第123話 演習開始

司令マム。少々、レプイタリ王国内が騒がしくなっているようです」

「んー?」


 第2要塞ブラックアイアンで生産する輸出品目を開発していたところに、<リンゴ>が報告を持ってきた。


「地上の諜報網に引っかかりました。海軍渉外部は秘密裏に<パライゾ>との交渉を進めていますが、その内容が漏洩リークされているようです」

「へぇ。それは大変ねぇ…」


 あまり大変そうに思っていない口調で、彼女はそう返した。

 実際、リークされようがどうしようが、基本的には<パライゾ>には関わりのない話である。むしろ、相手が混乱すればするほど、有利な条件を引き出す口実になる。

 <パライゾ>としては、レプイタリ王国内で混乱を誘発させてもいいとも言えた。


「でも、あんまり長引くのも面白くないわよねぇ。影響しそうなの?」

はいイエス司令マム。恐らく、条約締結に相当の横槍が入れられるものと想定されます」


 とはいえ、司令官イブの言う通り、あまり時間を掛けても面白くないのは確かだ。適当な条約を結び、さっさと交易を開始してしまいたいというのが本音である。


 テレク港街へ向けた征伐艦隊の出港を阻止、という最大の目標は、達成済みである。

 後は消化試合ではあるものの、交易を開始し、各種金属の輸入ができるようになれば、<ザ・ツリー>は更に発展できる。

 相応にレプイタリ王国に成長してもらい、資源輸出国として大成してもらえるのが、今考えられるベストなのだ。


「うーん…。既得権益とか面倒よねぇ。ちゃんと、将来の利益を計算すればいいのにね」

「今あるものを失うことを恐れるのは、人間としては当然の本能と思われます。問題は、今の利益を将来も同様に享受できる、ということは、全く保証されていないことですが」


 本来、既得権益などというものがあるのであれば、それを元手に新規事業を行うべきである。現在の利益が、将来に渡って保証されるわけではない。最低でも、それを維持するための梃入れが必要だ。

 それを怠り、ただただ亡者のようにそこに群がり続ければ、当然そこは腐敗の温床になり、やがて廃退し、消えていくことになる。


「まあ、基本は私達には関係ないことだものね。海軍さんには頑張ってもらわないとね」


 とはいえ、ごたごたするのはあくまでレプイタリ王国側で、<パライゾ>は待っているだけでいい。舐められないよう手当は必要だろうが、ある意味で彼女たちは受け身であった。


◇◇◇◇


「デック・エスタインカ中佐。こちらへ。ガラス窓はここにしかない。椅子はないため、そこは申し訳ないが」


「いや…。案内いただいただけでありがたい。…こちらが艦橋ブリッジになるのかね?」


「そちらの認識では、そうなる。尤も、戦闘時にこちらを使用することはないが」

「それは…?」

「中央部に戦闘指揮所がある。こちらは装甲も薄く、安全ではない」

「なる、ほど…?」


 ドライに艦内を案内されるデック・エスタインカは、遠慮がちに周囲を見回した。

 背後には、銃を装備した<パライゾ>側の護衛兵が2人、直立している。とはいえ、それは監視ではなく人数を揃えているだけという側面が強い。

 今更、レプイタリ王国の人間を、<パライゾ>は警戒していなかった。


「パリアード・アミナス殿、レビデル・クリンキーカ殿の準備もできたようだ。予定海域へ向けて出航するが、よろしいか」

「ああ…。問題ない」


 デック・エスタインカは旗艦パナスの艦橋へ案内されているが、他の2名は別の艦、今回、主に砲撃演習を行う予定の駆逐艦に搭乗している。

 だが、そこからの連絡が、特に何かアクションがあったわけでもないのにドライに伝わっているというのは、彼にとっては違和感があっただろう。


 しかし、既に彼は、この<パライゾ>との技術力の差は骨身に沁みて理解していた。


「<パライゾ>艦隊、出航。目標ポイントAアルファ。回頭始め」


 <パライゾ>艦隊、旗艦パナスを中心とした合計9隻の艦は、ウォータージェット噴射口を制御し、その場で回頭を始める。


 通常の帆船に慣れた港の人間達からは、これは非常識で異様な光景として映っただろう。

 帆船であれば、曳船を使って港の外まで移動する。

 外輪船やスクリュー推進船であれば自力で移動できるが、通常は最初に後退するものだ。


 まかり間違っても、その場でぐるりと回るものではない。


「進路確認。障害無し。微速前進」


 さほどの時間も掛けず、艦隊は船首を港外へ向けた。砲撃演習を行うという通達は、全ての船に対して発布済みだ。もし、艦隊の進路を塞ぐような船があれば、最悪の場合、撃沈される可能性がある。


 そんな艦隊を相手に、わざわざ進路妨害を試みるような船は一隻も居なかった。


「……」


 無数の船底スリットからジェット噴流を吹き出し、前進を始めるパナス。艦橋から見える景色が、ゆっくりと動き出す。

 その様子を、レプイタリ王国海軍中佐、デック・エスタインカは渋い表情で眺めていた。


 彼は、渉外部所属という立場上、様々な船に搭乗し、海外へ派遣されている。そのため、パナスの、そしてそれに合わせて加速するヘッジホッグ級の、その性能に気付いていた。


 自国の最新鋭戦艦に比べ、その加速性能に、何よりその静粛性に。

 彼我の間の、絶望的な技術差に。


「ポイントAアルファまで、およそ15km。ファー換算で、9.93tタルfファー。デック・エスタインカ中佐、目標は視認距離だ」

「望遠鏡があれば、確認可能だが」


 さすがに、15kmも離れた場所にある浮き目標を、裸眼で確認することは出来ない。

 通常の艦橋であれば、固定式の望遠鏡でも備えているはずだが、このパナスの艦橋には、そういった設備は設置されていなかった。


「望遠映像を表示させよう」


 ドライは頷き、手元の操作盤に手を触れた。

 正面のガラス窓の1枚が白くなったかと思うと、そこに拡大映像が表示される。


「そちらに、正面の望遠映像を表示できる。手元の操作で移動、拡大縮小が可能だ」

「な、なんと…」


 デック・エスタインカは、目の前のガラス窓ディスプレイに目を奪われた。そこに映るのは、確かに自軍で用意した浮き目標。老朽化した帆船クリッパーだ。帆は取り外され、標的艦であることを示す赤旗が翻っている。


「中佐。こちらを。こちらのレバーで視界の移動。ホイールで拡大、縮小が可能です。こちらのボタンが、元の表示に戻すものになります。どうぞ」


 護衛兵の1人に、手元の操作盤の使い方を教えられた。


「ああ…。望遠鏡の光景が、このガラスに映っているのか…」


 彼は、何とかその現象を理解する。当然、仕組みは全く想像もつかないが。

 操作盤を使って表示を拡大し、その映像がブラフでも何でも無く、確かに遠くの光景を映し出していることを、確認した。


 この装置だけでも、戦略価値は非常に高い。相手の視界に入らない、遥か遠くから一方的に観測、弾着確認が可能なのだ。

 望遠鏡や双眼鏡と異なり、1人1人が覗き込む必要もないし、視界も遥かに広い。


 なにより、船の振動に伴う視界の揺れが、全く発生していなかった。


 デック・エスタインカは、自身が何度も望遠鏡による観測を行ったことがあるからこそ、その問題に気付いていた。

 通常、揺れる船の上で遠方の1点に視界を合わせ続けるのは、至難の業だ。熟練の観測手であれば可能かもしれないが、恐らくこの映像は機械的な機能で実現されたものである。


 魔法技術に乏しく、機械技術が発展しているからこそ、彼は<パライゾ>の技術力に恐怖していた。

 なまじ仕組みが想像できるのだ。これが、海外から入ってきた訳のわからない魔道具の力ということであれば、まだ慰めにはなっただろうが。


 これまで、いくつか紹介されていた各種の装置、艦内設備。何より、艦隊長ドライ=リンゴからは、簡単な理論まで説明されているのだ。

 デック・エスタインカとしては、認めざるを得ない。自国の遙か先を行く、この<パライゾ>という国家を。


「既に、貴国の観覧船も位置に付いているようだ。間もなく、砲撃開始時刻になる」

「承知した。予定は通達済みだ。貴官の判断で始めていただいて問題ない」


 その返答にドライは頷き、正面を向く。


「発、<パライゾ>艦隊旗艦パナス、艦隊長ドライ。宛、ヘッジホッグ級3番艦。演習トレーニング167作戦オペレーションを開始せよ」


 その言葉は、ドライの喉元に装着されたインカムを通じ、ヘッジホッグ3番艦の艦橋へ伝えられた。


 そこで案内を受けていたパリアード・アミナス少佐、レビデル・クリンキーカ少佐が、他艦に居るはずのドライの声が鮮明に聞こえたことに戦慄していたのだが、些細な問題である。


「それでは、砲撃演習を開始する」


 実弾発砲を警告するサイレンが鳴り響く。


 そして、きっかり10秒後、ヘッジホッグ級3番艦の前部1番主砲から、1発の砲弾が放たれた。

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