第212話 アサヒ、地に沈む

「――お姉さまっ!! アサヒが帰還しましたぁーっ!!」


 テレク港街拠点から飛行艇で飛んで帰ってきた朝日アサヒが、人工ビーチの入り口に出現した。


「おかえりー」


「ただいま戻りましたー!」


 そのまま、アサヒはお姉さま目掛けてダッシュする。

 既に水着には着替えていた。準備万端である。


「その速度での飛びつきは危険です」


「ほあぁー!!」


 <リンゴ>が動く。


 人形機械コミュニケーターを操作し、アサヒの突進を止めるべく進路を塞ぎ。


 跳ね上がったアサヒは、<リンゴ>操る人形機械コミュニケーターに絡まるように縦に回転し、そのまま足先から砂浜に突き刺さった。


「!?」


 急激な動きについていけず、硬直するお姉さまイブ


 吹き上がった砂に直撃され、目を丸くして動きを止めるイチゴ。


「アサヒ、あなたの身体で司令マムに突進するなど言語道断。怪我でもさせたらどうするつもりですか」


「こ、こんなことになるとはーっ!?」


 アサヒの身体は、生存能力を上げるため根本から手が入っている。金属製の内骨格に高出力サーボモーター、強力な人工筋肉、複数の頭脳装置ブレイン・ユニット、バックアップ電源その他諸々。そのため、体重は見た目の3倍はあるのだ。


 そんな重量級が生身の人間であるイブに飛びついたら、例え高度な身体制御能力を持っていても怪我をする可能性があった。


 そのため、<リンゴ>は人形機械コミュニケーターを操作し、アサヒを止めに入ったのである。

 当然、アサヒはそれを避けようとその高級な身体を使って踏み切ったのだが。


 体重でも出力でも、そして耐久力でも負けている人形機械コミュニケーターでは、アサヒを正面から受け止めることはできない。

 まともにぶつかるのではなく、アサヒの身体に的確に力を加え、その姿勢と移動方向を操ったのだ。


 もちろん、アサヒも抵抗する。だが、<リンゴ>の演算能力はそれすらも予測済みだ。


 跳躍しようとした軸をずらされ、姿勢制御のために振り上げようとした腕を取られ、更に<リンゴ>を避けようとする動きすら制御され、前方宙返りのような形で空中に跳ね上げられる。


 そうして空中で自由を奪った後に、<リンゴ>はアサヒを足先から砂浜に突き刺したのだ。


「最近、<リンゴ>のアサヒに対する扱いが雑だと思うんですが!?」


「とても丁寧に扱っていますよ」


「これのどこが!?」


 アサヒは膝の力を抜き、べたん、と仰向けに倒れた。


「……おかえり、アサヒ。もうちょっと落ち着きましょうね」


「はう」


 イブはアサヒの傍にしゃがみ、顔に付いた砂をタオルで払った。大人しくなるアサヒ。


 時刻は夕刻。太陽は水平線に沈もうとしており、空は薄暗くなっている。


司令マム。テントの準備は出来ています。あちらに移りましょう」


 そんな騒動の中でも、<リンゴ>はしっかり準備を整えていた。

 別の人形機械コミュニケーターを操作し、バンガロー型のテントを立ち上げている。


 松明や焚き火用の木材も準備されており、夜の部に向けての準備は万端だ。


「そうね。アカネも、皆もシャワーを浴びてきましょうか。アサヒ、立てる?」


「立てません!」


「アサヒ、自分で立ちなさい。あなたの体重では、司令マムの力が不足しています」


「そんなあ」


「あはは。はい、ほら立って立って」


 ゾロゾロと動き出す一行。シャワーブースで塩と砂を洗い流し、軽く髪のケアをしてからテント前に移動する。


「これは、キャンプファイヤー?」


「そこまで大したものではありません。単なる焚き火ですね」


 用意された椅子に座ったイブが尋ねると、<リンゴ>は首を振った。曰く、キャンプファイヤーは、この気温では普通に暑いとのこと。


 さもありなん。

 <ザ・ツリー>は、赤道近くの熱帯気候に属している。

 夜は多少冷えるとはいえ、盛大に火を焚くと暑くて近寄れないだろう。


「これが焚き火。<リンゴ>、私が火を付けてもいい?」


「いいですよ、アカネ。着火器トーチを使って、下の着火剤に点火しなさい」


 アカネが代表し、焚き火台に火を付ける。


 木材は、アフラーシア連合王国から持ち込んだものだ。ほどよく乾燥させており、皆が見守る中、無事に着火剤から薪に火が回る。


「全体に火が回ったら、この太い薪を載せていきます」


「わたしがやる!」

「わたしもやる!」


 ウツギとエリカが元気よく手を上げ、<リンゴ>に指示されつつ2人は薪を積んでいく。


 そんな様子を、イブは椅子に座ったまま眺めていた。


 足元にはアサヒ、右にイチゴ、左にオリーブがくっついており、動けないだけ、とも言う。


 アカネは、火が徐々に回っていく薪を、興味深げに観察していた。


「焚き火は、何故か人を惹き付ける。そう文献には書かれていましたが、いかがでしょう?」


「そうねぇ……。たしかに、何かじっと見ちゃうわね」


 ぼんやりと、炎を見つめるイブ。


 バーベキューは何度かやっており、ガスや炭火で焼くという行為はイブも試していた。

 しかし、メラメラと燃え上がる炎、というものをガス火以外で目にしたのは、初めてである。


「マシュマロを用意しています。これを焚き火で炙って食べるのがよいようです」


「ほう?」


「マシュマロ! なるほど、アサヒでも食べられそうですね!」


 アサヒの身体ボディは、色々と強化を行っているため体内スペースに余裕がなく、消化器官をかなり簡素化している。

 そのため、通常の食事はできず、消化吸収が容易な軽食類しか摂取できない。

 <リンゴ>が気を利かせて、アサヒでも食べられるものを準備していたのだ。

 このあたりは、さすがに抜かり無い。


「じゃあ、皆でやってみましょうか」


◇◇◇◇


 焚き火を囲んで再度騒ぎ、やや落ち着いたところでテント内に移動する。


 気温、湿度は、熱帯気候にふさわしくそれなりに高め。

 この環境でぐっすり寝ることができるかというと、イブは間違いなく無理だろう。


 そのため、テント、円形のバンガロータイプの中は、空調が効いていた。


「おお、涼しい」


「これは!」

「グランピング!」

「これがグランピング」

「グランピング?」


 5姉妹は心当たりがあったのか、顔を輝かせてベッドに突撃する。

 イブは聞き覚えがなかったか、首を傾げた。


「グランピング。グラマラスとキャンピングを合わせた造語の事ですね」


 バンガロー内には、テーブルとソファ、冷蔵庫、そして大きなベッドが準備されていた。


 キャンプとは無縁の家具が勢揃いである。


「一般的なテントも候補に挙げましたが、環境があまり良くありませんので、こちらで色々と整えさせていただきました」


「ほぇー」


 たぶん一般的なキャンプとは違うんだろうな、と想像しつつ、だが、これはこれで楽しそうだ、とイブは頷いた。


 外界を隔てるのは布一枚で、中に居ても波の音は聞こえてくる。

 何なら、カーテンを開ければ透明なビニール越しに外も観察できた。


 人工ビーチを覆う天蓋の下のため、雨を感じることはできないが、まあ、イブもそこまで求めていない。

 なんちゃってアウトドアで十分だ。

 過酷な体験をしたいわけではないのだ。


「楽しそうね。ちょっとわくわくしてきたわ」


 後ろに控える<リンゴ>も、司令マムの興味を惹けたことでニコニコである。

 ちなみに、船上、甲板上でのお泊りであるプランD(Deck)と、無人島でのお泊りであるプランI(Island)もあったのだが、直に自然を体験するのはハードルが高過ぎる、とお蔵入りにされていた。


「お姉さまお姉さま、アサヒは膝枕を所望します!」


「あ、わたしも!」


「わたしも」


「はいはい。じゃあソファーに移動しましょうか」


 だいたい、アサヒが来ると狐娘おしくらまんじゅうが発生する。

 アサヒが欲望に忠実なため、他の娘達も釣られて素直になるのだ。

 万事において控えめなイチゴですらベッタリしてくるのだから、アサヒ効果恐るべしである。


 やりすぎたアサヒが、リンゴに首根っこを押さえられるまでがセットだ。


 そんな感じでわちゃわちゃしていると、外からざぁざぁというノイズが入り込んできた。


「スコールですね。30分以内には止むと思われます」


「うーん、野外で音を聞くとこうなるのね。何か新鮮だわ」


「いつもはサンルームだもんねー」


「スコール中に外に居るのは初めてかもしれない」


 クリスタル製の天蓋に打ち付ける雨音。

 そして、海を伝って入り込む重低音。


 ソファの上でひとかたまりになった娘達は、しばしの間、雨音ノイズに身を委ねるのであった。

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