File0001 貴重な郷土資料
電子クラウドプロジェクト
険しい山道を1台の古びたワゴンが登っていく。ダービスは、世の中はもうすぐ二十二世紀になるというのにまだこんな整備されてない砂利道があるなんてな、と悪態をつきながらハンドルを握る。視界が開けたところでやっと一息ついた。資料館所蔵の古文書、絵巻物、工芸品、美術品合わせて20点ほどが積まれているのもあり運転には慎重を期したのだ。住所からしてここで合っているはずだ。一般人は基本的に来ない。だから行く途中で店すらないような道の果てにあるのはある意味正しいのかもしれない。
ダービスはワゴンから降りて目の前の館を仰ぎ見る。以前博物館だか郷土資料館だったかを改装したというIA電子情報館は、なんとも古めかしい建物であった。田舎ですらこんなコンクリートの箱ものなんて残っていやしない。よっぽどこの街に金がないと来ている。だが、はっきり言って仕方ない面もあろう。10年前の戦争で焼き払われた公共施設の再建をするあたってはどうしても学校や役場などを優先せざるを得ない。使えるものは何でも使う勢いなのだろう。特に周りに家すらなさそうな山奥だから空襲被害等にも遭わずに残ったであろうこの電子資料館もある意味遺産と呼べるだろう。
ダービスは自動ドアの前に立つと備え付けられたタブレットを操作する。訪問者であることを選択すると、自動ドアが開いた。自動ドアをくぐると天井付近のランプが緑色に光る。セキュリティ上問題なく通れたようだ。こういったところだけは時代の流れに乗っているのか。
建物内もやはり昔の公民館を彷彿とさせるような内装をしている。もはや形だけの受付カウンター、プラスチックの長椅子、昔は自販機が置いてあっただろう日焼けの跡。PKR郷土資料館の方が数年前に建てられただけましな見た目をしている。本当にこんな施設が国家プロジェクトを担うと言うのだろうか。
2050年、政府は電子クラウドプロジェクトと称して、あらゆる資料をアルバムのように電子媒体に記録して保存、つまり電子資料を作成し、インターネットから収拾した電子コンテンツとともに保存・管理・活用していく国家プロジェクトを立ち上げた。クラウドというのは神話に出てくる女神がつけていた日記帳からつけたらしい。
電子化の対象となる資料は古文書や古地図といった考古資料や遺跡、文化財、文化遺産に限らず、民話伝承、地図、文書、出版物、美術品、芸術作品、博物資料、自然遺産果てには街の風景にいたるまでかなり幅広いものとなっている。そしてこれらの電子資料をデータベース化して検索しやすくしインターネット上で公開しているものが電子資料データベースである。ほとんど電子クラウドプロジェクトが推進してきたのもあってインターネット上で公開されているので、誰でも見ることができる。
ただし、それなりの規模の博物館、美術館、図書館、文書館、大学、研究機関などの教育施設ではプロジェクトが立ち上がるずっと前からインターネット上で電子資料を公開している。PKR郷土資料館の方が時代遅れなのだ。
靴音がしてくる。職員がやってきたようなので見ると、ダービスは目を見開いた。しっかりとまとめられた金髪とは対照的に、黒いシャツに黒いエプロン、ボトムスもスニーカーも黒といった全身黒ずくめの女性。まさかこんな鄙びたところにAI搭載の受付ロボットでも配置してるんじゃないだろうな。
「お待ちしておりました。IA電子情報館のアイビー・ノアと申します」
「は、初めまして。PP市立PKR郷土資料館のダービスです」
まさかこの人がここの電子記録員だというのか。メールでやり取りした相手は確かそんな名前だったはずだ。
「本日はPP市立PKR郷土資料館の資料を電子資料にするということですが」
「そうです」
「資料はどちらに?」
「車に積んであります」
アイビーは首を傾げた。そういった対応をされるのもまあ仕方がない。普通こういった博物資料、一応貴重な資料ではあるが、は専門の運送業者が運搬する。
「経費削減です。それに責任者のオレが運べば問題ないとの館長の判断で」
「では裏口から搬入をお願いします」
アイビーは裏の搬入口への行き方を指示する。ダービスは指示通り資料の搬入を行った。
「PP市立PKR郷土資料館さんには運用設備はないのですか」
「うちはほぼ個人経営だからねえ。政府が金出したからやらなきゃならなくなったわけです」
当然PP市立PKR郷土資料館が所蔵する資料も電子アルバムプロジェクトの対象とされ、つい先日運用費とともに資料の電子化の命が下ったのだ。
ところがIA電子情報館の設備にケチをつける一方で、PP市立PKR郷土資料館の方も電子資料を作成し公開するような技術も人手もない。一番厄介だったのは館長の説得だった。館長が電子化に懐疑的だった。資料の保存こそ資料館の役目、来館者に直接見せるならまだしもインターネット上で誰でも見られるなど言語道断、と主張して譲らなかったのだ。それに電子化するにあたって資料が傷ついてしまうこと、資料の価値が低くなってしまうことを極度に心配していた。前者はともかく、後者は研究者や学術関係者の中ではもはや過去の価値観とされている。今やほとんどが電子資料データベースに登録されており、逆に電子資料になっていない資料は未来に遺していく価値を問われる時代になってきたのだ。
幸いPP市の方はそれなりに資料の電子化に協力的で二人三脚で説得に当たったのだ。運用費を国から補助してもらって電子資料にしないわけにもいかない。その甲斐あってようやく館長を説き伏せて資料の電子化が正式に決定したところだ。
ワゴンを裏口から搬入すると、シャッターが閉まる。特にゾッとする異音もなくシャッターは降りていった。
「先にIA電子情報館を案内しましょうか」
ダービスはIA電子情報館に来るのはもちろん初めてだ。施設のことが分かった方が勝手がいいし、断るのも不審に思われるだろう。
アイビーの提案にお願いします、とダービスは答えた。
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