第10節 再び秋津の身体を読む機会をうかがっていたところに、ある日チャンスが巡って来る。
再び秋津の身体を読む機会をうかがっていたところに、ある日チャンスが巡って来る。
その日も保健室の先生が不在だったので睡眠薬を使えば秋津を密室に誘導して目的を達することができるはずだった。
俺は再度計画を実行に移すことに決めた。
休み時間中、教室に人がいなくなる隙を狙って前回と同量の睡眠薬を秋津の水筒に混ぜておく。
彼女はまた何の疑いもなく水筒の中身を飲んでいた。
ここまでは予定通り。しかしその後、計画に狂いが生じ始める。
休み時間が終わると教室での授業だ。
授業中、じっと秋津の様子を観察していた俺は徐々に焦りを感じ始めていた。
何となれば薬が効き始める予定の時間になっても彼女に期待したほどの変化が表れなかったからだ。
彼女は時折、顔を歪めてあくびをかみ殺していたが前回のように強い眠気に襲われている様子は無い。
俺は確実に相手の水筒の中に睡眠薬を入れたし、彼女は間違いなくそれを飲んでいた。
ではなぜ効果が表れないのだろうか。俺は首をひねった。
理由として考えられるのは、彼女に薬の耐性がついてしまったということだ。
同じ薬を飲み続けていると段々効きが悪くなっていくという話を聞いたことがある。
もしかしたら2回目にして早くも彼女の身体は薬に慣れてしまったのかもしれなかった。
その後もやきもきしながら秋津を見守り続けた。
だが結局その授業の間に彼女が眠気に耐えられず教室から出ていくことは無かった。
次の時限は体育だった。
男子は体育館でバスケの自主練、女子はグラウンドでランニングだ。
女子の目がある時は無駄に張り切る男子たちも、男女別なのと教師の目が無いのとで今日は皆だらだらとしていた。
俺もいい加減にシュートの練習などをしていたが、そのうちそれも止めてしまった。
秋津のことが気になって練習などする気になれなかったのだ。
俺はこっそりと体育館を抜け出した。
人目を避けつつグラウンドの近くまでやって来ると、建物の陰から女子たちの様子を盗み見る。
秋津はすぐに見つかった。
半袖の体操着の下に黒いインナーを着こんでいるものだから一人だけとても目立っていた。
はじめ彼女は、トラックを走る他の女子たちのほんの少し後についてランニングしていた。
しかししばらく観察していると、彼女一人だけが集団から遅れてどんどん後方に引き離され始めた。
やがてその足元はふらつき始め、スピードもほとんど歩くのと変わらないくらいまで落ちてしまう。
ついに彼女はトラックの真ん中で立ち止まってしまった。
秋津のもとに指導教師が駆け寄る。
彼女は先生と二言三言言葉をかわしていたが、やがてトラックの外に向かって歩き出した。
ゆっくりとグラウンドの端の体育倉庫までやって来た秋津、倉庫の軒下に座り込んで眠たそうな目で体育の授業を見学し始めた。
どうやら今になって睡眠薬の効果が出始めたらしかった。
「いまさら効果が出たって……」
俺は悔しい思いをした。
いくら秋津が眠気に襲われていたって、グラウンドにいたのでは誰にも見つからず彼女の肌を検めることなど出来ないのだ。
仕掛けた罠にせっかく鳥がかかったのに、捕まえた鳥を入れるカゴがないといったような気分だった。
俺は頭上の曇天を見上げると嘆息した。
ややあってから再び視線を秋津のところに戻すと、その姿が無くなっているのに気づく。
目を離していた間にどこか行ってしまったらしい。
とっさにグラウンドを広く見渡してみたが彼女の姿は無い。
どこへ消えたんだろうか。
もとより眠気と戦っている状態ではそう遠くには行かないだろうと思ったが、ふと体育倉庫に目をやると入口の引き戸がほんの少し開いているのに気づく。
俺はある可能性に思い至る。
そして一度は逃したチャンスがまた舞い戻ってきたように感じた。
誰にも見られぬように慎重に体育倉庫に近づいていく。
倉庫の傍まで来たとき、幸運なことに先生と女子たちはグラウンドの真ん中に集合してミーティングを始めていた。
今ならこちらに注意を向ける者はいない。
俺は物陰から躍り出ると素早く体育倉庫の扉の中に滑り込んだ。
倉庫の中は雑然としていた。
サッカーボールが満載されたカゴ、積み重ねられたカラーコーン、大量のハードル、そういった物が所狭しと並べられている。
倉庫の一番奥まった場所には、屋外で使う古びた体操マットが何枚か積み重ねられていた。
そしてところどころに土が付いたあまり清潔とは言えないそのマットの上に、予想通り、秋津が横たわっていたのだった。
おそらく強い眠気に耐えきれず横になれそうなところを探して倉庫に入り、そこで目についたマットの上に倒れ込んでしまったのだろう。
保健室のときと同様、彼女は熟睡していた。
眠る秋津を前にして俺はすぐにでも例の仕事に取り掛かりたかった。
しかし逸る気持ちを押さえると、まず倉庫の中を物色し始める。
そこら辺に転がっていた角材状の木の棒を2本拾うと、入口の引戸の内側からつっかえ棒のようにはめ込んだ。
これで外からは簡単に扉を開けられないだろう。
マットのところに戻ってくるとぐっすりと眠る秋津を見下ろした。
彼女は例の黒いインナーの上に体操着、紺色のショートパンツに丸首と袖口がやはり紺色に縁取られている白地の半袖、を重ね着していた。
黒い薄衣に覆われた四肢は脱力してマットの上に投げ出されている。
俺は目の前に転がる少女の身体を、まるで史料館に展示された美しい和弓でも見るような気分で、感心しながら眺めていた。
改めて見ても秋津は高い身長としなやかで長い手脚の持ち主だった。
彼女は運動方面にはてんで関心がなく体育の授業などもいつもいやいや受けていたが、その体格を活かして本気でスポーツに打ち込めばきっとよい成績が残せるだろうと思われた。
そう考えると少しもったいないような気もしたが、同時にもし彼女が運動部なんかに入って真面目に取り組んだとしたら、その独特な、ある種の不健康な美というべきものもきっと失われてしまうのだろうと思い、それもまた惜しいと感じるのだった。
倉庫の外、グラウンドの方から女子たちの掛け声が聞こえてくる。
俺はのんびりと考えごとなどしている場合ではないことを思い出した。
すぐさま秋津を脱がせる作業に取り掛かる。
前回は制服を脱がすのに難儀したが、今彼女が着ているのは幾分構造が単純な体操服だ。
さほど苦もなく上着とショートパンツを脱がせてしまうと、続けて黒いインナーも剥ぎ取ってしまった。
再び彼女の紙のような白い肌と、それを覆う無数の文字を目の当たりにした。
俺は前回、秋津が目を覚ましかけたせいで読むのを中断したあたりの文を探すことにした。
目印を付けていた訳ではないから記憶を頼りに探さねばならない。
だが幸いにちょうど胸の辺り、下着の下になっているところを読んでいたのは覚えていたので探す範囲は限られていた。
震える手で下着を捲り上げるようにずらすと、なだらかな盛り上がりに沿って湾曲している文字列を飛び飛びに拾い読みしていく。
やがて俺の目は読んだ覚えのあるいくつかの文を捕えた。
「僕は君が悪くないことを誰よりも知っている」、「クラスの女子たちは君のことを誤解している」といった空虚な慰めの言葉。
彼女が目を覚ましかけた直前、ちょうどその辺りを読んでいたのだった。
俺は目をつむり指で目頭を数秒強く押さえると、細い目を見開いた。
そして薄暗い倉庫の中でも一文字たりとも見落とさぬよう、慎重に秋津を読み始めた。
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