第9節 「きれいな男の子?……」

「きれいな男の子? いたかなあ……」


 俺が爆発現場の近くにいたことをとはっきり覚えているのは二人だけだった。


 この学校に勤めている文芸部顧問をやってる五十くらいの男性教師と、彼が連れていた美々面という名の女の子だ。


 あのとき爆発が起こって意識を失い、気が付いたときにすっかり爆発の痕跡も無く元通りになっていた本屋の方から教師と女の子が手を繋いで歩いてくるのを見たのだった。


 しかしその場にいたそれ以外の人のことはよく覚えていない。


 意識が飛んだりしている上に、爆発からけっこう時間も経っているので記憶も曖昧になりつつあった。


「どんな子なのかもうちょっと詳しく教えてくれよ」


 俺は秋津にヒントを求めた。


「その子は白い制服を着ていて、麦わら帽子を被ってて……」


 彼女は一つずつ特徴を挙げていく。


 すると何個目かを聞いたところで突然記憶が甦ってきた。


「ああ、いたいた!

 金持ちの家の子っぽい男の子が」


 言われてみればたしかに見ていた。


 爆発が起こる前、それらしき少年が本屋の方に向かって走って行くのを。


「手に何か持っていませんでしたか、その子」


「え?

 ……そういえば持ってたな、レモン」


 妙なことにその少年はレモンの実を大事そうに両手で包み持っていたのだ。


 爆発が起こったのは少年が本屋の入ったビルの中に消えていった数分後のことだ。


「でもなんでレモンなんて持っていたんだろうな」


 俺は疑問を率直に口に出した。


 こちらの話を聞いた秋津は何か考え込んでいる風だったが、ややあってからこう呟いた。


「そのレモンが爆弾だったのかもしれない」


「は?」


 突拍子もない言葉に思わず声がでた。


 俺はすぐさま問いただす。


「レモンが爆弾ってどういうことだよ」


「いや、それは」


「レモンの中身をくり抜いて爆弾を詰めたってことか?

 なんでそんなことをする必要があるんだよ」


「その、なんていうか」


 俺は次々と思い浮かんでくる疑問を秋津にぶつける。


「爆弾をカモフラージュするにしたって爆発したのは本屋なんだぞ。

 本屋にレモンがあったらどう考えても不自然だろ。

 それになんでレモンなんだよ。

 他の果物……オレンジやグレープフルーツじゃダメだったのか?

 爆弾を詰めるならなるべく大きい果物にした方がいいだろうに。

 そもそもお前はなんでレモンが爆弾だなんて思ったんだよ。

 何の根拠があって……」


 秋津はしばらく黙って質問責めにされていたが、やがて耐えかねたように叫んだ。


「そういう古い小説があるんですよ!」


「そうなのか」


 俺は腑に落ちなかったが彼女がいらいらした様子だったのでそれ以上疑問を口にするのはやめにした。


 本心では古い小説にあるから何だというのかと訊いてやりたかったのだが。


「とりあえず、お話は分かりました。

 それじゃあこれで……」


 彼女は自分の聞きたかったことを聞けたらしく話を打ち切る素振りを見せた。


「ちょっと待てよ」


 その場から去ろうとしていた彼女を呼び止める。


「ちゃんとお前の質問に答えたんだから、今度は俺からも質問させてくれよ」


 彼女は多少面倒くさそうな顔をしたが、


「いいですよ。答えられることなら」


 そう言ってこちらに向き直った。


 俺は気になっていたあのことを訊いてみることにした。


「この前話していたお前の「恋人」のことなんだけど」


「彼のこと?」


 俺は秋津の表情を観察していた。


 しかしそこには嘘を吐いている人間が見せるような、いかなる典型的な兆候も認められなかった。


 一言でいえば、彼女は坦々としていた。


 しかしそれでもまだ「彼」の存在への疑念を拭えなかった俺は質問を続ける。


「その、「彼」がどんな人なのか教えてくれないか?」


「どんな人……」


 彼女は暫し遠い目で宙空を見つめていたが、やがてこう呟く。


「分かりません」


「分からない?

 自分の恋人なのに?」


 問いただされても彼女は臆することなく、まるで事前に用意でもしていたかのように言葉を続けた。


「はい。私は彼のことをほとんど何も知らないんです。

 彼の声を聞いたことも無ければ、顔だってよく分からない」


 明らかにおかしな話だった。


 彼女は「彼」と小学生の頃からの知り合いのはずだ。


 それなのに声も顔も知らないなんてこと、ある訳が無い。


 俺は彼女の言葉にどう反応したものか悩んだ。


 本当は恋人なんていないんだろうと面と向かって指摘してやろうかとも思ったが、それはいくらなんでも気の毒な気もする。


 しかし相手に話を合わせて、素敵な彼なんだろうね、などとお世辞を言う気にはとてもなれない。


 俺は迷った挙句、沈黙を選んだ。


 二人の間に無言の間が流れる。


 すると秋津の様子に変化が表れた。


 なにやら焦れたようにそわそわとし始めたのだ。


 どうやらこちらの方から「彼」のことを質問されるのを待っているようだった。


 しかしこっちとしても何をどう聞いてやったらいいのか分からない。


 やがて面倒になった俺はいっそ話を打ち切ろうと思い立った。


「じゃあ、そろそろ教室に戻ろうかな」


 そう言ってその場から立ち去ろうとすると、彼女が慌てて声を上げる。


「待ってください!

 そこで「あなたの恋人の名前は何ですか」と聞いて下さい!」


「な、何でだよ」


「いいですから!

 早く聞いてください!」


 彼女は興奮して質問することを強要してきた。


 俺は面倒に思いながらも渋々言うとおりにした。


「『あなたの恋人の名前は何ですか?』」


「私の恋人の名前は……」


 彼女はそこまで言ったところで急に黙り込んだ。


 そして何やら恥じ入ったように俯くと、


「何でもありません!」


 そう叫ぶと踵を返してその場から逃げるように去って行ってしまった。


 取り残された俺は呆気に取られた。


「何なんだよいったい……」


 結局、俺は休み時間が終わるまで廊下に呆然と立ち尽くしていたのだった。

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