういう主張をしそうではある。
「あれが、俺の相棒だ」
シオンがフードコートの一角に陣取っているフレイを指し示す。
フレイは室内でも、その黒いロングコートを着込んでいる。なので非常に目立つ。
今日は男物のつば広帽で、魔人の角を隠している。それもコートと同じ黒なので不自然なことこの上ない。だが、目印としてはわかりやすい。
「じゃあ俺は、コーヒーを買ってくる。シオンは相棒さんのところで待っていてくれ」
アッシュレイは、サテライト・コーヒーへ向かう。
シオンはフレイのところに向かった。
「状況は?」
フレイが席についたシオンに短く小さな声で確認する。
「魔力なしの互助組合と接触はできた。ただ、これからも継続して関係性をあげていかないと互助組合を探るのは難しいだろうな」
シオンがそれにアッシュレイには聞こえない大きさの声で答える。
「気長に待つしかない、か」
フレイが同意する。
シオンとフレイは、サテライト・コーヒーからアッシュレイがやってくるのを待つ。
「お待たせ、シオン。それに相棒の…?」
アッシュレイは三人分のコーヒーをお盆に持ってきた。フレイの分まで買ってくれたようだ。
「フレイ、だ。相棒が世話になったな」
フレイが短く言う。
「いや、そんな、俺たちのほうがシオンに世話になった。これはそのお礼だ。フレイさんも、良ければどうぞ」
アッシュレイが全員にコーヒーを配る。
「ありがとう。あー。高級コーヒーはやっぱりうまい」
シオンがコーヒーを一口すすり、味わう。
「そんなにかつかつなのか」
アッシュレイがシオンのしみじみとしたつぶやきに笑ってしまう。
「主に、こいつが、ノーコンだからだけどな」
シオンが自分のことを棚に上げてフレイを指し示し、言う。
「そして、こいつがカネにならん仕事を受けるからだな」
フレイもコーヒーをすすりながら、やり返す。
なんだか、空気が悪くなったことにアッシュレイが慌てる。そしてここには間に仲裁に入るアルトが不在である。どうやら先に帰ったらしい。
「アッシュレイさん!この気配隠ぺいの魔具。点検してもらってもいいですか?」
アッシュレイたちの席に駆け寄ってきたのは、先ほどの学生、ディルだ。
球形の魔具をアッシュレイに差し出す。
「魔具の作成ができるのか?」
アッシュレイはディルから魔具を受け取り、球をひねって中身を取り出す。それを見てフレイが興味を持つ。フレイも魔方陣の作成が得意だからだろう。
「そうだ。これは魔力なしの気配を隠ぺいする魔具だ。魔力なしは弱い魔物をひきつける性質がある。だから、こういう魔具が必要不可欠なんだ」
アッシュレイが説明する。
「見たことがない魔方陣だな。オリジナルか?」
「そうだ。一から作った魔具だ。気配隠ぺいの魔具はそれなりに高価だからな。貧しい魔力なしはなかなか買えない。だから魔力クリスタルとアルカナのペンを使って即席の魔具を作って配っている」
「すごいな。魔法陣の作成ができるのか?魔力なしは、魔法院で学べないだろう?」
フレイが感心する。
「学ぶのはかなり大変だった。だが呪文と違い、発音は気にしなくていいぶん、魔具作成のほうがハードルは低い。この気配隠ぺいの魔具は、何度も改良を重ねて。少しでも魔力クリスタルのサイズを下げて軽量化、安価にできるように苦労した」
「それは、見ていれば分かる。おそらく市販の気配隠ぺいの魔具より、魔法効率がいいように見える」
めったに人をほめないフレイがいう。フレイはお世辞が嫌いなので、うそは言わない。
「ただ、手づくりの魔具だから、すぐに魔法陣が焼き切れてしまう。だから定期的なメンテナンスが必要だ」
「アッシュレイさんはすごいんですよ。独学でルーンの呪文構築学を学んで。魔具まで作れて。それなのに、魔力なしだからって正規の魔具技士になれないんだ。不公平だよな」
気配隠ぺいの魔具を差し出したディルが悔しそうに言う。
「魔力クリスタルがもう少し安ければ、もっと多くの気配隠ぺいの魔具を配れるんだがな」
「それでも、十分安いです。とても助かっています」
ディルが言う。
フレイはそんな魔具をしげしげとみていたが、ある一点を指さす。
「ここのルーンをオウンに変えると、魔力消費率を下げられると思うぞ」
フレイの一言にアッシュレイは驚く。
「ここか?」
アッシュレイは魔方陣の書かれた紙の、フレイの指さした部分を見る。
「確かに、そのほうが、効率は上がるな。次に作るときはより小さな魔力クリスタルを使えるかもしれないな」
アッシュレイは魔法陣の描かれた厚紙を見て、よく考えてから言う。
「ほかに何か気が付いた点があれば教えてくれないか?俺の周りには、魔具について、研究できる仲間が少ないんだ」
アッシュレイがフレイに教えを乞う。
「フレイも友人自体少ないからよかったじゃないか」
「余計なお世話だ」
フレイがシオンに言い返し。
フレイとアッシュレイが魔法陣の構築についてうんぬん話し出す。話が盛り上がり始めたようだ。
呪文構築学など理解できないシオンは一人かやの外に置かれた気分で、アッシュレイがおごってくれたコーヒーをすする。
「あのっ。シオンさん」
魔具を受け取ったディルがシオンに遠慮がちに声をかける。すぐにその場を離れなかったので、アッシュレイに何かほかの用事があるのかと思っていたシオンは自分に話しかけられて少し驚く。
「どうしたんだい?」
シオンは聞き返す。
「どうやったら、射撃がうまくなりますか?何か、コツとかあるんですか?」
ディルは逡巡ののち、意を決して聞く。
「そうだな。毎日の積み重ねが大切だな」
シオンがあっさりとごく普通の返答をする。
ディルは何か重要なコツが伝授されると思っていたようだ。あからさまにがっかりした顔になる。
「それは、シオンさんに才能があったから、うまくいったんだ」
ディルがかたくなに否定する。
「そうだな。おれはこうみえて運動嫌いで反射神経も人より遅いし、インドア派だし。ちなみに趣味は読書だ」
シオンが言う言葉にディルは意外な顔になる。
「意外でもなんでもないと思うぞ」
フレイがちゃちゃを入れる。アッシュレイとの呪文談義が終わり、シオンたちの会話を聞いたのだろう。
アッシュレイも興味を持ったように、シオンと学生の会話を聞いている。
「でも、それでもハンターになれたのはシオンさんに才能があった、という証明だ」
ディルが思いつめたようすで言う。シオンが見たディルの銃の腕は決して悪くない。ディルはまだ学生なのだから、伸びしろはある。だがディルはそんなことを聞きたいわけではないのだろう、とはシオンには予想できた。
「俺も、始めはうまくいかなかったな。それで、何度繰り返してもうまくならない、自分の下手さにがっかりするんだ。それが嫌でやめようと思ったこともある」
シオンが自分の体験談を話す。それが一番手っ取りばやいと思ったからだ。
ディルも自分に思い当たる節があるのだろう。はっとして顔を上げる。
「でも、そんな俺はこういわれたんだ。少しでもいいから、毎日続けていくんだ。その毎日の積み重ねが、やがて花開くかもしれないのだから。あきらめるのはもったいないってな」
「そんなの、花開かない可能性だってあるじゃないか」
ディルが悔しそうに言う。ディルも昔のシオンと同じだ。うまくいかないことに焦りを感じている。
「それは、そうだな。だが何もしなければ、何も起こることがないんだ、って。当たり前のことではあるけどな。続けてきたからこそ、今の俺がある。それだけは本当だ」
シオンが苦笑する。
「そう、なんですね。シオンさんでもそうなんだな」
ディルが俯く。
「俺も偉そうなことは言えないけどな。本当に努力している人は、アッシュレイさんのような人だろうと思う。俺は父が教えてくれたからいやいや身に着けた。アッシュレイは自分からルーンの呪文構築学を学んだんだろう?」
シオンがアッシュレイに話を振る。
「俺だって呪文構築学を学んでいるぞ」
フレイが言った。
「お前はもともと才能があるほうだろう。魔人なんだからな」
シオンがにべもなく言う。その言葉にアッシュレイがわずかに顔をこわばらせる。さっきまで呪文構築学について語り合っていたフレイと距離をとるように、わずかに椅子の位置をずらす。
「毎日少しづつしか進めないなら、毎日少しづつでいいから、積み重ねていくのが大切なんだ。継続は力なり、というしな。ウサギと亀の亀のほうな俺たちは。実際にわずかな努力で実る才能だってある。でもそうでないなら、そうでないからこそ、努力が必要になるんだ」
シオンがディルに真摯に答える。
「そう、なんですね。シオンさんみたいな人でも、始めはうまくなかったんですね。俺も、毎日努力してみます」
ディルは頭を下げて、その場を去る。
「シオンさん、時間がある時でいいので、学生たちに銃を教えに来てくれませんか?」
アッシュレイが改まってシオンに言う。
「俺でよければ別にかまわないですけど」
シオンが言う。突然乗り気になったアッシュレイを不思議に思う。
「ただ、互助組合でどれほどのお金を出せるか、分からないのですが…」
アッシュレイが遠慮がちに言う。
「それこそ互助しあうための組織ですから。俺の父も魔力なしだったから、これも何かの縁だ。お金が出なくても協力します。そんなに頻繁にとはいかないですけど。俺なんかが教師役でよければ」
シオンが謙虚に言う。
「シオンさんの教えはきっと学生たちにいい影響を与えると思います。先ほどの努力の積み重ねという言葉は、俺にも理解できます。正直、シオンさんがあのハンターをやりこめたとき、才能をひけらかしているのかもしれないと思いました。でも、シオンさんは努力の大切さを知っている。だからこそ頼みたいと思ったのです」
アッシュレイが言う。
「実は師匠である父の受け売りなんですけどね」
シオンが苦笑する。
「教えは受け継がれていくべきですから。それにシオンさんもそれに一理あると思ったから、ディルにもそう伝えたのですよね?その精神性がいいと俺は思います。初めからできる、というわけでない、積み重ねが大切だと思う人だからこそ教えられることも多いと思いますから」
アッシュレイが言い、シオンに手を差し伸べる。シオンはその手を取って握手した。
「よろしくお願いします、シオンさん」
「こちらこそ、教えることが最大の勉強だと言いますから。よろしくお願いします」
シオンとアッシュレイは握手を交わす。
こうしてシオンは魔力なしの互助組合と関わり合いを持った。それはシオンたちの当初の予定の通りだった。
アートボマーはアッシュレイかもしれない。そんな暗い予想がシオンの胸を横切った。そして、そうであってほしくないとも願った。
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