第217話 アシダンセラのモーニングルーティン

 アシダンセラ=アヤメ・ゼロの朝は、それほど早くない。

 毎朝、時計塔の鐘が鳴ると同時に目を覚ます。


 時刻は7時。

 夏であればすっかり明るくなった時間。

 冬でも、既に朝日に照らされている時間だ。


 覚醒処理が完了する頃に、館で雇っているメイドが扉を叩く。


「セラ様。おはようございます。御支度に参りました」


「入って」


「失礼いたします」


 しずしずと入室したメイドは、ベッドに腰掛けるセラに一礼。テキパキと化粧台を整え、埃を払い、椅子を引いた。


「どうぞ」


「ん」


 セラはベッドから立ち上がり、とことこと歩き、メイドが引いている椅子にすとんと座る。


「御髪を失礼いたします」


 メイドは慣れた手付きで、セラの銀髪を櫛で梳かしていった。

 人形機械コミュニケーターとはいえ、一晩ベッドに寝転がっていれば、多少は髪も絡まるものだ。それをきれいに解し、編み込まれるのをじっと待つのが、彼女の1日の始まりだった。


「本日は、どういった髪型にしましょうか?」


「今日は、落水がいい」


「かしこまりました」


 メイドの問いに、セラはランダム選択した髪型を告げる。幸い、メイドに編み方の心得が合ったようだ。無ければ、別のメイドを呼び出す必要があった。


 大きな姿見の前で、セラは大人しく座って待つ。メイドは、さくさくと彼女の髪を編み込んでいった。

 アシダンセラの髪は、ゆるくウェーブしている。落水は、滝のように流れる水を表現する髪型だ。彼女の髪質とマッチする選択である。ランダムチョイスとはいえ、基本的には奇抜な髪型が選択されることはない。司令官イブと<リンゴ>が監修済みだ。


 セラがメイドの手付きをじっと観察している間に、ヘアスタイルはすっかり完成していた。


「お着替えをいたしましょうか」


「ん」


 寝巻きを脱ぎ、制服に着替える。ひと目で<パライゾ>所属だと分かるよう、特徴的な制服を準備している。

 とはいえ、制服と呼んでいるだけで、どちらかというとよそ行きのおしゃれ着だ。いつもカッチリとした服を着こなすというのも悪くはないが、司令官イブの趣味ではない。

 よって、セラはイブからの差し入れで、たくさんの洋服を所持していた。これは、雇いのメイド達にも好評である。いま、王都モーアのファッション最先端は<パライゾ>産なのだ。


 今日選んだのは、体の線を隠すふわっとした乳白色のブラウスに、ブラウンのロングスカート風ガウチョパンツ。外出時はこれにベレー帽やショルダーバッグ、ブーツなどの小物を合わせれば、ゆるふわ銀狐娘の完成だ。


 想像上のお姉さまイブが、ぐっとサムズアップした。


 もちろん、アヤメ・ゼロはアシダンセラの姿をバッチリ記録し、<リンゴ>へ送信していた。お姉さまに提出する、報告書に使用するのだ。


「本日も、大変お可愛らしゅうございます」


「ばっちり」


 着替えまで終わると、次は食事である。


「では、食堂へ参りましょう」


「ん」


 しずしずと歩くメイドの後ろを、セラもちょこちょこと付いていく。すれ違う屋敷の人員たちは皆ニコニコしていた。


 朝食にはあまりバリエーションはないものの、アヤメ・ゼロは概ね満足している。

 テーブルに用意されていたのは、新鮮なグリーンサラダとパリッと焼いたソーセージ、ブールパン、バター、そして紅茶だ。


「おいし」


 レプイタリ王国は、豊かな国だ。農村部はさておき、都市部であれば皆がそれなりに裕福な暮らしをしている。

 余裕があれば、文化が花開く。

 よって、食事に関しても、その他の国々に比べ、かなり先進的な研究が行われていた。


 戦略AI<アヤメ・ゼロ>は、そんな食事事情をいたく気に入っていた。

 特に、大使館の料理人に対しては、積極的にアドバイスを行うほどである。

 ファッションの最先端だけでなく、美味い食事の震源地にもなっていた。


 朝食が終わると、特に予定がなければ自由時間である。


 今日は、何の予定も入っていない。

 セラは護衛を伴い、市街の散策を行うことにした。


 護衛は、ランダム遺伝子を使った人形機械コミュニケーター2体、レプイタリ王国の兵士3人。

 護衛人形機械コミュニケーターは、数日で別の人員に入れ替わるようにしている。今日は、黒猫と薄茶のうさぎの遺伝子を持つ個体だ。どちらも戦闘服に身を包み、突撃銃アサルトライフルに手を掛けてセラの両側に付いている。


 彼女らを先導するのは、護衛兵の1人だ。残り2人は、やや後ろに距離をおいて付いてきている。


「いつも通り、朝市に行きましょうか?」


「そうする」


 多くの人や物が集まる、首都モーアの朝市。

 首都ということもあり、基本的には治安は良い。市場調査の対象にはもってこいだ。


 大使館からは、歩いて30分ほど。

 馬車、または自動車も用意はできるが、人が多すぎて身動きが取れなくなることがほとんどのため、セラ達は歩いて移動することが多い。


 彼女らの容姿は、非常に目立つ。

 とても整った容姿であり、ファッションも洗練されている。

 護衛兵が付いているということもあり、移動時は大抵、見物人でごった返すことになる。

 予定が入っていない時は大抵朝市に向かうため、彼女らを狙って集まる人々も多いのだ。


 とはいえ、大使館があるのは公舎が立ち並ぶ政治中枢区域の端である。

 警備員も多く、最近は大きな混乱が起こることもない。見物人たちも、わきまえたものだ。最初の頃に大混乱が発生し、怪我人、逮捕者が続出したため反省しただけ、とも言う。


「きた」


「おんやあ、セラ様じゃないかい」


 訪れたのは、既に常連と言っていいほど顔を出している一つの屋台。

 珍しい食材を扱っているため、アヤメ・ゼロが非常に気に入っているのだ。


「何か、ある?」


「ああ、大陸の方の珍しい芋が入ってきたよ。見てみるかい?」


「みる」


 屋台の主である女将は、短い言葉とともに頷いたセラに満面の笑みを浮かべると、後ろの馬車から細長い木箱を引き出した。


「よっこらせ……っと。ほら、こいつだよ」


 屋台前まで木箱を運び出すと、バールのようなものでその蓋を外す。中にはおが屑が詰まっているようだ。


「ちょっと待ってな」


 女将はおが屑に手を突っ込むと、中から長い芋を慎重に取り出した。


「……芋。長い」


「ああ、向こうでは長い芋、リュンポトって呼ばれてるらしいがね。こいつが、山の中に、縦に埋まってるって話さ。こう長くて立派な奴はなかなか取れないし、あっても掘ってる途中で折れちまったり、なかなか大変らしいけどねぇ」


「興味深い」


 この芋、火を通すとホクホクして美味しいが、何と言っても生で食べるのがお勧めだった。粘りがあり、細切りにして塩を振るだけで十分食べられる。


「是非試してみたい。これは、継続入手可能なもの?」


「ああ、向こうと行き来してる商隊が持ち込んできてねぇ。運ぶのは大変だけど、何とか持って来られるって話さ。セラ様、<パライゾ>がいい荷車を作ってくれたおかげさね。あれで、いままで1ヶ月も掛かってた道が、2週間で行けるようになったってね!」


「そう。それはとても良いこと。道が整備されれば、もっと速くなると思う」


「まあ、とりあえず今回はこれだけだとさ。次はもうちょっと多めに仕入れとくように言っておいたよ! 1ヶ月位したら戻ってくるはずだから、またその時にどうだい?」


 セラはサムズアップし、とりあえず目の前のリュンポトを購入した。

 一部は<パライゾ>で解析し、残りは早速料理長に渡すことにする。新食材は、積極的に確保するのだ。アヤメ・ゼロが好きだというのももちろんあるが、目的はお姉さまイブにも楽しんでもらうこと。

 新食材を栽培可能かどうかを解析し、可能なら量産するのだ。


 一行はいつものように荷運び人を呼ぶと、購入した木箱を荷車に載せる。いっぱいになったら、屋敷に送り届けてもらうのだ。


 一発目にあたりを引いたセラは、軽い足取りで市場を歩く。

 まだ見ぬ新たな食材を探し、味わうために。あと、大好きなお姉さまに届けるために。

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