1章4話 出会い
「じゃあ、そろそろ帰るか。このままだと転入生が風邪をひきそうだ」
ニコラスが言い、ウィルも同意する。屋上はさえぎるものがない分余計に風が冷たい。風が吹くたびに体温を奪われていく気持ちになっていたアルトは安堵する。
「転入初日で風邪をひくのは嫌だろうからな。アルトめっちゃ震えてるな」
「帰りは全員でか?」
アルトが我先に屋上の入り口を開けて中に戻りながら言う。
「肝試しは終わりだ。もともとアルトに夜景を見せるためのものだからな。目的は果たした」
ニコラスがアルトの後に続く。
「肝試しがあることは前から決まっていたのか?」
アルトが二人に聞く。
「俺たち寮生は転入生がくると聞いていたからな。そのころから準備していた」
ウィルが言う。
「特に幻術使いは今日に間に合うようにはりきっていたぞ。遠隔魔法をそれまでに身に着けるってな」
ニコラスが補足する。
「遠距離魔法の訓練はかなり時間と根気がいると聞いたことがあるな」
アルトは後でお礼を言っておこうと思う。
そして、あらかじめ準備をしていたと聞いてふにおちた。つまりあの途中でみた鬼火の様なものも、魔法なのだろう。幻術を遠隔で使えるならそれかもしれない。
アルトたちは何事もなく階段を降りて三階にたどり着く。
そこから廊下を歩いて、渡り廊下に近づく。
渡り廊下は両面のカベが一面ガラス張りになっている。
大きな窓から、外の様子が見える。グラウンド側は真っ暗だが学校の外には太めの道路があり、街灯が道路沿いに並んでいる。そのため渡り廊下は他より明るく、アルトは安心感を感じる。
だから、どこか心が油断していたのかもしれない。
渡り廊下の向こうに、来るときに見た、青白い鬼火が現れた時アルトは気軽に近づいた。
ふわりと、不思議な動きをするおぼろげな光。墓場などでよく見る鬼火のように見える。その動きはホロスクリーン(幻術画像)で作ったものではないようだ。ホロスクリーンは一定の範囲にしか映像を投影できないからだ。
それにしてもこの鬼火はよくできている、と感心した。寮生たちはアルトを怖がらせたいのだろう。だがアルトはその思惑にのらずに、勇気があるところを見せてみようと思った。
アルトは幽霊などよく分からないものは怖いが理解できるものを恐れない傾向があった。
「それは、いい鬼火だな。さすがに寮生たちは凝ってるな。幻術なのか?」
親しげに前に出て、近づいていたアルトは、背後でウィルとニコラスが硬直しているのに気が付かない。
「アルト?その鬼火はお前の知り合いなのか?」
ウィルが小声で聞く。その声はやや震えていた。演技にしては恐怖が声ににじみ出ている。
「えっ?寮生たちが肝試しに鬼火を見せているんじゃないのか?」
アルトはウィルとニコラスを振り返る。
そして恐怖に染まったその顔を見て、そうではないのだ、と理解する。
ニコラスがひゅっと息をのむ。隣でウィルも目を見開く。信じられないものを見たかのように。
アルトはそれで、背後の鬼火へ振り返る。
鬼火は既に、人の姿をしていた。
「なん、で」
アルトは口の中がカラカラになる。何を言えばいいのか、どうすればいいのか分からない。
「ルフェル!確か死刑になって死んだはずだぞ」
ニコラスが声を絞り出す。
幽霊はルフェルの姿をしていた。アルトの、父親の姿をしていた。
おぼろげな光を纏う姿には色がない。それに輪郭もぼんやりとしている。だが間違いない。
陰気そうな顔は、データスフィアをにぎわした、ニュースに当時使われていた画像だ。
アルトもルフェルとの直接の面識はない。だからアルトの知る父親は、過去のニュースを見て知ったものに過ぎない。
アルトは戦慄する。それは幽霊と出会っただけでない。誰にも言えない秘密を暴かれた恐怖。もし、これを誰かがアルトに見せつけようとしているなら?どれだけの人がこのことを知っているのだろう?
アルトだって、十五歳の誕生日になってやっと教えてもらったのだ。自分の父親が何者だったのか。
「ひっ」
今度はウィルが短い悲鳴を上げる。
幽霊が姿を変えたのだ。
今度現れたのは、背骨の曲がった老女だ。腰が曲がっているが、脳は衰えていないように見える。意思のしっかりとした視線をこちらに投げかけてくる。
「おばあちゃん。でも先月葬式があったばかりなのに」
ウィルが震える声で言う。
その老婆は、ウィルたちの方を見て、にっこりとほほ笑む。
怖い。ただの笑顔なのに、なぜかすさまじく怖かった。
「うわあああ!」
初めに動いたのはウィルだった。脱兎のごとく元来た道を走って戻る。新校舎の廊下を走る。階段を目指して。
ニコラスとアルトもそれで我に返り、ウィルの後を追って走る。
全員全力疾走だ。
ウィルが階段を降りていく。
それは外へ逃げようとする本能のようなものだったのかもしれない。いつもは開いている新校舎の入口へ向かったのだ。
暗闇の中、転げ落ちそうになりながら、階段を降りる。
階段は踊り場に一つずつ窓がついている。その窓から学校の面している道路からの灯りがわずかに見える。だから完全な暗闇ではなかった。それが幸いした。
もし灯りがなければ、アルトたちは階段でお互いにぶつかって落ちていたかもしれない。
扉の前にたどり着いた。そして扉を開けようと何度かひく。だが、当然扉はびくともしない。
土壇場で考えた逃走ルートの扉は閉まっていた。
今は夜で他に誰も学校にいない。そして彼らは旧校舎の鍵しか持っていない。その事実をアルトたちは思い出す。
「だめだ。逃げ道がない。まさかあれ、俺たちを追いかけてきてないよな?」
ウィルが聞く。声が裏返っている。よほど怖かったのだろう。
「今のところは来てないようだな」
ニコラスがメンバーの中では一番落ち着いて答える。
「渡り廊下にいるなら、旧校舎の出口に帰れないな」
アルトはできればもう幽霊とは遭遇したくなかった。それが自分の父親だったとしても。
ウィルたちの動揺は本物だ。あれはいたずらではないと知ってアルトは内心ほっとする。
「なあ、あれ、なんだ?」
ウィルが廊下の反対側を指さし、その場の全員が再び息をのむ。
それは黒い、闇がこごっているように見えた。
トカゲのシルエットをくりぬいたような、暗視魔法では、ただのシミのようにも見える。
だがそうではない、とアルトたちは知っている。
何度も話では聞いたことがある。魔法テレビでたびたび取り上げられる。
その証拠に黒いシルエットの様なトカゲはのっそりと動き出す。
それは魔物に間違いなかった。
人間を攻撃する本能を持つ、精霊の成れの果て。
アルトたちは立て続けに起こった事態に反応しきれない。
トカゲがのっそりと、アルトたちの方へ向かってくる。死がまじかに感じられる。だが体が金縛りにあったかのように動かない。
「うわあああ!」
ウィルが混乱して悲鳴を上げる。
「誰かいるの?!早く逃げなさい!」
遠くからの鋭い声。
そして歌が聞こえてくる。頭にしみいるような、静かで力強い旋律。こんな状況下でなければ、もし路上で歌っているのにでくわしたなら、思わず立ち止まって聞き入ってしまうほどの歌。
それに従い、魔物が動きを緩めたように見えた。
「こっちです!早く!」
歌声の主とは違う人の声。歌がアルトたちを我に返らせる。
魔物は動きを遅くはしたが、着実にアルトたちの方へ向かってくる。
アルトたちは、魔物がくる前に、必死になって階段を駆け上がる。だが暗いのでそう簡単に登れない。もたつきながらもなんとか階段を上がっていく。
それにつれて歌の音量が強くなる。歌う人の所に近づいているのだ。
アルトたちは階段を上り切る。
学校の九階にあたるそこに、歌う女性が立っていた。片手には魔法灯を持っていて。それが明るい光を投げかけている。
暗視魔法をかけたうえで、暗い学校になれていた目だ。突然の光にアルトたちはまぶしくて眼を瞬かせる。
女性の金髪がその光にあたって透き通っている。金髪に青い瞳。儚い印象も与える色素の薄い女性だ。だが凛としたまなざしには力がある。
「リリ先生!」
「助かった…死んだかと思った」
ニコラスとウィルが歌っている女性を視認して安堵の声をあげる。
どうやら学校の先生らしいとアルトは理解する。当直の先生なのだろう。ウィルたちは先生に見つかったことより、会えたことへの安心感が勝っているようだ。
「まだ安心するには速い。早く学校からでなければ。あなたたちはこんな時間に何をやっているの?」
女性が一喝する。儚い印象を覆す、強い口調。
「それはその、いろいろありまして」
ニコラスが言葉を濁す。だがこんなことになっては彼らが寮から勝手に学校に侵入したことは隠せないだろう。
「リリ先生、その人は誰ですか?」
ウィルが後ろに隠れるように立っている女性に興味を持つ。光の外。リリックの後ろの陰に立っていたのでそれまではよく見えなかった。
女性自身も見つかりたくないと思っていたようだ。注目を集めて身を縮ませる。所在なさそうな不安な顔をしていて。自分自身に自信が持てていないようにおどおどしている。
「彼女はアリアン。こちらもいろいろあったのよ。まさかこんな時に魔物が出現するとは計算外だったわ」
リリックも言いよどむ。言いづらい理由なのだろうと察せられた。
アルトは学校の先生たちをみんな覚えているつもりはない。それでもアリアンは学校の関係者には見えない。自分の居場所でないところにいる緊張感がアリアンからは感じられた。
「ともかく!理由は後で聞くわ。話している時間が惜しい。あなたたちは学校の出口の鍵を持っているのね?」
リリックが確認する。
「旧校舎の鍵しかないんです。リリ先生なら学校の鍵を全部持っているんじゃないですか?」
ニコラスがリリックに期待の目を向ける。
「それが、魔物に会った時慌ててどこかに落としてしまったのよ。仕方がないわ、とりあえず、旧校舎の入り口を目指しましょう。この灯りはあなたが持っていて。私は魔法陣のカードを用意しておく必要があるから」
リリックがきびきびと言い、ニコラスに魔法灯を渡す。その様子は、なんだかこういう事態になれているように見える。
「アルトは知らないんだったな。この人はリリック・エルフウォート先生。音楽の非常勤の先生だ。みんなからはリリ先生と呼ばれている」
ニコラスが先頭に立ち、小走りに走りながら教えてくれる。リリックはしんがりを務める。
「なんか、こんな状況なのに、落ち着いているな」
アルトが彼らを引き連れて、きびきび動くリリックを見ながら言う。いくら大人と言っても女性だし、教師がこんなことになれているのは不思議だ。
「リリ先生は、ハンターもしているらしいと噂で聞いたことがある。本当だったんだな。いつもの先生とは口調も雰囲気も違うしな」
ニコラスたちも、リリックがハンターであると実際に知ったのは今だったらしい。
「私は支援職がメインなの。あんなレベルの魔物は倒せない。だからしゃべるのはやめて全力で走りなさい!」
リリックが言い。アルトたちももっともだと思い口を閉じる。
そして、アルトたちは、渡り廊下に到着する。
旧校舎まであと少し。そこで、魔物が追いかけてきた。
階段方面からあとを追ってくる魔物。
「まずったわね。さすがに、走りながら魔歌は使えない」
さすがのリリックも、走りながら歌うのは難しい。
それで、アルトたちはリリックの歌が、魔法を込められたものだったのだと知る。魔歌は魔法の力を持つ歌だ。
魔物はどんどん近づいてくる。先ほどの動きとは比べ物にならない。おそらく先ほどはリリックの魔歌が魔物を遅くしていたようだ。
リリックは舌打ちし、足を止める。アルトたちも自然に止まってしまった。
「走り続けなさい。あなたたちは逃げるの!ここは私が食い止める」
リリックが言い。魔法陣の描かれたカードを取り出す。
「でも、それじゃあリリ先生が…」
ウィルが心配の声をあげる。
「あなたたちには何もできない。生徒の安全を守るのは私の仕事のうちよ」
リリックが安心させるようにウィルに微笑みかけ、その背を押す。
そのやりとりの間に、魔物は確実に距離をつめていた。
「とにかく走る!」
リリックの叫びに、アルトたちは走りだそうとする。
魔物の前をふわり、と光が横切る。
おぼろげな人の形をとるそれは、魔物からアルトたちを守ろうとするように魔物を引き付ける。あの時の幽霊に違いない。
魔物は、アルトたちから注意を外し、光る人影に意識を向ける。
その口が大きく開き、中で炎がくすぶる赤い輝きを放つ。
ファイアブレスが使われるのだ、とアルトたちは理解する。
「ダメ!ファルファッレ!」
なんとそこで動いたのは、リリ先生の背後でうつむいていた女性、アリアンだった。
彼女は光る人影と、魔物の間に割って入り、ルーンの呪文を唱える。簡易的なシールド魔法が展開する。
アルトはとっさに身をひるがえし、光る人影を守るアリアンの隣に走り寄る。
そしてシールドを二重に展開する。
時間がなかった。だからあらかじめもっていた、魔具のシールド魔法しか展開できない。
アルトはその魔具を持たせてくれた母に感謝する。だが母としてはこんな危ないことをしてほしくはなかっただろうことも予想はついた。
危険なクラウドナインに来るときに母に渡された魔具。小さいがパーソナライズされた魔力クリスタルがついている。アルトの魔力を貯めてシールドが展開できるものだ。
こんなに小さなものでも、相当な値段がした。それでも母はこの魔具を買って持たせてくれた。そんなにお金があるわけではないのに。
アルトは心の中で母に謝る。
もう、自分は助からないかもしれない。
魔物がファイアブレスを吐く。
赤い炎がシールドをなめる。防ぎきれない熱気がアルトの顔にあたる。
呪文の短いシールドは、長いものより弱くなる。
ルーンの呪文は長いほど強力な魔法を使えるようになる。だからアリアンの即席のシールドはあっけなく砕け散るはずだ。そしてアルトの展開したシールドも、そこまでの強度はない。
アルトは自分の死を覚悟した。おもわず目をつぶる。それで恐怖が和らぐわけではないけれど。
大きな破壊音が鳴る。ガラスが砕け散る音。アルトはそれが、シールドが破られた音だと思った。
しかし、炎がアルトに届かない。痛みを覚悟していたアルトはおそるおそる目を開ける。
クゥエー!
アルトが目を開けると、小さな羽付きトカゲが、いた。それは、アルトたちの前で大きなシールドを展開している。炎がシールドをなめる。だがその羽付きトカゲのシールドは思ったより強力だ。
炎により、あたりが赤く燃えるように光を反射する。
廊下には粉々に砕けた、ガラス片が散らばっている。炎の灯りがその破片をキラキラ光らせる。
そして渡り廊下のガラスのカベが大きく破壊されていた。
「フィン!そのままシールドを維持しろ!」
聞きなれない声。じゃりっとガラス片を踏んで立つ足音。
茫然とシールドとそれを張る羽付きトカゲを見ていたアルトが振り返ると、そこに二人の闖入者が立っていた。
一人は銃を構えていて、もう片方は魔法陣の描かれたカードを持っている魔人だ、頭から角が生えている。炎の中で二人のシルエットだけが浮かび上がる。
その二人の登場とともにおぼろに光る人影が形を変える。
それは長い髪を持つ女性だった。際立って美しい容姿。腰まである髪が女性に神秘的な印象さえ与える。
「美人だ!」「うらやましい」
逃げる機会をいっして立ち止まっていたウィルとニコラスがこんな状況なのに言い出す。むしろ、こんな状況かだからこそ、混乱してしまったのかもしれない。
何を考えたのか、迷わず彼女に向かって魔法陣を掲げる魔人。
「フレイ!?何考えているんだ、学校を吹き飛ばしたいのか!」
銃を持った人物は、魔人の長いトレンチコートからはみ出た手を迷わず打ち抜く。
炎の灯りが消えそうなわずかな明かりで正確に手に当ててみせたのだ。その腕前だけは確かだ。ただし、仲間われをしている状態でなければ。魔法陣を持った魔人は痛がる様子もなく、ただ一瞬動きを止める。
そんな彼らの前で光る人影は再び形を変える。
今度はかくしゃくとした老人だ。
「じいちゃん…」
銃を持った人物が放心したように言う。
「まあこれが普通だよな」「それもそうだな」
ウィルとニコラスがコメントする。
「なにこの敗北感…。というよりフレイ!こんなところで魔法を使うな!学校が崩れれば俺たちも死ぬぞ!というより、幽霊を攻撃して死んだらどうする」
銃を持った人物が困惑しつつ、魔人に一喝する。
「大丈夫だ、幽霊はもともと死んでいる。それに反撃がないということは、これは幽霊ではない。というより、勝手に相棒を攻撃するのはお前の方が鬼畜だろう!」
魔人が冷静なのかそうなのか分からないことを言う。
「俺の魔法弾は静止魔法弾だ。お前には効果が薄いから別に問題ないだろう!」
なんだか仲がいいのか悪いのか判断に困る。緊張感に欠けるけんかである。
アルトたちは彼らのやりとりを唖然として見ているしかない。
魔物は炎を吐き出し続ける。羽根つきトカゲがシールドを維持しながら、主たちに警告するように鳴く。
「いいから、この教室の中へ来なさい!」
微妙にずれた会話に割り込んだのはリリックだ。リリックは渡り廊下の先の教室の扉を開けて待っている。
クゥエ!同意するようにシールドを維持していた羽付きトカゲが鳴く。
光る人影が、ふわりと空中に浮いて、教室とは反対方向、新校舎のほうへ飛んでいく。魔物はのっそりとその後を追いかけていく。
「アリアンさんも、早く」
アリアンは魔物と幽霊の向かった方向を心配そうにみていたが、アルトが彼女の手をひいて、教室へ駆け込む。
その背後を守るように、二人のハンターたちが最後に教室に入った。
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