それでも魔女は毒を飲む

緋那真意

第1話

 お師匠様は『毒』を飲むのを日課にしている。

 いや、それが本当に『毒』なのかどうか、わたしにはよく分からない。

 ただ、わたしがこの家に来た時には既にお師匠様はそれを毎日のように飲み干していた。



 わたしがお師匠様に拾われてこの家に来たのは今からもう五年以上は前の話になるだろうか。

 わたしは赤子の頃に両親を失って、父方の叔父夫婦に育てられていた。しかし、叔父夫婦は自分たちの実の子供の方ばかりを可愛がり、わたしはその添え物のような扱いだった。何かにつけて私を差別し、暴力を振るうのも日常茶飯事。食事が出ないことだって当たり前だった。

 叔父夫婦の虐待は年を重ねるごとにエスカレートしていき、それに耐えかねた私は、ある時遂に叔父夫婦の家を飛び出した。勿論あても何もあるわけがなかった。それでも、どこかで野垂れ死にする方が死に場所を自分で選べるだけマシだと本気で思っていた。



 わたしはあてもなくあちこちを彷徨った。着の身着のまま飛び出したわたしはお金すら持っていなかったから、お腹は空き放題、服もよれよれのぼろぼろでひどい状態だった。それでもわたしは最後の力を振り絞って歩いた。

 わたしが目指したのは花畑だった。それがどこにあるのかもよく分かっていなかったが、せめて最後は美しい花々に囲まれて死にたかった。何の罪もない美しい花々に包まれれば、わたしも少しは幸せに両親のいる天国へと旅立てるだろうか、と考えていた。

 しかし、最後に食事をしてから既に五日ほども経っていたわたしの体は既に限界を超えていた。花畑ではないどこかの道端で、静かにわたしは地に倒れ伏した。頭はフラフラで、目には何も映らない。

 ああ、わたしはこんな道端で、ひとり寂しく死んでいくのかと、遠くなる意識の一方でふと思った。



 わたしが次に目を覚ました時、そこはどこかの家の中にある暖かなベッドの上だった。

 もちろん、叔父夫婦の家ではない。わたしはベッドなどという上等なもの使ったことが無い。寒々しい部屋で床にじかに布団を敷いて、寒さに震えながら毎日寝ていたのだから。

「気が付いたかい、あんた?」

 横から声を掛けられて、わたしは声の主の方へ振り向いた。

 そこにいたのは黒を基調とした上品な服に身を包んだ、長い髪が特徴的な女性だった。顔つきや声色はとても若々しかったが、わたしにはそれがどこか造られたもののような違和感を持ったもののように感じられた。

「フフ、私が見た目通りの存在じゃないって思うかい?」

 彼女はわたしの心を見透かしているかのように静かに微笑みながらそう言い、わたしはぎこちなく首を縦に動かした。

「いい眼を持っているね。道で行き倒れていたあんたを放っておけなくて連れてきてみれば、なかなかの逸材じゃないか」

 彼女はそう言ってケタケタと笑ったが、わたしの方は訳が分からずその様を眺めているしかなかった。

 その後、わたしは彼女から詳しい話を聞いた。彼女は街の周辺にある深い森を住処とする魔女であること。家は魔法の幻によって隠していること。森からはあまり出ないが、たまに街へ出ては人々の願いを気まぐれに叶えてやること。街へ出た帰り道でわたしを拾ったのは本当にたまたまだったこと……。



「ま、あんたがその前に死んでたらその場に放置していただろうがね。流石の私も死体を持ち帰る趣味はないからねぇ」

 彼女はそう言ってニヤリと笑ったが、わたしは口をへの字に曲げて黙っていた。彼女の物言いに腹が立たないと言えば嘘になるが、何はともあれ彼女はわたしの命を救ってくれた恩人でもある。無下には出来なかった。もっとも、後から考えると彼女はわたしを試すためにあえて憎たらしい存在を演じて話していたようであったのだが。



 ある程度話を終えた後で彼女はわたしに問いかけてきた。「あんた、これから一体どうするんだい?」と。

 そう言われて、わたしは考え込んでしまう。今更叔父夫婦の家に戻れるわけがない。勿論どこかに行く当てがあるはずもなく、かと言って命を救ってくれた人物(魔女ではあったが)の目の前で「やっぱり死にます」などと言える訳もない。せっかく救ってもらった命ではあったが、気が付いてみるとわたしは再び手詰まりの状態にあった。



 私が言い淀んでいると彼女が助け船を出してくれた。

「どこにも行く当てがないのなら、しばらく私の家に弟子として住み込んでみるかい?」

 彼女はそう言って黙り込んでしまっていたわたしの頭を軽くなでた。

 話によると、彼女も以前は普通の女性であったところを師匠に当たる先代の魔女に拾われて弟子入りし、結果魔女として生きる道を選んだらしい。

「別にあんたに私と同じ道をたどれ、と言っている訳じゃあない。けれど、行く当てのないあんたが自分の道を見つけるまでは、私の家で色々と勉強してみるのも悪くないんじゃないかってことさ」

 彼女はわたしを気遣っているのか、やや慎重に言葉を選んで言った。わたしはしばらく黙ったまま考え込むフリをしたが、内心では既に彼女の言う通りにする心積もりを固めていた。どうせどこにも行き場のない自分である。魔女に弟子入りして自分も魔女になってみるのも悪くないと思い始めていた。

 こうして、わたしは魔女の弟子となり、彼女は私のお師匠様になった。

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