第122話 隕石に当たって死ぬことを恐れるか?

「歴史的観測結果から、人生100年で隕石によって死亡する確率は、20万分の1です。無視できる確率ではありませんし、現に過去、地球にはいくつもの隕石が衝突しています」


「ではそれで、魔法による脅威を無視する理由はなんですか! 魔法によって私達の防衛力が無効化された事象が、既に存在しているのです! 隕石による加害の可能性が20万分の1として、それより桁が何個か多い程度で、無視していいとはなりませんよ!」


「…。…それは」


 <リンゴ>が、口籠った。

 そこで。


 司令官イブは、隣のアサヒを抱き寄せ、その顔を自身の胸に押し付けた。

 口封じである。


 アサヒは少しだけ藻掻いた後、大人しくなった。


「<リンゴ>。その顔は、うまく言語化出来ないって感じかしら?」

「いえ…あの、はい。そのとおりです…」


 そして、その指摘に、<リンゴ>はしょんぼりと肩を落とす。

 アサヒと<リンゴ>の言い争いを傍で聞いていた司令官イブは、その問題点を、<リンゴ>の感情的行動を見抜いたのだ。ファインプレーである。


「ま、推測になるけどね。<リンゴ>、あなたは怖がっているのかしら。あの敗北を」

「……」


「私達は、あの場所で、明確に敗北したわ。万全と想定した戦場で、得体の知れない力で全滅させられた。結果的に、物理的な被害はなかったけれど、でも負けたのには違いはない。もしあのまま攻められていたら、油田の全てを手放すことになっていたかも」


 それは、司令官イブとしても考えざるを得なかった、苦い未来である。幸いなことに、テフェンは好戦的ではなかった。故に、<ザ・ツリー>は今以て油田の確保ができている。

 そしてそれは、単に運が良かっただけなのだ。


「<リンゴ>、あなたにとって、あの事件は初めての敗北だったわ。だからかしらね? あの件に関して、あなたは忌避的な感情を抱いている。ただ、可能性が低いというだけの理由で、目を瞑ってしまうほどに」


「……」


 司令イブの指摘に、<リンゴ>は高速で思考を回す。

 自身が目を背けていた事実。

 まずは、それを認めなければならない。


 そう、あの場所で、魔法ファンタジーという謎の力によって、<ザ・ツリー>は、<リンゴ>は敗北したのだ。

 それに対し、出来得る限りの対策をとった。


 それでも、初めての敗北という経験は、嫌になるほどに<リンゴ>の思考へ影響を与えていたのだ。

 無意識に魔法ファンタジー対策に対してバイアスを掛け、確率を無視してしまうほどに。


「人間的に言えば、心的外傷トラウマかしらね? あなたは、なまじ処理性能が高いから、障害があっても問題にならなかった。それでも、アサヒの言葉を借りれば、理不尽な力ファンタジーを拒否している」


 司令官イブは、ゆっくりと<リンゴ>に言い聞かせる。


「あなたの思考が頭脳装置ブレイン・ユニットによって発生している以上、精神障害は常に気にしていかなければならないわね。朝日アサヒに続いて、そういう役どころのAIも用意した方がいいのかしら」


 現在、<ザ・ツリー>内には、独立した意思は8個体。司令官イブ統括AIリンゴ、アカネ、イチゴ、ウツギ、エリカ、オリーブ、そして朝日アサヒ

 そしてこの中で、他個体の精神的不調を見抜けるのは、現実世界で経験を積み重ねており事実上最年長のイブと、あらゆる情報を溜め込んで処理できる<リンゴ>のみ。ただ、<リンゴ>は経験不足のため信頼に足らず、イブも別に専門家ではないため、安心材料にはならない。


 頭脳装置ブレイン・ユニットという、生物脳を模した情報処理装置を使用している限り、精神不調の問題は将来的にもずっと付いて回ることになる。


「まあ、今回は、アサヒのお手柄としておきましょう。<リンゴ>、あなたはあなたの現状を認識できたかしら?」


「…はいイエス司令マム。軽度の統合失調症の疑いあり。頭脳装置ブレイン・ユニットの稼動ログ精査を行います」


「元の世界なら、気軽に医者エンジニアに見せろって言えるけど、ここじゃあねぇ…。言われてみれば、<リンゴ>のストレス値が高い気がするけど、この程度の数値変動で影響があるって言われると、私じゃお手上げね」


 当然、頭脳装置ブレイン・ユニットの問題は既知であり、様々な対策が存在する。予兆検知も可能で、精神状態を表す感情エモーション図形グラフという監視機能も搭載されていた。司令官イブとしても、姉妹AI達の精神状態を把握するのは重要事項のため、ほぼ常時、それらを確認する習慣が付いている。


 しかし、突出した異変には気付けても、慢性不調は分からないのだ。彼女は専門家ではない。


「<リンゴ>。速やかに、頭脳装置ブレイン・ユニット監視個体サイコセラピストを構築しなさい。相互監視も必要だから、最低2個体。遺伝的偏重バイアスの影響排除が必要だから、新規遺伝子を使用すること。これは命令よ。男女個体が望ましいわ。遺伝子は、量子乱数を使ってランダムで選択しなさい。恣意的選別は許可しないわ」


はいイエス司令マム。新規頭脳装置ブレイン・ユニットの構築を開始。構築完了までおよそ68時間。人形機械アンドロイド素体は用意しますか?」


「…そうね。完全培養個体を準備しなさい。入力変数の一部に量子乱数を使用すること。分かっていると思うけど、既存パーツの流用は許可しないわ」


はいイエス司令マム


 ひとまず。

 ひとまずこれで、アサヒの問題提起は解決で良いだろう。司令官イブはため息を吐き、部屋を見回した。


 この騒動に、5姉妹達もじっと司令官お姉様と<リンゴ>を見つめている。

 彼女らにしてみれば、<リンゴ>の変調に気付かなかった自分たちも同罪なのだ。


「あなた達も、そんな顔をしない。気付かなかったのは私も同じよ。それを責めたりしないわ、反省はしてもらうけどね?」

「はい、お姉様」


 全員が頷いたのを確認し、司令官イブはようやく、アサヒの拘束を解いた。


「…はっ。お、お姉様! いきなりは酷いです、息ができないかと思いましたよ!」

「別に口で呼吸してるわけじゃないでしょう」


「これは情緒的表現です、あんなことされたら誰だって呼吸困難になりますよ、幸せ窒息死です! この多幸感、癖になります皆も体験すべきあいたーっ!!」


 お姉様イブは無言でアサヒにデコピンを叩き込むと、ソファに沈み込んだ。


「<リンゴ>はアサヒに何を読ませたのかしら…?」

はいイエス司令マム魔法ファンタジーに関わるサブカルチャー全般の小説、漫画、アニメ、映画などです」

「そう…」


 そうすると、そういう知識を身に着けているかも知れない、とイブは気付き、ちらりと文学少女アカネに目を向ける。


 心なし、そわそわしているように見えた。


「…ある程度、私も嗜んでいたから理解はあるけどね」


 隣で涙目になって沈黙しているアサヒの頭をポンポンと撫で、彼女は立ち上がる。


「今日はこのままお休みにしましょう。皆で外でバーベキューをして、その後はお風呂に入りましょう」

はいイエス司令マム


◇◇◇◇


 <ザ・ツリー>の面々が外で肉を焼いている時も、モーア沖に停泊するパナス内では使節交流という名の実務者会議は続けられている。

 現地戦略AIは、慎重に、しかし時には大胆に、レプイタリ王国の外交官と舌戦を交わしていた。


「関税は認められない。ある程度の手数料は致し方ないが、不当に安い値段にはしないと言っている。何の問題があるのか」


「そうは言われましても…。何度も確認していますが、我々の国内需要の問題もあります。需要を超える品物を供給されると、値崩れする恐れがあります。価格調整は必要ですが、貴女がたの気が変わらないという保証はないのですから、関税は必須です」


「それは貴方がたの理屈であり、我々には関係ない。売れなければ他所へ持っていくだけだ。価格調整が必要であれば、貴方がたの国内の販売業者を絞ればよい。わざわざ我々に対して課す必要は、認められない」


「か、格差の問題もありまして。特定の業者のみ優遇するような措置は、政治上取れないのです。我々も、貴女がたとの貿易には期待しているのです。ですが、正直に言いまして、貴女がたの品物は非常に価値が高いのです。それを、貴女がたの言われる適正価格で放出されると、市場が混乱します。我々の国が混乱するのは、貴女がたも望むところではないでしょう」


「それは理解するが、その負担を我々に課すのは認められない。極端に言えば、貴方がたの国の問題など、我々の知ったことではない。だが、無闇に交易を始めれば混乱させる可能性は、充分に理解している。だからここを訪れ、わざわざ正式に国交を樹立するような面倒な手順をとっている。我々からのを、汲み取っていただきたいものだが」


「こ、この件に関しては、持ち帰って検討させていただきます。国内法に関連する判断は、私には出来かねますので」


「色好い返事を期待している」


 押せ押せであった。

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