終章5 A☆RA☆SHI☆
しばらく笑い転げた紫苑がようやく落ち着いたころ、誘鬼は紫苑の額を人差し指の先で突いて言った。
「まあ、とにかく。ついでだから茶屋にも寄って帰るから、おまえはゆっくり休んでから帰れよ」
「ああ……」
頷いた紫苑の声が、他に気を取られたように途切れる。
表の玄関先が騒がしい。なにやら話し声がする。喧騒というには大げさだが、それに近しい賑やかさだ。ただ、賑々しい声は一人分だ。紫苑は頭を動かして玄関の方に視線を向けた。向けたところで建具に遮られて玄関の様子など見えはしないないのだが。それからちらと誘鬼を見ると、同じく視線を転じた誘鬼と目が合った。誘鬼は呆れたように肩をすくめてみせる。騒ぎの原因に察しがついているようだ。
「天狗風にご注意あれ」
「へ?」
誘鬼は口の端に苦笑をにじませそうつぶやくと、膝を立てた。
何のことかと紫苑が問う間もなく、声はだんだんと近づいてくる。
容赦ない騒音となって。
「紫苑―っ、いるー? ねー松婆―っ。ねーねー松婆―」
騒がしいを通り越してやかましい。
誘鬼にはもう、既視感などとボケてみる気さえおきない。先日の心地よい静寂も、まるで今と同じように雲散霧消したのだ。
「そういやあいつ、おまえに用があるみたいだったぞ」
紫苑が
「鶴戯のやつ、今、蝉が取り憑いているからちょっとうるせーけど、なんとか相手してやってくれ。じゃあな」
「蝉って、あっ! 待て……っとに、カンベンしてくれ」
待てと言った時には、誘鬼はすでに裏庭から退散していったあとだった。
「しおーんっ! 具合悪いんだってー? だいじょーぶー?」
病人を気遣うテンションではない。勢いよく襖を開け放ち、まるで悪意のない様子で紫苑の枕元にドスンと腰を下ろす鶴戯。
「あれっ? 兄貴いたんじゃないの? 兄貴―っ、兄貴―。あ、ねえねえ紫苑。兄貴には会えたー? あ、そっかー、一緒にいたんだから会えたんだよねー? せっかく手紙書いたのにねー。あーでもさでもさ、用件のみの超ど直球で墨の節約しといてよかったねー。だいたいさー、手紙と入れ違いで兄貴ったら家出しちゃっててさー。紫苑も間が悪いっちゃー悪いかなーって。てーか、だいたいいつも間が悪いよねー紫苑ってさー。つーかやっぱ日頃の行いが悪いんじゃないのー? まー、あの兄貴ほっとんど家にいないから仕方ないっちゃー仕方ないけどさー。ねー?」
やかましい。いろいろやかましい。
「鶴戯。ちょっと、声のトーン落としてもらえるか?」
ついでに、しれっと暴言かましたの謝れ。それから、他人に宛てた文を勝手に見るんじゃない。この二言は言ったところで間違いなく馬耳東風なので、体力を温存すべく紫苑は口をつぐむ。
「あ、うん。ごめんね、紫苑」
紫苑の苦情に鶴戯は素直に頷いて素直に謝る。そして、小首をちょこんとかしげて微笑むこの小悪魔は、これで怒りを静めない者はいないと経験で確信している。あざとい従弟に紫苑は苦笑する。
「それで、どうした?」
「うん。オレね、将来お隣のみよちゃんと占い茶屋やりたいと思ってるんだ。それでね、今のうちから情報収集しとこうと思って。手始めに峠の茶屋の話がいちばん身近で参考になるかなって思って。ね、聞かせて」
昨日の騒ぎなど知る由もない従弟が、両の掌を合わせてお願いポーズを決める。そして極め付きの屈託のない笑顔。
紫苑は笑顔を返した。それは鶴戯の笑顔を表面的に模倣しただけの、ぺったりと貼りついた笑顔だった。そして、笑んだ唇からどっぷりとため息を吐く。
憑き物と占いは、しばらく遠慮したい。そう思う紫苑だった。
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