越境界奇譚(仮)
はいたか
第1話
通勤ラッシュの時間帯、街は慌ただしいながらも規律を保ちながら動き始めていた。行き交う人々は各々の仕事着に身を包み目的地まで足早と歩いている。
空は彼らに穏やかな笑みを向け見送るが、どことなく冷たく映っているに違いない。
如月 仁(キサラギ ジン)はそんな中にいた。天を仰ぎ、彼だけ陽の光に応えるように手をかざし笑みを返していた。
その時間帯には似つかわしくないラフな服装に身を包み、人の流れに逆らうようにゆっくりと歩を進めていた。
ふと足を止め、彼は手にしていた一枚の地図に目を向けた。
周りの人々は何食わぬ顔で、まるでそこに立ち止まっている人などいないかのように通り過ぎていく。
その地図は手書きで簡略化されていたものだったが、よくその場の特徴を捉えており、常人ならものの数分で目的にたどり着くようにできていたが、彼の地図に対する見るセンスがあまりにも稚拙すぎるせいか、同じ所をうろうろし、あたりを見渡し、誰に尋ねる訳でもなくひたすらに頭を抱えていた。
数十分の地図との格闘の末、大通りから無数に枝分かれしている路地の中から、ようやくソレらしい場所までたどり着いた。
そこも一見何の変哲もない、細いいだけのただの路地のようだった。
しかし、現時刻は通勤のラッシュ時、その人通りのない道は明らかに不自然に見えた。
彼は確認がてらその地図に書かれている説明文に目を「時刻問わず影見当たらず」そう書かれていた。彼は安堵交じり口のほころびとため息と一つ吐いた。
そしてこれから待ち構えている事象に備えつつ呼吸を整えた。
意を決し、その影の無い道に足を踏み入れた途端、朱色の原風景が飛び込んできた。
眼前にはひと一人がやっと潜れる程度の鳥居がひと一人がやっと潜れる程度の鳥居が幾多にも並び、その両側は石垣が積み上げられ、空は隠れてしまうほどの木々が生い茂り、季節外れの紅葉が連なる鳥居の隙間からゆらゆらと零れ落ちていた。
鳥居に目を向けると、全く手入れがされておらず、足元の石畳には木の葉が敷き詰められていた。
それだけでもこの空間が、人の間に晒されていないことが伺えたが、あの喧騒から突然この時間のとまったような光景が目に飛び込んだのなら、誰しもが見惚れるに違いないだろう。
しかし、そんな幻想的な風景にそぐわない程の、漂う瘴気と張り詰めるほどの殺気がそれを許してくれなかった。それでも彼は躊躇なく歩みだした。
幾つもの鳥居を潜り抜けると、先ほどまで仄暗く狭い空間とは打って変わって、視界は広く、遮るものが無くなり、見上げると光が差していた。
相も変わらず周囲は石垣で覆われていたが、空が遠く感じられた。四方には、出入りできるような通路があり、先ほど通ってきたような同じ作りが続いているようだったが、長年足を踏み入れていないせいか、鳥居が建てられていた箇所は行く手を塞ぐように崩落していた。
それらを結ぶ対向線中央には、一つの大きな石碑が地面に突き立てられ、それには遠巻きからでも視認できるほどの、おびただしい数の札が貼られていた。
石碑に近付き確認するため、札に目をやった。書かれてた書体は既に禿げており、何が書かれていたか、読み取ることができなかった。
手を差し出し、石碑に触れようと一歩足を延ばした時だった。
何かを踏んだと気づき、足元に目を下ろした。そこには何者かの手によって強引に引きちぎられた紙垂付きの注連縄が落ちていた。その時だった。
「人の子の分際で此処になに様だ」
すると、怒りと殺気に満ちた声が彼の背後から投げかけてきた。
振り返るとそこには姿はなかった。
「…姿が見えないが、ここの当事者か。もしそうなら、お前に用があってきた。私は使いの者だ」
そう答えると、頭上にある木々が風も無くなびき始めた。
「人の子に使いをさせるとは、何処までも虚仮にされたものだな」
突然風が背後から吹き抜け、葉が宙を舞うと、それ等は目の前で渦を巻き、人の形を現わしていく。擦り切れた白衣と緋袴に身を包み、人とも獣とも形容し難い形を成していた。それは辛うじて女の姿を保っていた。
彼はその姿を目にし、瞬時に妖狐だと気付いた。
「自尊心の高い妖弧が聞いて呆れるな」
「黙れ小童!!散々祀り上げよってからに!!用が無くば切り捨て置かれる妾の気持ちも知らぬ何処ぞの馬の骨の分際で、そのような事を言われる筋合など毛頭もないわ!!」
妖狐はプライドが高い存在とされており、決して人前で本性など晒すような真似はしないとされている。しかし、その時の彼女には毛ほども存在しなかった。そこにあるのは鬼気迫る形相と共に、今にも目の前にいる異物を排除せんとばかりの殺気だけだった。そして彼女が身構え始めた。それにも関わらず、彼は淡々と話を続けた。
「もう少し話のわかる奴かと思ったが、上からは『選択の余地を与えよ』と言われたが致仕方無し、か...」
そう言うと、石碑に触れ、印を軽く結び唱え始め、ひとつ足を踏みならすと、足元中心を弧を描くように青白い梵字の羅列がゆっくりと浮かび上がり、石碑に張られた呪符が息を吹き返したかのように文字を型取り、光を放ち始める。
「ほぅ...さすが上の命により来るだけのことはある。しかしながらこの霊力。貴様本当に人の子か?」
「さぁ?お前が人を舐めているだけに過ぎないだろう。何なら試してみるか?」
「面白い...面白いぞ!少し興に入ったわ。今すぐに喰ろうてやろうと思っておったが、それは貴様が命乞いでもして醜態を晒してからにしてやろう。さて、何処までその減らず口を叩けるか見ものよのぉ!!」
間欠泉のように彼女が飛びかかろうとしてきたその刹那、再度、如月が足踏みをした。すると彼等の周辺に無数の支柱がそびえ立ちだした。
始めに隣接した支柱同士に柱が刺さり、次に向かい側と。そしてさらに上へ上へ伸びるにつれ、その行程を交互に繰り返し、静止したかと思えば、さらに外周に新たな支柱を作り上げていった。全ての動作を終えようとした時には、この開けた空間を埋め尽くさんとしていた。
「貴様これは何のつもりだ!まさか妾をまたこの世に閉じ込める気だな!?許さぬ...許さぬぞ!!」
怒り狂った妖狐が怒号と共に再び襲いかかってきた。それを羽虫を払いのけるように、ひらりと翻す。
「そんなふうに金切り声を上げなくても聞こえてるわ!」
「黙れ!喰ろうてやる!!喰ろうてやるぞ!!」
声にならない奇声を上げ再び飛び掛かってくる相手に対し、溜息混じりに先ほどと同様に翻してみせた。
「二度も同じ手が通ずると思うてか!!」
すると彼女は飛び掛かった勢いのまま体を反転させ、支柱に身体を預けるように足を掛けた。その反動を利用し、今度は目にも留まらぬ早さで、喉元をかっ切ろうとした。しかしそれさえも、陽炎を掴まされるかのように、そこには彼の姿は無く、その刹那、彼女は天を仰いでいた。
その喉笛には、どこに忍ばせていたのか、冷たく鋭利な刃物が寸での所まで突き立てられていた。
「少しは頭が冷めたか?」
人間にここまで呆気なくやられた屈辱と、辛うじて踏む止まっていた、なけなしのプライドが音を立て崩れ落ちてしまった妖狐の顔は、今にも泣きそうなほどクシャクシャになっていた。
「...な、何を企てておるのだお主は!?」
「すこしは話を聞く気にはなったか?」
「は、話でも幾らでも聞こう!!だ、だから...命だけは!!」
「命なんぞハナっからとったりせんわ」
あきれ口調で、峰で彼女の頭部を軽く小突き、刀を懐に収めた。
それを見聞きし、緊張の糸が切れ安堵しきったのか彼女の顔から大粒の涙が流れていた。
「手荒な真似をして悪かったな。単刀直入に言う。ここの社を再建させたい。またこの領域を治める主になってはもらえないだろうか?それも今度は人間を相手では無く、妖の治安維持という形でだ。悪くない話だとは思うのだが...ただ、そのためには一時的に環境順応が必要となる。この言っている意味はもう理解できるだろう?」
「なるほど、そういうことか。...またこの地を治めることが叶うのか。永遠とも感じられる程の長い月日だった。あぁ構わぬよ。この戦いで妾は疲れた。少し余暇を取るくらい許されるであろう?それに、ここでたとえ拒否などしようならば何をされるか分からぬしの」
彼の説明とそのもの悲しげな表情を汲んでか、彼女は差し伸べられた手を掴み、冗談を交えながら優しく微笑んだ。
あの時にはあの瘴気も殺気もどこ吹く風。あるのは舞い降りる紅葉と 美しい少女の姿だけだった。
あらかた手続きを済ませ、彼女が眠りにつく前に如月に問いかけた。
「風の噂程度だったのだが、近頃に目覚め、契約せんにも関わらず、人柱力を覚醒させたとう言う人間がいると。...まさかお主のことだったのか」
「そんな噂が流れているのか。と言っても大層なもんじゃない。所詮は供物扱いだ」
「そんな謙遜するでない。弱っていると言えど妾を打ち負かしたのだぞ。それにあんなこと...例えある程度扱える者だとしても、あのような物を一人で駆使するのは、人ならざる者か、あるいは妾をここに閉じ込めた時のように、多くの者の力が犠牲になる。それを人の子がたった一人で、意図も容易く使うなど、前代未聞であるぞ」
「そんなに凄いものなのか。と言ってもこいつを使うには条件が必要でね」
「ほぅ、条件とな。差し支えなくば聞かせてもらえぬか?」
「この力は俺が寝てないと使えないんだ」
そう言われ彼女は首を傾げたが、すぐに察しついた。
「なるほどのぉ。お主にとってはこれは『夢』なのだな」
「こうなってからは夢なんて思ったことは一度もないけどな」
「...ほぅ、長く生きてきたが、これほど面白い話を聞けたのは久方ぶりよ」
「そいつはどうも」
「もし何かあったのなら妾の元にくるが良い。妾の名は水蓮。この社があった頃に呼ばれていたものだ。人間の割に良い名を考える者がいてな。気に入って使っておるのだ」
「あぁ、その時は伺いに来るよ」
「汝等に妾の加護があらんことを。さて、妾はもう寝る。御休み人の子よ。お主はお主でそろそろ目を覚ますがよい。今日は良き日になるぞ」
「そうか...おやすみ水蓮の巫女よ。汝に我々の加護あらんことを」
そう言い残し彼は溶けるように姿を消した。それを見送り、彼女は深い眠りについた。
陽の光がカーテンの隙間から差し込む。
彼のもう一つの一日が始まる。
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