第2話

「君、何かに憑かれてるね。まぁ仕方ないか、美味しそうだもんね」


 それが水無月 舞(みなづき まい)の開口一番だった。


 如月の友人の紹介で、アルバイトを始めた際、研修中の担当が彼女だった。


 性格はあっけらかんとしており、それでいてどこか掴み所のない存在だと、彼女の同期は口を揃えて言った。


 そして彼が彼女の一言に興味を示して以降、研修期間を終えてからも二人が揃うともっぱらその会話で持ち切りになっていた。


 次第に興味の対象は、その話から人へと移り、後に食事を取る関係から身体を重ねる関係へと進展していったそんな頃だった。


 ある日の夜、彼は眠りの浅い彼女を尻目に床についた直後だった。


 今まで眠っていたはずの如月は気付くと自宅の前に立っていた。


 彼の目の前には救急車が止まっており、パトライトが爛々としていた。


 周辺には我先と、もの見たさに野次馬がごった返し、メディア気取りに携帯のカメラを構えていた。


 そして担架で運ばれる肉親の姿を目の当たりにし、声をかけようと近づこうならば、それを皮切りに今か今かと待ち侘びていた有象無象に行く手を阻まれ、一斉にたかれるシャッター音とフラッシュの数々。


 その光景は不快感や怒り、悲壮感や絶望のような負の感情を煮詰めたようだった。


 しかし、それとは裏腹に彼の頭は至極冷静に、即座に三行半を付けたかと思うとこの情景を夢だと下した。


 そしてそうだと口火を切ったか否か、定かではないが、地面に金属を擦るような、まるで鎖でも這わせる様な、そんな音が彼の元に迫ってくるような気がした。


 周囲を見渡し、その後足下に目を向けると、彼の足は地中に埋没し、なお沈み続けていた。


 這う鎖のような音は未だ鳴り止まず、頭の中で反芻するように響き渡っていた。


 はじめは彼も抵抗を試みたものの、悪夢特有の展開に無駄な抵抗とわかり、流れに身を委ねように、彼は大きく息を吸い込み、潜水を行うようにゆっくり目を閉じた。


 彼の全身は地中にすっかり潜り込んだ。


 先程までいた陸の上の気配とは異なるものを肌で感じ目を開く。


 辺りは薄暗い湖のような空間が拡がっており、視界も悪く果てが分からなかった。


 本来、灯りのない暗闇は人に孤独を連想させ、恐怖を植え付けるが、その空間は冷たくも寒くも無く、むしろ温かなまどろみに包まれているようだった。


 そのせいか、未だに頭蓋の内側を叩くように鳴る金属音はどこか彼方の方で聞こえるようだった。その時の彼に恐怖心は一切無かった。


「少しは臆してくれれば揶揄い甲斐があったんだけどなぁ...」


 何処からか軽口をたたく嘲笑が聞こえた。彼はその癪に触る声に聞き覚えがあった。


「姿を現さないということは、小心者か何かか?」


 彼もまた売り言葉に買い言葉のように、姿を見せない自分と同じ声色に向かって返答した。


「随分余裕そうじゃねぇか」


 声もまた、鼻で笑い一蹴する。


「こんなもん100人中98人が夢だって答えるだろうよ。...それにしてもこれが悪夢なら随分チンケな演出じゃないか?」


 自問自答しているような錯覚に陥りそうな状態にも関わらず適応しようとする如月を見て面白く無くなったのか、その声はため息を吐いた。


「取ってつけたような悪夢で悪かったな」


「いや、俺の声を真似て喋ってることに関しては評価しておくよ。自分から発せられてない声ほど気持ち悪いものはないからな」


「お誉めに預かり恐悦至極…と言いたいところだが、さっきの悪夢の下り、もしこの世界が自分自身の内側を映し出していると言ったら?」


「どう言う意味だ?」


 その言葉の意図が理解出来ず、聞き返そうとしたが、聞き出す間もなく、深淵から湧き上がるような黒い粘着質のようなものが彼を飲み込んだ。


 視界が完全に遮断されたと同時に遠くから微かに声が聞こえた。


「ようこそこちら側へ」


 それを最後に彼は夢から覚めた。


 本人的にはたいした夢でもないと思ったが、その割に、ひどくうなされていたのか、体が汗ばんでいた。


 彼女が頭を撫でて見下ろしていた。傍らには寝苦しい時に焚いている白檀の香が部屋を充していた。


 夢の出来事を話すと、彼女は少し沈黙し、躊躇いのような表情を見せたが、次第に口を開き始めた。


 彼女曰く、それは彼に憑いているものが見せた映像で、如月自身の本質を見定めるためのものらしい。


 その間、彼女は彼から発せられる寝言にも似たような、彼に憑いたものからの言動に耳を傾けて受け答えをしていたと言う。


「ごめんね。こんなことに巻き込むつもりで君とお付き合いしたつもりじゃないのに」


 彼女が申し訳なさそうに俯いた。


 その言葉の真意はその時の彼には理解出来なかった。


「...気にしないでください。これはこれで悪くない。首を突っ込んだのは私自身ですから、貴女は何も悪くない」


 ただ、それとは裏腹に彼女の言葉を理解しているかのように、自然と口が動いたかのように、彼はその時これからこの先何が起こるのか把握してるような回答をした。


 彼女はその言葉を聞き驚いたのか、顔を向け直した。

 そしてその微睡んだ彼の顔を見て安堵し、無邪気に笑った。


 彼女がそっと身体を預ける。それに促されるように彼は折り重なる。


 白檀の香りがする。

 煙がゆっくりと揺らぎ始める。


 また互いが深い海へと流されるように堕ちて行く。


 時刻はちょうど丑三つ時を指していた。


 それを見知ってか、何処かの誰かがほくそ笑んでいるような気がした。


 それが彼がもう一つの世界へ足を踏み入れた瞬間だった。

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