第4節 こちらの質問に圭太は警戒心を露わにした。

 こちらの質問に圭太は警戒心を露わにした。


 俺は慌てて弁解する。


「ち、違う。もうさらったりするつもりなんて無い。

 ただ結果的には怖い思いをさせたし、今はどんな様子なのかなって」


 慌てる俺の様子を見て少し警戒を解く圭太。


「もしかしてお前、美々面に悪かったって思っているのか?」


「いや、その……」


 俺はしどろもどろになった。


 すると圭太の横に立っていた委員長の子がぱっと笑顔になって、


「加藤くんはきっと美々面ちゃんに謝りたいって思ってるのよ」


 そう言って勝手にこちらの意図を補足した。


 だが「謝る」という単語を聞いた途端、俺の中に萌していたある感情が一瞬で引っ込んでしまった。


「いや、別に謝るつもりは無い」


「え?」


 委員長の顔から笑顔が消えた。


「別に俺は悪気があった訳じゃないんだから謝る必要なんて無いだろ。

 話を聞けさえすれば、後はあの女の子を帰らせるつもりだった。

 それをお前らが騒いだせいで大事になって……」


 こちらの言葉を聞いた委員長は憮然として黙り込んだ。


 俺は失言だったかなと軽く後悔したが、話した内容自体は本心だったので特にフォローもしなかった。


 圭太はこちらを憐れむような目で見ていたが、やがてぼそりと呟く。


「悪いことしたときは素直に謝った方がいいんだぞ」


 俺はそれには返事をしなかった。


 無言の間を少し挟んだあとで圭太は答える。


「あと、美々面はもうオレのところにはいないよ。

 今、どこにいるかも知らない」


「そう、だったのか」


 俺は少しほっとした。


 あの女の子がどこか知らないところに行ってしまったのなら、それでいいと思った。


 つまりそれはもう気にしても仕方がないということなのだから。


「圭太くんそろそろ……」


 委員長が圭太に移動を促した。


 圭太は「うん、もう行こうか」と答えると俺の方に向き直って、


「加藤、当面は大人しくしてるんだぞ。

 次また何かやったら今度は謹慎だけじゃ済まないぞ」


 最後にそうクギを刺すと、圭太は委員長と一緒に去って行った。


 廊下を遠ざかっていく二つの背中を見ながら俺の脳裏に浮かんでいたのは、圭太の周りにはいつも誰かがいるなという思いだった。


 それはあの委員長の子であったり、美々面という少女であったり、文芸部の顧問の先生であったりするがいつも誰かしらが圭太のそばにいるのだ。


 無人の廊下に一人、俺は自分と圭太と何が違うのだろうかと考えた。


 たしかに圭太はかわいらしい顔つきをしているとは思うが、基本的には自分と同じ平凡な男子生徒に見えた。


 しかし自分と圭太の学校での境遇には大きな違いがある。


 性格の問題だと言ってしまえばそれまでだが、俺はどこか不公平なものを感じながら始業のチャイムが鳴りだした廊下を目的の教室に向かって歩いた。




 その日の放課後、俺は秋津となめの後を尾けてみることにした。


 尾行しているのがバレたら今よりさらに警戒されることになるリスクはあった。


 しかし秋津はいつも一人で下校していたし、歩くときも常に俯き加減だったから気づかれる可能性は低いと思ったのだ。


 警戒すべきことがあるとしたら、それは彼女が言っていた「彼」の存在だ。


 もし恋人と合流されたらこちらの尾行に気づかれ易くなってしまうかもしれない――恋人などというものが実在すればの話だが。


 その日、秋津は校門を出るといつも通り一人で帰路についた。


 俺は一定の距離を保ちながらその後に続く。


 学校の廊下では後を歩く俺に気づいた彼女だったが、今は十分に距離を開けているせいか尾行されていることに気づいていないようだった。


 彼女は明確な中央線も無い狭い車道の路肩を黙々と歩き続けた。


 道はやがて学校の裏手に広がる松の防砂林の中に吸い込まれていく。


 日中でも薄暗い林の中をまっすぐに突っ切ると視界が開けて海岸線に出た。


 その後は海岸堤防沿いの道路をまた歩き続けた。


 変化は突然に訪れた。


 秋津が何も無いところで急に立ち止まったのだ。


 俺は勘づかれたのかと思いとっさに物陰に隠れる。


 しかし彼女はこちらに注意を向けることは無かった。


 彼女はじっと海の方を見ていた。


 しかし海には船やサーファーのような目に付くようなものは何も無かった。


 俺はいったい何にそんなに注目することがあるのかと不思議に思った。


 彼女を真似てしばらく何もない海面を睨んでみる。


 するとようやく気づく。


 彼女は水平線に霞んで見える小さな島影を眺めていたのだった。


 そのときになって俺は思い出した。彼女がその小さな離島の出身だったということを。


 島には中学校が無いので彼女は親元を出て下宿住まいをしながら街の中学に通っているという話だった。


 彼女が学校に友人がいないのもその辺りにも原因があるようだ。


 島の出身者は学校の中では圧倒的なマイノリティで、彼女は知り合いが一人もいないような状況の中に一人飛び込んで来ざるを得なかったのだから。


 秋津はそのまま10分ほども島影を眺めていたが、やがて再び俯き加減に歩き始めた。


 彼女が次に足を止めたのは、下宿の前ではなく街の図書館だった。


 慣れた様子で館内に入っていった彼女は受付でカバンの中から本を数冊取り出して返却していた。


 そしてその後しばらく書棚の間を周遊していたかと思ったら、今度は10冊ほども本を持って受付に戻ってきた。


 どうやらそれらの本を全て借りるつもりらしかった。


 貸出の手続きをする秋津の様子を眺めながら、俺はよくもあんなにたくさんの本を読むものだと半ば呆れたような心境だった。


 自慢ではないが、俺は今まで生きてきて活字の本を読みたいなどと思ったことは一度として無い。


 学校の課題なんかで指定されれば読みはするが、自分から進んで読むことは無かった。


 そもそも文字だけで情報を伝えるなんて伝達効率が悪過ぎるのだ。


 音や視覚を使ったもっと効率のいい伝達手段なんていくらでもあるのに、俺には文字の本なんてものは古い形式がなにかの間違いで生き残っているだけにしか思えなかった。


 やがて秋津はカバンを本でぱんぱんにすると図書館を後にした。


 再び外を歩く秋津だったが、よほどカバンが重いのかもともと猫背気味な背中をさらに丸めて歩く様子はまるで老婆のようだった。


 調子に乗って本をたくさん借りるからそうなるのだと俺は鼻で笑った。


 やたらと重いところも本の大きな欠点だ。


 その後、住宅街を歩き続けた秋津は古臭い2階建てのアパートにたどり着いた。


 ごく自然に建物の中に入っていった様子を見るにそこが彼女の下宿なのだろう。


 彼女が建物の中に入ってしまったので俺の尾行も終了せざるを得なかった。


 結局、下校中に彼氏らしい人物が現れることは無かった。


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