終章7 秋の陽光、玲瓏と降る
「あっ。おい、おまえ」
「待たんか。せっかちなやつめ」
「大して急ぐような用事もないくせに」
「勝手に自分の言いたいことだけ言って、他の言うことなんぞちっとも聞こうともせずに」
「自分勝手、極まりないやつ」
「唯我独尊か」
「とんだ俺様じゃ」
「暴君め」
「何かのテッペン獲ろうと息まいとるんじゃな」
「寺子屋の裏で煙草をふかすんじゃろ」
「その調子で夜の寺子屋の戸を叩き壊して回るんじゃな」
「盗んだ馬で走り回るんじゃな」
「大人と子どもの間で揺れとるんじゃな」
「思春期か」
「反抗期じゃ」
「青春じゃな」
「青いのぅ」
「眩しいのぅ」
とっとと話を切り上げて去ろうとする誘鬼に、二匹は好き勝手言いたい放題に非難と暴言とからかいの声を上げた。背後からの罵声に誘鬼は眉間にしわをつくり、溢れんばかりの不満の色で満たされた顔を管狐たちに向けた。口には出さなかったのに、管狐たちの耳には舌打ちの音がはっきりと聞こえた。
「なんだよ」
不機嫌極まりない声音だが、意外にも律儀に振り返り聞く耳を持つそぶりをみせた誘鬼に、管狐たちは感心して「ほう」と感嘆の声を上げた。しかし、感心ばかりもしていられない。それほど気が長いようには思われない相手だ。さっさと要件を言わねば昨日の雷獣をけしかけられないとも限らない。狐たちは短く言葉を継いだ。
「あの若者の中におまえがいたぞ」
「おまえのようだったが、なんだか恐かった」
「あれは大人しくしていたが、恐かった」
「おまえも封じられているのか」
「おまえの兄弟が封じられているのか」
管狐たちは封じられていた紫苑の中で見つけた気配のことを口にした。
「雷獣のように大層なものだったぞ」
とんでもないものと一緒にされていたと、二匹の管狐たちはぶるりと身をすくめた。
管狐の言葉に誘鬼は首を傾げかけ、思い当たる節に気が付いて、ああとつぶやいた。
「……そりゃ、俺のかんしゃく玉、かんの虫だと思うぜ」
肩をすくめて誘鬼は答えた。
「俺が赤ん坊の時に紫苑が封じたんだと。かんしゃく玉」
「そ、そうか」
誘鬼が赤ん坊の頃というと、ひとつ違いの紫苑もほぼ乳児である。
「あの若者、とんでもないやつなんじゃな」
管狐は少しばかり引いたように感想を漏らした。それに対し、誘鬼はフンと鼻先で笑って肩をすくめただけだった。
ふわりと秋の風に乗って甘い芳香が誘鬼たちの鼻をくすぐった。垣根の内側に木犀の木があるのだろう。見上げる空は、どこまでも高く広い。
「だからな、おまえよ」
管狐が芳香に鼻をひくひくとさせながら誘鬼を見上げる。
「家出もたいがいにしておけ」
「少しは家にいる時間も作れ」
そしておもむろに説教。誘鬼のこめかみがぴくりと震える。
「……ンだと? テメーらにゃ関係ねーだろうが。俺のやることテメーらにとやかく言われる筋合いはねーよ」
誘鬼は嫌そうな顔を管狐たちに向ける。
「それはもちろん、わしらの知ったことではない」
「好きにするがいちばんと思うが」
「おまえも多少なりの煩悩はあろう」
「あの若者、口で言うとる以上に――」
つ、と背を赤く染めた蜻蛉が乾いた空を横切っていく。それを目で追いながら、誘鬼は管狐に口をはさむ。
「――おい」
「なんじゃ」
言葉を遮られた狐が答える。ちらと視線を狐に移して、誘鬼がいつになく神妙な面持ちで忠告の言を放つ。
「あいつ、俺なんかよりだいぶ気が短い。おまえらが、あいつの何に気付いたのか知らんけどさ、あんまり勝手が過ぎると、本当に肥溜めに投げ込まれるぞ」
「な、なにを」
冗談をと言いかけて、管狐は口をつぐむ。眠れるかんしゃく玉を平気な顔で封じている若者だ。あり得なくはないと思われる。加えて忠告する誘鬼の顔は、とても冗談を言っているふうではない。
「あいつ、有言実行タイプだからな。余計なことはせんに限る」
ごくりとつばを飲み込む管狐たちを見やって、言葉を和らげる誘鬼だったが、目だけはちっとも笑ってはいない。言った本人も、後悔するような目に遭ったことがあるのかもしれないと、管狐たちはひっそりと誘鬼の心の内を
「口は禍の元って、な」
忠告をくれる誘鬼であったが、この少年の口の悪さを棚に上げた忠告は、イマイチ説得力に欠ける一言だった。
ふわり。
木犀の花の香りを含んだ風が、誘鬼の髪をなでていく。風の流れる先に視線を向けると、ひらひらと舞うように落ちる銀杏の葉が、空から降る金の光を受けてきらきらと輝いていた。夏のそれとは違う光の眩しさに秋の色を見つけた時、小さな狐たちがするりと誘鬼の肩に駆け上がってきた。
「心変わりをした」
「は?」
小さな尻尾が豊かに実った稲穂のようにゆっさりと揺れる。
「しばらくおまえについてゆく」
「おまえには世話になったでな」
「困ったときは、我らを頼れ」
桜の花びらほどの荷重が両の肩に納まった。
終わり。
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