第192話 閑話(とある森の国)

「よく狙え……まだだ、まだ……今!!」


通穿ピアース!!」


 引き絞られた弦が、解き放たれる。

 練り込まれた魔力は与えられた意志の通りに加速力に変換され、金属矢尻の矢弾を勢いよく射出した。


 飛び出した矢は、おおよそ50mほど空中を進み、そして標的のど真ん中に命中する。


「命中。いい腕だ、ピリビアーガ」


 隊長の言葉とともに、標的――蝶の魔物ソウルバタフライの巨体が、ぐらりと揺れる。


 当たりどころが良かった、あるいは悪かったのだろう。

 胴体内の重要な器官を貫かれた胡蝶ソウルバタフライはその生命活動を止め、風に舞うように落下していった。


「……ふう。まさか一撃でやれるとは……」


「流石だな。ピリビアーガ、次もこの調子で頼むぞ」


「勘弁してくださいよ。こんなまぐれ当たり、何度も出るもんじゃありません」


 通常、あのサイズのソウルバタフライを仕留めるには、最低でも5本は矢を打ち込む必要があるのだ。

 恐らく、正確に神経節やら心臓やらの重要臓器を撃ち抜くことができれば、短時間で倒すことができる。しかし、何分相手は巨大であり、個体差もあって同じ場所を貫けばよいというものではないのだ。


 こちらの放つ矢が、槍ほどの大きさであれば、また違うのかもしれないが。


「幸い、矢は優先的に回してもらっているが。問題は、あの体を貫けるのがお前しか居ないってことだ」


 あの巨大な蝶の魔物、ソウルバタフライは、攻撃力や移動速度は低いものの、防御力は折り紙付きだ。

 生半可な矢など、正面から弾き返してしまうのである。


 地面に引きずり下ろせば、まだ刺突の短剣や戦士の剛腕でダメージを与えることはできるのだが。


 あの魔物は、通常、森の木々より高い場所を飛んでいる。

 届くのは、弓矢しかないのだ。


通穿ピアース持ちは、今大急ぎで習得させているからな。それまでは、お前だけが頼りだぞ」


「オーバーワークですよ。臨時ボーナスを要求します」


「上には言っているが……。まあ、ほら、魔石はおまえにやるから、頼むぞ」


 そんな光景は、現在、森の国レブレスタの至る所で繰り返されていた。


 国土の北方より押し寄せてくる、胡蝶ソウルバタフライたち。

 そして国土防衛のため、警備隊、そして軍や民間から派遣される通穿ピアース持ちたちによる防衛線。


 今のところ、防衛線を越えた侵入はない。かろうじて、魔物の侵攻は押し留められている。


 しかし、これがいつまで続くかは分からない。常に、ギリギリの状態が続いている。


 悪いことに、ソウルバタフライは昼夜を問わず侵入してくる。

 そのため、戦う彼らの疲労が、徐々に蓄積してきていた。


◇◇◇◇


「ぅらあああぁぁぁッ!!」


 全力で、目の前の敵に攻撃を叩き込む。

 手に持つのはロングソード。


 大上段に構えたそれを、相手の無防備な胴体に振り下ろした。


 森の国レブレスタの警備隊の中でも貴重な近接攻撃技能を持った彼は、魔の森に踏み込んで仕事をしていた。


 彼の獲物は、胡蝶ソウルバタフライの幼虫だ。

 成虫になる前に見つけ出し、とにかく数を減らすのが目的である。


 側面を切り裂かれた幼虫、巨大な芋虫は、驚いて身を捩る。

 吹き出した体液が、攻撃を行った男に振り掛かる。


「ぬおおおぉぉぉ……」


 慌てて飛び退くが、残念ながら避けることは出来なかった。


「あー、くそっ。水場を探すのも簡単じゃね―ってのによぉ……」


 表皮を切り裂かれた芋虫は、内圧によってそのまま傷口から臓器をこぼれさせ、さらに自身で暴れる力でより酷いことになっていく。


 防御力も大したことはなく、攻撃性も低い。ただ、目の前のものを貪るだけの魔物だ。

 だが、それ故に居場所が特定し難く、この芋虫によって開けた場所を地道に探すしか無いのである。


 しかも、すぐに分かるほど食い荒らされた場所は既に羽化してしまっていることも多く、成長途中では見つけにくいのだ。


「おう、毎度毎度すげえことになるなぁ」


「……代わってくれるか?」


「馬鹿言え、俺じゃぁそもそもその剣を持ち上げることも出来ねえよ。矢で撃っても効きやしねえしな」


 この巨大芋虫は、その巨体ゆえ、矢を撃ち込んだ程度では死なない。神経節などに直撃させられれば倒せるのだろうが、分厚い肉に阻まれ、それがどこにあるかは不明だ。

 頭部は弱点だが、そこの表皮は相応に硬く、通常の矢では貫通させることも出来ない。


「ええい、気持ちわりい。次に行くまでに水場があればいいが……」


「あっちは少し山になってるし、湧き水があるかもしれん。そろそろ高い場所で確認したいところだし、行ってみるか」


「ああ、頼む。とりあえずここはこれで問題ないな。いつもの魔素溜まりホットスポット印を置いたら行くぞ……」


 この魔物は、ホットスポットに卵を産み付けるという習性があるようだ。

 そのため、討伐した場所はそれなりにいい採取場所になるのだが。


「しかし、流石にこんな場所まで採取に来るのは厳しいだろうな……」


 彼らが今活動しているのは、レブレスタの国境からさらに3日ほど移動したエリアだ。通常、こんな奥地まで採集に来る者は居ない。

 単純に危険というのもあるが、そもそも持ち運べる荷物にも限界があり、薬草類は鮮度の問題もある。


 それに、何と言っても、3日移動した程度では、植生はほとんど変化がないのだ。

 つまり、奥に入っても採れるものは同じ。


 であれば、近くで採集活動をしたほうがいい。魔の森は、浅層だけであっても、レブレスタの需要を十分に賄える豊かさがある。


「まあ、もしかすると将来は使い所があるかもしれないからな。よし、これでいい。行くぞ!」


◇◇◇◇


胡蝶ソウルバタフライの侵入はなんとか抑えられているか」


「はい。報告によると、討伐数は日に40~50体で、ここ1ヶ月は横ばいです。もう1ヶ月ほどすれば、追加の討伐人員も確保できる見込みです」


「現場の人間には苦労をかけるが、致し方ないか」


 魔の森から南下する、巨大な蝶の魔物ソウルバタフライ。獰猛な種ではないが、ホットスポットに産卵し、幼虫が植生を食い荒らすという生態のため、放置するとレブレスタの国土が丸裸にされる危険性がある。


 ホットスポットは、レブレスタにとっては最重要戦略地である。

 ここからもたらされる魔化素材が、国の繁栄に直接関わっているのだ。


「ホットスポットの数も有限だ。それからあぶれた魔物たちがどう動くかも分かっていないからな……」


 魔物は、本能的に魔力を持つ他者を求める。

 幼虫、成虫ともに、魔物を食べるという習性があるのはそのためだ。もっとも、戦闘能力が低いため返り討ちにされることもままあるようだが。


「現場で動ける人員が増えるのは心強いが、そろそろ装備の在庫が問題だ」


「はい。こちらに予測の資料を。このペースであれば、あと2ヶ月ももちますまい。増産は要請していますが、本格的に供給が増えるのは、あと3ヶ月は掛かるとのことで」


「そうか……。既存の工房では、そうならざるを得んか。何か対策は?」


 レブレスタは、平時が何百年も続いているという歴史がある。

 そのため、装備の生産も、特定の工房に依存しているという問題があった。


 もちろん、十分に有事のための在庫は確保している――筈だったのだが。


「今のところ、これと言っては。こうなると、民間から徴収するしか無いかもしれません。心苦しいですが」


「そうも言っていられないか。徴収するにしても、今日明日というわけにも行くまい。すぐに触れを出させよう」


 警備隊、常備兵以外で魔の森で活動する装備を使用するのは、採集者達である。

 しかし、彼らは基本的には個人で活動しており、多くの在庫を抱えているわけではない。

 それに、それらを徴収すると、彼らの商売道具を奪うことになる。


「その件だが、外交部より提案がある」


 そして、国内での生産が間に合わないのであれば。

 国外に、助けを求めるしか無い。


「既に一部では実戦配備を始めたが、アフラーシア連合王国から弓矢、防具の輸入を――」

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