事件のあらまし

 1週間前の明朝、MH市で人対無人運転トラックの死亡事故が発生した。この被害者をXとしておく。Xは信号無視をして交差点を渡ったとされ、無人運転トラックの車載カメラやセンサーには認識されていなかったという。目撃者の情報及び周辺の監視カメラの映像から、Xは急にふらりとトラックに飛び出していったとされた。

 司法解剖に回されたXの遺体からはとある違法薬物の成分と一致する成分が検出された。どうやらXは日常的に何らかの薬物を摂取していたと考えられる。これを踏まえ、捜査本部はXに薬物乱用の疑いをかけ、Xに薬物を供給していた人物、あるいは団体を逮捕すべく捜査することになった。

 警察は周辺の住民、職場への聞き込みや防犯カメラの映像解析を行ったがXが薬物を摂取していた、あるいは手に入れていた痕跡すらもつかめず、自宅アパートの家宅捜査でも決定的な証拠は押さえることができなかった。その中で唯一捜査員の目には奇異に映ったのが被害者が所持していたカメラ及びパソコンに保存された大量の写真、いずれも同じ種類の花およびその植物の群生地の写真だった。

「とまあ、こういうことで、この花の種類を知っているものが誰もいない。植物図鑑にも掲載されていない。念のためこの花を調べておくように、との指示が下ったわけだ。もしかしたらこの植物から薬物の成分が検出されるかもしれないからね」

 ミランダが説明を終わると、アイビーは自分用に持ってきたジャスミン茶らしき飲み物をすすってこう答えた。

「警察の情報調査でもワイイヒノデスミレの名が挙がらなかったと」

 アイビーが痛いところをついてきたので、ミランダは眉をひそめた。どうやら人工知能のみでのデータ検索は万能ではないらしい。

 電子資料館などが作成・保存した電子資料をデータベース化して検索しやすくし、インターネット上で公開しているものが電子資料データベースである。つまり電子資料データベース自体は誰でも利用できる。ミランダ自身も事件解決に向けて電子資料データベースをくまなく検索してきた。しかし似たような種類の植物の画像データが挙がってきてしまい、判別できなかったのだ。

「分かったんだからいいじゃないか。

 それに、どっちみちYE自然公園から採取したものを科捜研で鑑定してもらう手はずになるだろうからそのうちわかるだろうね。令状を突き付ければ、ある程度絶滅の恐れがある植物でも採取できるはずだ。そんなに大量に必要とはしないから、そこまで迷惑はかけないはず。

 だが、このことを話したんじゃ、さすがに手ぶらで帰るわけにはいかなくなっちゃったけれどね」

 アイビーはタブレット端末を操作してミランダに見せる。

「まずワイイヒノデスミレのことから」

 まず、アイビーは植物図鑑らしきデータを見せてきた。


ワイイヒノデスミレ(Sunriseviola Lklic)

 スミレ科ヒノデスミレ属。YE市のごく一部にのみ分布する。夏に藍から灰色に近い花を咲かせる。花は日の出とともに咲いて昼間にはしぼむ。日光に弱く、あまり強い光を当てると枯れる。


 ミランダは思わず、「これだけ?」と大きな声を出した。

「論文数もあまりありません。おそらくあまり研究が進んでいないのでしょう」

 アイビーは論文集のデータを見せる。ワイイヒノデスミレに関する論文は5件。ヒノデスミレ属の研究論文の一覧も見せてもらったが、100件超えるくらいしかないのだという。

「ヒノデスミレ属自体40年ほど前に見つかった新種のようです。昼間には枯れてしまう植物ですので、発見すらされていなかったようで。

 ただ、発見者のリクリックさんは製薬会社のプラントハンターということもあり、毒性や薬用性についてのデータはいち早くとられたようです」

 アイビーは製薬会社が分析したワイイヒノデスミレの成分データを見せる。結論には毒性も薬に使える成分もなかったといった文言が記されている。これで資料を集める手間は省けたようだ。

「とにかく大事なのは撮影時に強い光を当てないことね」

 ミランダはこれからの捜査方針を思い描いた。鑑識の派遣は明け方になるかしら。それまでに周囲の監視カメラや持ち場の防犯ロボットについているカメラの映像の収集をしなければ。この電子記録員の言う通り、ワイイヒノデスミレが立ち入り禁止区域にしか咲いていない可能性もある。

「それから、念のため1ヶ月程度のYE自然公園周辺で撮影されたと思われる画像データを検索しておきます。自然遺産には監視カメラどころか防犯ロボットですら期待できない可能性が高いですから」

 アイビーはそう言ってタブレットを差し出す。ミランダがタブレットを受け取ると、アイビーはさっさとどこかへ行ってしまった。

「ちょっと!」

 タブレットとともに応接間に放置されたミランダには、タブレットに表示された資料を読む以外の選択肢はないようだった。

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