第133話 閑話(とある海洋国家5)

「それで、その愚かな男爵様はどうなったのだ」


「は。着水時の衝撃による全身の打ち身および右足骨折で、軍病院へ入院しているようです。議事録は陸軍へも回しておりますので、我々に強く出ることはないでしょう」


「ふん。世が世なら、縛り首ものだぞ。よりによって、王族だと?」


「は。報告書によれば、間違いなく。相手を信じるか信じないか、という問題はありますが、信じるという立場で言えば、そのまま宣戦布告されてもおかしくないほどの無礼な振る舞いです」


「そもそも、人として最低限の礼儀も取れんのか、愚物め。我々がどれだけ根回しと調整を重ねてきたと思っているのだ」


 海軍総提督、アルバン・ブレイアスはため息を吐きつつ、その報告書を読んでいた。


 <パライゾ>との会談に無理矢理入り込んできた、陸軍の大佐。王都防衛局に所属しており、男爵位を持つ由緒正しい貴族である。

 とはいえ、レプイタリ王国では貴族制が事実上廃止されて久しい。貴族特権は認められており、最低限の年給も出ているが、逆に言うとそれだけだ。


 貴族院による政治体系はクーデターにより崩壊したが、混乱を避けるために貴族制が残されていた。何の役職もない平民相手にはある程度の無茶も利くだろうが、政府高官、軍首脳部は貴族と同等の権限を有しており、男爵といえど無茶な要求はできない。


 とはいえ、曲がりなりにも大佐という肩書を持つ人物から要求された場合、縦社会である軍隊において、下位の者はなかなか反論できないだろう。

 今回の失態を、交渉担当者に押し付けるのは悪手だろう。


「陸軍宛には正式に抗議を行うとして、こうなると、王宮へ報告を上げざるを得んな。どなたかの王族に出張っていただく必要もあるか」


 あちらとしては不本意としても、王族と明言された以上、こちらも王族が相対すべきだろう。

 一度、<パライゾ>本国での立場を明確に聞き出しておいた方がよい。

 王族と言っても正当な王位継承権を持つのか、単に血縁関係があるという傍系なのか。


 あちらの地位に合わせ、レプイタリ王国側の王族に打診する必要がある。

 双方の地位が掛け離れていた場合、面会だけでも無礼に当たるかも知れないのだ。


「それから、次からは私が出よう」


 そしていよいよ、海軍首脳部も重い腰を上げる。

 意図的に現場レベルで抑えていたのだが、それも難しくなってきた。


 相手が相応の地位を開示してきたのだ。それでもなお、中佐程度を送り続けることもできないだろう。


 総提督、レプイタリ王国内では貴族最上位、公爵の地位と同等とされるアルバン・ブレイアスは、決断した。


 できるだけ事務方を通し、議会に諮りたかったのだが、ここに至っては権力による強引な立て直しが必要だ。万が一、次に何らかの失態を犯した場合、あの<パライゾ>の強大な力が、首都モーアに向けられるかも知れないのだ。


「エスタインカ中佐には悪いが、今後は全て私が取り仕切る。ああ、もちろん彼の進退には影響が無いよう配慮したまえ。責任は、陸軍に取らせるからな」

「はっ。承知いたしました。そのように取り計らいます」


 今回のあの愚物は個人の暴走だろうが、今後の陸軍の動きは、正直読めない。自身の欲望だけに忠実に動く、肥え太った醜い肉塊達だ。理屈ではなく感情で動き、そして起こした問題をねじ伏せるだけの権力と金を確保している厄介者共。


「…これを機に、本格的に手を付けるか。ちょうど、海外政策も停滞してしまったことだ。余力を国内に振り分ける口実にもなる」


 際限のない拡大政策も、<パライゾ>の出現により急ブレーキが掛かった。

 愚物共は相変わらず好き勝手やっているようだが、今後はそうはさせない。

 <パライゾ>との交渉は厄介だが、幸い、相手は友好的だ。この間に国内を綺麗に掃除し、後回しにしてきた改革に手を付けるというのも悪くない。


「翁にも、表に戻ってもらうか…」


「は。あの御仁を呼び寄せるので?」


「ああ。そろそろ、隠居も飽きて来た頃だろう。遣いを出してくれんかね?」


◇◇◇◇


「アマジオ殿! アマジオどのー!」


 ドンドンドン、とその扉を叩いたのは、最寄りの村の村長の一人娘であった。


「ん、んがっ…」


 床に突っ伏して寝ていた男は、その乱暴な音にビクリと体を震わせ、ノロノロと顔を起こした。


「アマジオ殿!! また寝てるのか!」


「…その言い方だと、俺が寝たらいかんみたいじゃないかねぇ…」


 ボソリ、と呟き、一度頭を振ってから床から立ち上がる。そのまま、ぐっと背伸びをした。


「アマジオ殿! アマジオ殿!!」


「サーリャ。今開ける。それ以上叩くな、扉が壊れる」


「おお、アマジオ殿! 起きたか!」


 ドンドン、の次はガチャガチャとドアノブをひねる音。どうやら、この娘は非常にせっかちな性格をしているらしい。

 男はため息を吐き、バチリ、と扉の鍵を開ける。


 その瞬間、バカン、と扉が開け放たれた。


「アマジオ殿!!」


 飛びついてきた娘を、男はがっしりと受け止める。


「サーリャ。飛びついてくるのはやめろと言っているだろう」

「大丈夫だ!」


 その元気な返答に男は笑い、娘の頭をひと撫でしてから肩を押し、優しく引き剥がした。


「それで。こんな朝からどうしたんだ、サーリャ。珍しいじゃないか」

「あ、そうだ!」


 娘は慌てて身体を離すと、ごそごそとポケットを漁って、一通の手紙を引っ張り出す。


「これだ! アマジオ殿宛に、都の方から手紙だ! 父上が昨日受け取ってな!」

「ん、都?」


 差し出された手紙を受け取り、男は裏面を確認する。


「…ふむ?」

「アマジオ殿、なんの手紙だ? 父上も差出人は知らないと言ってたが!」


「ああ。古い友人から、だな。随分と、久しぶりだが」

「……」


 黙り込んだ娘に、男は再度微笑み、その頭に手を載せる。


「そんな顔をするな、サーリャ。俺の故郷はここだ。いつも、ちゃんと帰ってくるだろう」

「…前は、そう言って1年も帰ってこなかったぞ」


「ああ…いや、まあそうなんだが。すまんな、最近は時間の感覚がガバガバになってきてなぁ」


 男はそうぼやき、後ろを振り返った。

 ヨレヨレのシャツの胸元に掛けられた、無精髭の男には不似合いな、大きな水晶クリスタル

 部屋の中は、用途不明の金属機械が、大量に転がっている。


「はぁ…こっちも手詰まりだしなぁ。王都もある程度発展したって話だし、そろそろ顔を出すか…」


「…アマジオ殿!」


 その言葉に、娘は頬を膨らませて抗議する。


「ああ、すまんすまん。サーリャ、わかったから。用事が分からんから何とも言えんが、ちゃんと1ヶ月に1回は帰ってくるから。な、それならいいだろ」


「うぅー…。約束だぞ!」

「ああ、ああ。約束だ」



「分かりました、アマジオ殿。明日、馬車を出す予定がありますので、同乗されてはいかがかな」

「ああ、それは助かる。ついでに色々と仕入れてくるから、また送らせよう」

「いつもありがとうございます、アマジオ殿」


 男は、自分の屋敷からカバンひとつだけを持って村に来ていた。


 結局、手紙の内容は、友人からの誘いだった。


 また、この国の体制が大きく動く。その手伝いを、というのが趣旨ではあったが。


「外国の、巨大戦艦か…」


 昔、それこそこの国の改革の前。

 友人と語った、海を駆ける機械仕掛けの大型船。

 あるいはそれが、海の外から、この国へ迫っていると。


「そりゃあ、確認しないとなあ」


 無意識か、男は呟きながら、胸元の水晶に手をやった。


「それに、片付け損ねたあいつらも、今度はしっかり決着を着けないと、な」


 およそ30年前、救国の英雄としてその名を馳せた将軍達。

 その1人として名を連ねる、表向きは円満に引退した永代公爵。それが、この男の持つ肩書だった。


「しかし村長、サーリャもすっかり立派な女になったな」

「…バカを言わんでください、アマジオ殿。まだちっとも落ち着きもしないで、山を駆け回っておりますよ」

「次代の女村長としては、頼もしい限りじゃないか」


 王都で婿でも探してやるかな、と男は呟き。


「アマジオ殿、あなたが貰ってくれれば、わしも安心できますがね」

「馬鹿を言うな。年が違いすぎるし、おしめを替えた子供を娶るほど、倒錯してはいないよ」


 どう見ても20代にしか見えないその男は村長にそう返し、村の子供達を追いかけ回す少女を見守るのだった。

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