古椿9椿の夢・戦の記憶

 戦があった。


 重税に苦しむ人々が、武士とともに中央政権と戦った。戦うすべての人間の生きるための希望と執念が、森の中に満ちていった。生きた人間からも、そしてまた死んだ人間からも、見てとれそうなほど強い強い希望の念があふれていた。そうして同様に、多くの無念の血がこの地に染み込んだ。

 森はその戦を知っている。さまざまな、人々の念を含んだ大気を吸い、血を吸い込んで、木々は大きくなった。


 一本の若い椿の木があった。緑の葉の間に、赤い花をひとつだけつけている。

 椿は、戦を見ていた。

 あの農具が自分を傷付けやしないか。あの刀がまだ細く弱いこの幹を傷つけるのではなかろうか。あの農具を一振りされれば、自分は真っ二つに折られてしまう。人間が思いっきり倒れ込んでくれば、自分は折れて枯れてしまうだろう。ああ、嫌だ嫌だ。戦など、よそでやってくれればいいのに。

 椿は、戦を見ていた。

 その、若い椿の木に人間の血しぶきがかかった。

 みずみずしい緑のつややかな葉に、赤く生温かいしぶきが付着した時、椿は忌々しい思いでいっぱいになった。その血を飛び散らせた人間が、力なく椿の根元に倒れ込んだ。おかげでたったひとつの花が落ちてしまった。のど元をかき切られたようで、その傷口からは鮮血があふれ出てきて椿の根元を赤黒く染めていく。憎々しい思いでその人間を見下ろしていると、こと切れる寸前の人間の口元がかすかにほころんだ。目の前に落ちた椿の花を見て、人間はかすかに笑みを浮かべて死んだ。

 人間が流した血は、嫌でも椿の根にも染み込んでくる。根からその血を吸い上げると、思いのほか美味であった。無念の中に溶け込んだ希望の味がした。


 幾度か季節が変わり、花の時期と葉だけの時期を繰り返し、幾度目かの花をつける季節となった。若い椿は以前よりも大きく、そしてたくさんの葉をつけていた。そして、青々とした葉の中から顔をのぞかせるように、赤く可憐な花をつけていた。初めてつけた時の花よりも、ずっと強く美しい花だった。

 今は人間たちの戦が、自分の身を傷つけることはない。静かな森だ。穏やかな時間が流れていた。時折人間が、この地で果てた人間たちの弔いごとをしにやってくるくらいで、それを除けば小鳥のささやく声や風に揺れる木々の葉すれの音、小さな生き物のかすかな気配までもわかるような、静かな森だった。

 それでも、時折森は夢を見る。戦を思い出し、悪夢にうなされる。

 その度に人間が祭文をあげる。それは子守唄のように心地よく、森は再び深い眠りへとつくのだった。

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