第12節 厄介なことになった。

 厄介なことになった。


 やはり俺が体育倉庫から抜け出しているところを女子たちに目撃されていたのだ。


 中で秋津が眠る倉庫から窓を通って、つまり人目を避けて出てきたという事実。


 そこからはどう考えても俺にとって不利な推測しか出てこない。


 言い繕うこともほとんど不可能だろう。


 俺にできることと言えばクラスメイトたちから向けられる疑念を、嫌悪を、ただ従容として受け入れることだけだった。


 だが本当はそんなことはどうだってよいのだ。


 俺が恐れていることはもっと別のところにある。


 一番に恐ろしいのは、俺の噂が秋津の耳に入ってしまうことだった。


 噂を知られてしまえば彼女は俺に対して強い警戒心を持つようになるに違いない。


 そうなれば彼女の肌の上の文章を読むことは極めて困難になってしまうだろう。


 俺はなによりもそれを恐れた。


 だから今やるべきことはクラスメイトたちに言い訳にもならぬ言い訳を試みることではない。


 友人のいない秋津の耳にまで噂が達するまでのさほど長くも無いであろう期間のうちに、あらゆる機会を捕えて目標を達成することだ。彼女を最後まで読み通すという目標を。


 俺は決意を新たにせざるを得なかった。


 とは言うもののやることはこれまでと変わらない。


 保健室が無人になる隙を狙って秋津に薬を盛ることくらいしか俺にできることは無いのだ。


 だが都合の悪いことに今や以前とは状況が変わってしまった。


 俺に疑念を向けるクラスメイトたちの視線がある。


 これまで以上に慎重にことを進めねばならないだろう。


 残された時間は少ないというのに怪しまれてはいけないと思うと計画実行の判断にも慎重になってしまう。


 結局、俺は体育倉庫の一件があってからの数日間を何の行動を起こせぬまま空しく浪費したのだった。




 その日も俺は学校で何の成果も得ることができないまま帰宅していた。


 自分の部屋のベットで横になりながら、特に何をするということも無くぼんやりとテレビを眺めている。


 傍から見ればだらけているようにしか見えないだろうが内心は全く逆だった。


 ここ数日来、熾おきのような焦燥感がずっと心の一角を占めていて気持ちが安らぐということが無い。


 秋津のことが常に心に引っ掛かっているのだ。


 やがて俺はいてもたってもいられなくなり起き上がる。


 明日こそは学校でけりをつけるのだと口の中で唱えながら、狭い部屋の端から端までを何十回となく往復し続けた。


 地震が起きたのはそんな時のことだった。


 最初は突き上げるような揺れが一度。


 続いてゆっくりと大振りな横揺れが部屋を襲った。


 テレビが地震速報を報じ始める。


 本棚の縁に置かれていた漫画本が何冊か床に落下した。


 俺はその場に立ち尽くし揺れを全身で受け止めながら、駅前の書店で爆発が起こった時のことを思い出していた。


 あの時も地震のような地面の揺れを感じたのだ。


 ただし今のように長い揺れではなく、轟音の後に一瞬の強い振動が空気の震えと共に到来し、そしてすぐに過ぎ去ったのだった。


 地震の揺れは徐々に振幅を弱め、やがて足裏の微かな痺れのようなものに変わった後、全く感じられなくなった。


 階下から母の呼び声がする。


「大丈夫ー?」


 俺は全く動揺していないことを示すようにわざと不機嫌な調子で、ああ、とだけ答えた。


 テレビのニュースでは簡単な地域の地図の上に各地の震度が表示されていた。


 この辺りは震度4だった。


 久しぶりにそこそこ揺れたなと多少の高揚感を覚えながら俺は床に落ちた物の片付けを始める。


 すると突然、スマートフォンの着信音が鳴った。


 画面を見てみると「非通知設定」から着信だった。


 俺に電話が掛かってくること自体稀なのに、そのうえ非通知からの電話。


 違和感しか覚えなかった。


 しばらく電話に出ずに放置していたが数十コール鳴り続けてもまだ着信が止む気配は無い。


 どうしたものかと迷ったが地震の直後でなにやら気分が高揚していたこと、それに単純に好奇心を覚えたこともあって俺は電話に出てみることにした。


 応答ボタンを押すとスマートフォンを耳に当てる。


 しかしまずこちらからは何も話さず相手の出方を見ることにした。


 暫しの沈黙の後、電話の向こうから奇妙な声が聞こえてきた。


『もしもし?』


 その声は妙にくぐもって聞こえた。


 まるでトンネルの中で話されているような不思議な反響を経た声。


『加藤くん、でいいのかな?』


 くぐもっているせいで声の持ち主がいったいどんな属性を持った人間なのか分かりにくかった。


 男なのか、女なのか。若者なのか、それとも年配なのかも。


「……はい、そうですけど」


 何と答えようか少し迷ったが、相手は既に俺の名前を知っているのだからと正直に話すことにした。


「あなた、誰ですか?

 なんで非通知で……」


 訊ねようとすると相手はそれを遮るように


『詳しく話しているヒマは無いんだ。

 いいかい、これから話すことをよく聞いて。

 とても大事なことだから』


 そしてこう続けた。


『今すぐ急いで秋津となめのアパートに向かって欲しいんだ。

 彼女は今、とても危険な状態にある』


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