仕事仲間

 アイビーとユージンはゆっくり薄暗い廊下を歩いて行く。築何年なんだろうというくらい古めかしい建物の割には、つい最近発生した巨大地震の影響を受けずに済んでいるらしい。ユージンは胸をなで下ろした。

「今日はどうしたのです。いつもは電話やメールだというのに」

 きょろきょろと中を見回していたユージンは、アイビーの方を向いた。彼女の言うとおり、普段は用があってもここまで出向くことはほとんどなかった。

「近くで講演会をやったからね」

 今回は出張講座のついでに立ち寄ったのだ。仕事自体は終わって直帰すると報告してあるから、そうそう目くじらを立てる職員もいないだろう。

 そう話してもアイビーは能面のように表情を変えない。

 まあ、わざわざ来館したのにもいくつか目的があるから、なんだけれどね。

 アイビーは電子記録員として優れているだけでなくカンもいいからなあ、と心の中でユージンはつぶやいた。

「だってすっごく大きな地震が起きたじゃん? こんなボロ――古い建物でアイビーがたった1人で働いているんだからさ、そりゃ心配くらいするよ。ちゃんと顔が見たいっていうか――」

 言い訳がましいか、と思ってユージンは話をやめた。アイビーも考え事をしているようなので、しばらく沈黙の時間が続いた。

「ところで、ユージンの方、RF電子資料館はどうでしょうか?」

「相変わらず。予算が減らされないようにあちこち飛び回っているよ。まあでも勉強にはなるかな。新しい技術を取り入れるのにも積極的だしさ」

 残念ながら内部情報に踏み込むのでここから先は話せない。再び沈黙が訪れた。

「そういえばさ、ギッダさんっていたじゃん?」

「ええ」

「退職されたんだって」

「……そろそろ定年を迎えてもおかしくありませんからね」

 アイビーは静かに答える。ギッダさんはユージンやアイビーの元職場の上司だった。資料の扱いの丁寧さは、みんな彼にたたき込まれたと言ってもいい。

「まあ、たまには、こんな近況報告もいいでしょ? 

 ここがIA電子資料館本館なんだから。管轄館の職員が本館に来るのはよくあることだよね」

「職員はほとんど来ませんね。みんなここに来るのは大変だと言って、いつも電話やメールでのやりとりですから。

 来館者もよほど何かある人だけです」

 アイビーは首をかしげた。仕方なく左手を掲げてケーキボックスを見せる。反応は……もうちょっとうれしそうにしてくれてもいいのに。

「おいしいものも買って来たから、一緒に食べたいな、と思って」

 ユージンが取り繕うように告げると、アイビーは「もちろん、お茶くらいは出しますよ」と伝えてきた。

 やがて応接セットまでたどり着くと、アイビーはお茶を淹れる、とドリンクマシンの前に立った。ユージンは持ってきたはケーキボックスからプリンとスプーンを取り出してそれぞれの席に並べていた。ケーキでもよかったのだが、皿があるかわからなかったからやめた。

 アイビーとユージンは向かい合うようにソファにこしかける。どちらからともなく紅茶の紙コップに口をつける。ドリンクマシンの飲み物もおいしいんだけれどね、とユージンは少しだけ苦笑する。やっぱり旧友と面と向かってお茶をするなら、少しくらいはこだわりたかった。

 残念ながらIA電子資料館にはティーポットもティーカップも湯飲みもない。1人しかいない職員と月に一回来るかどうかくらいの臨時職員、滅多にない来客のための設備としては、せいぜい家庭用のドリンクマシンの設置が関の山だ。お湯を沸かすポットくらいならあったはずだが、果たして使っているのやら。

 アイビーはプリンの容器を珍しそうに眺めると、フタを開けた。スプーンで慎重にちょんちょん、とプリンの表面をスプーンでつついている。やがてプリンをすくうと、ゆっくり口に運んでスプーンを口から抜き出す。少しだけ表情が和らいだのが目に見えた。

「……一応聞くけど、ちゃんと食べてる?」

「栄養はとれています」

 やっぱりか、とユージンはため息をついた。おそらく栄養補助食品あたりで生きながらえているのだろう。アイビーは元から食や嗜好品にこだわりのあるほうではない。けれど、人の目がないとこうも極端になるのか、とうなだれる。近いうちに同僚たちに声をかけて食事にでも誘おう。そうでないとまともな食事をしてくれそうにない。

「ユージンはなにかあったのですか。まさか私にただ会いに来ただけではないでしょう?」

 そのまさかが目的の1つなのだが、ユージンは口に含んだプリンを何とか飲み込み、喉に詰まらせるという事態だけは回避した。

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