第2話

 魔女の弟子となったわたしではあったが、その生活は叔父夫婦のもとにいた時よりも遥かに穏やかなものだった。

 お師匠様がわたしに求めた弟子としての役割は、大半が掃除・洗濯・炊事というハウスキーパーの様な仕事がほとんどで、魔女になるための修行などというものは全く求められなかった。



 お師匠様曰く「まず些末なことを自分で片付けられるようになれなきゃ、孤独な魔女の生活には耐えられないだろうさ」ということらしい。その言葉の真偽はさておいて、わたしにしてみれば叔父夫婦の家でもしょっちゅうやらされていた仕事であり、瞬く間に新しい生活に適応した。しかも、掃除や洗濯をしてもろくに休憩や食事も取らせてくれなかった叔父夫婦に比べれば、お師匠様は多少冗談や皮肉のきついところはあっても、きちんと休憩も食事も取らせてくれる分優しい人であると言えた。



 そんな風に一緒に生活するうちに、段々とわたしにもお師匠様の人柄というものがちょっとずつ理解できるようになっていった。

 お師匠様は、基本的に人間嫌いであるらしかった。先代の魔女に弟子入りすることになった原因も結局は人間関係のいざこざにあったみたいで、魔女になった後もあまり人間とは関わり合いにならないように生きてきたのだという。

「ま、人間を全否定するつもりもないけどね。でも、なるべくなら関わり合いになんかならないほうが、私は心穏やかに暮らせると思っているけどね」

 ある日の夕食時。お師匠様はわたしにそう言ってから「あんたも、もし街に戻るつもりがあるなら気を付けるんだね」と注意した。わたしは街に戻るつもりなどなかったが、人間がどんなに信用できないかは叔父夫婦との関係から身に染みていたから、お師匠様の言葉に真顔でうなずいていたものである。

 また、その反面森にいる動物や鳥などには惜しみなく愛情を注いでいた。魔女というものは基本的に普通の食事は摂らないらしく、動物や鳥と言った生き物全般は魔女にとって保護する対象であるらしい。

「まぁ、この森から一歩でも出たら人間にやられちゃうのかも知れないけれど、せめて森にいる間だけでも幸せに暮らしてほしいのさ。まぁ動物にしてみれば偽善極まりない話だろうけれどね」

 森の中を散歩している最中に、お師匠様がそう言ってみせたときの寂しげな表情をわたしはいつまでも忘れられないでいる。

 そんな皮肉屋であるが不器用な優しさをもつお師匠様のもとで、わたしは魔女の弟子として数年間を過ごしてきた。



 そんなわたしが数年経ってもまだ知らない秘密というのもお師匠様にはあった。その一つが『毒』だった。



 最初にわたしがその『毒』を意識したのはここに来て一週間が経ったころだろうか。

 普段よりもやや早起きしたわたしは服を着替え、朝食前の掃除をしようと天井裏にある自室を出たところで、キッチンから変な色の液体が入ったガラス瓶らしきものを抱えたお師匠様に出くわした。



「お師匠様、おはようございます」

「お、おや、おはよう……今朝は早いね」

 わたしが挨拶すると、お師匠様はわずかだが動揺を見せた。

「早起きできたので掃除を始めようかと思ったのですが、お邪魔でしたでしょうか?」

「いや、別に構わないよ。始めておくれ」

 刹那に見せた動揺をあっという間に隠して、お師匠様はそう言った。



 その後、わたしの朝食の最中にお師匠様は先程の瓶の中身を「あれは毒だよ」と明かした。先にも述べた通り、お師匠様はほとんど食事らしい食事をせず、飲み物だけで済ませてしまうため、あまり食事中の話題に頓着せず、こういった話題を普通に切り出してくる。

「ど、毒、ですか……」

 わたしはちょうど食べていたクロックムッシュをどうにか呑み込んでからお師匠様に問い返した。

「そう、毒さ。普通の人間にとっては致命的な、ね」

「普通の人間にとっては、ですか?」

 含みのある言い方だったので、わたしは少し追及してみた。

「そうさ、普通の人間がこれを飲んだら間違いなく死んでしまうだろうね」

「そうなんですか……。じゃあ私はまだダメなんですね」

 その言葉にわたしはうなずいた。そんなに危ないものにわざわざ触れることもないだろうとその時は思っていたからだ。

「ははは、確かに今はまだ早いけれど、いつかあんたが魔女になろうとするのならば、またこれについて教えることもあるだろうさ」

 お師匠様は笑ってそう言った。わたしもそれにつられてにこりと微笑んだ。この時はこれで『毒』の話は終わったのだけれど、その後もわたしは幾度かお師匠様が『毒』を抱えて家の中を動いているのを見かけることになり、わたしは知らず知らずのうちに『毒』の瓶に注目するようになっていった。



 わたしの見たところ、『毒』はいつ見ても一定の分量が瓶に入っているようだった。お師匠様が毎回中身を注ぎ足しているのか、それとも何か違う原因があるのかまでは分からないけれど、その中身が常に一定であるのは確実だった。

 さらに、お師匠様はそれを毎日コップ一杯分利用している。これははっきりしていて、お師匠様が瓶を持っているときは大抵同じコップを一緒に持ち歩いていたからだ。コップはその都度水洗いをしているのか、『毒』の入っていた痕跡はいつも残っていなかった。

 そして、これが一番肝心な点なのだけど、その『毒』というのは、毒と呼ぶにはあまりにも似つかわしくないくらい、良い香りがするのだ。最初はお師匠様がつけている香水か何かなのかと勘違いしていたけれど、実際はこの『毒』の香りだった。香りは瓶の中から発せられていたのだ。

 そして、そのことに気が付いてから、わたしは自分の心の中にあるひとつの欲望に気が付いてしまった。

 すなわち、あの『毒』を飲みたいのだ、と。

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