仮初めの居場所
リーナはアイビーに案内されて隣の建物に入ると、電子資料館へ汚れを持ち込むのはご法度ですから、とアイビーに言われるがままにシャワールームへ押し込まれた。仕方なくリーナはシャワーを浴びることにした。昔ながらのカランを回して水量や温度を調整するタイプだったので、少し手間取ったもののすぐにちょうどいい湯が頭上から降ってきた。何日ぶりだろうか。汗も汚れも何もかも洗い流されていく久しぶりの感覚に、リーナはだいぶ長い間浸っていた。
リーナは用意されたタオルで体を拭くと、用意された服、木綿の清潔そうなシャツとボトムスだった、に着替えた。汗と泥まみれでボロボロになった着ていた服を丸め、リーナがウエストポーチに入れて持ちだしてきたもの、小型のパソコン、メモリーカード、身分証やキャッシュカードなどの貴重品、腕時計型端末、そしてカメラをまとめて廊下に出る。防犯ロボットがリーナをとらえると、緑のランプを点滅させてすすす、と移動していく。リーナはロボットに案内されるまま廊下を歩いた。ロボットが止まり赤いランプを点滅させたところで、リーナも辺りを見回す。部屋があったのでドアを開けた。
「失礼します」
中はリビングのようだった。広いスペースにテーブルと椅子が10脚ほど置かれている。適度にエアコンが効いているのか、心地よい涼しさを感じた。
見回すとキッチンスペースでアイビーがマグカップに何かを注いでいた。改めてみると金髪で色白の顔なのと対照的に、首から下はすべて黒で統一された服装をしているのが何とも印象的だ。しかもきっちりまとめられた髪と背筋の伸びた立ち姿は、彼女の美しさを一層引き立たせていた。
アイビーに勧められるがまま、リーナは席に着く。アイビーはマグカップを2つ持ってくると、1つをリーナの前に置いた。もう1つは彼女の真正面に座ったアイビーの手元に置かれた。マグカップの中からは湯気が立ち上り、甘い匂いが漂っていた。どうぞ、と言われたので1口啜る。どうやらココアのようだった。
「ここは元ゲストハウスでしたが、現在はここの1室を私が自宅として使っております。リーナさんには、私の隣の部屋を使ってもらいます」
アイビーは鍵をアイビーはひとしきりこの7日間のルールについて話をした。IA電子資料館には少数ではあるが来館者もいるそうだ。万が一でも来館者に通報されないためこのゲストハウスから出ないようにすること、やむを得ず外出する場合と映画編集が終わった時に通信を入れることを言い渡された。食事も腹を満たす程度のものであれば用意してくれるという。
「本来避難所には指定されておりませんが、公共施設ということで、避難してくる人を想定しある程度は場所と物資の用意をしています。避難場所や物資を求めてきた場合は、連絡を入れて保護することとなっています。
この状況ですからもしかしたら別の避難者も来て、連絡せざるを得ない状況になるかもしれません」
リーナも長居するつもりはなかったので、アイビーの説明に同意した。今着ている清潔な衣服やこれから提供されるという食事も、備蓄倉庫のものだと考えると納得がいく。
「何かご質問は?」
「……あの、そちらからは聞かないのですか」
例えば私は何者なのか、とか。
なぜそこまでしてIA電子資料館に来たのか、とか。
アイビーは少し考えるそぶりをしたところで、表情を変えずに答えた。
「電子資料データベースを調べたら何本かは映画を撮っておられるようですね。近くに住んでいらっしゃることも判明したので、あなたのプロフィール像について改めて聞くこともありません。何よりこんな時にあの恰好でいらしたのですから、見当はついていました。
そんなことに手を煩わせるより、映画を完成させることを第一に考えたかったのです」
アイビーはマグカップの中身を飲み干すと、仕事場に戻ります、と席を立つ。勤務時間を抜けてリーナの相手をしていたらしい。
リーナは部屋の中を改めて見回した。こんなに広い部屋にぽつんと取り残されると、にぎやかだった父の仕事場や、長年仲間と映画を作ってきたスタジオがふと思い出される。
リーナはまだほんのり温かいココアをもう1口啜る。とろりとした濃厚な甘みが口に広がった。空腹を訴え続けていた胃が満たされていく。
リーナは涙をこぼしていた。
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