第117話 冷水
レプイタリ王国の使者とその護衛達、合わせて7名が、降ろされたタラップを上っていく。8人目以降は船に残るようだ。流石に、非常識な振る舞いを行うつもりは無いらしい。
「ようこそ、旗艦パナスへ。会談場所へ案内する。こちらへ」
一行を出迎えたのは、全身を隠したままの
有無を言わさず歩き出すゼヒツェンの態度に戸惑う様子を見せつつ、一行は船首に向けて歩き始めた。彼らは、初めて見る巨大船、彼らの常識を覆す構造に目を奪われているようだ。その歩みは遅く、中々追いつかない一行にゼヒツェンは立ち止まり、振り返った。
「気になるのであれば、帰還の前に多少案内することは可能。今は付いてきてほしい」
「これは、失礼した。実に興味深い船ですな…」
「気持ちは理解できる。許可が下りれば、本格的に見学案内をしてもいい。交渉次第である」
「おっと…。これは手厳しい」
さすがに少しバツが悪かったか、一行はその足を早めた。ゼヒツェンはそれを見て頷き、再び歩き出す。足が遅くなるような事は無かったが、今度は前を歩くゼヒツェンが気になりはじめたらしい。
コートで全身を隠し、目元も口元もゴーグル、マスクで覆われており、その素顔を想像することはできない。しかし、全体的に小柄で、声も子供のように高い。
まさか、本当に少女なのか。
しかし、他に見える歩哨も、同じような体型に見える。全体的に、小柄な人種ということも考えられるだろう。
一行はそのまま歩き、巨大な艦橋の横を通り抜け、横から見える海面までの高さに驚愕しつつ、会場に辿り着いた。
軍艦の上とは思えないほど広い甲板の一角に広げられた、本日の会談場所。タープを張り、カーペットを広げ、机と椅子を用意し、そして既に席に着いている艦隊長役の
彼女らは揃いの軍服を纏い、しかしその姿形を隠すようなことはしていなかった。
日陰にもかかわらずキラキラと輝く、絹糸のような白い髪。
そして、頭の上で主張するピンと立った1対の狐耳。
肌は白磁のように白く、ピンク色の唇はまるで花弁のようにその口元を彩っている。
一行を見つめる瞳は金色に輝き、全てを見透かすような視線に、彼らは思わず唾を飲み込んだ。
「ようこそいらっしゃった。この場は歓迎の意を示させていただこう」
一見すると精巧に出来た
「こちらへ。立ち話をするような場ではない。どうぞ、座っていただきたい」
ドライ、フィーアは座ったまま。
出迎えの態度としては、些か礼を失してはいる。しかし、徹頭徹尾<パライゾ>の立場を顕示するという意味で、この態度は継続する予定だ。
促されるまま、レプイタリ王国の使者、3名の外交官はテーブルに近付く。
「どうぞ」
先行していたゼヒツェンは3人のために椅子を引くと、自身はそのまま、向かいの席に移動して、ひょい、と座った。背が足りないため、高めの椅子をしっかりと用意していたのだ。外交官と目線を合わせるためである。
<リンゴ>が、高い椅子に座らせるのと、上目遣いをさせるのはどちらが好印象かを演算した結果、椅子を高くする方を選択したのだ。どうでもいい情報である。
「さて」
外交官3人が席に付き、護衛の4名がその後ろに控えたことを確認し、ドライはすっと右手を上げた。それに反応し、4体の
「まずは、自己紹介させていただこう。私が、本艦隊の艦隊長、ドライ=リンゴである」
「私が、艦隊参謀、フィーア=リンゴである。そして、彼女はゼヒツェン。本会談では、書記を務める」
「ゼヒツェンだ。よろしくお願いする」
<パライゾ>側の紹介が終わり、今度はレプイタリ王国側にボールが渡された。彼らの流儀と些か異なる進行のため面食らっていたようだが、気を取り直し、中央の男が口を開いた。
「私が、あなた方<パライゾ>との会談の全権大使、レプイタリ王国海軍渉外部所属、デック・エスタインカ中佐だ」
「私はレプイタリ王国海軍技術局所属、パリアード・アミナス少佐である」
「私が本会談の記録担当となった、レビデル・クリンキーカだ。階級は少佐。…我が国では、最初に接触させていただいた私が全権大使に任命されるのが通例だが。貴艦隊との交渉は最重要案件と判断されており、デック中佐を全権大使とさせていただいている。こちらからの、現時点での誠意として受け取っていただきたい」
その言葉に、ドライは軽く頷く。
「承知した。我々を重要視していただいたことは覚えておこう。…さて、話す内容はいくつもあるが、長丁場になる。飲み物を準備しよう。給仕をこの場に呼ぶが、よろしいか」
「それは…願ってもない。我々は構わない」
その返答を確認すると、ゼヒツェンが2回、手を打ち鳴らす。ややあって、自走ワゴンを伴ったメイド服姿の
押したり引いたりすること無く、自動で彼女に付き従うそのワゴンに気付き、外交官達がぎょっとした表情を浮かべるのが確認できた。
「お待たせいたしました」
すっと
メイドの彼女は、ワゴン上面に自動でせり上がってきたグラス配置済みのトレーとボトルを手に取ると、それらを器用に片手で保持し、デック・エスタインカ中佐の右後ろへ近付いた。そしてゆったりとした手付きでグラスを置き、ボトルから水を注ぐ。グラスには四角く透き通った氷が最初から入っており、注がれた冷水によって冷やされたグラスの側面が、結露によってさっと曇った。
「…これは」
思わず、といった様子で、デック・エスタインカ中佐は驚愕の声をこぼす。
長距離航海後に、補給もせずにこの場に臨んでいる筈の<パライゾ>艦隊。ここで最初の、<リンゴ>からの先制攻撃である。陸上でもすぐに準備することは出来ない、氷の存在。そしてよく冷えている、混ざり物のない透き通った水。ついでに言えば、この場に出されたグラスそのものも貴重品だ。
そもそも、最初に出てきた自走ワゴンすら、未知の技術の塊である。
「あまり、マナーについては気にしないでいただきたい。我々と貴国とは文化も異なるゆえ」
ドライはそう断ってから、配されたグラスを手に取り、冷水を一口、飲み込んだ。これは、毒など仕込んでいない、というパフォーマンスになる。当然、わざわざこの場面で毒殺など行う筈はないのだが、相手が同じボトルから注がれたものを飲んだというのは、無意識の安心に繋がるものだ。
デック・エスタインカ中佐も、一言断ってからグラスに口をつける。
「…よく、冷えていますな」
彼としては、そうとしか言いようがないだろう。船上で出された、冷えた水。それがどれだけ貴重なものかは、海軍中佐としては骨身に沁みて理解しているのだ。
残りの2人も冷水を飲み、驚愕を顕にしていた。そもそも、陸上ですら冷えた水は貴重なものだ。更に、飲んだ水もおかしな味がするわけでもなく、非常に飲みやすい。
その上、普段は見掛けることもない氷という存在。
当然、<リンゴ>は水も氷も貴重なものだと把握した上で、ここに出している。ここから更に、レブレスタ産のお茶や各種茶菓子でもてなす予定なのだ。
この攻勢に、さしものレプイタリ王国高官達も為す術なく陥落するだろうと<リンゴ>は説明していたが、
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