1章6話 フレイヤ・ミストラル

アルトたちが教室から飛び出すのと同時に彼らがいた教室を再び炎が覆いつくす。窓から出ていなければ、今頃アルトは黒焦げだ。

だがフレイは窓から飛び降りたのだ。炎で死なずとも、地面にたたきつけられて死ぬ。アルトはきつく眼をつぶる。

だが地面にたたきつけられる衝撃はいつまでたってもこなかった。いつまでも浮遊感が続いている。

アルトは恐る恐る目を開ける。

すると足元より遠い先に道路が見える。

フレイはアルトを抱えて空を飛んでいた。

「呪文がなかったのに?固有魔法か?」

アルトがほっと全身の力を抜く。フレイは静かに道路へ降り立った。

魔人なら魔力が高いということは間違いない。それなら固有魔法を持っているのも不思議ではなかった。

固有魔法は、血筋の魔法と並び、呪文なしで使える魔法だ。強い魔力を持つものが思春期に発現させる特別な魔法。

「ウィルとニコラスが…」

落ち着くとアルトは現状を理解し始めた。アルトは眼に涙がにじむのを感じる。

あの炎の熱気。おそらく彼らは助かっていない。

ウィルとニコラス。

「お前の友人たちか?」

フレイがアルトに聞く。

「いえ、ウィルとニコラスとは今日あったばかりです。まだ友人と呼べるのか俺も分かりません」

アルトが涙をこらえる。

「長年の友人なのかと思った」

「今日であったばかりのルームメイトたちです。喪失を悲しいと思えるほど、そこまで彼らを良く知っているわけでもないけど。彼らが死んでしまったらその責任は俺にもある」

アルトがとまらない涙の理由を自分でも分からず、口から自分にも説明するように話す。

「なぜだ?」

「彼らは俺に夜景を見せるためだけに、俺と一緒に夜の学校に忍び込んだんだ。出会ったばかりの転入生の俺にそうしてくれるいいやつらだった。それが、こんなにあっけなく」

アルトは言葉を止められない。

「黄昏時は危険だとしっていてやったんだろう。あいつらにも責任はある」

フレイが冷静に指摘する。

「でも!彼らといっぱい約束したんだ。クラウドナインを見せて回ってくれるって。そう言ってくれた。それなのに!」

アルトはとうとうこらえきれずに涙を流す。

「あいつらは大丈夫だろう、シオンがついている。あいつはしょうもないお人よしだが、腕はたつ」

フレイがあくまで冷静にアルトに言う。

それはアルトを慰めるためでなく、事実を述べているだけのようだった。だがアルトはそれを聞いてそれがごまかしではないと感じ取れた。

「あいつって、あなたの相棒ですよね。でも、シオンさんはレベルが高い魔物は狩れないって、言っていて」

アルトがフレイの冷静さに少し落ち着いて言う。

「倒すことはできないが、足止めはできる」

フレイが言葉少なに言う。何か訳ありなのだろうとアルトにも分かった。

「とりあえずはお前をどこか安全な場所に移動させるべきだな。俺はグラウンドでシオンの連絡を待つ」

フレイが道路から学校を見上げて言う。

「俺も、行きます」

アルトが涙をぬぐって決然と言う。

「だが魔物がいる場所は危険だ。お前には何もできない」

「それでも待つことはできます」

フレイはアルトを見て、あきらめた顔になる。

「近くにいたほうが安全と言えば安全か。魔法院の管理区域で魔物が発生しているなんて言う非常事態ではある。何があるか分からない、か。とりあえず、グラウンドに飛ぶぞ」

フレイはアルトを小脇に荷物のように抱えあげる。そして学校の門を越え、旧校舎を越えて、グラウンドに着陸する。

フレイは月光石を取り出し、地面に置く。

月光のように優しい白い光を放つ石。この魔法の石は、月の出ているときだけ、光を放つ石だ。ハンターたちが夜の暗い路地裏で魔物を狩るときに使うことがあるとアルトも聞いたことがある。真っ暗なグラウンドの一部が明るくなる。

「フレイさんは、さっきのこと何も聞かないんですね」

光を見ていてアルトはだんだん落ち着いてきて、最後にどんなやり取りがあったかを思い出す。

もし助かってもウィルとニコラスは自分の友達でいてくれないかもしれない。そんな不安が去来する。

誰も大罪人の子供と仲良くしたいなんて思わないかもしれない。

「誰にでも隠したい秘密はあるものだ」

フレイが言う。

「フレイさんにも秘密があるんですね。でも、いいんです。この際はっきり言います。俺の父親はルフェルなんです。父に会ったことは一度もないですけど」

アルトは事実を述べる。アルトには決して変えられない事実だった。

それを隠しているのは、ずっと息をつめているようで苦しかった。

だから誰かに話してみたかったのかもしれない。

「俺も両親を知らない。もしかすると、お前の父親よりひどいやつかもしれないな」

フレイが言う。

「父と母両方ですか?フレイさんは両親がどんな人か、知りたくなったことはないんですか?」

アルトが聞く。

「別に興味がないからな」

フレイが冷めた口調で言う。

「親を知らなかった頃は、父はどんな人だったのか。想像するものだと思いますけど。フレイさんは悲観てきだって言われませんか?」

「現実的だと言ってほしいものだな」

フレイが言う。

「俺は父がどんな人か、知りたいとずっと思っていました。何も教えられていないうちは、何でもありえるからよかったんですけど」

「俺はルフェルはすごいやつだと思うぞ」

フレイが言った言葉にアルトは目を丸くする。

「…フレイさんは誰でも魔法を使えるようにしたいと思っている人ですか?」

アルトは多少警戒して聞く。それは今の社会では危険思考にあたる。

「魔法解放戦線のテロリストではないから安心しろ。ただ、魔法図書館に侵入できるのはすごいことだろう?今までに誰もできなかったことだ」

フレイが自分の正直な感想を述べていると知ってアルトは思わず笑ってしまう。

「それはそうですけど。それを公然と言う人も珍しいですね。昔は貴族が魔法を独占していて平民を支配していた。魔具の台頭と、魔法に制限をかけることで今の民主主義社会が維持されている。歴史の授業でもそう、学校でも学びます」

「魔法は危険なものともなりうるのは分かる。だが、今の社会はなんだか都合がよすぎる気がするんだ」

「都合がいい?どういう風にですか?」

フレイが言うことの意味をつかめずアルトが聞き返す。

「魔法を制限できるのは、ルーンの魔法の言葉を制限できるからだ。ルーンの言葉は精霊の言葉。だから精霊たちは生まれながらに自由に使うことができた。今は精霊は魔物となり、意思の疎通ができない存在へと堕ちてしまった。そのおかげで今の魔法の制限が可能となっている。人間に都合がよすぎる」

「つまり、精霊の魔物化が人為的なものなのではないか、ということですね。ネットの韻暴論などでは見かけますね。でも人間にすべての精霊を魔物とするなんてことは可能だと思えません。魔法には必ず対価として魔力が必要です。精霊を魔物化させるのを世界中で維持するには相当な魔力が必要です。隠しきることは難しいでしょう」

アルトが世間一般的な反論をする。

「そう、言われてはいるけどな。なぜ精霊の魔物化の理由が知られていないか、知っているか?」

「精霊の魔物化の研究が禁じられているから、ですよね」

アルトでもそれぐらいは知っている。精霊の魔物化の研究はタブー視されてきた。

「それだけじゃない。研究しようとした人間のほとんどが変死している。だが誰にもその死因も、殺害者も分かっていない」

フレイの言葉にアルトは驚く。

「それは確かに怪しいですね。でも、世界中の魔物化の研究者を殺害する。そんなことは可能なのでしょうか?」

アルトは何となく怪しいことを認める。

「人間以外の存在なら、可能かもしれない」

フレイの何気ない言葉にアルトは深く追求しようとする。が。

「!何かがいる」

フレイは魔法陣の描かれたカードを取り出し緊迫感を漂わせる。アルトも警戒してフレイの見ている方向を見る。

闇夜に浮かぶのは緑の大きな瞳。

それでフレイは肩の力を抜く。魔物はそろって体のすべてが黒いと決まっている。瞳から毛並みからすべてが闇から切り取ったように黒いのだ。

だから緑の瞳をもつそれは、魔物ではない。

「大丈夫です。ケット・シーだ。うちの寮でご飯をあげている猫だって聞きました。ケイシーっていう名前だったかな?」

アルトが小さな猫が近づいてくるのを抱き上げる。

ネコはまったく警戒していない様子でアルトに抱き上げられるままになる。

「助かった。正直魔物だったら、俺一人では倒せないからな。逃げるしかない」

フレイがフーと息を抜いて脱力する。

「魔物を倒せない?でもフレイさんもハンターなのだから、魔物と戦うんですよね?犯罪者系の仕事をするハンターだとかですか?確かハンターの仕事は多岐にわたるとは聞きますけど」

アルトが怪訝な顔になる。魔物を倒すだけがハンターではない。彼らは賞金稼ぎ。魔法犯罪者を捕まえるという仕事もあると聞く。

「いや。俺たちは主に魔物退治をしている」

「近接戦闘系の戦い方をするんですか?強化アーマーを使っているとか?」

フレイの言葉にアルトはますます意味が分からなくなって身体強化のアーマードスーツを着ているのかと考えた。

アーマードスーツの使用は一般的である。かつて革命で平民が貴族に勝てたのもその身体強化のスーツがあってこそだ。

今では改良が重ねられ、鎧のようだったなごりはアーマードスーツと呼ばれる名前のみに残っているだけだ。最新式のものは皮膚のように薄くできるため、普通の服を上から着ることもできる。

「身体強化アーマーは俺には使えない。魔力が強すぎるからな」

「確かに、魔力が高すぎると身体強化アーマーは使えないって聞きますけど。なら遠距離の支援系の魔法使いなんですか?」

アルトはなんだかどんどんよく分からなくなる。フレイがはっきりと説明する気がないのも理由の一つだ。フレイはあまり話したくなさそうに、一応アルトの質問に答えてはくれるが、積極的に自分のことを話そうとしない。

「そういうくくりに一応は入るんだろうな」

フレイが頷く。

「そうですよね。魔人ですから、魔力は高いはずです。遠距離の強力な魔法を使うということですね」

アルトはようやく納得する。強力な支援魔法は発動に時間がかかる。だから一人では魔物を倒せなくても不思議ではない。つまりはシオンが前衛職なのだろう。

だがそれだと疑問点は残る。強力な魔力を持っていても、強力な魔法を使わない、弱めの魔法を使うなども可能なはずだ。

「そうだな。魔力だけは無駄にある」

フレイがなぜか自嘲する。魔力が高いのを自嘲する理由はアルトにはまるで分らなかった。

「でも、ハンターなら魔法区封印図書館で五つまでの魔法を得る権利があるはずです。それでなにか、近距離でも有効な魔法を知ろうとしなかったんですか?」

「それはそうなんだが俺の場合意味をなさないからな。俺はほとんどの魔法が使えない。俺が使っているこの魔法陣も自分で作ったものだ」

フレイが言い。魔法陣の描かれたカードを見せてくれる。

「魔法が使えない?ハンターをしているのに?それにさっきは遠距離魔法を使うと言っていませんでしたか?」

煙に巻くようなフレイの言い方にアルトは困惑する。

「まったく使えないわけではない。シオンといれば少しは何とかなる」

フレイがあいまいにぼかして言う。

「シオンさんもかなり低いレベルの魔物しか倒せないみたいに聞きましたけど」

「二人そろったうえで、条件さえ合えばSクラスの魔物も倒せる」

フレイが豪語するのをアルトは疑惑の眼でみる。

「そうなんですか?なんだか頼りないですね」

「お前も意外とずばりというな」

フレイが憮然とする。

「正直なのがアルトの美徳だってよく友人に言われます」

「それは本当に誉め言葉なのか?」

フレイが嫌味である可能性を指摘する。

「なんだか、頼りないなあ。なあケイシーもし、お前がここを見守っているなら、俺の友人たちを助けてくれよ」

アルトが膝に抱きかかえた猫に言う。

「なんだ?神頼みならぬ猫頼みか?」

フレイが言う。頼りないといわれてややいらだったらしい。言葉にとげを感じる。

「知らないんですか?クラウドナインの都市伝説です。ケット・シーは魔都を見守るもので、必要な時は人間に力を貸してくれるそうですよ」

アルトがいい。フレイはばかばかしいという顔になる。

冷静な現実主義者を気取ってはいるが、フレイは意外と感情豊かだ、とアルトは思う。

鳥のさえずる音が辺りに響く。

アルトは突然のことに慌ててあたりを見回す。こんな夜に鳥が鳴いている?間が抜けたというか、のんびりとした朝のような音があたりに響く。

そしてしばらくの混乱の後音源に気が付く。フレイがリンクを起動したからだ。フレイのリンクが鳥のさえずりを着信音にしていたのだ。

「シオンからだ」

フレイがリンクの画面に映る名前を見てすぐに通話モードに切り替える。

なぜに着信音が鳥のさえずり…。こんな時でもアルトは疑問に思う。

「あいつは鳥頭なお人よしだからな。さえずりで十分だ。それにこれはあいつが始めたことだ」

フレイが当たり前のように言う。アルトの疑問が顔に出ていたようだ。鳥頭。相棒の扱いがひどいなとアルトは思う。

「フレイ、そっちは無事か?」

シオンの心配そうな顔が画面に広がる。

「アルトは無事か?」

隣からウィルが心配そうに画面に割って入る。

「ウィル!俺は大丈夫だ。ニコラスも無事か?」

アルトがフレイの画面に映るように手を振って見せる。

「こっちも全員無事だ。よかった」

ウィルが大げさに安堵する。

「今の状況は?」

フレイが冷静に聞く。

「何とか逃げ回って、今、旧校舎の二階の教室にいる。魔物はあのアリアンの魔獣に惑わされて旧校舎に来ない。今のうちに入口へ向かう」

「何か俺にできることはあるか?」

フレイが相棒に聞く。

「ある。旧校舎と新校舎を結ぶ渡り廊下を完全に破壊して、ほしい。そうしたら俺たちが脱出した後、リリックが新校舎に設置されたシールド魔法を起動してくれる。そうすれば魔物を人のいない新校舎に閉じ込められる。今のところあの魔物は飛行はできないようだから、渡り廊下を破壊すればこちらに来れないはずだ」

「分かった。それはこちらで何とかしよう」

フレイが言い通話を切る。

「渡り廊下を破壊するなんて可能なんですか?」

アルトがフレイに聞く。彼が魔人で、高い魔力を持つのに間違いないだろう。だがフレイは学校の中で魔法は使えないと言った。

「可能だ。危険だからお前はグラウンドの一番はしによれ」

フレイはアルトに言って、渡り廊下の方へ歩き出す。

そこには気負いは感じられない。ただ当たり前のことをするだけのように、自然体で渡り廊下の前に到着する。

渡り廊下は道路に面している。だからその道路の街灯の光が渡り廊下にさえぎられながらも、わずかに差し込んでいる。

フレイのシルエットが光の中に浮かび上がる。フレイは何かをコートのポケットから取り出した。

遠くてよく見ることはできない。それでもフレイが魔法を使うなら、それは魔法陣の描かれたカードだろうと予想できた。

魔法の発動光が、渡り廊下の一点に、レーザービームを当てたように輝く。渡り廊下とフレイの姿がわずかに明瞭化して浮かび上がる。

続いたのは爆発音。一度だけ。だが、鼓膜を揺るがすほどの大音量。

轟音とともに、渡り廊下が崩れ落ちる音がする。

灰色の爆発の煙が、秋の強い風に吹き飛ばされて、アルトを包み込む。爆発の風はわずかにせよ、秋の空気を温めるほどのもの。アルトは思わず目をつぶる。

アルトが目を開くころには、煙が晴れていくところだった。

風になびく白い残り火の煙の中にフレイが立っている。

渡り廊下がなくなったことで街灯がフレイと白い煙を照らし出している。

煙が薄れるにつれて、完全に崩壊した渡り廊下の残骸が浮かび上がる。元あった場所にはほとんど何も残っていない。

渡り廊下の残骸さえも、ほとんど元の形を保っていない。それは爆発の激しさを物語っている。

爆発魔法。フレイが使った魔法の威力にアルトは唖然とする。

たしかに、魔法が強力なぶん、魔法の発動に時間がかかっていた。静止した状態の渡り廊下ならともかく、それは動き回る魔物相手にはあてずらいはずだ。

だが爆発の威力が並ではない。この爆撃を使えるなら、S級の魔物も倒せるというフレイの言葉が信ぴょう性をおびてくる。

そして気が付く。フレイが使ったのは厳密には魔法ではない。

彼は魔法が使えないと言っていた。使わないのでなく使えないのだと。

そしてアルトは思い至る。

魔力の高いものが魔法に失敗して起こす爆発。それこそがフレイの魔法なのだ。

魔法が失敗するなんて、どれだけの魔力の持主か。そして魔法の失敗はさらに魔力の効率が良くない。それがこれだけの威力になる。

合理的に考える、その心とは裏腹に感情の爆発の様な激しい魔法。

フレイア・ミストラル。

アルトは、彼になら自分の依頼を任せられるかもしれないと思う。

アルトにはハンターに依頼したい仕事があった。

ルフェルを大罪人としてしか見ない人が多い中で、彼は違う見方をした。

彼なら自分の依頼を荒唐無稽なものだと切り捨てないのではないか。話を聞いてくれるのではないか。

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