1人じゃない

 もう3年前にもなるのか、と記憶をたぐり寄せる。

 かつてIA電子資料館が街のど真ん中にあった頃。見上げるくらいの高いビルで、職員が50人くらいいて、活気あふれていた頃。ユージンもまだまだ新米のひよっこ電子記録員だった頃。

 先輩方から手取り足取り撮影・録音技術を教わり、パソコンにかじりついてデモ用の画像や映像を編集・加工した。実際の資料を扱うときには汗が止まらなかったし、依頼者も怖かった。糸を張り詰めたような緊張感から、インターネットに公開するまでやり終えた時の達成感を味わうと、僕らには天職だったと笑っていたように思える。情報の検索、聞き取り調査などという仕事があるのも初めて知ったし、電子資料データベースを扱える市民の少なさから何度もいろんなところで講座を行った。

 ユージンは教育振興への道を選んだ。これだけたくさんの手間暇かかって作られた電子資料たちを使ってもらいたい。ユージンは電子資料データベースを広める方へとシフトした。他の同僚たちも、次々に思い思いの部署に配属されていった。

 悪夢は突然訪れた。ようやく一人前として扱われるようになってきた頃、僕や僕の部署の職員何人かは、とある学校に講習を要請されてたまたま出張に行った日のことだった。

 過激なテロ組織が、かつてのIA電子資料館を襲撃した。何人もの構成員が押し入り、何人かの職員を人質に取って立てこもった。人質の交換条件は、彼らが禁忌としている少数民族の資料および関連情報をを抹消することだった。

 動機? 劣った文化は消滅させるべきだ、だったっけな。とにかくくだらないものだったよ。

 当然そんなこと受け入れられる訳がない。電子資料館がつくる電子資料データベースは、この世界にあるものすべてを電子化、データ化して保存していくためのものなのだ。電子記録員たちはそろって反対の声を上げたという。

 テロ組織は声明が受け入れられなかったと逆上し、あろうことか資料館に毒ガスを噴射し始めたという。それも神経性の。

 警察や消防は、職員の命とその他の人々、自分たちの組織の隊員の命や近隣住民たちの命を秤にかけて、後者をとった。資料館の近くにいた人たちを退避させ、防炎シャッターを閉めさせ、救助もわずか5分で打ち切った。僕はその判断を責めることはできない。無理に突入したり、換気をしたりしようものなら、おそらくさらに甚大な被害を引き起こしたと思うから。

 使命のために払われた代償は、あまりにも大きかった。彼らは逃げ場のない建物の中で、苦しみながら命を奪われていった。

 幸いと言えるのは、電子資料データベースなどの電子資料やシステムは他の資料館に残っていたデータやシステムのおかげで復旧できたことくらいだろうか。テロ組織の構成員はあらかた毒ガスで自滅したし、残った構成員も逮捕されたので再びどこかの資料館が襲われることもなかった。

 警察の許可が下りた1ヶ月後、事件現場となった旧IA電子資料館に足を踏み入れることができた。集まったのは、出張や外部出勤、非番などでたまたま建物にいなかった職員だけだった。あまりに広すぎるスペース。パソコンや撮影・録音機器などの備品や職員の私物などはきれいに押収されていた。

 運良く避難できた職員たちは、依然として職場復帰はできる状態でない、と説明された。

 同じ建物の中にいたのに、たまたますぐに避難できる場所にいたり、救助隊に発見されたりしただけで、こんなにも違う運命をたどった。後遺症を引きずったり、心的外傷後ストレス障害を発症した。彼らのほとんどは事件後会うこともなく、退職だけを言い伝えられた。

 今やアイビーただ1人が、癒えない傷を抱えながら生き証人として残っている。

 事件の後、旧IA電子資料館は取り壊された。代わりに、閉館した元博物館にサーバと必要最低限の設備、最小人数の職員を置いて、IA電子資料館本館と位置づけたのだ。こうすれば一応電子資料館の体はとれるし、万が一何かあっても、最小限の犠牲で済むと自治体は踏んだのだろう。

 最少人数の職員の枠に名乗りを上げたのは、アイビーただ1人だった。教育振興に関わる部署の僕やテレワークが可能など場所を必要としない部署の職員などは最初から外されていたことを鑑みると、やはりアイビーが一番適任だったのだろう。彼女は1人でほぼすべての作業ができる。

 やがて、新IA電子資料館の職員はアイビー1人が決まった。他の職員は希望を出して、異動や退職を願い出た。

 ユージンは現在の職場、RF電子資料館に籍を置くことになった。IA電子資料館の分館の1つだった。当時の他の職員の異動希望も、ほとんどがIA電子資料館の分館だった。何かあったら臨時職員として助けにいけるように。

 唯一の職員であることと、仲間がいることとは矛盾しないだろう。1人きりじゃない、一緒に記憶を抱えて伝えていく同志がいることを実感させるためなのだ。

 だから。

「アイビー」

 ユージンは語りかける。

「1人じゃないからね」

 アイビーはゆっくりと首を縦に振った。

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