1章3話 魔都クラウドナイン
アルトは、首から下げていたものをそっとコートの内側に戻そうとする。あの騒ぎの中でコートの中から外へ出てしまっていたものだ。
「それは、ネックレスか?」
あまり見られたくなかったが、ウィルがそれを見つけてしまった。
ここで押し黙るのも変だし、ルームメイトの気持ちを傷つけたくない。
だからアルトは仕方なく、首から下げていた指輪を取り出して見せる。
「お守りみたいなものなんだ」
「指輪って。なんだか意味深だな?彼女からのプレゼントとか?」
アルトが言い、ウィルが興味を持って指輪を見た後聞く。普通に指輪から連想されるのは恋人なのだろう。アルトはそれを分かっていて、それに調子を合わせる。
「そうだな。忘れられない。忘れたくない人のものだ」
「彼女もちかよ。うらやましいな。そのうち紹介してくれよ」
ニコラスが言う。アルトの話を信じてくれたようだ。
アルトは彼女ではない、という言葉を飲み込む。
できれば彼らに嘘をつきたくない。だがすべては話せない。だから何も言わないのにとどめる。
アルトと、ルームメイトたちは、夜の学校を外から見上げた。
正確には旧校舎を見上げた。
時刻はほぼ夜中だ。当然、生徒はおらず、学校に明かりは灯っていない。人気のない暗闇の中、そびえたつ校舎はそれだけで十分不気味だ。
「じゃあ、肝試しの手順を説明するな」
もう、寮からはだいぶ離れている。念話魔法を使う必要がなくなったから、ウィルが声を出して言う。
それでも、周囲の静けさにあわせて、あまり大きくない声だ。
「目的地は新校舎の屋上だ。一人五分後ずつに出発する。出発する順番は、ニコラスが最初、次が俺、それからアルト、な」
ウィルが説明する。
「一人で、夜の学校に入るのか。三人一緒ではだめなのか?」
アルトは考えただけでも怖い気がしてきた。学校の暗い窓から今にもなにか異形のものが出てきそうである。夜の学校には普通の建物にない怖さがある。
「だめだ、それでは肝試しにならないだろう」
ニコラスが言う。彼はそこまで怖がっていない。何となく理詰めで考えていそうなニコラスらしい。幽霊も信じていなさそうだ。
「ちなみに、俺はこの学校の構造がまだよく分かっていないんだけど、地図はないのか?迷ったりしたくない」
アルトとしてはそれぐらいは欲しいところだ。
学校の構造はさほど複雑ではないが、今日学校に来たばかりのアルトとしては、地図は欲しい。
「夜中の学校で迷子になる転入生、面白そうだな!」
ウィルが朗らかに恐ろしいことを言い出す。アルトは地図をもらえないのではないかと恐怖する。
「転入生をいじめるな、バカ。大丈夫だ、地図は渡すし、説明もする」
ニコラスがフォローしてくれる。アルトは心底ほっとした。
「これが、俺たちの学校の地図だ」
ニコラスが腕時計型端末リンクを起動し、立体的な地図を浮かび上がらせる。
「上空から見るとL字型に見えるように、新校舎と旧校舎が配置されている。それは知っているな?」
ニコラスが丁寧に地図を回転させ、上空から見た学校を映し出す。
「それは知ってる」
アルトが頷く。
「それで、俺たちは旧校舎の入り口の鍵しか持っていない」
ニコラスが手に持つ鍵を示して見せる。
「というより、そもそもどうして、校舎の鍵を持っているんだ?」
アルトは素朴な疑問を持つ。そんな鍵は防犯上、部外者はというより寮生でももてないはずだ。
「そこは、寮生に連綿と受け継がれてきた、歴史ある鍵なんだ」
ウィルが誇らしい伝統のように言うが、つまりはどこかでかぎの複製を手に入れた寮生がいたということだろう。それを寮生たちが受け継いできた。昔からこの寮の男子たちはこういうことをしていたのだな、とアルトは深く納得する。つまりは校風なのだろう。
「旧校舎の鍵はずっと変わっていない。だからこの鍵で入れるはずだ」
ニコラスが保証する。
「新校舎はその名の通り新しく建てられたばかりの建物だ。だから寮でも鍵を持っていない。そのうち手に入れられるか計画はしているけどな」
ウィルがさらりと言う。そこは計画するのか。だがそれがうまくいっていればアルトは新校舎から屋上を目指せたかもしれない。そのほうが圧倒的に時間が短くて済むはずだ。
「旧校舎から新校舎に行く、ということだな。だけど二つはつながっていないよな?確か一階の渡り廊下ではつながっていたのは知っているが。そこからだと一度外に出てから入る必要がある。入り口にまた鍵がかかっているよな?」
「新旧の校舎は三階の渡り廊下でつながっている。だから、旧校舎の階段を上がり、三階の渡り廊下から新校舎に入り、階段を使って屋上を目指す」
「思ったより簡単そうだな」
アルトはほっとする。
「ちなみに、旧校舎の階段は廊下を挟んで反対側に順番についている。つまり廊下を三回往復する必要がある」
ウィルが嫌な情報をくれる。怖がらせて面白がっているようだ。ウィルは別に嫌な性格ではないが、いじれるときにいじるタイプのようだった。
「それは知りたくなかった…」
アルトは廊下をいくつも通らねばならないのを想像してしまい、げんなりした顔になる。
「前もって知らないと、もっと怖いだろう?」
ウィルの言うことも一理ある。何事も事前の覚悟が肝心だ。
「ちなみに灯りの使用は禁止な」
ウィルが非情にもたたみかけるように告げる。
「そこはルールを弱めてくれ」
アルトが音をあげる。
「いや、別に嫌がらせとかじゃないぞ?明かりがついていると、当直の先生に見つかる可能性があるから、だからな?」
ウィルが慌てて理由を説明する。確かに説得力がある。
「アルトも学校初日に校舎に忍び込んだところを先生に見つかりたくないだろう?」
ニコラスがにこやかに言う。分かっているぶん、質が悪い。これではこっそりと明かりを使うことができない。アルトは灯りをつけるという逃げ道をふさがれた。
「とりあえず、暗視魔法は使えるよな?」
ウィルが念のため聞く。さすがに夜の校舎を灯りなしに進むには暗闇を見通す魔法は必要だ。怖いうんぬんというより、何かにぶつかってけがをする可能性がある。
「それぐらいはできるけどさ…」
暗視魔法は初等教育で習う魔法だ。この世界では危険性のある魔法は限られた人以外には禁じられているが、害のない魔法は学校で学べる。
「じゃあ、説明はこれで終わりだ。俺から先に行くぞ」
ニコラスがまず、出発する。
そして五分後にウィルも行く。
それを見送って五分たち、アルトは出かけなければならないことに腹をくくった。
目に暗視魔法をかける。
これでほんの少しだけ、周囲の闇が明るくなる。
開いた旧校舎の中に足を踏み入れる。
暗視魔法は目の採光度を高める魔法である。つまり、光の当たる部分はやや明るくなる。だが光の当たらない暗闇までは見通せない。
いくつも並ぶ、教室の扉。その奥は暗く中は見えない。見えないのに怖い。それとも見えないから怖いのか。
アルトには自分の歩く足音がやけに大きく聞こえる。静かに歩きたいのに、音ががらんどうの校舎に反響するようだ。
闇の奥に眠る、起こしてはならない何か、が目を覚ましそうな。そんな意味のない恐怖が湧き上がる。
アルトは地面を見て足早に歩き、三階の渡り廊下にたどり着いた時にはほっとした。後は廊下の一番先、行き止まりから一気に階段をのぼれる。
階段までたどり着いて、ふと後ろを振り返った。
何がアルトにそうさせたのか、分からない。ただ、何かがいるような気がして、つい振り返ってしまった。
そしてアルトの背筋が凍り付く。
先ほど歩いて来た廊下の先、渡り廊下のあたりを光るものが、ふっと横切って行った気がした。あれは鬼火か?とアルトは思う。
ニコラスの言っていたことを思い出す。
夜の学校で幽霊を見たという当直の先生がいた、と。
アルトは必死でその考えを頭から振り払おうと、意味がないと分かりつつも頭を強くふる。
そして今度こそ前を向いて、一目散に階段を駆け上る。
そして屋上への扉にたどり着く。扉は既に鍵が開いていた。
扉を外に向けて開くと、ごうっと寒い秋風が吹いてくる。
屋上だからか、風がさらに強く冷たい気がする。アルトは寮母さんの言うとおりに風を通さないスキージャケットを買いに行こうと心に決めた。
寮生たちとうまくやっていけるか、すでに不安だが、ルームメイトたちに頼んで買い物に付き合ってもらおう。
風の強さに思わず目をつぶり、風が収まってから目を開ける。
「アルト、こっちだ、こっち」
旧校舎から陰になるところで、ニコラスとウィルが待っていた。足元には月光石の灯りが置いてある。
アルトは灯りを見て、ほっとした気持ちになる。
「そっちじゃない、ほら、あっちを見ろ!」
ウィルが指さす方を自然と見上げる。風が冷たかったのでかがんで地面を見ていたので気が付かなかった。
眼前には煌めくクラウドナインの夜景が見えた。
ちりばめられた窓明かりはまるで小さな星々のよう。それぞれの灯りが微妙に色と彩度が異なるそれらは、ビロードに散らされた宝石のようにも見える。
そして天へと競い合うようにそびえたつビル。中心に向けて徐々に高くなるそれは、まるで要塞か、城のよう。
都市からの灯りが相当に強いのだろう。夜空の雲が淡く灰色になって灯りを照り返している。そのおかげで、高くそびえる建物のシルエットが見て取れる。
魔法の力で建てた不思議な形の建物が多い。他との差別化を図ろうとしたのだろう。
花が開いたような建物。ねじのようにねじれた屋根を持つビル。特殊なシルエットが夜をかたどる。
空にも空中バスの白いヘッドライトと赤いバックライドがちかちか瞬きながら動いている。バスの動きとともにその光が流れる様子は生きて夜空を飛び回る流れ星のようだ。
そして空中道路の誘導灯が浮かんでいる。飛行物がぶつからないように誘導する魔法の灯り。白い空路を示すその明かりがリボンのように、高い建物の間をぬって複雑な曲線を見せる。
そしてホロスクリーン(幻術画像)による広告が自由にビルを彩っている。色彩も鮮やかなそれらの映像は遠くからどんな形か判別できなくても都市をさらに派手に彩っている。
まるで星空の中にたつ都市の中、自身が浮遊しているかのような錯覚を覚える。
アルトは自分が屋上にいるのも忘れてその景色に見入ってしまった。
「こっちがわはビルの高さが中心に向けてだんだんと高くなるからな。絶景だろう?」
ニコラスが言う。
「俺たち寮生は転入生がくることを事前に知っていたからな。俺たちからの歓迎のしるしとして。ようこそクラウドナインへ」
ウィルが仰々しく右手を前に出しおじぎをしてみせる。
「これを、見せるために、ここまでしてくれたのか?」
アルトは胸が暖かくなるのを感じた。
寮生の脱出にかける熱意は相当なもので。正直アルトはどうしてそこまでするのか、わからなかった。
だが今になってわかる。彼らは新しい仲間を迎えるために、そこまでしてくれたのだ。
「ありがとう。うれしいよ」
アルトから素直に感激の言葉が出てくる。
「それは、寮帰還作戦が成功してから、みんなに言うといい」
ウィルがやはりよく分からないノリで言う。
だがそんな寮生たちとなら。にぎやかで楽しい学校生活を送れる。アルトにはそんな気がした。一緒にバカ騒ぎできれば楽しいだろう。
さっきまであったここになじめるのか、という不安をきれいにぬぐいさってくれた。
「それは俗に言う死亡フラグというやつだな」
ニコラスがウィルのセリフにちゃちゃを入れる。
「寮母さんとの戦争だからな、間違いない。見つかったら死亡確定だ」
ウィルがなぜか深く納得する。何かやらかしたことがあるらしい。
「あの遠くに見えるあかりが、ポータルゲートの魔法の発動光だ。夜でも作動しているから、空がほんのり明るくなっている。この学校はポータルに近いからな」
ニコラスが、空の白んで見える方角を指さす。
「俺もポータルからここに来たんだ。だから、ポータルゲートは知ってる。バカでかい魔力クリスタルだったから、ここでも明かりが見えるんだな」
アルトが感心して言う。
「あの双眼鏡の魔具を持ってくればよかったな!魔法院が見えたかもしれない」
ウィルが残念そうに言う。
「そうだな、はじめてその魔具が役に立ちそうだったのにな」
ニコラスが冷静に言う。
「なんのためにそんなものを買ったんだ?まさか夜景を見るためじゃないんだろう?」
アルトが素朴な疑問を呈する。
「女子寮の覗きができないかなーと」
「そんなにガードが甘いわけがないだろバカ」
ウィルが言った言葉にニコラスが辛辣に返す。
「男子寮と女子寮は隣り合わせだけど、間に大きな木が植わっているもんな。しかも常緑樹」
アルトは苦笑するしかない。
「その木立も、女子の寮生が昔に生やした、と言い伝えられているんだ。こいつのように、覗きをした男子生徒に怒り、一晩にしてあの大きさの樹をはやしたのだとか」
ニコラスが寮生に伝わる逸話を教えてくれる。
女子寮も男子寮みたいに寮生の魔法が無駄にすごいのだろうか、とアルトは考える。きっとそうに違いない。
「俺が聞いた話だと、恋人同士だった寮生たちが、逢引の為に樹をはやしたと言っていたぞ。樹をのぼって恋人に会いにいったんだとか」
ウィルが口をはさむ。そちらのほうがロマンチックな物語だ。
「真偽のほどは定かではないな。だが女子の寮生が生やしたのに違いはない」
ニコラスが結論付ける。
「そろそろだ。アルト、上空を見上げろ」
リンゴ―ン!と音が鳴る。
荘厳な鐘の音。
それと同時に水面の下から見るような光の波が闇夜に広がる。その光の波はクラウドナインの中心から、外周へと同心円状に広がっているように見える。
「黄昏時の始まりの音。ヘスぺリデスのシールドベルの音だ。起きているものにしか聞こえない魔法の音色」
ニコラスが教えてくれる。
「話には聞いていたけどすごいな、こんな大がかりの魔法が毎晩おこるのか。俺の街では考えられない」
アルトが感嘆の声をあげる。
「ヘスぺリデスのシールドは、このクラウドナインを常に魔物から守っている。そのシールドの解かれるのが夜の十二時から四時が黄昏時、だ」
ウィルが言うがそれはアルトも情報としては知っている。
「シールドベルの魔法はいくつかの選ばれた都市にだけ、存在する。そしてその魔法陣は現代の魔法科学でも理解できないらしい。一説には妖精族の魔法なのだとか、そのベルを作ったグリフィスが、妖精と契約をしたとか言われている」
ニコラスが都市伝説の様なことを教えてくれた。
「アルトはどこか行きたいところはあるか?俺たちが案内するぞ」
ウィルがアルトに聞いてくれる。
「とりあえず、防寒具を買いに行きたいです…」
屋上で風にさらされてすっかり冷えてしまったアルトが言う。やはり引っ張り出して来たコートを着ても寒かった。
「それじゃ面白くないだろ」
ウィルが脱力する。
「確かにそのコートではきびしいかもしれないな」
ニコラスが改めてアルトの服装を観察して言う。そういうニコラスは厚手のダウンを着こんでいた。まだ秋なのにこの寒さだ。冬は本当に寒そうだなとアルトは思う。
「そうなんだよ。俺もそう実感した」
アルトが同意する。
「じゃあ買い物ついでに遊びに行くか!クラウドナインにはでっかいモールがいくつかある。中には観覧車が付いたものまであるんだぞ」
ウィルが買い物だけではつまらないとばかりに言う。
「そうなのか、なんだか買い物が楽しみになってきたな」
アルトはコートを買いに行くのにこのにぎやかなルームメイトたちが一緒なら楽しいだろうと想像できた。
「他に行くなら四大広場だな。それにメインロードには名店が多いんだぜ?アルトも行きたいだろう?」
ウィルが勝手に観光スポットをあげ、やや強引にアルトに話をふる。
「おまえはつまりは自分が行きたいだけだろう」
ニコラスが指摘する。
「だってせっかくクラウドナインに来たんだぜ?大都会だぞ?楽しむにこしたことはないだろう?」
ウィルが大きく手を広げて言う。
「寮生たちは大体が、クラウドナイン外から来ているからな。都会が珍しいんだ」
ニコラスはウィルが力説する隣で苦笑して言う。
「じゃあ頼む。俺も、行ってみたい」
アルトが言う。
「そうだよな、いいよな、クラウドナイン。俺はいつかハンターの戦闘を見てみたいんだ」
ウィルが楽しそうに言う。
「ハンターの戦闘はテレビなんかでよく見るだろう」
ニコラスが冷静に指摘する。
「できれば自分の眼で見たいものだろ?なーアルト?」
「そうだな。魔都と呼ばれる都市ならではの仕事だからな。俺も会ってみたい」
アルトは軽い嘘をつく。ハンターと会いたいのは事実だ。だがアルトの本当の目的は他にある。
いつか彼らに話せたらいいのかもしれないとアルトは思う。だが相当仲良くならなければ言えないような理由だ。それでもいつかは話せるようになるかもしれないな、とアルトは予感する。
「いつか、この三人でハントを見に行こうな」
ウィルが言い。
「そうだな」
アルトは自然と頷いた。
彼らとの約束がたくさんできた。
夜のクラウドナインは美しくて。このクラウドナインでの生活の始まりを祝福してくれているみたいだった。
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