管狐3 まどろむ

 昨晩。

 家を飛び出す前の晩のこと。夜半から明け方にかけてのひどい雷雨で誘鬼は目を覚ました。一度、完全に覚醒してしまった後に、再び眠りの中に意識を沈めることはたやすいことではなかった。激しい雨が地を打ち木々を打ち、屋敷を打ちつけた。雷鳴は地響きとなって大地を震わせ、閃光のような稲光は閉じたまぶたを突き抜けて眠りを妨げる。

 イライラしながら布団を頭からかぶり、ようやくうとうとしはじめた頃に夜が明けた。夜が明ければ病でもない限り、いつまでも布団にくるまり続けるのは不可能で、誘鬼はでかいあくびをかましながら、這うようにして濡れ縁へと出た。

 夜半の雷雨は夢だったのではないかと思うほど、空はみごとに晴れ渡っていた。


 そうして昼さがり。

 誘鬼は奥の間で大の字になって寝ころんでいた。

 八畳間の畳の上で、ただただ寝そべって、うつらうつらと夢と現の間をたゆたっていた。

 座敷のすぐ横の十字路を行き交う声が聞こえた。ざわざわ、ごしょごしょと、何を言っているかまではわからない。注意深く聞けば聞きとれるかもしれないが、通行人の会話などに興味はない。鳥や虫の声と同程度の雑音だ。

 ふいに意識が夢の中へと落ちていく。仔犬が稲妻の光に飛び乗り、天へと駆け上っていく。あれは犬ではなく雷獣らいじゅうだったっけと、夢の中の認識に訂正を入れる。

 紫苑は……。

 まどろみの中で、ふと従兄のことが思い浮かんだ。

 その瞬間に鼓膜に現実の音が届く。無意識の思考は溶けるようにかき消え、何を考えていたっけと思うそばから、夢と現が入り乱れていく。そのまま夢の中へと意識が遠退いていく。

「……ってね。……、……いるのよ」

 若い娘たちの華やかで屈託くったくのない笑い声に、誘鬼は再び現実へと引き戻された。

 うふふ。

 娘たちは、楽しげに路地を通り過ぎて行く。

「……ついてる……手……かして……」

「待ってる……」

 うふふふ。

 娘たちの声が遠ざかっていく。

 遠くの雑踏、鳥の羽ばたき、大気の流れる気配。それに加え差し込む日差しは柔らかく濡れ縁に降りそそぎ、暖かな光は間接的に八畳間を照らしている。

 心地よい喧騒と包み込むような柔らかな光と暖かさ。誘鬼は睡魔の誘いに抵抗することなく、今ここで眠るために生まれてきたのだと確信した時には、すでにおおかたの意識を手放していた。

 しかし、悲しいかな。まどろむに最適な、そんな小春日和の心地よい雑音は、容赦なく近づいてくる騒音によって瞬時に跡形もなく蹴散らされた。

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