1章14話 禁じられた研究

「フレイ―。そろそろ飯だぞ」

シオンが事務所の台所、その頭上のロフトに声をかける。

ロフトからフレイの、そうか、とかいう生返事が返ってくる。

ロフトは一つのカベから突き出している。ロフトにはもともとついていた梯子があったが、フレイによって取り外された。フレイ曰くプライバシーは必要だとのこと。

フレイは空を飛べるので梯子も階段もなくとも問題ない。それによってフレイはシオンの立ち入らないエリアを確保できる。

「フレイ、聞こえているのか?」

「わかった、もう少し待ってくれ」

フレイの生返事が再び返ってくる。

「まったく、まだ研究中か。フレイの呪文構築学の研究はほぼ趣味だな」

シオンは苦笑する。

あの夜、学校に設置された魔具の一つをフレイは勝手に持ち帰っている。

それは魔物を発生させるという前代未聞の代物だ。それを解析することにより、魔物の発生の原因を知れるかもしれない。

もちろん、監督官のアーヴィングにも黙っている。言えば止められるのが分かっているからだ。

シオンはフレイが下りてくるまでに昼食(時間は夕方だが)を用意する。ハンターたちは魔物を狩るのを生業としている。魔物が発生するのは夜中の十二時から四時だ。だからハンターたちはどうしても夜型の生活になる。

にゃあん!どこからともなく表れたケット・シーが足元で鳴く。

「今ご飯をあげるからな」

シオンが戸棚から猫缶を取り出す。

シオンの肩にのっていたフィンはすねて、フレイのいるロフトへ飛んでいく。

「フレイ飯だ。もう皿によそってあるからな」

シオンがロフトに最終通告する。

フレイは料理を作るのが趣味だ。自分でも料理をするし、シオンよりはるかにうまい。そして皿によそった食事が冷える可能性があるとすぐに下りてくる。

冷めた料理よりあたたかいもののほうがおいしいからだろう。フレイは案外グルメなのだ。

「またそのケット・シーか」

案の定下りてきたフレイがいやそうな顔をする。

羽根つきトカゲのフィンがクゥエーと鳴いて同意する。

「別にいいだろ、ご飯をあげるぐらい。フィンのご飯がストックされているし」

シオンがフィンが主に食べる、鶏ささみをケット・シーに取り分ける。

「そいつはこの間、俺のロフトに転移してきたんだ。こいつらには扉が意味をなさないから、いやなんだ。お前が餌付けするから、事務所にも勝手に入ってくるしな」

フレイがぶつぶつ文句をいう。

ケット・シーは神出鬼没。自由気ままにどこにでも現れる。

ふらりと表れて、ふらりと消える。

そのせいか、猫に九生ありといわれるゆえんである。つまりは転移魔法を使えるのだ。

「いいじゃないか、ケット・シーは益獣だぞ。クラウドナインが公式に保護している存在だ。クラウドナインに住めば、ケット・シーを見ずにはすまされないっていうぐらいだしな」

シオンがいう。

「確かに弱い魔物を駆除する、というのはわかる。だがお前は魔力探知が使えるんだ。魔物が弱いうちに駆除できてるだろう」

「いいじゃないか、猫はかわいいし」

シオンが最後には理論的に攻めるのをやめる。フレイは理論武装に弱い。だがつじつまが合わないと徹底的に追及される。

「この前は、俺が魔物発生の魔具を解読しようとしていたら、テーブルに乗ってきて、じっとこっちを見るんだ。猫が何を考えているのか、わからん。だがなんとなくその魔具の魔方陣に興味があるみたいにみえた。すぐに追い払ったがな」

「それで結局何か、何か分かったのか?」

シオンが聞く。だがフレイが作業に集中していたのだ。まだわかっていないのだろうと思う。

「そうだな。意味が分からない。あれで魔法が作動すること自体ありえない」

フレイが昼食を食べながら、難しい顔になる。

「俺に意味が分かるとは思えないけど、なんで意味が分からないのか、聞いてもいいか?」

シオンはルーンの呪文構築学を知らない。学ぶ必要も気もなかった。だから完全に何もわからない可能性も高い。

「説明が難しいな」

「自分だけ何もしないのもなんだし、呪文構築学を知らないからこそ、何か意外な観点からものをみれる、かもしれない」

シオンが希望的観測を述べる。

「それもそうか。ちょうど行き詰ってはいたしな。あまり期待してはいないが、説明してみよう。俺にとっても説明することで、問題を頭の中で整理できるかもしれないしな」

フレイが了承する。

「それで、どうして魔法として成立しないんだ?魔力クリスタルを内蔵した魔具なんだろう?魔方陣のルーンを読み解けばいいだけではないのか?」

「そうだな、あの魔具の基本的ルーンの配置から、あれは情報位階、データスフィアにデータを転送する装置のようだ」

フレイが昼食を咀嚼してからいう。

「データスフィアに?ならデータスフィアで使う、ルーンの記述改変のコードなのか?」

シオンが乏しい知識を集めていう。

「そこが不思議なんだ。データスフィアに何か魔法を転送して、魔物が出現した。ということは、魔物はデータスフィアから出現している、可能性もあると思った。つまりデータスフィアから、魔物を召喚する魔具、なのではないかと」

フレイが予想をいう。だが自分でも納得できていないのがわかる。

「データスフィアから魔物が現れる、か。なら、ふつうは、データスフィアに何かを転送するのでなく、呼び出す、召喚の魔方陣がかかれるはず、だから不自然なのか」

シオンがしばらく考えてからいう。

「そうだ。そして、問題はそこだけではない。その転送されたデータがもしかしたら、召喚の魔法なのではないかとも考えた。だが、そのデータが、まったく解読できない」

「禁止ルーンが使われている、ということか?」

「いや、おそらくルーンですらないと思う。あれを設置したのはおそらく魔犯罪組織。彼らも魔法の研究はしているが、あれだけの禁止ルーンを集めることはできないはずだ」

「だが、魔法なら、ルーンのはずだろう?」

「あれが、ルーンでないと思う理由がある。理由は簡単。そんなに強い禁止ルーンを使った魔法にしては、魔力クリスタルが小さい。あのサイズの魔力クリスタルで使える魔法は少ないはずだ」

「魔法はルーンが多く使われるほど、使用する魔力が大きいから、か。つまりはその魔具では魔法が発動しないはずなんだな?」

それくらいならシオンにも理解できた。

「そうだ、どうしてもそこが腑に落ちない」

フレイがいら立っていう。

「なら、ほかの魔具と連動していたんじゃないか?あの後魔具の共鳴について少ししらべたんだが、魔具の共鳴は、そろって一つの魔法を使うものの場合起きる可能性が高いと書かれていた」

シオンが指摘する。

「それはありうるな。だがほかの魔具がないから検証しようがない」

フレイは少し、驚き、何か納得した顔になる。

「つまり、その魔具はいくつか全部で魔力を共有していた?だけど、いくら魔力クリスタルを共有しても、あのサイズの魔具にできることは少ないはず、か。まるで、情報をデータスフィアに流すのだけが目的だったみたいだ」

シオンが咀嚼しながら考えたことを口にする。

「それは、そうか!そうかもしれないな…」

フレイは熟考する。

「魔物、精霊のなれのはて。彼らは肉体を持たない、なら、どこに記憶を保存していた?まさか、ということは、そう、なのか?」

フレイがぶつぶつ自分につぶやく。

「何が分かったんだ?」

シオンがついていけずに聞く。

「これは、つまり…」

フレイが言葉を続けようとして。

「それは言わないほうが身のためですよ」

突然第三者の声が割り込む。

シオンは驚きに固まり、フレイはその侵入者を睨む。

そこにいつの間にか、一人の人が立っていた。

だが正確には彼は人ではない。

肩までで切りそろえた髪は、鮮やかな緑色。それだけなら、まだ人間にもいるかもしれない。かつらでもなんでも被ることは可能だ。

だがその瞳が猫のように白眼のない、大きな緑色の眼をしている。そして猫のようにその瞳孔を細めて、フレイとシオンを見ている。

その足元でケット・シーがにゃあにゃあ嬉しそうに鳴いている。

その人物は明らかにケット・シーとよく似ていた。

「誰だ。どこから入った?」

フレイが鋭く質問する。コートのポケットには無数の魔法陣の描かれたカードがある。

だがフレイとて自分の事務所兼自宅を爆破したいとは思わない。

それでももしもの時の為に魔法陣の描かれたカードの一枚を手にする。

さすがのシオンも事務所内では銃を携帯していない。

ハンターは魔法犯罪の賞金首を狙うこともある。だから魔犯罪にかかわるハンターたちはいつでも警戒を怠らない。

だがフレイとシオンは主に魔物を狩るのを仕事としている。

人間相手の対応は準備していないのだ。その侵入者は、あきらかに人間ではないが。

「おっと。こわいですね。そう警戒しないでください。私はたった今。あなたの命を救ったんです。つまり命の恩人、というわけですね」

その人物は、面白そうに笑う。

「何が命の恩人だ。お前は何もしていないだろう」

フレイがいらだって言う。

「嘘ではありません。確かに助けましたよ。今あなたは何を口にしようとしたんですか?あっ、もちろん声に出してはいけませんよ。その情報は呪われているものですから」

その人物は猫のように目を細めて笑いながら言う。

「情報が、呪われる?つまり、禁じられた研究というのは、そういう意味なのか?」

フレイが一人思考しはじめる。

「そもそもお前はどうやってここに入ったんだ?」

シオンは相手に敵意がないと理解する。何を言っているのかまったくわからない怖さはある。それでもなんとなくこの人物が嘘をついていない、シオンにはそんな気がした。

「おっと、自己紹介が遅れましたね。私は、フェイ・シーと言います。以後お見知りおきを」

フェイ・シーは優雅に一礼する。

「フェイ・シー?それはケット・シーと関係があるのか?」

名前に明らかな類似性を見て、シオンが聞く。

「ケット・シーは私たちの眷族です。彼らの見るもの聞くものを我々は聞けます。私は都市を見守るもの、ですから」

フェイ・シーが胡散臭い笑顔になる。

「自称、都市を見守るもの、か。できれば関わり合いになりたくない」

フレイがきっぱりと言い放つ。

「でも、私はあなたの命の恩人ですよ?借りは返してもらえるはずですよね?」

フェイ・シーは獲物を逃がさない猫の目でフレイを見据える。

「確かに、その言葉に間違いないなら、お前は俺の命の恩人と言えるな」

フレイがしぶしぶ認めてシオンが驚く。

フレイは初対面の人には警戒心が強い。こんなに怪しい奴ならもっとだろう。それでもフレイは借りを作ったままにするのが嫌いだ。だからフェイ・シーがどんなに怪しくとも返すつもりがあった。

「そうでしょう、そうでしょう」

フェイ・シーが満足した猫のように目を細める。

「どういうことだか、まるで分らないんだが」

蚊帳の外に置かれたシオンが一人で首をかしげる。

「魔物が発生する理由の研究は古くから禁じられた研究とされてきたのはご存じですね?」

フェイ・シーがシオンに聞く。

「それは、フレイから聞いた」

シオンが頷く。

「なぜ、禁じられた研究にされたか。それは理由を口にしたもの、書いたものが死に至る呪いがかけられている、からなのです」

フェイ・シーが言う。

「呪いって。そんなに大規模なことができるのか?そもそも呪い自体が禁術だろう?」

シオンが理解できずに聞く。

「もちろん、呪いは禁術です。では、なぜ禁術とされたのかは?」

「危険だったから、か?」

シオンがよく分からないので適当に答えてみる。

「それで、間違いないですね」

「間違いないのか?」

シオンが拍子抜けする。

「なぜ、危険なのか、が問題だろう」

フレイがいらだって口を出す。

「よく分かりましたね。そうです。呪いはあまりにも危険だった。なぜなら呪いとは、魔力以外の対価で、魔法をおこす力だから」

フェイ・シーがとうとうと話す。

「それは、別に危険そうには聞こえないけどな」

シオンが意味がよく分からずに言う。

「いいですか、呪いの対価は魔力ではないのです。つまりどのような対価でもありうる。強い願いにはそれに見合った対価を必要とした。だから魔力を使う魔法と違い。あまりに見合わない対価を支払う必要がでてくることがある」

フェイ・シーがやっと理由を言う。回りくどい性格なのかもしれない。

「なるほどな。これはかなりの規模の、世界規模の呪いというわけか」

フレイが納得する。

「つまり、フレイは魔物の発生の理由を言えないわけか。じゃあ俺が知る余地はないな」

シオンががっかりしたような、ほっとしたような顔で言う。

正直そんな口にしたら死ぬ情報は欲しくない。

「いいえ?知ることは可能ですよ。魔物が発生する理由は、精霊たちの記憶の保管所、データスフィアが人間の情報交換の場になっていること、そして無属性の魔力が世界の魔力を乱していることから起きている現象です」

フェイ・シーがすらすら言うのをシオンは唖然とした顔で見る。

「お前は今、情報が呪われていると言っていなかったか?」

フレイがフェイ・シーを睨む。

「ええ、情報は呪われています。人間がこのことを口にすれば、死にます」

フェイ・シーがあっけからんと言う。

「それは、本当なのか?」

フレイが疑わしい目で見る。

「試してみても、いいですよ。ただ死にますけどね」

フェイ・シーが試すように言った。

「フレイ、たぶんフェイは本当のことを言っている」

シオンがフレイに言う。

「忌々しいな」

フレイが言う。

「というか、俺はその情報は知りたくなかった」

シオンが後悔する。うっかり言ってしまったらどうしようと悩む。

「お二人はどの道いずれ知ることとなったでしょう」

フェイ・シーがにんまり笑う。

「だが、それなら、ほかの種族が言えば、精霊の魔物かについて、解決できるんじゃないのか?」

シオンが慎重に聞く。

「そうですね。伝えることはできるでしょう。しかし、時は情報社会。データスフィアでだれでも情報を手に入れて、発信できる。そんな社会です。そんなところに、真実を載せてみるとしましょう。さてなにが起きるでしょう?」

フェイ・シーが聞く。答えは明らかだ。

「つまり、情報を知った誰かが情報を拡散しようとすれば、その人物が死ぬ可能性がある、ということだな。確かに、現代では致命的な情報だ。データスフィアに書き込みをするのも、情報を口にしたものとみなされるならば。最悪何千、何万という人が死ぬ可能性がある」

フレイが理解する。

「その通り。だから我々は、遠くから人族を見守っているのです」

フェイ・シーがいう。

「だが、人間を気に入らない種族もいるはずだ。そいつらはどうして情報をばらまかない?」

フレイが聞く。彼は人族以外の種族がまだ存在しているのを確信した口ぶりだ。

だがシオンにはその根拠がわからない。現代では人族以外の知的生命体は死に絶えたといわれている。

実際目撃例も存在しない。怪しげなデータスフィアの噂話にあがるくらいだ。

「そうですね。これには古い予言が原因にあります」

フェイ・シーが答える。だが先を続けない。

「どんな予言なんだ?」

フレイがしびれを切らして聞く。

「さて、どんな予言でしょうか?」

フェイ・シーは情報を与えないつもりのようだ。

「意味が分からない。それよりお前は家宅侵入罪だ。魔法院につきだされたくなければ早くいなくなれ」

フレイが言う。

「おお怖い。でも残念。私はこの通り人間ではないので、人間の法にはとらわれないのですよ。別のしがらみもありますけどね」

フェイ・シーは笑い、魔法の発動光が輝く。フェイを挟むように上下に現れた魔法陣。それが回転しながらフェイを挟んでいく。魔法陣が閉じた時にはフェイの姿はどこにも見当たらなかった。

「転移魔法か。あの魔法は着地点の確認に遠視も必要なかなり高い技術を要するものだよな」

「人間ではないのだから、特別な魔法を持っていても不思議ではない。というよりこの事務所に入れたのは、間違いなくその猫のせいだ」

フレイがシオンの足元でご飯を再開しているケット・シーを指さす。

「なるほど、フェイはケット・シーの見たものを把握していると言っていたものな。猫の視点を借りて移動魔法を使うということか。それでも高度な魔法に違いない。まさかこの世界にまだ人間以外の知的生命体がいたとはな」

シオンが深く納得する。

「とりあえずは、これからは猫をうちにつれてくるのは禁止だ」

フレイがずばりと言う。

クゥエ!と羽付きトカゲのフィンが同意して鳴いた。


フェイ・シーはさほど遠くに転移したわけではなかった。

彼はシオンたちの事務所の屋上にいた。

足元には、シオンたちに追い出されたケット・シーが不満そうな声で鳴いている。

「なぜ、彼らを助けたのか?そうですね。興味があるからですよ」

フェイ・シーがかがんで猫をなでる。ケット・シーはごろごろとのどを鳴らす。

「それに、彼らは予言とかかわりがある可能性がある」

にゃー?ケット・シーが疑問符のついた鳴き方をする。

「古き神より伝えられし、予言。名前を忘れられた神の残した言葉。我々フェイは寿命が長い。そのぶん、古い伝説も、人間族の社会よりは残っていることが多い」

フェイ・シーがいい。猫が、そのもったいぶったのはいらないから!とばかりにニャーと鳴く。

「古き神に一番近いのが竜族。彼は個として確立している。絶対的で圧倒的力を持つ。二番目がフェイ族。彼らは竜よりは新しく。神の眷属たる精霊とかかわりが深い。そしていくつかの種族たち。そしてその末席、一番神より遠いのが人族。彼らは、欠点が多い。多いがゆえに神から最も遠く、それ故に神から最も愛されし種族」

フェイ・シーが語る。

「そして、最も非力なる、最も欠点を持つ、神から遠い存在である彼らから、いつか世界を救うものが現れる。だから、ほかの種族は人族を積極的に害さない。この予言がいつか本当になる。そう信じている。古く力ある予言だから」

フェイ・シーがつぶやく。にゃー?それと彼らがなんの関係があるんだ?とばかりに猫が鳴く。

「そうですね。人族にも伝えられる、似たような伝説がある、とだけ言っておきましょう」

フェイ・シーが笑う。

意味ありげな笑みを浮かべるフェイを見て、ケット・シーは、もう興味を失ったようだ。

気まぐれな猫のようにフェイもまた、その場から転移して消えた。

後に謎を残して。

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