『祈りの乙女』

 工芸品の撮影に入る。ここからはダービスの作業が格段に増えた。また例の部屋に資料を運び込む。撮影。確認。資料の向きを変える。撮影。確認。撮影する資料の入れ替え。資料の運搬には補助ロボットが足腰の負担を軽減してくれるものの、ひーひーと泣き言を言いたくもなるほどの重労働だ。実際は館長の目もあるため息つく暇もなく撮影が続いていく。

 最後の2点になる。ヒア・イースの壺とケイン・ジュディアの彫刻だ。壺がとにかく重くてでかい。今までは部屋に取り付けられた3Dカメラで撮影していたが、台に載せきらないのでシートを引いた上に壺を載せ、ハンディタイプのカメラで撮影していくことになった。

 アイビーは無言でカメラ撮影を行っていく。本当に彼女はアンドロイドではないんだよな。さっきもコーヒーを一緒に啜っていたのは見ているが、話し方といい仕草といい、どこか浮世離れした印象をぬぐえなかった。

「確認をお願いします」

 アイビーが言うのでコンピュータの前に座る。スクリーンを指でなぞってくるくると回してみる。普段見ている工芸品でもさすがに頻繁に手に取って嘗め回すようには見る機会などないので、最初の方はコンピュータ上の素焼きの壺を上から下から回してみていくのはそれなりに楽しめた。だが、あまり変わり映えのないほぼ土色の壺の3D画像をスクロールしていくにも飽きてくるころだ。これなら電子地球儀の方がまだ見ていられる。最もダービスはアナログな地球儀を見たこともないわけだが。ホログラムの館長の目があるのでそんなこと迂闊にも言えない。間違ってもどんぐりの背比べのような素焼きの壺たちすべてを電子資料にしてまで保存しておくのですか、などとは口が裂けても言えない。

 ヒア・イースの壺はビビッドな赤にアクセントとして水色の模様が入っているので、まだ今までの工芸品よりかは見ていて楽しい。確認を終えようとしたとき、ダービスはアイビーにアイコンタクトを取って、館長に話しかけた。

「すいません、見学はここまでということで」

 館長は不服そうだったが、失礼しますよ、と通話を切った。

 アイビーの手がスクリーンに伸びて、画像を拡大させる。やはりアイビーも気付いていたようだ。小さな傷が確認できる。現物を確認するも傷が見当たらない。割らないように気を付けながら観察していくと、壺の底の部分によくよく見ないと分からないような小さな傷があった。はっきり言ってどこでついたのか分からない。ダービスはアイビーを見た。

「一応防犯カメラはいたるところに設置してありますので、館内で傷ついたのならわかるかもしれませんが」

「大丈夫ですよ。こんだけ小さいものならどこで傷ついたのかなんてわかりません」

 現物確認の時には見えなかった傷だ。裁判でも起こすものなら防犯カメラの映像をくまなくチェックされ、さらに面倒になるだろう。アイビーには黙っててもらうことにした。

「画像修正をかけられますか」

「あくまで復元程度なら。本来はタブーですけれど、やむを得ず行うこともあります」

 アイビーも後で傷がつく前の状態をペイントツールである程度なら修正すると約束してくれた。資料館でも壊れてしまった資料は修理を施すこともあるのだ。電子資料化の時もそういった依頼がなくはないのだろう。後は奴らに気付かれなければ問題ない。

 残りはケイン・ジュディアの彫刻、『祈りの乙女』の撮影で終わりになる。『祈りの乙女』はトロフィーくらいの小さな彫刻だ。ダービスは彫刻を折らないようにそっと持ち上げる。アイビーはその様子を首をかしげてみていた。

「どうかしましたか」

「『祈りの乙女』だけ特別な扱いをしているように見えたので。先ほどの素焼きの壺や土器などとの扱いにだいぶ差があるようにお見受けしました」

「先ほどもありましたようにケイン・ジュディアの作品なので1億はくだらないかと」

 アイビーはさらに首をかしげる。それはそうか。公務員というのは金銭価値に疎い。

「自分が勤務している資料館の資料の価値くらい、知っていて当然でしょう」

 ダービスは、ごまかしていると疑われそうな言い訳を続けた。

「今回私1人が運搬してきているのです。万が一強盗に襲われでもしたら、保険の話になってきますから」

「山の入り口までは防犯カメラが付いておりますから、道に沿って帰れば強盗に襲われるという心配は皆無でしょうけれど、ダービスさんの言う通り、100%絶対、とまでは確かに保証できないかもしれません」

 アイビーはこれ以上は深入りする気はないようで撮影準備を行っている。ダービスはこっそりと息をついた。

 戦争終結直後、美術品や骨とう品は闇市場の中では最も活発に取引されている。脱税した富豪たちが喜んで競り落としていくからだ。そんなわけで強盗たちはこういった貴重な品々を手に入れては闇市場に売り払う。市場に出てしまえば後も追えない。国家権力すら働いているのだから、取り戻すことなど夢のまた夢なのだ。それに、資料に傷などつけたら、ダービス自身の首も危うい。

 そのあとは2人とも黙々と作業を続けた。

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