第4話


 森の魔女の家を始めて訪れたとき、俺はかなり追い詰められた気持ちだった。

 加えて、勇気を出してノックしたら、出てきた相手は同年代くらいの背の高い美人だ。そのせいで余計に緊張したといっていい。

 普段ならもっとスマートに切り出せるのに、初っ端から愛の告白というよくわからないことをしてしまった。

 しかもよくよく聞いてみれば噂は間違い。

 終わった――と思っていたら、幸運なことにまだチャンスは残っていた。


「……このケーキ、また持ってきてくれたら許すわよ」


 これはいけるかもと期待したのは仕方ない。彼女をまた訪ねることを、許可されたということだからだ。


「そんなことでいいのなら。喜んでまた届けるよ」


 一発逆転のためには、彼女が俺の側についてくれればいい。友人として仲を深めていくのもありだろう。

 そう考えてまたケーキを持って彼女の元に訪れた。正直、俺の浅はかな企みはすぐばれていたと思う。だがそのうえで拒否されないなら、向こうも検討の余地ありだと考えてくれているということだ。

 ただの気まぐれか、よほど甘味に目がないのか、それとも他に理由があるのか。わからないが、とにかく俺は森へと通うことにした。


 不思議なことに、森にもう何十年も引きこもっていた彼女との会話は、思った以上に楽しかった。

 そもそもの気が合うのかもしれない。彼女がふと気になったことは、俺も同じタイミングで気になったり、嫌だと感じるポイントが似ていたり。

 俺の味方になってくれるか、くれないか。互いにわかった上での探り合うようなやりとりだって、楽しかった。


 何かにとりつかれたように、俺は食べ物を片手に可能な限り森へ通うようになった。

 自分だけが知っている希少で綺麗な存在を、少しずつ餌付けしているみたいだなんて思いながら。


 ある日、見慣れないティーセットとケーキ用の小皿、フォークのセットが出てきた。彼女いわく、俺専用を用意してくれたと言う。

 嬉しかった。あとちょっと驚いた。


「こういうの、魔法で出すの?」

「まさか、普通に街で買って来たわよ」

「出られるの? 街に?」

「当然でしょ。滅多にその気にはならないけどね。正体を隠すために、いろいろ下準備もいるし」


 食器を用意してくれたのはすごく嬉しい。

 でもなぜか、俺はものすごい一大イベントに参加しそびれたような、寂しさを感じてしまった。


 この時点でだいぶ重症なのだが、呆れたことに俺は自分の感情をまだ自覚していなかった。

 俺は、彼女が少しずつ自分に向け始めている好意を、どこか余裕を持って見守っている気持ちでいたのだ。


 たまには、と言って、彼女に案内されて小さな花畑に行った日があった。

 うっそうとした木々の間にそれはあった。そこだけ明るい陽の光が差し込んで、可愛い花々を照らしている。

 彼女は家に飾る分を持って帰ると言って、いくつか花を摘み始めた。そして、少ししたところで手を止めて、俺に訊ねた。


「どうかした?」

「ん? なにが?」

「もう、からかってる? だって、ずっと見てるじゃない」


 さあね、と曖昧に誤魔化した。

 笑いつつ茶化したように聞いてくれたのは、彼女の気遣いだ。

 たぶん俺はそのとき、真顔で彼女を見つめていたと思うから。真面目な顔で理由を問われたら、俺は動揺しすぎて変な空気を作っていただろう。


 花を見ていたと思ったのに、俺は花を愛でる彼女を熱心に見ていたらしい。自覚がなかった。しかもその後も、横目で彼女を追ってしまっている自分がいた。

 そこで気付いた。

 惹かれていたのは俺だった。

 餌付けだなんておこがましい。俺が彼女の気を少しでも惹きたくて、毎回食べ物を持ってきているのだ。


 自覚すれば、より加速して気持ちは育っていく。

 他に欲しいものはないかと聞いてみたけど、足りてるし必要なら自分で調達すると言われてしまった。ずっと森に籠っているばかりと思っていたが、本当に街で普通に買い物をするらしい。彼女の着ている服は、貴族女性がまとうドレスほど華美ではないが、よく見てみればきちんと流行の型で作られたワンピースだった。


 彼女が外と独自に繋がりを保っているのに気付くたび、寂しい気がした。不安だ。いつかふらっと、自分の知らない方法で目の前から消えるんじゃないかと。

 いや、嫉妬でもある。

 自分の知らない彼女がいることに、もやもやした。


 でも、二人きりで話していればそんな不安は消えていく。

 むしろ、これまでずっと足りていないと感じていた何かが、ようやく埋まっていくような心地がしていた。


 政略結婚だから恋愛感情が芽生えなくていいんだと、婚約者である王女に優しく気遣われたとき。

 毒にも薬にもなれなくても、下手に波風を立てなければ第三王女の配偶者としては合格だと父に言われたとき。

 王女と彼女を慕う男が、本当に心を通わせているのを目の当たりにしたとき。


 特にそういうとき強く感じた、自分の中にある空洞のような部分が、小さくなっている気がする。


 色んな相手と恋愛の真似事をしたり、下手な裏工作に走ったり、人脈とコネを作ろうと必死になってみたり……それらが上手くいこうがいくまいが、一時的にしか埋まらなかった場所だ。

 その空洞にときどき無性に苛立って、わざとリスクの高いぎりぎりな行動に走ることもあった。そして俺は失敗し、窮地に立たされ、森の魔女に縋るというこれまた危険な賭けに出たわけだ。


 たぶん俺は、全力で自分の想いをぶつける何かが欲しくてたまらなかったのだ。しかも贅沢なことに、そのぶつける先は自分の好きなものであってほしかった。




 俺が彼女に惹かれていて、おそらく彼女もまた悪くないと思っている。互いに口には出さないけれど、流れる雰囲気からそれは明らかになっていた。

 でも、俺も彼女も最後の一歩を踏み出す言葉を出さなかった。


 自分の感情は重すぎるかもしれない。でも、こんなに一緒にいて居心地のいい相手は初めてで、相手もまんざらじゃなさそうだ。もしかしたら、受け入れてもらえるかもしれない。

 しかしここでミスすれば、彼女を失う。

 いつもなら、破滅に突き進むが如くリスクの高い賭けに出がちな俺が、珍しく慎重になっていた。堪え性がないほうだと思っていたのに、まったく苦にならない。

 彼女もはっきりと言葉にしたがっていない感じがあったから、それに従っていたのもある。


 言葉なんかにしなくても、ゆっくりと確実に距離は縮まっている。その感触があったから、俺は油断していたのだ。


 久しぶりに俺の婚約破棄のことが話題に出たとき、何も疑わずに状況を話した。そういえば、最初はその件で来たんだったと今さら思い出したくらいだ。


 俺としては、もう自分が悪者でもなんでもいいから婚約破棄してくれと思っていた。しかし皮肉なことに、俺がすっかり大人しくなったのはよほど反省しているからだと誤解され、微妙に風向きが代わり、王女側もすんなり婚約破棄できそうになくなってしまった。

 こちらからは動くなと父に言われ、様子を見るしかない。

 一つやったことといえば、改まった父に「今でも第三王女の夫としてやっていける自信はあるか」と聞かれたとき、「ない」と答えたことだ。「ある」と答えれば、関係修復のために父が自ら動くつもりだったんだろう。使えない息子だと見限られるだろうが、仕方ない。


 それよりもあのときは、彼女の元婚約者の存在に衝撃を受けていた。昔の話で彼女にも未練はなさそうなのに、どうも落ち着かなかった。帰り際に自分の気持ちを伝えようとしたけど、やはり言葉にはさせてもらえなかった。

 もしかしたら、俺がはっきりと婚約破棄されるのを待っているのかもしれない。なんて能天気な考えを持ったのがいけなかった。


 城の舞踏会に、彼女が一緒に行きたいと言ってきたときは、単純に喜んだ。

 完全に勘違いをしていた。

 もう自分の婚約破棄は決定した気でいて、彼女は俺の新しい恋人として来てくれるのだと、婚約者に惨めに振られた後の俺を助けるつもりだろうと浮かれていたのだ。


 二人で赴いた王城では、妙に胸が騒いだ。恋愛的な意味ではなく、もう単純に闘争心が。

 久しぶりの高揚だった。ここしばらくの穏やかな日々を好んでいたことも嘘ではないが、こういう気を抜けない戦いの場に身を置くと、やってやろうと心がはやるのも本当だ。

 隣に立つ彼女も同じ目をしていて、俺たちは似ているなと思った。


 そうやって色んな意味で浮かれていた俺も、だんだんと様子がおかしいことに気付く。だが、気付いたときには手遅れだった。

 彼女が「結婚を祝福する」と言い、頭が真っ白になって何もできなかった。




 暗い夜の森を、灯りを手に急ぐ。いくら昼間とは勝手が違うとはいえ、通い慣れた道のはずだ。なのに、今日はやけに彼女の家が遠い。歩いても歩いても、辿りつく気配がない。


 舞踏会を飛び出したまま、この森に来ていた。

 彼女は俺に王女とワルツを踊るよう言って、城から去っていった。呆然としたままの俺の前に第三王女が立ち、周囲も緊張感を持って見守る。

 女神の眷属から祝福された結婚だ。婚約破棄などとんでもない。そういうことだ。


 だけど、俺は王女の手をとることができず、気付けば馬車を森へと走らせていた。

 もっと上手くあの場を切り抜け、改めて彼女を訪ねることもできたはず。それでも、ぐずぐずしていたら取り返しのつかないことになる気がしてたまらなかった。早く、彼女の意図を確認しなければ。


 立ち止まって息をつく。森を歩く服装じゃない。靴は泥と傷だらけ、服も木々や茂みに引っかかってほつれまくっている。今日はいつもより道が険しい気がする。


「何の用か、ここで聞いてやろう」


 上から声が降ってくる。見上げれば木の枝にクロがいた。


「今はあの家に近づかないほうがいい。あいつに攫われるぞ。くく」

「攫われる?」

「そのままの意味だよ。この国を出て、どこか知らない場所へ連れていかれる」


 どこか怖さを含む声だった。俺は、クロとじっと視線をぶつけあった。


「まさか、意味がわからないとは言わないだろ? ここで、どういうことだなんて聞き返すようなやつは、あいつには似合わないから帰れ」

「彼女を抱えきれないやつは、お断りって? 君のお眼鏡にかなわないと、彼女に近づけないもんな」


 違うかと言わんばかりにクロを見ると、にゃあ、と短く鳴かれる。威嚇するように。


「あいつは、いろいろ拗らせてて面倒なんだよ。でかい空っぽな心を持て余して、それを埋めてくれる何かを探してる。いや、ちょっと違うか。でかい感情を思う存分ぶつける先が必要なんだ。空っぽな心を忘れるくらいにな。もしそれが人であった場合、だいたい相手は潰れる。……まあ、それはお前も同じみたいだけど」


 見抜かれていたことに驚く。

 と同時に、彼女が同じものを抱えていたことを知る。

 どうしようもなく嬉しくなってしまった。そんな自分を最低な奴だとも思うが、やっぱり嬉しい。同じものを抱えているなら、二人でいることでそれは満たされるかもしれない。

 クロの言った「攫われる」が本当なら、期待するなというほうが無理だ。


「なおさら、彼女に会いたくなった」

「あいつは人間じゃない。そういうやつの元に行く覚悟はできてるか?」

「彼女と俺が違う世界の住人であることが、何か問題になるんだろうか」


 不安になって訊ねる。


「問題はないが、満足はできないだろうな。そして――住む世界を同じにする方法は、ないわけじゃない」


 こちらを見下ろすクロは、いつもの食えない黒猫ではなかった。力のある存在が、俺を試している。そんな感じだった。そういえば、クロは精霊だと彼女が言っていた。

 驚いていると、ふっといつもの空気に変わる。


「怖気づいたなら、帰ったほうがいいぞ」

「まさか……。嬉しすぎて言葉が出なかっただけだ」

「人の理を一度外れれば、人間には戻れなくても、か?」

「当然だ。そんな方法、むしろなくていい。彼女と同じ世界でずっと一緒に生きられる」

「正気じゃない感じの目をしてるぞ、お前」

「これが普通だ」


 クロは少し黙った。ちょっと引いている空気がする。

 でもここで取り繕っていては、たぶん彼女に会えない。


「……思った以上に拗らせてた」


 小さくため息をつかれる。


「俺の気持ちは重すぎるか? 彼女を潰す?」

「くくっ、さてどうだろう」


 この森の奥にある彼女の家に辿りつくには、クロに頼むしかない。俺は必死で訴えた。


「彼女に会わせてくれ。俺の覚悟が本物なら彼女の家へ、生半可なものなら一生出られない迷路に続いているんでもいい」

「言うじゃないか。いいだろう。このまま進んでみな」


 楽しそうにそう言ってクロは枝から飛び、そしてふっと姿が消えた。


 俺はまた歩き出した。

 今度はすんなりと目的の家が見えてくる。走りたかったが、体力が残っていなかった。

 早く早くと気持ちばかり焦りながら、家に近づく。カーテンは閉じられていて、中の様子はうかがえない。少しだけ揺れたカーテンの隙間から、ちらりと黒猫のしっぽが見えた気がする。


 扉の前に立つと、緊張気味にノックした。

 彼女が扉を開けてくれたら、なんと説明しよう。

 すべてを捨てるつもりでここに来た。覚悟は決めてる。とか。


 ゆっくりと扉が開かれる。

 泣きそうな顔の彼女が目に入った。ああ、そういう顔をさせたくない。焦りと体力切れで思考が鈍った俺の口から、用意していたどれでもない言葉がこぼれ出た。



「俺を――あなたの恋人にしてくれませんか?」



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