ワイイヒノデスミレ
アイビーは涼しげな顔をして捜査中の事件のことを言い当ててしまった。
Xはワイイヒノデスミレの群生地に不法侵入している。これは写真の存在、そしてXがYE自然公園の関係者でないことから容易に想像できるであろう。群生地を破壊した、ということも、写真に写っていた黄色い花や、研究の成果などから導き出せる結論ではある。
問題は、Xはワイイヒノデスミレによって中毒症状を起こした、という部分である。
「ワイイヒノデスミレには毒性も薬に使える成分も含まれていない、という話じゃなかったのか?」
そもそもワイイヒノデスミレの成分について知らせてきたのはほかでもない、アイビーだ。ミランダはアイビーをにらむ。
「ええ。ワイイヒノデスミレの植物本体、および種子からは毒性も薬に使える成分も検出されていません。しかし、これはプラントハンターがワイイヒノデスミレを研究所に持ち帰ってからの分析です。実際に生えている状態とはまた違う可能性だって充分考えられます。
とある論文のテーマとして、ワイイヒノデスミレの受粉方法。ワイイヒノデスミレは虫によって花粉が運ばれるとされています。通常の植物の花粉は別の種の花粉と混じらないように特定の虫によって運ばれることが多いです。ところがワイイヒノデスミレは様々な虫が花粉を運んでいるとのこと。おそらくワイイヒノデスミレなりの生存戦略があるから成り立ってきたのでしょう」
「私は学者じゃない。その件に関してあなたと議論する気はないわ」
いきなり生物に関する議論を始められても、ミランダにとってはどうでもよかった。ワイイヒノデスミレが薬物に値する成分を有するのかしないのか、それだけが問題だった。
「重要なことは、採取した状態、あるいは種子の成分分析しか行われていない、ということです。なぜなら生態はまだまだ謎の多い植物なのですから。もしかしたら、開花の時にだけ麻薬成分のような物質を発生させるのかもしれません」
「なら、ワイイヒノデスミレは開花の時だけ何か薬物に値する成分を発している可能性があるわけね。でも、それだけでXがワイイヒノデスミレによって中毒症状に陥ったと考えるのは軽率じゃない? ワイイヒノデスミレの群生地はカメラが全くない。そこで本物の薬物の受け渡しが行われているかもしれないじゃない」
「それならわざわざワイイヒノデスミレの写真を撮りますかね?
それからその薬物とやらを摂取したような痕跡が自宅に一切なかったのでしょう? まさか群生地で摂取していたと言いたいのですか。そうなると空き容器等は売人が持ち帰るほかないですよね。となると少なくともXが薬物の摂取が終わるまでは売人も一緒にワイイヒノデスミレの群生地に留まっていなければならない。私が売人なら、証拠が残りかねない写真撮影なんかさせませんよ」
アイビーは痛いところをついてきた。売人にしてみたら取引現場が分かる可能性のある写真撮影など確かに許しがたい行為である。
「ならワイイヒノデスミレ自体に薬物中毒を起こすような成分が含まれているという方が自然な流れね。Xはワイイヒノデスミレを食べたことによって薬物中毒のような症状を発症した。あなたの意見を採用するなら、その場で採取して食べたと考えるほうが自然ね。自然界に生えている状態でないとそういった成分を有しないというなら」
「それならなぜXは大量の写真を撮ったのでしょうか。
珍しいからと言って最初に不法侵入した際に写真を撮るのは分かります。ですが、大量の写真が発見されたのですよね? 明らかに興味本位という範囲を超えていたのでしょう? 職業カメラマンというわけでもないですよね? プロなら当然許可を求めるはずですから」
たたみかけるようなアイビーの台詞に、ミランダは思わずうなずいた。少量の情報からこれだけのことを察したのか、とミランダは感心した。
「でも、それならなぜ写真を撮ったとあなたは考えるの?」
ミランダがイライラしながらアイビーに尋ねた。
「そもそも警察の考えが逆なのです」
「逆?」
ミランダは眉を吊り上げる。アイビーは涼やかな顔で答えた。
「Xはワイイヒノデスミレの麻薬成分を摂取するためにYE自然公園のワイイヒノデスミレの群生地に不法侵入したのではありません。
Xの目的はあくまでワイイヒノデスミレの写真をカメラに収めることだったはずです。
この場合、たまたま被写体のワイイヒノデスミレが麻薬成分のようなものを発しており、Xがそれを吸い続けたために薬物中毒のような状態に陥ってしまった。
そもそも世間一般にはあまり知られていない、公開すらされていない植物に対して、麻薬のような成分を期待するでしょうか。特定の自然保護区域に不法侵入までしなければ手に入らないのですよ。どう考えたってXが欲していたのは被写体としてのワイイヒノデスミレだったはずです」
立て板に水、とは今のアイビーのようなことをいうのかも知れない。ミランダは反論もできず、ただただアイビーの推理を聞いていた。
「あくまで可能性の話ですが、写真を撮る際には被写体であるワイイヒノデスミレに近づいているうちにワイイヒノデスミレが発する何らかの成分を吸い込んでしまった。ちりも積もれば山となるように写真を撮ればとるほどその物質を吸い込み、中毒症状を起こしていった、ですとか。群生地が破壊されていったのも、写真のフラッシュに耐え切れず枯れてしまったせいでしょう。
そのせいで未だ謎多きワイイヒノデスミレの研究が難航してしまったのですが、逆もまた然りなのかもしれません。間接的にですが実態を明らかにすることを阻んだゆえに、自らが事例になってしまったのかもしれませんから……」
カツカツカツと靴音を立ててアイビーはどこかの部屋へ行ってしまう。もしかしたら、その論文とやらを見せてくれるのかもしれない。
事件を早期解決するため、あるいは捜査員の命を守るため、間違っていたとしても報告すべきだろう。あるいは今から捜査方針をがらりと変えようか。ワイイヒノデスミレの写真とXの薬物中毒は防犯カメラを逃れるためという理由も含めて全くなかった、と。
だがミランダには、この推理を報告するだけの饒舌さも思い切りも、持ち合わせてはいなかった。
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