File0003 人跡未踏の自然
警察官の苦悩
ミランダは、はあと盛大なため息をついた。IA電子資料館のタブレット端末を操作する。左手に持ったブリーフケースが重い。来館者として迎え入れてくれるように自動ドアが開いた。
「お待ちしておりました」
受付ロボットがミランダを出迎える。
「電子記録員のアイビーさんをお願いします」
「私でございます」
失礼しました、とミランダは軽く頭を下げる。
この人が?
第一印象では金髪のいかにもな受付嬢の格好をしているのだ。ただ、とミランダはアイビーを観察する。襟付きシャツまでオールブラック、エプロン着用の受付嬢はいないだろう。長い髪をきっちりまとめてあるのも電子とはいえ資料を扱う職員だからであろうし。
間違えた原因は何だろうか、と考えていると応接間までたどり着いた。飲み物を丁重に断った直後、ああ、この無機質すぎる表情にあると考えたのだ。黒い瞳もきゅっと結ばれた唇も言葉づかいでさえ感情を語らない。
ミランダは電子記録員、ましてやこんな来館者もいなさそうなこの電子資料館にわざわざこの人を雇う理由は何だろうかと考えた。店のレジ係、工場作業員、銀行員、警備員、事務員、秘書、技術者までもが人工知能にとって代わられている。今の仕事と言えばAIを管理する仕事、人間同士が関わる仕事くらいだろうか。
ミランダの仕事、警察官もつい最近までは人工知能の情報ネットワークと安全性に敵わないとされていたが、やはり相手は人間。人間同士が解決しなければ人間は納得しないのだ。だから食いっぱぐれるどころか仕事に忙殺される中でわざわざこのIA電子資料館に足を運んだわけだが……。
「こちらの写真に写っている風景の場所を特定したいとのことでしたが」
「ええ」
「この写真を画像解析にかけ、電子画像検索にかけたところ、この写真に写る植物は、ワイイヒノデスミレであるということが判明いたしました。私の目から見ても、葉の形や花弁の枚数、および花弁の色素等から確認してワイイヒノデスミレだと思います。
ワイイヒノデスミレを植物図鑑、および論文集を調べると、YE市のごく一部にしか分布していないとの記述があります」
アイビーの言葉にミランダは心の中でガッツポーズをした。
電子資料館は電子データになっていれば文字通り何でも管理されている機関である。2050年に電子クラウドプロジェクト、古文書や古地図といった考古資料や遺跡、文化財、文化遺産に限らず、民話伝承、地図、文書、出版物、美術品、芸術作品、博物資料、自然遺産果てには街の風景にいたるまで電子資料の作成・保存・管理・活用していきます、という文言を何度見ただろうか、とにかくその国家プロジェクトの中枢を担うのがIA電子資料館をはじめとする電子資料館であり、電子資料の管理・運営に従事する電子記録員たちである。
今回の目的は、ミランダが提出した写真、灰色とも薄紫ともとれる謎の花だ、に写った植物の同定と分布している場所の特定だった。
ミランダは捜査の進展に息をついた。警察にとっては頼みの綱だったのだ。YE市なら被害者宅からそう遠くない。後は証拠を集めるだけ。
「ではこれで失礼――」
「よろしければ、もう少しお探ししましょうか? 実は気になることが」
ミランダはうっと言葉に詰まる。前回の事件でここを訪れた同僚の話を思い出す。資料館の館長と職員が死体で発見された事件。防犯カメラの映像から最後に生きた被害者と会っていたのがたまたまアイビーだったようなのである。犯人は無事逮捕できた、のだが。
「い、いいわよ。今回もあなたの忠告通りになると嫌だし」
元の捜査方針では近くの美術館強盗と同じ犯人だとされ、そちらの捜査本部主体で動いていた。が、その同僚はアイビーの口車にまんまと載せられ、館長と職員はたまたま被害者になったわけではなく、どちらかが資料を売りさばこうとしたところ、しくじったのでまとめて殺されてしまったのではないか、と捜査方針を変えて捜査をし直したところ、通信記録から犯人が割り出せたのだ。結局は美術館強盗と同一犯だったのだけれど。
「今回行ったのはワイイヒノデスミレだけを検索条件として電子資料データベースを検索しました。だからかもしれませんが、検索で来たのはワイイヒノデスミレの写真だけ。風景等が写っている写真は検索できませんでした」
「嘘でしょ?」
「おそらくYE自然公園の立ち入り禁止区域なのではないでしょうか。そこなら写真が撮られていなくてもおかしくありません」
アイビーに指摘されて助かったかもしれない、とミランダは思った。YE市全域を探すとなると相当苦労するだろうし、立ち入り禁止区域なら最初に令状を取ってしまったほうが効率がいい。
「電子クラウドプロジェクトでは、あらゆる機関、警察やセキュリティ会社からの情報も提供の対象となります。警察からの情報は事件の最終判決が出てから5年または時効後3年以降。防犯カメラの映像等は個人情報保護のために削除される場合もありますが、街の風景がそのまま残っており人権侵害がない場合は保存に協力してくれる場合もあります。ただし法的拘束力を持つものではないのですべては集まりませんが。
どうでしょう、この際立ち入ったお話まで伺うことになりますが、必要な情報をすべて手に入れてからでも遅くはないですよ」
アイビーがぐいと顔を近づけてきた。本来なら断ってしかるところなのだが。
「いいでしょう。ただし守秘義務があるのでアウトラインのみね」
どこが善良な一般市民じゃ、と心の中で毒づきながら、ミランダは今回の事件のことを話し始めた。
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