1章15話 研究者の矜持

「これが、昨日の、違法研究所の摘発の画像だ」

アーヴィングが暗くした室内で言い、シーフィッシュの立体記録を展開する。ガラスのキーホルダーを指ではじく。キンとガラスの当たる鋭い音とともにシーフィッシュが姿を現す。長い胸鰭を翼のように広げて、空を泳ぐ。

小さな金魚よりは一回り大きいそれは、闇の中でぼんやりと明かりを放つ。

同時にアーヴィングがキーホルダーを置いた机に小さな立体画像が浮かぶ。

『現在時刻、夜十一時。魔犯罪組織の研究所がビル、最上階にあると情報を手に入れたため、魔法院で対応。先に下の階の会社員たちの退避が確認済み。これより、研究所へ侵入する』

同時に音声も聞こえてくる。

声は魔法院の精鋭の直属部隊ものだ。

魔法の研究は基本的に魔法院しか行えないことになっている。このように違法に研究を行う場所は多い。今回摘発した研究所は魔犯罪組織のものである。

「昨日夜十時。違法研究所を摘発したときの動画だ。魔物を発生させる魔具の研究はここで行われていたと考えられる」

アーヴィングが説明を入れる。

部隊は静かに慎重に、エレベーターで最上階へ向かう。

エレベータの中は緊張感が感じられる。

無理もない。

与えられた研究所の位置の情報はあまりにタイミングが良すぎた。

つまりなんらかの罠の可能性が高い。

そしてクラウドナインの多くの高層ビルと同じで、このビルにも階段はなく、ただエレベーターでしか上階へ上がれない。

つまり、エレベータの前で待ち伏せされては、一方的に攻撃を受けることになる。

部隊は魔法院の精鋭だ。政府からの補助金も厚く、ゆえに服の下に着るシンプルな強化魔法のスーツを着ているだけではない。目立たない地味な色合いながらごつい装甲が体の要所を守っている。そして、みな腕にはシールド魔法の魔具。

「到着口前面の隊員。シールド魔法、展開。密になり、隙間を作るな!」

隊長が命ずる。

一斉にエレベーターの入り口付近に並ぶ部隊のメンバーがシールド魔法を展開させる。

エレベータの到着。

誰もいない、暗い回廊。魔法灯がない。ひとけがないように見える。だが気は抜けない。暗闇の中に誰かが潜んでいるのかもしれない。

後ろにいる隊員は、シールド部隊の守りを受けながら、エレベーターから出て、左右に散開。

暗い回廊に並ぶいくつもの部屋を順番に慎重に確認していく。

『誰もいないぞ』『おかしいな』『気を抜くなよ』

画像の中で魔法院の部隊は次々と誰もいない部屋を確認している。先に進んでも変わらず人が見つからない。

「確かに、人がいないのがおかしいな。魔物を発生させる魔具。それが作られた研究所がこのタイミングで明らかになるというのは罠の可能性が高いだろう。それで人がいなかったのでは?情報自体が偽物で、そこは研究所ではなかった、ということでは?」

机の前に座る人物が問いかける。その顔は暗闇の中よく見えない。

「偽物である可能性は低いと考えられます」

アーヴィングが首を横に振る。

「なぜ、分かる?何か証拠があったのか?」

「それは見ていれば分かります。確かにこのタイミングで研究所が見つかったということ自体は相手の思惑通りではありました」

アーヴィングが説明するより見たほうが早いと言う。

「もともと、それでこの動画を見せると言っていたな。分かった。おとなしく見ていよう」

机の前の人物は大人しくアーヴィングの言うことを聞き入れる。そこにはわずかながらの信頼感がある。

『どこにも、だれもいないぞ』

『先に逃げられたか?』

『屋上への扉が開いています!』

『屋上から脱出する手段があるのかもしれない。気を抜くな!』

部隊のものたちは再び緊迫した。屋上へ向かおうとする。彼らは誰もいないので拍子抜けしていた。その気のゆるみを引き締める。

『これはやはり罠の可能性が高い』

『屋上に出たとたんに攻撃される可能性がある。地上班に連絡、魔法ヘリで上空から屋上を偵察。確認させる。突入はそれからだ』

隊長が命じ、部隊のものは屋上への階段、その前で待機する。

魔法ヘリの羽が回転する大きな音がビル内部まで聞こえてくる。

『屋上の確認、済みました。男が一人、屋上の真ん中に立っているもよう。武器を持っている様子、なし。危険性なしと判断します』

魔法ヘリの隊員が伝える。

『よし、突入だ』

屋上の扉が開け放たれる。

そこに、一人の男性が立っていた。

魔法ヘリが轟音を鳴らすほどに屋上に近づき、強い魔法の明りを投げかけている。

男性はまるで、スポットライトに当たった役者のようにも見える。

研究者の矜持を見せつけるように、真っ白な白衣を着ている。それが誇りをこめて振られる旗のように風になびいている。白い夜明けの御しるしのように。

『誰だ!』『魔犯罪組織の組員か?』

魔法院の精鋭たちは素早く男の周りを取り囲む。

「彼は?」

動画がとまり、男の顔がアップにされる。

「あいつか…まああいつならやりそうなことだな」

部屋で動画を見ていた三人目の人物が声をあげる。

顔を確認しようと身を乗り出したためにシーフィッシュの動画の灯りに照らし出される顔は、魔法院の研究局長のもの。

その研究局長には知己のものだったようだ。

「彼は、魔法院の研究員なのか?」

机の前に座っている人物が問う。

「元、だけどな。魔法院に席を置いていたことがある」

研究局長が説明する。

「このような事件を起こすような人物だったから辞職、あるいは首にされたのか?」

「違うな。こいつは誰よりも研究熱心な、いい研究員だった」

研究局長はそう認める。

「なら、なぜ魔法院を去った?研究熱心なら、お前が何があっても擁護したはずだ」

「そうだな。研究熱心だったからこそ、だな。あいつは自分の意志で魔法院を去った。ここで研究が許されていなかったから」

研究局長が言う。

「その研究が、魔物の発生理由、か」

机の前の人物は深く納得する。

「あたりだ。魔法院では。というよりほとんどの国で精霊の魔物化の研究は禁じられている。だがあいつはそれを調べようとしないのは、研究員として正しくないと言った。彼には真実を探求するという強い意思があった。研究者の矜持というやつだ」

研究局長が事件を起こしたと思われる研究者のほうを称賛する。

「かつて神とも呼ばれた精霊が、なぜ魔物と化して人を襲うのか、だな。確かに一番に研究されそうなものだ。禁じられているのがおかしい」

アーヴィングが言う。その理由が分かれば。多くの命が救えるかもしれない。毎年何千人もの人が魔物により死んでいる。

「なぜ、禁じられた研究なんだ?」

机の前の人物が聞く。

「それはおそらく、動画の続きを見れば分かる。そうだろう?アーヴィング?」

研究局長がアーヴィングに尋ねる。だが彼は既にこの動画の終わりを知っているようだった。

「何が起きるか知っている。それはつまり、研究局長も、禁じられた研究に手を出したことがあるのだな」

アーヴィングは理解する。

「俺は研究が好きだからな」

研究局長は肩をすくめてみせる。

「では動画の続きを見よう」

机の前の人物が言い。動画が再開される。

『お前は、この研究所の職員か?魔物を発生させる魔具を開発したのはお前か?』

魔法院の部隊が聞く。用心深く男の周りを取り囲む。

『そうだ!俺が死のタネをまいた!だがそれは研究員としての誇りのためである!あの魔具を解析するものに、幸あれ!そこには禁じられた研究の秘密が隠されている!』

男が大きな声で叫ぶように言う。

秋風の吹き荒れる屋上でもその声は凛と届く。まるで劇の役者のように朗々と。

『犯人を確保する』

『後に続くものへの警告として、そして死をばらまいた罪の罰として!俺は自らの死で償おう!魔物の、発生理由は…』

男が言おうとするのと同時に、声がとまる。

『さがれ!』

魔法院の部隊は、男の周りを円形に取り囲み、徐々に輪を縮めていた。だがその部隊がさっと、中心から距離をとる。さがれ、と言う隊長の命令に従ったためだ。

そして、円の中心にいつの間にか、もう一人の男が立っていた。

白いスポットライトを浴びながらも、黒い闇をまとっているようだ。

彼はどこからともなく現れた。

その時に魔法に付随する魔法の発動光が一切ない。何の前触れもなく、男はその場に立っていた。

それは魔法と言う奇跡が発達したこの世界でも、異様と言うべき事態だった。

『誰だ!』

隊長が警戒して聞く。

現れた男の後ろで研究員が崩れ落ちていた。

新たな闖入者は、研究員に指一本触れていないのに。

『俺はダムド。呪われしもの。世界にかけられた、呪いそのもの』

ダムド、と名乗る人物が暗い声で言う。

身にまとう服はボロボロで。髪はぞろりと長く。ひげが伸び放題になっている。目に光なく。どんよりとした底なし沼の様な暗い瞳だ。目の下には黒々としたクマがある。全体的に不健康な人物そのものという風情だった。

ただ一つ、身にまとうもので異様に輝いているのは右手の中指に輝く金色の指輪。まがまがしいほどに明るく輝くその指輪は、まるでダムドの生きる力そのものを吸い取っているかのように見える。

ダムドは強そうには見えない。

だがこの人物には得体のしれない何かがあると、魔法院の部隊のものは悟る。

『話すものには死を。だがそうでないものに死ぬ必要はない』

だが得体のしれないようにみえたダムドはあっさりと言い。再び忽然と姿を消す。

再び魔法の発動光がなかった。呪文も唱えていない。魔法陣に魔力を込めた様子もない。

「彼は、なんだ?」

動画を見ていた人物が聞く。

「彼こそが、精霊の魔物化の研究が禁じられている理由だ。多くの魔物の研究者が不審な死を遂げている。そのことから魔物の研究は長らく禁術とされている。魔物が出現する理由を口にしたものは死ぬ」

研究局長が説明する。

「ばかな。たった一人の人間に、世界中の研究をみはることなどできないはずだ」

「あれは、あいつの言う通り、呪いなのだということだろう。おそらくあのダムドという人物もまた呪いの被害者なのかもしれない。ダムドという人物は知らなかった。だが俺も、何かが研究員を殺しているということは分かっていた。俺や、あの魔具をばらまいた研究者みたいに事前にそれを知ったうえで研究するものも多い」

「なるほどな。つまりお前は精霊の魔物化の理由は知っているが、話すことはできないということか」

机の前の人物が言う。

「あの研究員は、魔具をばらまくことで、魔物化について真実を知るものを増やしたかったのだろう。ああやって、自分が死んで見せたのも、おそらく、死ぬことなく真実を知るものを増やすため。研究者の鏡だな」

研究局長は研究者の方に肩入れしているようだ。うらやましそうですらある。

「文字通り研究に自分の命をかけた、か。いかにもお前がやりそうなことだがな」

アーヴィングが言う。

「俺はそんなことはしない。研究を続けたいからな。それには生きている必要がある」

研究局長は軽く言う。

「どっちもどっちのマッドサイエンティストぶりだな」

机の前で動画を見ていた人物がつぶやく。

「とりあえず、今回の件で、精霊の魔物化の理由を知りたい研究者が増えるはずだ。魔具は回収したし、無駄な人死には避けたいから研究員たちには渡すつもりはない。それでも念のため彼らにこの画像を見せておくとしよう。うちの研究員は優秀だ。隠れて実験しだす奴が出そうだからな」

「あー。俺にも一人、そういうことをしそうなやつの心当たりがある。そいつにもこの画像を見せておく」

アーヴィングは勘がいい。だからその後、フレイとシオンにこの動画を見せておいた。

「後でデータとして送っておく。だがどうも政府はこれを隠したがっているようだ。この動画はあまり広めないほうがいい」

机の前に座る人物がいう。

そして、机から立ち上がる。

浮かび上がるのはまだ年若い青年の顔。

そしてその頭上にはクラウドナインでただ一人しか持たない冠が飾っている。

鹿角の冠が淡いシーフィッシュの投影画像に輪郭を表す。

その者の名はケテル・ケフィウス。

魔法院の長だった。

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